土曜の昼、学校帰りの昼メシの思い出

比企氏は、当時、上野国の守護を任されてましたよね。比企一族が北条によって滅亡された後、上野は安達景盛(安達盛長の子)に所領を安堵されていますね。

安達盛長という人物、名字が無かったそうです。
頼朝が鎌倉幕府を作ってから御家人になってますが、名字がない御家人に、所領はあったのでしょうか?



ドラマの中での
富の再分配のやりとり

北条義時
「所領の少ない御家人は土地を与えられることを喜んでいる。しかしその土地は、我ら含め、所領を多く抱える御家人から召し上げるもの。」 

八田知家
「無理があるんだよ。御家人にとって土地は命より大事。誰かあのお方にお伝えした方がいいんじゃねえか」

北条義時
「鎌倉殿は、主だった御家人が、ご自分に従うかどうか、試しておられる」

比企能員が立ち上がります。
「よし、鎌倉殿と話してくる」

・・・・・・

鎌倉殿(頼家)
「再分配の何がいけない」

比企
「土地というものは先祖から受け継ぎ、武功で勝ち取るもの」

鎌倉殿(頼家)
「それを変えていくのだ。わずかな者だけに富が偏るのはいかん」

比企
「ここは、私に任せていただきましょう」

鎌倉殿(頼家)
「まずはお前が手本となって示せ。持っている所領をすべて差し出せ。」

質問者からの補足コメント

  • 安達盛長は、頼朝が伊豆で流人生活を送っていた事から支え出したそうで、13人の合議制の一人になった年に三河国の守護になったことが確認出来ますね。
    ただ、どんな血筋なのかがさっぱり分かりません。

      補足日時:2022/08/10 17:41
  • また守護職って当時は役人の職業で永久職ではないわけだから、ここで頼家が言っていた土地とは、やはり私有地である領土の事を言っていたのでしょうか。
    先祖代々と言っていますしね。
    500町歩以上持ってる御家人から奪おうとしていて御家人から大反対にあった事が吾妻鏡に出てきます。
    先祖が開拓した土地なら、鎌倉殿が集約して分配出来る土地ではないですね。

      補足日時:2022/08/10 17:52

A 回答 (1件)

そもそも、ドラマのやりとりをソースにするとか。


補足で質問と無関係な思い付きをべらべらと語らないで下さい。
本文と補足への回答が入り混じって混乱します。
そもそも、補足への質問にはBAを出すべきではありません。
(→回答を期待する方が間違い 他の質問を立てるべき)


A:>『鎌倉殿の13人』土地の再分配を喜ぶ御家人は本当にいたのですか?

貴方が言っているのは取られる方だけ。
貰った方は喜ぶに決まっている と思う私は欲の深い人間なのでしょうか。


B:>名字がない御家人に、所領はあったのでしょうか?

御家人クラスの武士に名字がない?
当時の「名字」の意味を解っていますか?
「姓」との違いを知っていますか?
「『鎌倉殿の13人』土地の再分配を喜ぶ御家」の回答画像1
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この回答へのお礼

A:乞食のようにあさましい。

B:下の名前しかない男でした。

お礼日時:2022/08/11 12:21

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