プロが教えるわが家の防犯対策術!

人に相談ばかりせずに自分で考えて生きていきたい。
これが私の今願ってることです。
そのためのアドバイスがほしいってかなり矛盾してて申し訳ないです。
私は今まで人に相談ばかりしてきました。
~~したほうがいいよ。と言われればその方向へ。
つまり、人の言うことが正しいんだって思ってたからです。
自分の考えよりも人の言ってることのほうが信頼できるって。
まずだれかの助言で安全策を聞いておいて、
それから自分で動くという安全な道しかとおりたくないという甘えがありました。しかしそれじゃ自分の人生じゃないなって強く思いました
しかし不安もあるので、またまた人に相談してしまうかもしれません。
ここでこういう質問していることすら・・・ですから。

そこで逆に聞きたいのですが、
人に相談せずに生きている方、なぜ相談しないのでしょうか?
不安じゃないですか?

私は相談ばかりするから自信がない

A 回答 (19件中1~10件)

ぶはは~!!


いや失礼、この質問のタイトルは良いですね。
非常に良いセンスしていらっしゃいます。

みんなが相談に乗ってくれるというのは
あなたがほっておけない性格なのでしょう。
それは長所かもしれませんね。
相談に乗ってくれる人がいるというのは
かけがえの無い財産です。
ちょっと長くなりますがよろしければお付き合いください。

さて
世の中の質問や相談には、おおよそ2種類あります。

・三平方の定理ってなんですか。
・バニラアイスのバニラってなに。
・私のようなちびっ子サイズの服が
 そろっているところある?
・この思いは、恋なのでしょうか。
・こんなにつらいのに人はどうして生きるの?
・いじめを無くすにはどうしたら良いですか。

まあ、ざっくり前の3つと後ろの3つが分かれそうです。
答えがあるものとなさそうなもの。

答えがあるもの。
まず自分で調べること。調べれば答えが見つかるものは
このネット社会です。自分で調べてみましょう。
自分で調べるのと聞くのでは情報の質と量が異なります。

答えがなさそうなもの。
答えがないのです。まず自分で悩みましょう。
自分で出した答えがすなはち正解なのです。
その結果があなたが失敗したと思ってもです。
そもそもあなたの失敗です。安心です。
くやしさをかみ締めて同じ失敗はしまいと
決意してください。


人がだした答えで失敗するのと自分の出した答えで
失敗するのには大きな違いがあります。
それは、その失敗の責任を少しも人のせいに
できないということです。
これは非常に大切なことなのです。

人は失敗したくないからこそ自分で一生懸命考えるのです。
同じ失敗なら自分のせいで間違えて、同じ成功なら
自分の悩みと思考と努力で成功してください。

人からもらうのはアドバイスです。
アドバイスは、自分の考えをまとめるための参考意見です。
第三者はこんなことを思うものなのかと
自身の考えをまとめる多数ある情報のひとつです。

人は生きていくうえで無限の選択肢が与えられます。

テーブルで、シチューから手をつけるか、タコさんウィンナーか。
すぐ友達のもとに行くか購買に寄るか。
傘をさすか、チャリで爆走か。

生きるとは選択すると言い換えることができるかもしれませんね。
生きる=選択する

生きるとは成長することだし自身を形成することでもありますよね。
選択する=生きる=成長=自身の形成(キャラクター)

つまり物事を選択していくことは、
あなた自身を作り上げることなのです。
そのことを理解したうえで相談したり
ここで悩みを打ち明けたりすればよいのでは
ないでしょうか。

・論理的に物事を判断できるこころをもって
 情報を冷静に見極める。それが失敗につながったと思うなら
 次に活かせる

そんな人を目指したいのなら論理学や哲学がオススメです。
ちょっと難解なようでしたら
哲学のカテゴリーやここの相談のカテゴリーで
「なんと分かりやすく簡潔な回答をするのだろう」と
思うような方にであったりしますよね。
そのような方の回答や思考方法を見るのも良いかもしれませんね。
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30代の男ですm(_ _)m



そうですね。
違っていたら申し訳ないのですが、質問者様は相談した結果に甘えているのではないかと個人的には感じております。
>つまり、人の言うことが正しいんだって思ってたからです。
>自分の考えよりも人の言ってることのほうが信頼できるって
>まずだれかの助言で安全策を聞いておいて、
>それから自分で動くという安全な道しかとおりたくないという甘えがありました。
とあります。
では相談した相手の回答が間違っていたら質問者様どう思います?
「○○さんがこれで良いと言ったんです。」って思っちゃいます?

相談して得られた結果を信じたのは「相談した側」に責任があります。
その事を心に留めておいてください。

相談した結果を持って自分なりに再度考えてみる癖を付けてください。
「○○すればいいと言われたけど…△△な時もこれでいいのかな?」
とか新たな疑問が出てくる事もあるかもしれませんし、相談した相手の答えが間違っている事だってあるでしょう。

相談して教えてもらったとおりにしかやらないのは「子ども」のやる事です。
言われた内容から新たに思考し、教えてもらった内容より+αの知識を得る事を目標にしてください。
そして、「一度聞いた事は2度と聞かない!」という気概を持って相談に臨んでください。

ちなみに分からない事を相談する事、相談できる相手がいる事は良い事だと私は思います。
「調べ方も分からない。」
「考え方も分からない。」
「でも相談はしたくない」
こんな時間を過ごすよりは数万倍意味のある行為だと思います。

相談をする事は悪い事ではありません。
ただ、
相談した結果を自分の知識とする。
相談した結果をより優れた知識とする。

それを実践していく事で相談する回数と相談の内容は今とは随分変わるのではないでしょうか。

長くなりましたが、とりあえず回答だけを求めないようにしたらどうでしょう?
答えだけを聞くのではなく、調べ方も聞く。
調べ方が分かれば次からは自分で調べる事ができます。
ちなみに私は答えと共に調べ方も聞くようにしていました。
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 質問ばかりで・・・とありますが質問でも出れば良いと思います。


 何をどうして良いか分からず暗中模索で迷い込むより、質問事項が整理出来ている分次にプラグも立てやすいと違いますか。
 質問する事は、それに背中を押して欲しいから出す、クレションですが、質問事態が思い描けずに苦しみ時の方がもっと苦しいと思います。
 大きな石が押しつぶされそうな時がそんな事例で、大きな石すら何の石で何処から来た物か、そんな大きな石が試練じゃないかと思えるます。
 まだゆとりが有るとも言えます、質問事項も出ない時は緊急な事態とか見てはいけない物を見た、聞かされたそれで心に傷を負う事も有ります。
 それがトラウマと言う正体です、私は聞きたくない誹謗中傷で傷つく心理性ストレスで大きな痛手は長い期間関与も出るなど、自分の半生を思えば相談出来てと言う事は殆ど無く、隕石が降って来る様な波乱万丈な生き様をする運命かなと、この質問を読みながらコメントしています。
 隕石で降る事が緊急時その物、先の読めない人生に質問攻めとは行かない場面もあり得るそれも人生と思う一人です。
 補足で書けば、自分で無いとか有るかとではない、やるしかないそれが回答ですし、動いた結末はその後結果として返され事は事実です。
 その場の覚悟遺憾と思います。
 
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相談する。

アドバイスをもらうという行為はなんなのか。
これを自分で考えた方が良いと思います。

>~~したほうがいいよ。と言われればその方向へ。
これでは相談をしていたのじゃなく、誰かに指示してもらっていたことになります。
誰かに指示してもらうと言うことは自分で考えることを辞め、責任を他人に押し付ける行為です。
これは安全な道ではなく、実はその場は楽だけど非常に危うい道です。
たまたま怪しい人悪い人に引っかからなかったから無事で住んでいたんで、そういう人に引っかかっていたら身包みはがされて犯罪行為に加担して牢屋の中にいてもおかしくなかったんです。

人に相談する、アドバイスをもらうと言うことは、
いろんな人から多様な意見を聞き自分の判断の材料にすることです。
他人に相談しアドバイスをもらった後に自分で考え、判断・決断し自分で責任をとることが必要です。

本当に相談しているのなら、自信がないなんてないです。
相談じゃなく他人に指示されてきたから自信がないのでしょう。
人間は考える葦です。
相談することは多様な意見を参考に出来て自分の判断の材料を増やすことで良いことです。
その後、ちゃんと自分で考えることが出来るか、一人の人からの意見を鵜呑みにして、自分で考えずに行動するのか。
その差は大きいですよ。
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 40代男性です。


 「人間の死亡率は100%である」というのは、確かな事だと思います。それ以上に、「この世界をそっくりそのまま頭に納めた人間は一人もいない」というのは、僕は確かな事だと思っています。私たちは偏見を持たずに世界を見たいと願っても、必ず自分の頭を通してものを見ていて、自分なりの価値観や判断で着色しています。ですから、無着色の回答を得る目的での人生相談は無意味だと言えるでしょう。ただ、回答者色に着色されているのを承知の上で、自分の頭では気付かなかった新たなものの見方を模索するなら、利点が無いわけではありません。他者の意見を参考にしても構わないのは言うまでもありません。
 まさに僕は回答専門です。なぜ相談しないのかというと、そんなことは自分で考えるしかないと思っているからです。参考にするなら、もっと賢そうな人が書いた本を読みます。このサイトの回答者の中にも、おっ、やるじゃないか!と思える方もおられますが、大方は見ちゃいられないデタラメな回答が多いので、アテにできないのです。どう考えたって、自分で考えるほうがマシだと思うから相談しないのです。もう僕も40代だから、そんなもんです(笑)。シニアの悩むような問題に的確に答えられる人は、そんなにいませんからね。
 例えば、株が上がるか下がるかを専門家に訊ねても、上がるという人もいれば下がるという人もいます。誰の言葉を信じるかは、やっぱり自分の判断です。だったら、訊ねても意味が無いってことになります。参考にはしますが、結局は平均や最大公約数を採用することになり、外れればやはり自分の判断が間違いだったということです。
 もう一度言いますが、「この世界をそっくりそのまま頭に納めた人間は一人もいない」のです。人の言葉を完全に信じるなんてことは、まったくの矛盾です。自分自身の判断力UPの参考にするのが宜しいでしょう。
 別の言い方をすると、多くの人の心底には、まちがった「客観信仰」と呼ぶべき気分が流れていると思います。;正しく考えるには、ありきたりですが色眼鏡をはずすということが必要でしょう。もちろん色眼鏡とは偏見を暗喩しています。もし自分が黄色い色眼鏡を掛けているのが判っていれば、紙が緑色に見えたとき、その紙は青色ではないかと推測できます。客観的になるとも言いますが、客観とは誰かの主観であり、信頼できません。この場合の「客観的」とは偏見をなくしたときの自分という意味で、亜客観(亜とは似て非なるものの意…非なるものが意味の中心。例えば、亜鉛は鉛に似て非なるものの意)と表現するほうが誤解がなくて良いのかもと思っています。いえ、つまり僕が言いたいのは、正しく考える態度とは、偏見を計算で差し引くという作業ではないかということです。まあ、どんな偏見を自分が持っているのか知るのが難しいんですけどね。これは勘違いしやい点ですが、「客観的」とは、客観(他者の意見)の平均でも、客観の最大公約数でもなく、自分の中に創りあげるものだという点です。
 参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

すごく気づきのある回答ありがとうございます!
>人の言葉を完全に信じるなんてことは、まったくの矛盾です。自分自身の判断力UPの参考にするのが宜しいでしょう。
とありますが、私からさらにお聞きしたいと思います。私は人に言われたことをうのみしてしまいます。たとえば、先日おまえは常識がない、あほだなって言われました。私はあほなのか・・・てショックを受けてしまいました。これって相手の言葉をうのみにしてしまったってことです。私は車にうとかったので、誰でもしってる車の基礎知識をしらなかったためにあほの認定をくらいました。
回答者さまは人の言葉を信じないとありましたが、もし私と同じ状況であほだと言われてしまった場合(失礼だったらすみません。)は、あまりショックにはならず、まったく怒りもしないでしょうか?

変な質問で申し訳ないです。回答者さまの回答が気づきあるものだったので再び聞いてみたかったのです。

お礼日時:2008/05/22 22:24

自分のことは自分で精一杯模索して答えを見つけなればいけません。


また、人に相談したとしても、そこから得たのはあくまで自分であってどのような結論にいたり、行動をしたとしても全て自己責任です。

意見は参考にはしますが、そこから派生し、わが身に降りかかったものは誰のせいでもありません。決めたのは己で、実行したのは己です。

誰かがこう言ったから・・・というのはただの自己逃避に過ぎません。

あなたは自信はないといいますが、最終的には誰の責任でもない自分の責任で、自分の判断で行動しているのです。
そこには自身を持っていいと思いますが。
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誰かに相談をして問題を解決できることは普通は良いことだと思います。


失敗や間違いをしなくてすんだからです。
でも実際には失敗や間違いをした方が物事の本質に近づくことが出来て
将来の失敗や間違いを未然に防ぐことが出来るのかもしれません。
ただ誰かの話を参考にして失敗したり間違えたことからは何も得られな
いかもしれません。
誰かのせいで事はすんでしまいそうだからです。

失敗や間違いのない人生はありません。
失敗や間違いからたくさんのヒントを見つけだした方が人生を豊かにで
きると思います。

私は人にはあまり相談はしませんが,本は読みます。
同じ本を繰り返し読むたびにこんなことが書いてあったのかと新しい
発見をします。
理解というのは時間がかかるものですが理解すれば視野は広がると思います。
相談しないのは自分で発見したり気付くことを楽しみたいからではないかと
感じています。
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自分で考えて、どうしても行き詰った時に、人に相談する。



この習慣を身に付ける。です。
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同じような環境に生まれ、同じような人生を歩んできたとしても


人生という道は人それぞれに異なります。
誰かが歩んだ道を行くのではなく、誰も歩んだことのないところを
切り開いていくのが人生なのです。
つまり、その道は誰も判らない訳です。

道を尋ねて親切に教えてくれる人がいたとしても
実は、その人は何も知らずに教えてくれていた…。
これって本当に親切なんでしょうか?

人生の岐路に立ち、選択を強いられたときに相談したとして
具体的に「こうした方が良い」という助言は捨てるべきです。
あくまでも、あなた自身が答えを出すための助言であればマルだと思います。

その上で、相談ばかりする人の特徴は
本当に悩んでいないで逃げ道がある場合と実は聞く耳を持たずに自分の考えに固執している人の二通りです。
単に、自分の考えを正当化するための気休めにしているだけなんですね。

あなたの場合はどちらでしょう?

質問の答えにはなっていませんが…。
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こんばんは。


私は人に相談する事というのはとても大事だと思いますよ。例えば何かの件について一人で悩んでいると、結局はどれも自分の考えなので、そのいくつか考えついた選択肢の中で考えがグルグル回って結局悩み続けてしまいがちですが、人に相談することで、自分では考えつかなかった解決策がでてくることがよくあります。色々な人に聞くと色々な解決方法がでてきます。
大事なのは人に相談した上で、色々でた解決方法を自分で考え自分で選択し行動することではないでしょうか?
>~~したほうがいいよ。と言われればその方向へ。
>つまり、人の言うことが正しいんだって思ってたからです。
>自分の考えよりも人の言ってることのほうが信頼できるって。
この部分を、人の意見は参考、考えて決定するのは自分自身、という風に変えられれば、それはご自身の生き方になる、と思います。
kingdomdarさんの求められている回答とは違うと思うのですが、何か参考になればと思い書かせて頂きました。
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