痔になりやすい生活習慣とは?

日蓮宗は、自力本願なのか、他力本願なのか、どっちなのでしょう?どっちでもないような気がするんですが、、、、、。どなたか教えてください。また、なぜ日蓮宗は法華経以外認めずに他宗排撃をしたのか、そして日蓮宗全般についても知りたいです。どなたか詳細お願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (3件)

どちらでもありません。

という以前に、自力・他力と分けるのはあくまでも浄土系の宗派によってのみ行われることだからです。
 つまり、浄土系の宗派が「わが宗は阿弥陀如来の本願力によって救済される他力の教えであり、それ以外の宗派は自力である」と分けるのです。ですから真言・華厳・天台・三論・法相・倶舎、成実・律それに禅の各宗派は「わが宗は自力である」とは分類しないのです(ものの例えとして、そのように表現することはあるでしょうが、それは宗の中核をなす教えではないのです)。ですので、日蓮宗も天台宗の流れをくむ教えですから、自力他力の区別は意味のないことです。

ですから、わたしは真言宗のものですが、「真言宗は自力ですか他力ですか」と訪ねられたら、「真言宗では自力他力と分ける考えはありません」と答えます。日蓮宗においてもどうようでしょうね。
 
 
    • good
    • 0

自力・他力の別については#2さんの仰る通り、浄土系の用語なので。


また、本願、というのはつまり弥陀の本願、つまり阿弥陀如来が願ったこと、(内容は「衆生の浄土往生」、つまり成仏しやすい場所である西方浄土(極楽浄土)にみんながいけるように、という願い)のことですから、基本的に阿弥陀さんの信仰といっていいでしょう。その点もいわば浄土教側からの分類なので、それを認めることも浄土教の立場に立つことになり他の宗派としては不合理です。

他宗排撃はなにも日蓮宗の特技(?)というわけではなく、他ならぬ浄土系も旧仏教側から排撃され、法然・親鸞などは流刑にあい、それどころかいくたりかは河原で処刑されたりもしました。

そういう中で、最も先鋭になったのが日蓮宗、というところじゃないえしょうか。
    • good
    • 0

自力本願というのは自分が修行して解脱するものなので、日蓮宗も他力本願でしょう。


なぜ、法華経以外を認めないのかは日蓮がどう考えたかはわかりませんのでなんともいえませんが、法華経は最高の教えであり、それに反したり矛盾するような(仏教はひとつの体系だったものではなく、発展とともにいろいろな考え方が出てきて、お経にも相反するようなものもたくさんあります。)お経を読んだり研究したりするのは邪宗だということではないでしょうか。
日蓮宗については参考URLで。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%93%AE% …
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q日蓮宗と創価学会の関係

先日初めて日蓮宗の葬儀に参列しました。
日蓮宗にあまり馴染みがなかったので、「教えて!goo」で日蓮宗を
検索したところ、「創価学会」とつながりがあることがわかりました。
具体的にどういう関係なのか教えてください。

あと、日蓮宗って仏教ですよね(違っていたらごめんなさい)
なぜ、仏壇の中に仏様がいらっしゃらないのでしょうか?

Aベストアンサー

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会なんですが、最初は創価教育学会といいまして、
宗教団体ではありませんでした。それが、道徳教育には宗教が必要だという考えもあって
日蓮正宗へ参加します。でもって袂を分かつんですが、日蓮正宗方の言い分は
邪流に走ったから破門なんですが、創価学会方の思いは「散々、貢がせておいて
いらなくなったらポイっかい」というものです。
なので、創価学会は寺院も坊さんもおらず、葬式も友人葬として学会員で行います。
日蓮正宗が学会を池田教といえば創価学会は正宗を日顕宗と呼んだりしています。
悪く言えば、しいたげられても尽くしてきたのに、必要がなくなったら
あっさりとフラれたときの逆恨みとでもいいましょうか、
聖教新聞なんかを見るとあからさまな攻撃記事がありますね。
共通点と言えば、双方とも何か言えば必ず反論してくるところです。

仏壇に仏像がない理由ですが
現在の仏像というのは仏教を広めるために他の宗教の神様が仏に帰依したという
考えのもとできあがったもので、本来、釈迦が説いたものには偶像という概念が
ありませんでした。日蓮大聖人もまた釈迦が説いた仏法への回帰を目指していたため
正統な日蓮系には偶像崇拝はないんですね。

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会な...続きを読む

Q法華経の教えを簡単に言うと

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

どうぞ簡単に簡潔に教えてください m(_ _)m

Aベストアンサー

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦如来が実践したように、衆生伝道も含まれるのですね。これは菩薩が立てる四弘請願で明らかですね。簡単に言えば己を磨き、衆生を助ける「上求菩提下化衆生」ですね。
鎌倉期以降は「上求菩提下化衆生」が「上求菩提」と「下化衆生」型宗教に分かれてなにやらわからなくなってしまってますが、
1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。
3.学んだ教えを広めましょう。
の3点が本来的な主題ですね。仏教では正しく物事を観る、判断することを「正見」といいますがこれは「正信」つまり、正しい信仰を持つことと同じ意味ですね。
仏教では釈迦如来に帰依することが「正信」ですから、本尊は釈迦如来以外にはないですね。
釈迦如来を役割の違いで阿弥陀仏や大日如来と言い換えているだけですね。表現方法は寛容ですね。ということで仏教においては、弟子やお経は本尊には決してなりませんね。

1.生きとし生けるものは全て仏の心がある
2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう

この2点でしょうか?

○法華経の主眼は、簡単に言えば、「1.生きとし生けるものは全て仏の心がある。」つまり、全てのものに仏生があるので、
三宝に帰依してしっかり修行をして仏性を磨いて今世を生ききれば、必ず来世、来来世あるいは未来世で菩薩になれる。という教えですね。言い換えれば、「2.来世でなく今を正しくきちんと生きましょう。」ですね。だから、2点でほぼ正しいのですが、菩薩への修行には、釈迦...続きを読む

Q日本における仏教でその宗派を自力と他力にわけるなら

先日、仏教の宗派の僧が集まった番組を見ました。

ある宗派は、「自力(じりき)」。また、ある宗派「他力(たりき)」というのです。
助けというか、救いというかの求め方だと思いますが、
どの宗派が自力で、どの宗派が他力で、どの宗派がその他(もしあるのなら)なのか
詳しい方教えて下さい。

またその意味なども加えて頂けると助かります。

Aベストアンサー

仏教の教えを二つに分類すると聖道門と浄土門になります。聖道門は自分の中に埋蔵している法に目覚めるように努力して悟りを得ようとする教えです。浄土門は法の象徴である阿弥陀仏の誓いを信じることで悟りを得ようとする教えです。前者は自力でやろうとするのでかっこよく見えますが、自分で法に目覚めることができなかったら意味がありません。そこで、阿弥陀仏の誓いである法を信心で得ようとする方法を他力と呼ぶのです。結果は法を信じることで同じ境地に達するのです。

聖道門は法相宗、華厳宗、天台宗、真言宗、律宗、臨済宗、黄檗宗、曹洞宗、日蓮宗などがあります。浄土門は浄土宗。浄土真宗、時宗などがあります。

Q日蓮宗のお寺と観光

私は旅をする際、現地の神社仏閣巡りをよくします。
ただふと気付いたのですが、ほとんど日蓮宗のお寺には行ったことがないんですよね。

以前、某有名観光地にある日蓮宗のお寺を訪れたのですが、場違いなくらいひっそりとしており、なんだか近寄りがたい雰囲気がありました。
(一応、観光ガイドに名前だけは載っていました)
そもそも日蓮宗のお寺って観光で訪れるイメージがありません。

そこで質問なのですが、日蓮宗のお寺って観光で訪れても構わないのでしょうか?
お寺の方からしたら迷惑に思われるのでしょうか?
回答、宜しくお願いします。

Aベストアンサー

日蓮宗のお寺も他の宗派のお寺とまったく同じです。どんどん観光してください。すばらしいお寺がたくさんあります。
ただ日蓮宗のお坊さんは禅宗と同様で厳しい修行をしているのと日本での絶対数が少ないだけです。
すばらしい日蓮宗のお寺の歴史に理解を示す人に対して拒否することは絶対にありません。
織田信長が暗殺された本能寺も日蓮宗のお寺です。
日本各地に日蓮宗のすばらしいお寺はたくさんあります。
ただ昔の日本の人口のほとんどを占める農民の多くが浄土真宗系列の門徒であり武士が禅宗なので日蓮宗のお寺が少ないのだけなのです。
そのため日本人の多くが自分の宗派ではない方が圧倒的なので日蓮宗のお寺をたずねる人が少ないためひっそりとしていたと感じられたのでしょう。
ご心配はまったく無用です。宗派の垣根などはまったくありません。どんどん観光してください。


人気Q&Aランキング