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「塩狩峠の区間に差し掛かった旅客列車の客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかけたところ、当時鉄道院(国鉄の前身)職員でありキリスト教徒であった長野政雄という人物が列車に身を投げ、客車の下敷きとなり乗客の命が救われたという事故」
http://ja.wikipedia.org/wiki/塩狩峠

1.最後尾車両の連結器が離れたらそんなに危険ですか?動力がないので自動的に停止すると思うのですが。峠に差し掛かった場所なので、坂を下り、逆走してしまうと考えたのでしょうか?
2.ブレーキがついていませんでしたか?
3.人間が客車の下敷きとなる方が危険ではないでしょうか?脱線しませんか?
4.どうやって飛び込むことができたのでしょうか?現在の車両だと進行方向に飛び込むことは不可能です。窓にガラスがなかったのでしょうか。
5.本当に自ら飛び込んだのですか?足をすべらせた可能性はありませんか。

小説を読んだ方、解説をお願いします。

gooドクター

A 回答 (4件)

以下は(

http://www.ne.jp/asahi/kin/teru/ayako_fan.htm)「三浦綾子愛読者ページ」からの引用です。参考にして下さい。長野政雄氏の部下であった藤原永吉氏の証言は、教文館から出ている、宮嶋裕子著『神さまに用いられた人 三浦綾子』にも記載されています。ちなみに原宿テルマは私です。私は、以下のお二人の回答には満足していません。私は塩狩峠の小説は美談であると思っています。三浦綾子さんは著書の『光あるうちに』の中で、この塩狩峠の主人公のモデルである長野政雄氏が自ら線路に飛び降りて、小説の永野信夫と同様の自己犠牲の死を遂げたと断定的に書いておられるが、その客観的根拠についてはまったく疑問です。そして同じく、この本の中で三浦綾子さんが、自己犠牲の死を遂げたと断定的に言っておられる『氷点』に登場する宣教師のモデルのストーン宣教師およびリーバー宣教師は、小説のように自分の救命具を他の乗客にゆずって犠牲の死を遂げたなどという事実はなかったことが最近、生き残った別の宣教師の証言から明らかになりました。ですから三浦さんは、長野さんの場合も確たる証拠もないのに、美しき自己犠牲の英雄に祀り上げておられるのだと思います。あくまでも科学的に検証されなければ、そのような小説家によって創作された美談に惑わされて真実を歪曲してはならないと思うのです。
「 疑問486
原宿テルマさん-鹿児島 (08/4/5)
 小説『塩狩峠』の主人公、永野信夫のモデルとなった長野政雄さんに関する質問です。この小説が書かれるための資料になったという藤原永吉氏の「僕の見た長野政雄兄」という証言によれば、長野さんは永野信夫のように自ら線路に身を投げて亡くなったのではなく、「ハンドブレーキの反動により身体の重心を失いデッキの床上の氷に足を滑したのであろう、兄はもんどり打って線路上へ真逆様に転落し、そこへ乗りかかってきた客車の下敷きとなり、その為客車は完全に停止して乗客全員無事を得たるも兄は哀れ犠牲の死を遂げられた」とされています。確かに長野さんの死は「犠牲の死」と言うべきものかも知れません。たとえ自ら身を投げたのではなくても、危険を冒してデッキのハンドブレーキを引いた行動だけで、十分、尊敬にあたいするものだと思います。しかし、永野信夫と長野政雄さんとが混同されてしまったという可能性はないのでしょうか?そして美談とされてしまったという可能性はないのでしょうか?もし、美談とされたのなら、それは長野さんの厳粛な死を本当の意味で悼むことになるのでしょうか?犠牲の死はけっして美徳として奨励されるべきことではないと思います。それとも、永野信夫のように長野さんが自発的に身を投げたと言い切れるだけの証言があるのでしょうか?あるなら教えて下さい。そもそも、一個の身体を敷いて止まる程度の徐行速度であったなら、客車のドアでも窓でも開けて、乗客は外に脱出できたはずだし、そうすべきだったと思うのですが。どなたかお答え願います。
回答
次郎さん-山梨 (08/4/16)
 三浦綾子さんも述べているように、事件の真相には諸説があるようです。事故説もあれば、常に遺書を携帯していたという日常から、彼は覚悟の上の行動であったという説、飛び降りる前に目配せをしていた姿を見たという乗客の説。綾子さんはその中から「誰が、その人の隣人になったと思うか」というイエスの問いかけをテーマに選び、小説としました。事件の状況は彼女が書いているように「今の速度なら止められる」だったのかもしれません。しかしながら、今となっては真相を詮索してもはじまらないのではないでしょうか。連結器が外れた車両、パニックに陥った乗客、そこに信仰に燃えたキリスト者の国鉄マンがいて事故を回避しようと努力をし、結果として車両が止まり乗客は助かり、国鉄マンは殉職した。この事実だけは変えられないのですから。その後、彼に倣って多くの同僚や地域の人がキリスト者になったと聞きます。また、当時の軍国主義高揚の中でこの話を美談に作り上げ、勘違いの方向に国民を導いていこうとした思惑もあったかもしれません。そのような話はこの事件に限らず数限りなくあったことです。人を助けるために身を挺し、結果として死を招いた行為はいつの時代にもあります。線路に落ちた人を助けようとしてはねられた事件、最近では川に流された親子を救おうとして自分も流され、命を落とした人がいましたね。こうした一瞬に自分の命を顧みず、身を挺する人がいる。この事実こそ重いものはないでしょう。見ず知らずの人が困っている時に、集団で見殺しにしたというニュースには事欠きませんが、その反対に、人にはその選びができるということがあるのです。私には、神がいて何事かをされるとしたら、その時がそうなのだと思わざるを得ません。
おいちゃんさん-大阪 (08/4/18)
 ここは、時々のぞかせてもらっているもので、初めて、投稿します。私も、原宿テルマさんと同様に「塩狩峠」を読んで、大変感動したものです。藤原永吉さんの手記の件については、文庫本の塩狩峠の解説でも触れられていたように思います。手元に何の資料もないまま、この文章を書いていますので、不正確なところや私の認識に誤りがあるかもしれませんが、その点はご容赦ください。私は長野政雄さんの死は「犠牲の死」であったろうと考えています。その理由は二つあります。一つは時代的、国家的背景で、もう一つは逆説的になりますが、当時の明治国家が長野さんの死を犠牲的な死として英雄視していないことにあります。私の本から得た乏しい知識や経験からいえば、明治憲法下の日本は大変行政権の強い国家でした。一応、天皇のもと、帝国議会、内閣、大審院の三権分立の形式を取っていましたが、現在の最高裁判所と違い、大審院には違憲立法審査権もありませんでしたし、裁判官の人事権も大審院ではなく、最終的には内閣の司法省(現在の法務省)に握られており、確か、給料の点でも司法官より行政官の方が優遇されていたはずです。そして、国相手の行政訴訟は行政裁判所という特別な裁判所が担当していて、勝訴する確率も現在に比較してさえ大変低かった時代です。つまり、国の行うことには誤りがないと国民全体に思わせたいという時代でした。鉄道は、鉄道省という組織があったことからも分かるように、極めて重要な国策を担う部門でした。その鉄道で事故があり、しかも、ハンドブレーキでも坂道を止めることができないような構造的問題があったため、一人が犠牲となり、それによって多くの乗客の命が救われたなどということは国として認めることができない時代であったと思われます。それは、主権在民、公務員は国民全体の奉仕者であることが明確に定められている現憲法下であっても、薬害エイズ、薬害肝炎のような問題が生じることからも想像できるように(行政が自らの過ちを認めることをしないように)、現憲法以上に行政権の強かった明治憲法国家では到底期待できないことでしょう。そのような時代的背景、国家的背景がある中で、鉄道の構造的問題を示唆するようなことをしないように、藤原さんに有形、無形の圧力があったり、感じたりしても仕方ないことでしょう。そのため、藤原さんの手記が微妙なものとなったとしても仕方ないことだと思います。そして、さきほど述べた鉄道の構造的問題がなければ、仮に、長野さんの死が犠牲の死ではなく、事故死であったとしても、英雄的な犠牲の死として国はこれを大々的に宣伝し、教科書にも載せたのではないでしょうか。長野さんの死を英雄的な犠牲として国が宣伝しなかったのに、地元では「犠牲の死」と考えられていたことが、事情をよく知る人たちには「犠牲の死」と考えられる根拠があったことを示すものだと思います。一人の死で止められるような速度なら、乗客が降りたらよいということはいえるかもしれませんが、客車が坂道を降りていけば段々加速して乗客全員が降りられなくなる可能性があったのではないでしょうか。そのため、長野さんは一身を犠牲にしたのだろうと思います。原宿テルマさんの疑問への明確な回答になっているか疑問もありますが、現在、私の考えていることです。」以上、御参考まで。
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前の方の回答を見てちょっと調べなおしてきました。



>貫通扉・・・は確かに無く、車両前後にデッキがあり、そこにハンドブレーキがあり、それを操作したようです。
この場合、当然ですが、滑り落ちたら線路の外に落ちますので意味がないでしょう。


ちょっと時代錯誤でした。m(__)m
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こんにちは。


峠に差し掛かった、のですから上り坂になります。
そこで最後尾(じゃなくても途中でも動力車が無ければ同じです)の連結器が切れた場合、それまでの車体のスピードで登れる所まで登ったら自然にバックして加速してゆきます。

坂道でブレーキが故障して制動不能になって、あるいは動力車が壊れて逆走して起きた事故はいくつかあります。
いずれも駅を破壊したり、列車が転覆したり結構すごい事故になってます。

このお話では客車にもハンドブレーキがあってそれは試したけど、雪でスリップして云々とあったようです。

すると、通常の車輪が回転している状態で走ってる車両なら人間が挟まっても簡単に真っ二つになってしまうので、止めるのはまず不可能ですが、ブレーキで車輪が回転していない場合は、体が切断されずに、回転しないで滑っている車輪とレールの間に挟まる事によってかなり大きな静止能力が期待できます。
これがとっさに判断できたのなら、この人は相当な技術者なはずです。

もちろん限度があって、滑ってる状態でも加速しますから、人間の体を挟み込んで止められない状態に十分なりえるわけで、恐らくその選択の時間はかなり短いものであったと思われます。

なお、昔の客車は、前後にドアがあって、連結した時、ドアを開けると車両間の通路になるようになっており、今のようにほぼ編成が固定されているのではなく、使える客車を適宜組み合わせて使う事が多く、その為にも全ての客車に貫通ドアが必要でしたので、進行方向どちらにでも出る事は可能です。

足を滑らせた可能性、ですが全くないとはいえませんが、少なくとも車輪に挟まって止めるには線路に身体を横たえないとブレーキになりません。
足を滑らせて落下したのでは、客車の車軸に引っかかる事になり、転倒した場合には、車軸と線路の空間に体がすっぽり納まってしまって車体の下をすり抜けてしまう可能性が大きく、恐らく計算してやったのでしょうから、飛び降りたのでしょう。

なお、私はこの小説を読んだのではなく、鉄道事故の事例集で知っていたのを思い出して回答しています。
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小説を読んだのは三昔前で、もう覚えていないので、鉄の知識で答えてみます。



1 塩狩峠サミットへの登り勾配の途中で、最後尾車両の連結器が外れてその車両だけ逆送を始めた事故です。そのままであれば下り勾配での暴走事故となり途中で転覆するか、駅構内のポイントで脱線転覆したでしょう。
2 当時の車両には直通ブレーキはありません、また、緩急車以外には手ブレーキもありません。真空ブレーキなどの直通ブレーキが装備されていれば、連結が外れれば自動的にブレーキが掛かりますが、当時はそうではありませんでした(現在はそうなっていますのでご安心を)。
なお、貨車のような足で操作するブレーキがあった可能性はありますが、これは乗車中には操作できません。
3 逆送開始直後の低速のうちに行ったようですから、脱線までは至らないでしょう。
4 当時の客車は両端がオープンデッキですから、可能でした。なお、旧型客車の場合、貫通扉は無く、デッキの昇降口も手動ですから、かなり最近まで可能と言えば可能です。
貫通路に扉が設置され、昇降口が自動ドアになったのは20系(最初のブルートレイン)登場以降ですから、戦後です。
5 厳寒の2月の北海道ですから、最初からオープンデッキにいたことは考えられません。先述のように足ブレーキを操作しようとして足を滑らせた可能性もありますが、これについては想像の域を出ません。
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