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鎌倉の大仏様は座禅をしていますが、下記の法界定印と手の形が違います。なんという形でしょうか?

法界定印(ほうかいじょういん)の形は
右手の手の平を上に向けて、左の手の平を上に向けて重ね、両手の親指が水平に軽く触れるようにする。

鎌倉の大仏様は4指の甲側を互いに合わせています。
つまり手の平を重ねていません。

また、我々が座禅するときに、この鎌倉の大仏様の形をしないのはなぜですか?
分かる方がおられましたらお願いします。

A 回答 (2件)

法界定印は定印釈迦にみられる印で、禅宗の本尊としての印。


鎌倉の大仏は座禅を組んでいても阿弥陀如来なので弥陀定印。
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この回答へのお礼

ご教示ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/14 21:19

>なんという形でしょうか



およそ阿弥陀仏だけに見られる印相ですので、一般には「阿弥陀定印」と呼ばれます。親指以外の4指全ての甲を合わせているのではなく、丸められているのは人差し指だけです。つまり法界定印との違いは人差し指と親指で輪が作られているかどうか、という点のみです。

定印とは「定」の状態に結ぶもの、つまり坐禅を組んで瞑想をする「禅定」の際の印相です。この意味では「法界定印」であれ「阿弥陀定印」であれ、さしたる違いはありません。分類上、この阿弥陀定印も広い意味で「法界定印」に含める場合もあります。

近世には阿弥陀如来の印相といっても9種類が作られるようになりました。これは『観無量寿経』に、阿弥陀如来が9種の人品それぞれの衆生を救うということが書かれていることに由来するものです。しかしやはりこの「阿弥陀定印」が基本形であり、実際に造像数も多いので、これが阿弥陀如来の一番の特徴としてよく知られています。

>我々が座禅するときに、この鎌倉の大仏様の形をしないのはなぜですか

日本では印相は一種の記号となっています。つまり区別のつけにくい釈迦如来と阿弥陀如来を弁別する役目を負わされたわけで、釈迦如来像にこの印相をさせることは考えられなかったわけです。
禅宗では坐禅を釈迦直伝のものとして重視してきましたから、当然本尊も釈迦如来が多くなりますし、この印相が坐禅の印相として実践されたのは言わば当然でしょう。

ところで手の上下について。
実は、法界定印(「ほっかい」と呼ぶ方が普通)は一般には、左手の上に右手を重ねることも多いのです。質問中の組み方は、あくまで禅宗が実践しているスタイルの法界定印であって、それだけが全てではありません。

インドにおいて右は浄、左は不浄ですから、自らの浄によって不浄を抑えるという姿を瞑想による悟りになぞらえてこの印を用いるわけです。坐禅中の足の組み方も同様で、左右どちらの足が上にくる坐り方もあり、それぞれに違う降伏坐、吉祥坐などと呼んで異なる意味付けがされています。つまりどちらもありなのです。(鎌倉大仏もこの状態で輪を作っています)
虚心坦懐に仏像を眺めれば、右手を上にした法界定印を結ぶものもかなり多いことに気がつくはずです。実際の釈尊の成道の際も、理屈としては右手が上であった可能性は高いと思います。

結局、なぜいま現在、坐禅の際に「法界定印」と言えば必ず右手を下にするかと言えば、宗祖がそう定めたから、ということになってしまいます。例えば、道元の正法眼蔵「坐禅儀」では、右足を左の腿にのせてから左足を右の腿にのせること、手は右手を先ず足においてから左手をその上に置く、という順番だけが理由なく示されています。足の組み方と手の組み方をシンクロさせていることは明らかですが、なぜ「左が上」なのかは不明です。

これは私の推測ですが、着物を着て坐禅する際に、後から左足を乗せる方が左前の着物が乱れにくいという実用的な理由が先にあり、手はその足の組み方にならった、ということではないかと思います。
日本ではインドのような右珍重の思想がありませんから、ことさらに意味付けする必要がなかったために、ある意味で恣意的な決め方が許された、といってもいいかも知れません。
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この回答へのお礼

たいへん詳しい説明ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/14 21:18

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