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文化史 運慶について教えてください!
資料には

【資料 1】文治二年(1186)正月に興福寺西金堂本尊を造った運慶はその後、鎌倉幕府関係の仕事を担当する。
源頼朝の岳父北条時政(1138〜1215)が建てた伊豆願成就院の諸像を同年五月に造り始めたのがその最初である。
いま阿弥陀三尊像の中尊、不動明主および二童子立像、毘沙門天立像の五躯が伝わり、阿弥陀以外の各像に納入していた、五輪塔形をかたどり宝箇印陀羅尼を墨書はする木札に年紀や願主名とともに運慶の名が記されている。


【資料 2】
浄楽寺
神奈川県横須賀市芦名にある浄土宗寺院。鎌倉時代の仏師・運慶作の仏像5体(阿弥陀三尊、毘沙門天、不動明王 いずれも国指定重要文化財)が安置されている。


ここで質問なのですが、
資料1に「いま阿弥陀三尊像の中尊、不動明主および二童子立像、毘沙門天立像の五躯が伝わり、阿弥陀以外の各像に納入していた」と書いてありますが、北条時政が建てた伊豆願成就院にこれらの阿弥陀三尊像などの5つがあったんじなゃないのですか?

なのに資料2にも和田義盛が作った浄土宗寺院にも仏師・運慶作の仏像5体(阿弥陀三尊、毘沙門天、不動明王 いずれも国指定重要文化財)が安置されている。と書いてあります。


北条時政が建てた伊豆願成就院と和田義盛が作った浄土宗寺院にも同じものが5つあることになりますがどういうことですか!?全く分からないので教えて下さい!

A 回答 (1件)

たまたま名称と仏像の数(5)が一致しただけで、別の仏像です。


それぞれの寺院の公式サイトから、運慶作の仏像の画像を見てください。同じ「阿弥陀仏」でも形が違います。

・伊豆願成就院>寺宝
https://ganjoujuin.jp/temple_treasures.html
・浄楽寺>運慶について の画面下方「阿弥陀三尊像、不動明王立像・毘沙門天立像(国指定重要文化財)」画像参照
https://www.jorakuji-jodoshu.com/aboutunkei

なお、伊豆願成就院の運慶仏は「阿弥陀三尊像の中尊」(=本来は3体で一組の三尊像のうち、中央の仏だけ)(1)、「不動明主および二童子立像」(1+2)、「毘沙門天立像」(1)で合計5体。
浄楽寺のほうは「阿弥陀三尊」(3)、「毘沙門天」(1)、「不動明王」で合計5体。
同じ「5体」でも、内訳が違うんですよ。

ちなみに伊豆願成就院の「阿弥陀仏以外の~」の箇所は、「阿弥陀以外の各像に納入していた、五輪塔形をかたどり宝箇印陀羅尼を墨書はする木札」でひと続きです。
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この回答へのお礼

とっても分かりやすくて助かりました!ずっと同じものだと思ってたので混乱してました!本当にありがとうございます!大好き!!

お礼日時:2023/01/31 14:39

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