忙しい現代人の腰&肩のお悩み対策!

セブンスデーアドベンティスト教会(以下SDA)で預言者と謳われているエレン G ホワイト(以下EGW)についてお聞かせ下さい。

現時点で、「各時代の大争闘」「各時代の希望(三分の二ほど)」を読み、SDAの施設で「基礎教義(完了)」、「信仰による義認(完了)」「ダニエル書(完了)」と「黙示録(現在半ばほど)」「イエスの生涯と教え(現在半ばほど)」のクラスを受けていますが、正直、基礎教義や信仰による義認等は良しとして、預言解釈については、なぜこの様な解釈を信じる事ができるのかといった印象を受けています。
もちろん、クラスの中で、多数のEGW著書の引用を聞いています。

私個人的には、EGWの信仰姿勢には好感を持っていますが、預言解釈については、納得できません。

聖書クラスの先生に聞いても納得のいく答えが返ってこず、他の生徒や、施設のスタッフも同じです。

皆、ある程度までの信憑性が見られた時点で納得し、そのまま受け入れ、その更に奥までチェックしようとする姿勢が無いのです。何故なら、彼らにとっては現在彼らが信じている内容が全てだからです。
もちろん、信仰に関する事は奥までチェックしようとし過ぎる行為がかえって無意味な場合もある事は承知していますが、それにしても、あまりにも浅い部分で彼らが納得してしまっているため、私自身が納得いくことのできるレベルまで考えている人が私の周囲に居ないのです。

現在のところ、EGWは熱心で洞察力もそれなりにある良いクリスチャンではあるが、熱心さあまって(或は持病のせいで)少し間違えてしまっている人なのではないのかなという気持ちが強く、預言者として受け入れる事ができません。

EGWを信じている方で、どうしたら彼女の預言者としての信憑性を証明、或は主張できるかを心得ている方、或は自分はこう信じているという一意見でも構いません。
逆に、EGWを預言者ではないと考えている方で、なぜその様に考えるのか、
何でも構いませんので、彼女の預言者としての信憑性に対して、賛否両方のご意見をお聞かせ頂けます様、お願い致します。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (16件中1~10件)

ANO 13 です



私の質問にお答えを頂きながらお返事が遅くなって申し訳けありませんでした。

1 SDAの「信仰の大要」はご覧になった事がありますか?
  18.預言の賜物があります。 日本語のサイトでも英語のサイトでも見る事が出来ます。
  その中に 「主の使者としての彼女の著書は、つねに信頼のおける真理のみなもとであって」
  ”As the Lord's messenger, her writings are a continuing and authoritative source of truth ”  とあります。
  即ちエレン・G・ホワイトを“主”の使者と認めているわけです。

2 では彼女の著書は全てエレン・G・ホワイトが書いたものでしょうか?
  これは予測されるより多くの部分が、代作者によって書かれた物であります。
  (アドベンチストライフ誌を読まれましたか質問させて頂いたのはアドベンチストライフ誌上で
   多くのSDAの牧師がこの事を認めて居るからです。)
  “主”の使者=エレン・G・ホワイトであればその著作は“主”の御心に従ったものでなければ
   なりません。
   それが代作者がいるのはエレン・G・ホワイトの著作の信憑性が疑われます。

3 又エレン・G・ホワイトは神の霊感のによって書物を書いたと言われてますが、かなりの書物が
  他の書物からの引用(時にはまったくのコピーもある)という事実です。
  これもアドベンチストライフ誌を15年ぐらい前から読まれるとはっきり判るでしょう。
  各時代の希望は1898年に書かれています。その各時代の希望と全く良く似た本が、それ以前に書かれています。
  カニンガム・ゲイキー著「キリストの生涯と言葉」が1877年 アルフレッド・エデルシャイム作の
  「メシアなるキリストの時代と生涯」が1883年に発行されてます。
  英語のお勉強中との事ですので比べて読まれると参考になるでしょう。

4 英語読む事ができられるとの事ですので 先ず 元SDAの牧師 Walter T. Rea の  http://www.ellenwhiteexposed.com/egw17.htm 
  や同じくSDA元牧師の J. Mark Martin  の http://www.exadventist.com/ をご覧になり
  
 祈りの中で精霊様の導きをお求めになったら如何でしょうか?

その後ご感想をお待ちしてます。

私も同じ疑問を持ち同じ過程を通りましたのでこの後の結論も導き出しているつもりです。
正しいか否かは判っていませんが。。。。。。

参考URL:http://www.ellenwhiteexposed.com/egw17.htm",http …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
お教え頂いたWEBサイトを見ました。
今私が居る施設は、ネットを使用できる時間が少ない事、他にも色々とする事があり、比較的忙しくしている事等から、ほんの一部を読んだ程度に過ぎませんが、あまり回答が遅くなってもこの件を忘れられてしまいますので、この辺りで失礼致します。

代作については、こちらの施設の先生も認めていますが、引用にしろ、代筆にしろ、最終的にEGWの確認が入っているため、彼女の理性、霊性等に合致しているものである。つまりこの意味で彼女の著作と受け取って宜しいという説明でした。

Webサイトをお教え頂いた後、色々と同じ様なサイトを見つけました。
それらに一環して言える事は、EGWを批判しているその根拠そのもの自体が聖書批判にもなっているという事です。

ご存知だと思いますが、聖書それ自体、いくつかの矛盾記事を含んでいます。※少なくとも人間(私)の目にはそう映ります。
EGWを批判しているその材料そのものが根拠として立つ事が出来ない状態になっており、いわば自爆行為に留まる、或は波紋を投げ掛けているだけで留まり、それ以上の”決定的”な根拠に欠けているように見えるのです。
※もちろん、全部読んだわけではないので、現時点での感想ではという意味です。

あるケースがきっかけで、私はとりあえずSDAの施設からは放免される事となったため、もうSDAの教えを押し付けられる事はないでしょう。
聖霊の導きかもしれませんね :-)

結局はSDAを知った直後の感想と今の感想は同じです。
「証拠が無いので何とも断言はしかねるが、私の独断として、学ぶものも実際多いが、預言解釈や幻については恐らく彼女の思い込みかなにかであろうし、他の部分についても彼女の激しい感情移入後の小説に過ぎないとも言えるクオリティである。デボーションとしてならまだしも、聖書と同格に置くのは誤りである」

何故なら、いくつか、或は多くの間違いが含まれていたとしても、たった一つでもそこに真実が書かれているなら、それを無視は出来ないという事です。
例えて言うなら、あらゆる彼女の預言解釈や幻は誤りであったが、たった一つだけ、土曜日礼拝に関してだけは真実だったとしたら、私たちはそれを守らなければなりません。
つまり、”誰が正か否か”ではなく、”何が正か否か”であるという事。

オオカミ少年の童話から私たちは学べますね♪

お礼日時:2008/10/14 20:13

当時の時代、病、神秘思想においてエレン・ホワイトの近辺を研究の専門としながらも、キリスト教に信仰のない者からのアドヴァイスで申し訳ないです。


ご質問に混乱がありませんか。
聖書の解釈を述べて相違を明らかにすればよいのか。。。しかし聖書解釈の世界とは真に歴史のつくりあげた底なし沼ですから、
生涯をバチカンの図書室に捧げて口の重い死人になるのでもなければただの不毛です。
初期のキリスト教は、多神教の世界で異教たる一神教として各地で厳しい足止めをくらったため、
民族・文化の接点の地域で必ず検閲をくぐり、また、曖昧に翻訳されざるを得ないのです。
それに輪をかけて、旧約では風習や生活や生殖に関する原理を塗り替え、新約では契約の仕切り直しが行われるという設定意義自体の荒業を行っていますから、
うわべの物語はいくらでもファンタジーに貶められる性質のものです。つまり一から十まであいまいなのです。

あるいは、あなたは預言者や予言者が本物であるかどうかを判断する手段を求めているのでしょうか?

エレン・ホワイトに信憑性があるからセブンスデーアドベンティストに賛同・参加・献身できるのではなく、
セブンスデーアドベンティストの教義に信仰を置くから、エレン・ホワイトの預言と「出会う」ことができる人々がいるのではないでしょうか。
つまり信条として、期待にこたえるものとして、またアイデンティティの再認、オリジナリティの根拠、存在の理由として、
「約束どおりである」ような「約束」を見出すことを「出会う」と表現するのですが。。。

彼女の預言を評価するもしないも、吟味検討するもしないも、妄信して参照するもしないも、
セブンスデーアドベンティストの外で語られる意味はないでしょう。
ましてや聖書をめぐってカトリックの意向がどうあれ。。。
さしずめ、リンゴはオレンジではありませんし、リンゴの種もオレンジの種ではない、
リンゴの花粉はオレンジの花粉ではない、リンゴの需要と供給において利益を得る人々はオレンジにおける彼らではない、
というわけで、オレンジにとってうまく回っている世界というものがあるのです。
そこに虚偽があっても、思い違いがあっても、種とするものを種とし、花粉とするものを花粉として、うまく回っています。

エレンの預言が正しいかどうかという客観判断については、まあ、アカシックレコードの解読にたよる余地があるかなしか、、、どうでしょう。
審神などという検閲技能も世に言われるものではあるのですが、、、これもどうでしょう。
アカシックレコードにしろ審神にしろ、まさにエレン・ホワイトの同時代に生まれた概念なのです。
神秘思想が爆発的に流行し、霊魂主義が近代に生き残りをかけた時代、それは精神病の増えた時代でもありますが、
預言者や教祖が多発し、神や精霊で商売する者も増え、真剣な信仰であれ悪企みであれ、神秘の検閲の力もまた神秘の力となりました。
だから証明ができないのです。
アカシックレコードや審神に問いかけるとしたなら、一信仰集団にとってたしかに預言者であった者は、預言者であるとだけ答えることでしょう。
セブンスデーアドベンティストの地に足をつけた視点から、なおエレン・ホワイトを預言者か預言者でないかを見つめておられるならば、
あまり、ご期待に添えない回答でしたね。まあ預言者として扱うのが妥当だが、たいして重んじない、という方々もいることでしょう。

この回答への補足

ご回答ありがとうごあいます。

今回の質問は、少しでもアイデアを得たくてさせて頂いたものです。
この分野は数学ではありませんので、1+1=2のようなはっきりした答えを期待するものではありません。
※もちろん、そのようなものがあればそれに超した事はありませんが。。。
ですから、誠実な範囲で自由な発言をお待ちしております。

こうした状態でございますので、質問が混乱している様に見えるかもしれませんが、質問の目的上、ある程度仕方の無い事でございます。
申し訳ございませんが、ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。

私はカトリックですが、個人的に教派を気にはしておりません。
また、現在の私はSDAの外の人間ではなく、一時的とはいえ、中の人間です。
また、EGWが真であるか偽であるかは、教派を超えた問題である事はお分かり頂けるでしょうか。
キリスト信者ではない方にはあまり解らない問題かもしれませんが、彼女が真であるか偽であるかは、そのまま彼女の言葉が真実を告げているものなのか否かという問題でありまして、これは即ち教派間は勿論、全ての人に関係する事柄です。

補足日時:2008/10/02 09:24
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 No.1&2&3&10&12です。



 最後に 二点 確認のためにお訊きします。

 (1) ヰキぺディアの解説記事 すなわち
 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 〔セブンスデー・アドベンチスト教会は〕キリストの十字架による贖罪死を信じる信仰によって救われるという立場をとり、十戒を現在も守るべきものと解釈する。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは まちがっているというご見解でいらっしゃるという理解で よろしいのですね?

 (2) (1)がそうであれば かなり 次の質問は 中身が薄まりますが まだ 確認の必要があると考えます。すなわち
 ★ 私の場合は党派争いではなく、単に個人とSDAの教えとのぶつかり合いです。
 ☆ とおっしゃるとき わたしが (a)信仰の履き違え (b)それによる党派分派の動き を指摘したことが どうして 問題にならないか これは 理解しがたいことです。
 ★ 単に個人とSDAの教えとのぶつかり合い
 ☆ において まさか 私闘ではないのでしょうから 上の(a)(b)の問題が どうして なおざりになるのか 分かりません。

 たぶん (1)で ヰキぺディアの記事がまちがっていた場合でも そうなると (2)の(a)は 濡れ衣ですが それでも おそらく(b)は あてはまるのではないでしょうか? 
 パウロに背くということになりますが つまり Apostleさんご自身が 背くことになられると思いますが それで よろしいのでしょうか? EGWを知らないわたしですので 確認としての最後の投稿になります。

この回答への補足

申し訳ありません。
今は時間がないので簡単に。

(1)について私は間違っているとは思っていません。
ただ、”べき”ということと、”ねばならぬ”は違います。

(2)いまいち仰る意味をつかみかねていますが。
私は基本的にあからさまに意見の違う人に対しては深入りしないという姿勢があるのが人つの原因かもしれません。
私は真理の全ての面が見えているわけではないので、自分と違う信仰姿勢を簡単に否定できないのです。
それでも、私のとは違うという事は解るし、自分が劣っていて相手のが勝っているとも思っていません。
相手のが勝っていると思えば自分の信仰を改めるでしょう。
でもSDAに対してはそうは思っていないという状態です。
私は私、SDAはSDAと考えている姿勢があるという事です。

象と3人の盲人のたとえ話しはご存知でしょうか。
三人の盲人が象に触り、足に触った者は象とは大木のようなものだと言い、耳に触った者は象とはふろしきの様なものだと言い、尻尾に触った者は、象とは蛇の様なものだと言う。
ある人は全員を間違いと言いますが、私は三人とも間違いであるが、各々の人生、レベルに置いては正解としても良いのではないかなと考えます。
保育園児が車の事をブーブーと言ってもそれはそれで正解なのです。
正式名称を知る必要は必ずしもあるとは限らないという事です。※勿論、知れるならそれに超した事は無いのは言う間でもありませんが。
とにかく、ブーブーでも、車でも、ベンツでもメルセデスでも何でも良いのです。
人を乗っけて走る乗り物であるという事が解っていれば。。。

以上が簡単ですが、私の答えです。
ご質問の答えになっていますでしょうか?

補足日時:2008/09/30 10:46
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私もApostleさんと同じような疑問を持っています。


自分なりに回答は出していますが、それが正しいか否かは判りません。

私の答がApostleさんに対して明確なものになるよう追加質問をさせて頂いてよろしいでしょうか?

質問1  ご質問に
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「各時代の大争闘」「各時代の希望(三分の二ほど)」を読み、SDAの施設で「基礎教義(完了)」、「信仰による義認(完了)」「ダニエル書(完了)」と「黙示録(現在半ばほど)」「イエスの生涯と教え(現在半ばほど)」のクラスを受けていますが、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  と有りますが、かなりの量の書物ですが、ここまでの勉強されるまで何年ぐらい掛かっておられますか?

質問2 アドベンチストライフ誌は何年ぐらいから継続してお読みですか?

質問3 ご質問に
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
預言解釈については、なぜこの様な解釈を信じる事ができるのかといった印象を受けています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   と有りますが具体的な例を2-3挙げてみてください。

軽薄な回答にならない為ご回答よろしくお願い致します。

この回答への補足

申し訳ありません。
今は時間がないので、ご質問にお答えするだけになってしまいますが。
以下、簡単に。

質問1
私は、1年半ほど前にインターネットでSDA教会の英語部を見つけ、英語の勉強のために通い始めました。
初めからおかしな教えだなとは思っていましたが、皆良い人たちである事と、英語の勉強の為に通い続けました。
半年ほど通いましたが、特に特別な勉強はしておりません。
普通にバイブルを使った英語の授業と土曜日の礼拝、水曜日のミーティング、金曜日のベスパーに参加はしていましたが、特に教義についての勉強はしていませんでした。
そんな時、国名は出せませんが、某国にSDAのトレーニング施設があり、聖書や他の事を勉強できる、しかもその施設は英語での授業なので、英語の勉強にもなるという事で今いる施設にいる次第です。
私の知識のほぼ全ては、今年の1月からのこちらでの勉強によるものです。

質問2
私はカトリックの信者なので、アドベンチストライフ誌というのは存じ上げませんでした。
従って、読んだ事がありませんというのが答えになります。

質問3
申し訳ありません。
この施設は、インターネットを使用できる時間が限られており、ゆっくりと良い例を調べる事が出来ません。
従いまして、簡単にいくつか箇条書きにさせて頂きます。
疑問に思われましたら、それぞれについて改めてご質問頂ければ”何故信じられないのか”をお答え致します。
◯黙示録の”二人の証人”は旧、新約聖書だということ
◯エゼキエル書20章をもって土曜日が神の刻印であり、日曜礼拝(日曜休業令)は獣の刻印だとすること
◯ガリラヤのカナの婚礼でイエスが作ったのはワインではなくぶどうジュースだということ
◯週末の印で、太陽と月のしるしが1780年5月19日にアメリカで起こったということ。また、星が落ちるというのが、1833年11月13日の獅子座流星群であるという事
◯1844年にイエス様が至聖所に入ったと言うこと
●聖書の一カ所にでも例えば「1日=1年」と書いてあれば、全テキストにそれを適用しようとする姿勢

以上が簡単なリストですが、私は彼女の著書を読み、「読者側の意見や主張が先にあり、聖書が歪められたという感想を抱いています。」

補足日時:2008/09/30 10:43
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 No.1&2&3&10です。



 まづ これまでの事情とその経過です。
 わたしは EGWについて 知りませんで No.1&2の指摘にて 降りるつもりでしたが ヰキぺディアの情報に基づいて No.3を投稿しました。
 その後の中間の経過を端折って述べますと その後 No.3へのご返答は わたしの回答を厄介払いするものではなさそうだと分かり ひとこと ANo.10として ごあいさつを行なったというところです。

 そのNo.10に対して お応えいただいた限りで わたしのほうから 応答すべき点は 次の二点になると思います。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 、(ほぼ)明らかに読者側の主張が聖書よりも先にあり、聖書の記事をそれにあわせて歪めたような解釈を、しかも預言者として語られると、厳密に吟味されなければなりません。
 その場合、私のさまざまな観点からの吟味の結果は強引であるという意味です。”あまりに”という部分が肝心です:-)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ このとき いちばん大事なのは――話を早くするために 極論を用いますが―― たとえ解釈をどれだけ歪めたとしても その内容が 一応妥当であるのならば あとは 判断基準は おのづと決まってくると考えます。すなわち お言葉を返しますが 
 ★ 解釈の強引さ あるいは そのあまりにもという程度問題
 ☆ にはないと存じます。最初からのわたしの回答内容としての パウロ派だったりアポロ派だったりするのではなく あくまで キリスト派であり続けているか ではないでしょうか? 一つのかしらのもとに 信仰があり 解釈があるかどうか これではないでしょうか。

 趣旨は同じですが 二つ目の項目として こうです。No.3に引用しましたヰキぺディアの解説記事 すなわち
 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 〔セブンスデー・アドベンチスト教会は〕キリストの十字架による贖罪死を信じる信仰によって救われるという立場をとり、十戒を現在も守るべきものと解釈する。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは まちがっているのでしょうか? もし間違っていないのでしたら これを材料として 判断したわたしの回答No.3は いまでも 有効だと思っております。

 ● ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 モーセは、律法による義を行なう人は、その義によって生きる、と書いています。
 しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。
 また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。
 (ローマ書10:5~7)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ どんな解釈をしようと――ちなみに この《解釈》が イエス以後は 《預言》だと考えますが―― 同じ一つのかしらの下における信仰 すなわち言わばキリスト派の信仰 これに立っているのでなければ 何にもならないと言おうとしているのですが? つまり やはり 党派の問題です。
 自分たちの教派は 天国にいけるが そのほかは 地底行きだと言っているとすれば それは まちがっています。
 そして その前にも 解釈じたいの内容として 吟味しなければなりません。
 信仰の内容として・もしくはその対象として 《死》といった経験事実や 《贖罪》であるといった・経験事実についての解釈としての思念やを持ち出すというのは ただの経験思考であって 信仰ではないという疑いのことです。そこに 党派・分派活動の原因があるのではないでしょうか? 
 経験事実を 信仰という原点の中に取り入れてしまうと 党派を分けることになるという意味です。経験事実は あるかないか あるいは AかBかCかなどとして とうぜん 眼(ないし心の眼)に見えるかたちで 分けられてしまうものであるからです。
 単純なことなんですけれど。・・・

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

私はSDAの教え全てを否定している訳ではありません。
EGWの思想は、前にも書きました通り、非常に良い部分も沢山あります。
しかしながら、お読み頂ければ解ると思うのですが、少々カトリック嫌いが激しすぎる(時代背景もあるのかもしれませんが)あまり、聖書解釈がカトリックへの攻撃的なものがかなりありますし、他にもワインや食べ物に関する件で彼女はかなり自由に発言しているのです。
これを全て預言者の言葉とするには。。。という意味です。

私の場合は党派争いではなく、単に個人とSDAの教えとのぶつかり合いです。
失礼ながら、私のこの質問はEGWの預言者としての信憑性についてですので、彼女をほぼ全く知らない方から有益な情報を得られる可能性はかなり低いと考えます。
お応え頂きながら申し訳ありませんが、この辺りを考慮して頂けます様お願いもうしあげます。

補足日時:2008/09/27 23:02
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{1]God[神様」は一人だけど、gods「神」は多いです。

                                                                                                      だから、神様の御言葉を神の言葉だと言っている貴方は、この点については嘘を吐いているのではありません。貴方の神様は知恵のエッセンスだからです。                                                                                          {2}サラは90歳を超えても美しかったかより、イエスが聖霊によって宿られたことについて質問したほうが貴方にはずっと為になったと思いますが、残念です。                                                                                        {3}マタイ書はイエスがユダヤ人の王としてうまれ「マタイ2:2」、ユダヤ人の王として処刑される「マタイ27:37」王国福音を述べています。                                                                                         イエスの10の弟子は後で処刑されますが、ヨハネだけは処刑されることを神様が許しません「ヨハネ21:22」。ヨハネには生き残って啓示録を書く使命が残っているからです。だから、ヨハネは自分が生きる時代、即ち十字架以後の恩恵福音を述べているのです。                                                                                                         だから、浸礼人ヨハネはイエスキリストを見て「世の中の罪を取り除く神様の子羊だ」と証拠したのであり、イエスキリストは過ぎ越しの子羊として処刑されるのです。前回、これについて述べたのに再び質問するなんて本当に読んでから質問してるのですか?                                                                                                             {4}何故3回も質問されたかと聞いた方が貴方のためになるはずなのに残念です。                                                                                        loveという単語が同じく使われて無いならば、ギリシャ語のどおりに貴方の恋人に質問して見たらどうですか?私なら万が一のことを考えて精神鑑定を進めるかも知れません。                                                                                 {5}太陽の下に新しいものは無い「伝道書1:9~10」。                                                                                                      悪魔がエバを誘惑する時、「本当に神様がそのように言われましたか?」と言いながら誘惑しました。                                                                                                                今も、同じです。「本当に原語の意味がそうなんですか?」                                                                                                        「原文によるとそれは違う意味なんですよ」                                                                                                        「KJVはさすがに有名ですが、今は古いですよ」。                                                                                                          このような人々に神様は「私が貴方達に言いますが、人が言うどんな無駄な言葉でも審判の日にはそれのついて解明するようになります。マタイ12:36」と言われます。

この回答への補足

すみません。。。
大変大きなすれ違いを感じております。。。
既にpuregrapeさまがどのように私の言葉を受け取られているのか解りかねております。

サラが90才以上だったという事は質問ではなく指摘です。聖書を一字一句間違いや矛盾の無い神の言葉としている人たちへの。
磔刑日も同じ意図であり、質問ではありません。

私の言葉がpuregrapeさまに到達した時点でかなり曲解されている感想を受けます。
もう少し”書いてある事のみ”から答えを組み立てて頂けますと、会話がしやすくなると思います。

お願い致します。

補足日時:2008/09/27 11:26
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 No.1&2&3です。


 緊急事態ゆえ 前言をひるがえして 参加します。

 次の二箇所のご発言について どう説明されますか。矛盾していませんか?

 ★ (No.6補足欄)~~~~~~~~~~~~~~~~~
 正直、私はE.G ホワイトを預言者だとは思っていません。
 聖書の解釈があまりに強引だからです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ★ (No.3補足欄)~~~~~~~~~~~~~~~~~
 つまり、何かしらの間違いを指摘できたからとて、それをもって彼女を偽預言者だと判断するのは少々早計だと考える訳です。
 著書中に1カ所や2カ所誤りが合ったとしても、それをもって偽預言者と判断するのはどうかと思うのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆  もっとも すでに 質問趣旨において 上のNo.6補足欄の趣旨と同じことが書かれています。
 ★ (質問趣旨)~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 私個人的には、EGWの信仰姿勢には好感を持っていますが、預言解釈については、納得できません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ そうしますと わたしの回答に対して返された上のNo.3補足欄の文章は やけくそで書かれたとでも 解釈すべきものでしょうか?
 この点について ひとこと 指摘して去るのが 礼儀だと考え直した結果の投稿です。いかがでしょうか?

 * なお――横からになりますが そうではなく 全体のご議論としても―― 《文字は殺し 霊は生かす》は 明らかなこととして お話を進めていかれるべきです。

この回答への補足

No.6に対しては、確かに言葉が足りませんね。申し訳ありません。
私は、聖書を文字通り一字一句矛盾の無いものとして信じている、所謂聖書信仰の様なものは持っていませんが、それでも依然として聖書は神のインスピレーションの宿る、最高の書物であるという思いに変わりはありません。
そうした中、(ほぼ)明らかに読者側の主張が聖書よりも先にあり、聖書の記事をそれにあわせて歪めたような解釈を、しかも預言者として語られると、厳密に吟味されなければなりません。
その場合、私のさまざまな観点からの吟味の結果は強引であるという意味です。”あまりに”という部分が肝心です:-)
従って、No.6は私の思想の中では矛盾していません。答えになっていますでしょうか?
※これは、聖書を一度でも全て読んだ事のある人が彼女の著書を読めば、私の言っている意味を理解して頂けると思います。
※当然、SDAの信徒さんで聖書を全て読んだ事のある方も多いでしょう。しかし、私が出会った方々は、EGWの著書と平行して読み進めて行ったタイプなのです。
つまり、初めに聖書を読み、自分なりの解釈が無い状態で半ば先入観(と言って良いのかわかりませんが)を横から注ぎ込まれる形で読んでいる場合が多いのです。

No.3につきましては、書いてある通りで、説明の余地がない様に私には思えます。
因に私はカトリックですので、EGWが偽であれ真であれ、社会的な問題は全くありません。

最近は、文字は殺し、霊は生かすという聖句が拡大解釈されている傾向があるようです。仰る事には同意致しますが、この点もお忘れの無い様お願い致します。

ご指摘の意図がいまいち読み切れませんでしたので、この様な内容になっていますが、答えになっていますでしょうか。

※最後に、申し訳ありません。
私は元々表現力には貧しい者ですが、さらに今は少々忙しく、十分な文章を書く事が出来ません。どうかご寛容をもってお応え頂きます様、何卒、よろしくお願い申し上げます。

補足日時:2008/09/27 10:55
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私がいつも見る聖書は1611年出版されたKJV「King James Version]です。

権威訳、あるいは伝統願文とも呼ばれます。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
puregrapeさまがどのような信仰をお持ち(聖書は一字一句間違いの無い神の言葉であるとするタイプなのか、そうではなく、知恵のエッセンスとして見るタイプなのか。因に私は後者です。)なのか、いまいち計りかねておりますが、例えば、こんな事はご存知でしょうか。

アブラハムがサラがあまりにも美しいので、自分の妹だと偽った時、サラは既に90才を超えているという事。
また、
イエス磔刑日ですが、共観福音書は過越の食事が最後の晩餐ですが、ヨハネの福音書は、磔刑日そのものが過ぎ越の食事の前です。

聖書には、こうした”一筋縄では行かない”箇所が所々に存在します。
この意味で、聖書の引用は時としてあまり意味が無い場合があるのです。

さらに、KJVをお使いとの事ですが、Strong'sの辞書はお使いですか?
これで原語を調べれば、KJVといえどもやはり外国語に翻訳した本であると思わざるを得ない箇所が所々にあります。
例えば、今は時間がないので確認できませんが、私の記憶が正しければ、イエスがペトロに「私を愛するか」と3回尋ねた時のことですが英語では3回ともLoveですが、ギリシャ語では3回目のみ違う単語が使用されていたと思います。アガペ、アガペ、フィリアでしたでしょうか。。。

さらに、Strong's辞書を使っても行き届かない箇所もある事はご存知でしょうか。
例えば、聖所に関する単語で、英語ではDaily [sacrifice(イタリックなので原文には無い単語)]と訳されている原語での「日々の」という単語。
これは、聖所に関して用いられる場合は、暗黙の内に「日々の捧げもの」という意を含むのが一般的という事です。
KJVには無いアポクリファの中に「原文を他の言語に翻訳すると、どうしても違う意味になってしまうものがあるが、最善を尽くして翻訳した」と書かれている本もあります。

また、新約聖書中に、明らかにアポクリファからの引用と見られる使徒の引用もあります。

これらの事から、私の聖書に対する姿勢は「一字一句文字通り信じる形式」ではありません。
聖書、自分の信仰、自然な思想など、全てを統合して結論、或は判断を下します。

我がままを言い、恐縮ですが、よろしくお願い申し上げます。

補足日時:2008/09/25 23:53
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{1}「聖書の解釈があまりに強引だからEGWを預言者だとは思わない。

」                                                                                                世の中の支配者は悪魔です。だから、悪魔が世の中を見せながら「貴方がもし私に平伏して拝むなら、私がこの全てのものを貴方に与える」とイエスを誘惑してもそれについてイエスは何も言わなかったのです「マタイ4:9」。                                                                                                  ローマの植民地下にいたイスラエルの人々は、神様を信じながら彼らの救援者であるイエスキリストを待ちに待ちました。しかし、イエスは彼らに「貴方達、蛇たちよ、毒蛇達の世代よ、どうして貴方達が地獄の呪いから逃れる事が出来ましょうか?マタイ23:33」と強引に言われました。蛇は悪魔を意味します。毒蛇に噛まれたら死ぬように、偽りの教えに噛まれるとともに地獄に落ちて行きます「マタイ15:14」。                                                                                                神様をあまりにも愛する現代の宗教家達は、神様のために強引な表現である地獄をゲヘナ、陰府などと書いて神様を庇おうとします。しかし、神様はこのような人々は地獄に行くと言われます「啓示録22:19」。                                                                                             ですから、解釈が強引だから非難される問題ではありません。かえって、まるで天使のように満面に笑みを浮かべながら神様は愛のみのように教える偽者がもっと非難されるべきです。                                                                                                          {2}「SDAおよび私の真偽について」                                                                                                              貴方およびSDAは神様を愛すると言っています。イエスキリストが来られた時、イスラエルの人々もそうでした。しかし、神様からは毒蛇とまで呼ばれました。                                                                                                                        真に真に貴方に言いますが、もし貴方が神様を愛するならば、私が誰について言っているかを分かるはずです。貴方はいつも私はこう思う、私はこの場合はこう思うと言っていますが、それは神様について言っているのではなく、貴方自身について言っているのです。                                                                                                        私は自分のことについて言っているのではなく、一々聖書から証拠を明かしながら言っています。もし、貴方が神様の人であるならば、これは聖書の何処に書かれてるよと言って無かった部分さえも聖書にある事を分かるはずです。数多くの人々が聖書の一節を読んでから自分なりの考えを述べています。彼らの父は神様では無く、この世の支配者なのです。                                                                                            {3}「女預言者について」                                                                                                                     デモテ前書2:12~14は「私は女が教えたり男に権威を行使することを許しませんので~また、アダムが騙されたのではなく、エバが騙されて罪を犯したからです」といって女の教会での権威行使を禁じています。これは、女を差別するのではなく、秩序のためだと言われています。だから、女が教会で教えることは神様の秩序に反する行為です。EGWは悪魔に騙されたのです。                                                                                                  女が子供を教えることは権威行為になりません。子供には男の子も居ますが、彼らは男ではなく、子供だからです。賛美歌を歌ったり、人々に救いの福音を述べたり、女がすることはいっぱいあります。教会は建物では無く、救われた人々の集まりです。いくら大勢の人が集まっても救われてない人は教会ではありません。                                                                                                           士師て何の意味ですか?私には分かりません。JUDGES「裁判官記4:4」のデボラは裁判官として悪を起こしたイスラエルの人々を裁いています。                                                                                             彼女が雄弁したと言う貴方の表現は大げさな感じがします。                                                                                                    列王記22:14も神様の裁きを預言しています。                                                                                                           しかし、ここにはもっと大きな意味があります。聖書には後になって神様が行われる予表があります。裁きの日が来ると救われた人々が救われて無い人々を裁くようになります。勿論、救われた人々の中には救われた女達も含まれます「コリント前6:2」。だから、裁判官記4:4はコリント前6:2の予表なのです。                                                                                                          {4}「反対聖句について」                                                                                       アダムの堕落から出エジプト記18章までは、ただ神様を信じるだけで救われる時代でした「創世記15:6」。                                                                                                            出19章からヨハネまでは律法時代です。律法を完璧に守れば救われるという約束でした。                                                                                                                      律法は厳しいです。自分が犯した罪の分だけの代価が支払われるからです。言わば、目には目、歯には歯です。律法を守って救われる人は一人もいません。これを分かる神様は、罪を犯した時には子羊や牛を犯した罪人の身代わりとして捧げるようにして、罪を許したのです。                                                                                                    イエスキリストの初臨から十字架まではイスラエルの王様になるイエスを王として迎えることで救われました。                                                                                                             天国という言葉はマタイ福音にしか無い言葉で王国の意味で使われています。この天国を暴力によって奪い、彼らはイエスを十字架で処刑しました「マタイ11:12」。だから、イエスを王様として迎えると成立したはずの王国が延期されたのです。千年王国です。                                                                                                          目には目、歯には歯の律法は王国では、マタイ5:38~42のように替わります。                                                                                           イスラエルに与えられた神様の民としてのしるしの一つは割礼でした。異邦人は神様から割礼をもらったことも無く、律法をもらったこともありません。                                                                                                                         しかし、彼らがイエスを十字架に掛けることによって新しい時代をもたらしたのです。即ち、恩恵福音の時代です。                                                                                                          今は誰でも十字架の上で流されたイエスの尊い血が自分の罪を購ってくれたことを心から信じる人は救われます。                                                                                                                 イスラエル人も同じです。だから割礼は意味が無いのです。だから、「律法によって義があるようになった貴方達は誰でもキリストが無用になり、恩恵からは離れて行ったのです。ガラテヤ5:4」と言っているのです。即ち、律法を守って救われようと頑張る人は、十字架のキリストが無用になり、その恵みを受けることが出来ないとの意味です。                                                                                              旧約の人々の罪の身代わりになって予表として殺された子羊が、実際に子羊として来られ、私達の罪の身代わりとなって処刑されたのです。だから、ヨハネはイエスを見て「御覧なさい、世の中の罪を取り除く神様の子羊です。ヨハネ福音1:29」と言ったのです。                                                                                                          デモテ後2:15「貴方は真理の御言葉を正しく分けて自身が神様の御前で恥じることの無い働き者として認められるように勉強しなさい」。神様は自分の子供達「神様の霊が内にいらっしゃる人々」に御言葉を正しく分けて勉強するように言われます。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

ところで、「士師記」というのは日本語の主流聖書では共通した名前だと思っていましたが違うのでしょうか。
裁判官記というのは初めて聞きました。
何と言う訳をお使いでしょうか?

補足日時:2008/09/25 18:34
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「女預言者は旧約にも居ますし、彼女らは雄弁に語っています。

聖句はその多くに反対聖句もあることを考慮して、」書いてほしいと言ってますが、                                                                                                {1}彼女らが何を雄弁しましたか?                                                                                                                          {2}多くの反対聖句はなんですか?                                                                                             詳しく書いてくれないと分かりませんので、それを探して書いてくれませんか?

この回答への補足

先ず、女預言者です。
士師記4:4~
列王記下22:14~
等はどうでしょう。

反対聖句です。
旧約と新約をまたげば沢山出てきます。
例えば、出エジプト記や、レビ記で、目には目を、歯には歯をと神ご自身が語られていますが、新約でイエス様はきっぱりと変更しています。
また、創世記17章で神は割礼を命じていますが、新約の至る所でパウロは割礼は意味の無い行為だと言っています。

ざっと今現在すぐに思い出せるのはこの位ですが、他にも沢山あります。

不十分でしょうか。

補足日時:2008/09/23 19:58
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Qキリスト教・カトリック・プロテスタント 3つの違いは?

こんにちは。

先日、アメリカのmixiのようなサイトを見ていた時、わからない点がありました。

プロフィール欄で10個くらいある宗教の選択肢の中に、キリスト教・カトリック・プロテスタントという選択肢があったのです。

私はキリスト教が大まかにカトリックとプロテスタントの2つに分かれていると思っていたのですが、そのサイトの解釈だと、キリスト教はカトリックとプロテスタントとは別物のようでした。

3つの宗教の違いを教えていただけないでしょうか?
生活に関係するルールや習慣などを教えてもらえるとありがたいです。

私の知人の生活を見ると、、、

<カトリック>
・神父さんがいる教会(ほとんどのカトリック信者の知人が毎週日曜日にミサに通い、行かなかった日は良くない事をしたと思っている)
・お酒・たばこは禁止
・恋人はいても婚前交渉は禁止(避妊も禁止)
・夕食の前にお祈りをしている

<プロテスタント>
・牧師さんのいる教会(気が向いた時に行く)
・お酒・たばこOK
・婚前交渉OK(避妊もOK)
・夕食のお祈り(する人としない人がいる)

<キリスト教>
?キリスト教ってカトリックとプロテスタントのことじゃないの?
他の少数派のグループのこと?

といった印象です。よろしくお願いします。

こんにちは。

先日、アメリカのmixiのようなサイトを見ていた時、わからない点がありました。

プロフィール欄で10個くらいある宗教の選択肢の中に、キリスト教・カトリック・プロテスタントという選択肢があったのです。

私はキリスト教が大まかにカトリックとプロテスタントの2つに分かれていると思っていたのですが、そのサイトの解釈だと、キリスト教はカトリックとプロテスタントとは別物のようでした。

3つの宗教の違いを教えていただけないでしょうか?
生活に関係するルールや習慣などを教...続きを読む

Aベストアンサー

 こんにちは。カトリック信者ですので良かったら参考にして下さい。
 キリスト教という宗派の中で様々の教派があると思ってください。例えば仏教というくくりの中に、真言宗とか浄土真宗とか日蓮宗とかがありますよね?あれと同じです。キリスト教の中には大きな教派があり、カトリック、プロテスタント諸派、正教会の3つです。諸派と書いているのはプロテスタントは様々な教派が沢山あるのでプロテスタントという教派ではないためです。多分プロテスタントの方でもルター派とかカルヴァン派とか長老派とかバブテスト、メソジスト、聖公会など沢山あります。その中には狭義的な所で1教会しかないものもありますし、大きなもの、ゆるやかにカトリックと一致しているものなど様々です。
 カトリックはヴァチカンを中心とした1教派です。そこから正教会が最初に分かれ(ロシア正教とかギリシャ正教などです)、さらにカトリックの腐敗のためにルターがプロテスタントを立ち上げます。プロテスタントとは抗議するものという意味もあるそうです。大きな派としてはこの3つが主流になると思います。

 質問者様の印象では、カトリックは非常に厳しいように見受けられますが、多分知人の影響じゃないでしょうか?カトリックは代々信仰している人が多く、あまり熱心にというか声高に自分がカトリックだと主張しない人が多い傾向にあります。傾向にあるというだけで、中には非常に熱心で視野の狭い人もいますが、大体がおおらかというかあまり他宗教を排斥しない傾向にあります。神父(司祭)がいるというのはまあ当てはまりますが、ミサは毎週参加する人もいますし、しない人もいます。しないからといって咎められませんし、クリスマス&復活祭だけに来る人もいます。来るもの拒まず去る者追わずの印象です。お酒タバコや全然咎められませんよ。司祭の方でヘビースモーカーの方いらっしゃいますし、お酒大好きな人もいます。ビアガーデンにいったりとか、普段でも飲酒をたしなむ人はいます。ただ今は四旬節ですので節制した生活を送りますのであまり酩酊するほど飲まないと思いますが。婚前交渉はまあその考え方ですが、あまりガチガチの人っていないんじゃないでしょうか。夕食のお祈りは私はしません。むしろカトリック信者はロザリオの祈りを熱心にすると思いますよ。つねにポケットにいれて祈っている人は割と多いです。
 プロテスタントの方は数人しか知りませんし、先程述べましたように教派が多岐に渡っていますのでこれという印象をつけるのは難しいですが、牧師さんがいらっしゃって、妻帯可能ですので牧師さんのご家族がいらっしゃる人は大勢います。聖書をよく読んでいるという感じで、ちょっとした手紙にも聖句が書かれてあったりします。数人で集まって聖書を読む会などもよく行われていて熱心に勉強しています。お酒タバコは同じくOKですし、夕食の祈りはむしろプロテスタントの方がよくやってるんじゃないでしょうか?友人などで夕食前に祈っている人知ってますので。教会も熱心によく行ってます。カトリックはミサといいますが、プロテスタントは礼拝といいます。礼拝に参加した事は1度ぐらいしかないのですが、カトリックは儀式的なのに対して(ある程度形が決まっています)、プロテスタントは説教を非常に重んじていて自由な雰囲気があります。ゴスペルなんかもプロテスタントですよね。
 正教会はわかりません。私の住んでいる地域にはありませんので。ニコライ堂などがそうです。

 ご参考までにm(__)m。

 こんにちは。カトリック信者ですので良かったら参考にして下さい。
 キリスト教という宗派の中で様々の教派があると思ってください。例えば仏教というくくりの中に、真言宗とか浄土真宗とか日蓮宗とかがありますよね?あれと同じです。キリスト教の中には大きな教派があり、カトリック、プロテスタント諸派、正教会の3つです。諸派と書いているのはプロテスタントは様々な教派が沢山あるのでプロテスタントという教派ではないためです。多分プロテスタントの方でもルター派とかカルヴァン派とか長老派とかバ...続きを読む

Qイスラエル人ってユダヤ人なの?

タイトルのとおりです。中東問題の番組をみてて気が付いたんですが、イスラエル国民について教えて下さい。

1.イスラエル国民=全員ユダヤ人ですか。
2.人種的には白人ですか、アラブ系ですか、基本的に。
3.宗教的には全員ユダヤ教の信者ですか。 イスラム教や仏教を信仰するイスラエル人っているんでしょうか。
4.ユダヤ人のために建国した国がどうしてユダヤって言葉を国名に使用しなかったでしょうか。
5.パレスチナ人って全員イスラム信者でしょうか。
6.よくパレスチナ難民っていいますが、彼らのパスポート発行はどこが行なっているんでしょうか。
7.パレスチナ人は、例えば漢民族とかクルド族とか一緒で、民族性でいえば全員同じ民族なんでしょうか。

HPをみても難しいので、簡単にご回答願えれば幸いです。

Aベストアンサー

一般に、民族とは文化的背景、特に言語を共有する集団を指します。共通の言語は共通の生活領域を前提とすることが多いので、結果的に、民族は同一人種から構成されることになります。しかし、ユダヤ人は例外です。
ユダヤ人は2000年前に国家を失ってから世界各地に離散していたので、言語や肌の色に共通点はありません。ユダヤ人とは、原則的には「ユダヤ教徒」からなる宗教的集団なのです。
※それでは「ユダヤ教徒」とは何かということが問題になりますが、複雑過ぎてここでは深入りできませんので、ユダヤ教徒を自認する集団でも、その奉ずる教義によってはイスラエル当局からスンナリとイスラエル国籍を付与されない場合があることだけを指摘しておきます。イスラエル当局のいう「ユダヤ教」とは、端的にいえば、神殿時代(以降)のユダヤ教を指しています。

現在、イスラエルは、ユダヤ教徒およびユダヤ人の母親から生まれた子供をユダヤ人と認め、国籍を付与しています。後者がユダヤ人とされる理由は、ユダヤ人女性は自分が生んだ子供をユダヤ教徒として養育する宗教的義務を負っていることにあります。よって、日本人も、ユダヤ教に改宗すればユダヤ人になることができます(教義や歴史に関する難しい試験や、宗教指導者による面接などがありますが)。

イスラエルには、ユダヤ人=ユダヤ教徒以外にも、キリスト教徒やイスラム教徒である国民が存在します。なぜなら、現在イスラエルの領土となっている土地には、古くからユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒が混住していたからです。しかし、現在では、ユダヤ人=ユダヤ教徒が圧倒的多数を占めていることは確かです。

人種構成はさまざまです。ユダヤ人=白人というイメージとは裏腹に、アフリカ系(黒人)やアジア系(黄色人種)のユダヤ人も存在します。なお、言語についても、公用語であるヘブライ語を解さず、出身地の言語しか話せないユダヤ人も多数存在します(特に、旧ソ連崩壊後に入国したロシア系ユダヤ人)。

イスラエルという国号についてはすでに回答されています。宗教的な意味のある国号です。

パレスチナ人とは、パレスチナ地方の住民を指す言葉です。すでに指摘したとおり、パレスチナ地方にはもともとユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒が混住していました。民族的には、アラブ人(アラビア語)、ユダヤ人(アラビア語・ヘブライ語)及びキリスト教系少数民族が存在しました。しかし、ユダヤ教徒であるパレスチナ人はイスラエルに迎え入れられたので、現在のパレスチナ人は多数のアラブ人とキリスト教系少数民族からなっています。

パレスチナ地方は、その大部分がイスラエルに、一部がヨルダンに併合させました。ヨルダンが併合したのは、ヨルダン川東岸といわれる地域です。この地域に住んでいたパレスチナ人は、幸か不幸か、ヨルダン人としてヨルダンの旅券を所持することができます。

参考URL:http://homepage.mac.com/ceramic_tsuka/rekisipage.html

一般に、民族とは文化的背景、特に言語を共有する集団を指します。共通の言語は共通の生活領域を前提とすることが多いので、結果的に、民族は同一人種から構成されることになります。しかし、ユダヤ人は例外です。
ユダヤ人は2000年前に国家を失ってから世界各地に離散していたので、言語や肌の色に共通点はありません。ユダヤ人とは、原則的には「ユダヤ教徒」からなる宗教的集団なのです。
※それでは「ユダヤ教徒」とは何かということが問題になりますが、複雑過ぎてここでは深入りできませんので、ユダヤ教徒...続きを読む

Q体をアルカリ性にするには?

こんにちは。
先日病院にて血酸値だか尿酸値が高いとの事で
体をアルカリ性にしなさいと言われました。
そのお医者さんの先輩が痛風持ちの方だったらしいのですが
毎朝バナナを1本食べて酸の値が下がって健康になったとの事で
バナナを勧められました。
ですが買い物に毎日行けない為、バナナは買いだめになり
痛みが早くて困っています。

さてバナナ以外に体をアルカリ性に出来る
食べ物って有りませんでしょうか?
どうか教えて下さい。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

お医者さんも、ちょっと説明が大雑把だったのかな?
(話をわかりやすくするために、あえて「体をアルカリ性」といった表現で説明したのかも?)

人間の体は高度な恒常性を保っており、皆さんがおっしゃるように、食品で体が酸やアルカリに偏ることはありません。

ただし、通風の予防・治療にアルカリ性食品は、とても意味のあることです。

体液のpHの調節には尿が使われており、酸性食品を摂ると尿が酸性に、アルカリ性食品を摂るとアルカリ性になって、酸やアルカリを体外に排出してバランスをとっています。
要するに、アルカリ性食品というのは、尿をアルカリ性にする食品ということです。

そして、通風の原因となる尿酸はそのほとんどが尿で排出されますが、アルカリ性の方が溶け出しやすく、スムーズに排出されます。
ですから、尿をアルカリ性にすることは、通風(や尿路結石)の予防・治療に効果があります。


さて、ご質問の食品についてですが、大まかに言うと、リンや硫黄、窒素を多く含むもの(肉・魚)が酸性、カリウムやカルシウムを多く含む物(野菜・果物)がアルカリ性食品です。

具体的には、以下の表を参考にしてください。
http://www.wellba.com/wellness/food/contents/00301/table.html

表の見方の注意ですが、酸度・アルカリ度の数値だけでなく、食べる量も考慮することが大切です。
例えばシイタケはアルカリ度の高い食品ですが、一度にそれほど多く食べるわけではありません。
一方、先生がおっしゃったバナナは、カリウムを豊富に含み、かつそれなりの量を食べられます。

こういったことを加味して効率の良さそうなアルカリ性食品を挙げると、果物、根菜類、芋、あと(表にはありませんが)ワカメはかなりアルカリ度が高く、少量でも意味がありそうです。
一方、大豆や干しいたけはアルカリ性食品ですが、プリン体も多く含みますので、微妙です。

逆に、注意すべき酸性食品は、鶏肉、卵黄(卵白はアルカリ性)、マグロ、玄米あたりでしょうか?

ただし、食品は薬のように即効で効果があるわけではありません。
以下のサイトでも、実際に影響が出るまで1ヶ月以上かかっています。
http://www6.plala.or.jp/yamaski/fruits/alkaline.htm

「バナナを食べればそれでOK」ではなくて、基本的な食生活を改善する(肉や魚介類を控え、野菜をたくさん摂る。アルコールは通風にも悪影響がありますので、お酒は控えめに。など)ことが大切だと思います。

参考URL:http://www.nhk.or.jp/gatten/archive/2001q1/20010117.html

お医者さんも、ちょっと説明が大雑把だったのかな?
(話をわかりやすくするために、あえて「体をアルカリ性」といった表現で説明したのかも?)

人間の体は高度な恒常性を保っており、皆さんがおっしゃるように、食品で体が酸やアルカリに偏ることはありません。

ただし、通風の予防・治療にアルカリ性食品は、とても意味のあることです。

体液のpHの調節には尿が使われており、酸性食品を摂ると尿が酸性に、アルカリ性食品を摂るとアルカリ性になって、酸やアルカリを体外に排出してバランスをとっ...続きを読む

Q「嗣業」の意味

「嗣業」の意味を教えてください。
聖書に出てき、辞書で調べても出てきません。。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「嗣業」という言葉は、意味的には「職業を継ぐ」ことでしょう。
しかし、「広辞苑」はもとより、「日本国語大辞典」全二十巻や「大漢和辞典」全十三巻にすら出ていない言葉です。
聖書、ことに文語訳の聖書には、かなり独特な言葉遣いが出てきます。この場合のように、殆ど用例がなく、漢字の意味からそれらしい偉そうな単語を作ったのではないかと思えるものも中にはあります。
まあ、意味さえわかればということでしたら、嗣=つぐ、業=仕事、ですから冒頭に述べたとおりになります。
ただ、「嗣ぐ」というのは本来職業ではなく、家や王位、名前、家産などを継承する場合に使う漢字です。嗣子や継嗣、嗣服など、みなその意味の熟語です。だから本来の漢語として「嗣業」はおかしな言葉であり、聖書の翻訳者の造語ではないかと推定されます。

Q夫が部落出身である可能性が高いです

悔しくて夜も眠れずこちらに辿り着きました。
(理解していただきたいので内容が細かく、長いです。申し訳ありません。)
出会った当時私は学生で、夫は県外の人間でしたが仕事の為に都心部に移り住んでいました。
結婚して4年です。子供が一人います。
夫が実家近くに転職したので、今は夫の実家の近くに住んでいます。
私は3人姉妹の末っ子で、父が中学生のときに亡くなったので母親に育てられましたが、祖父母が会社を経営していたので何一つ不自由なく育ちました。
出会った当時、夫は実家にルートセールスで度々来ていました。
母は時々物を買っていて、私と知り合う2年前から夫を知っていました。
その間、彼氏がいなかった私の写真を見せていたのは知っています。よく母から、「面白いお兄さんがいて○○(私)に会ってみたいと言っているけれど、どうする?」と言われており、その一年後に初めて3人で食事に行きました。
付き合いはそこからです。
付きあってから度々悩まされたのは、他人に対して暴言を吐いたり道路の真ん中で車を止めて怒ったりすることでした。
(先日も駐車場の枠外にとめていた車の人に暴力団のような言葉を吐いていたので知らない顔をして子どもと逃げました。)
私にも暴言や暴力(年に数回)があり、何度も別れようと思ってきました。
しかし、夫にも優しい所があり、初めての人でしたので夫がすべてだという気持ちがあり、結局結婚に至りました。
何かがおかしいと思ってきたのは結婚してからのことです。
毎週夫の実家に行くごとに義父母から親戚の職業を耳にしてきましたが所謂部落の方が多い職業についており、部落の方と結婚している人がとても多いのです。
また、義父は自営業をしていますが暴力と酒癖が悪く部屋中のものを壊したり、年に数回は義母の顔にあざができるほど殴るので本当に恐ろしいです。
本人たちの口から「部落」という言葉は結婚してからは何度となく聞いていますが、自分たちは違うというニュアンスで話してきます。
差別があるから夫のいとこは子供をつくらないし、結婚もしないとも聞かされてきました。
私が少し調べた結果は義父が部落出身のようです。
調べるきっかけとなったのは私の職場に夫がやくざまがいの電話をしてきたことでした。
それは、私の仕事用携帯に職場の男性のアドレスがあっただけのことでした。私的なメールは一切しておらず、上司から同僚まで全ての電話番号とアドレスが入っています。
夫はそれを浮気だと勘違いして、会社に怒鳴りこみの電話をしてきました。しかも妊娠初期の事でした。
その後出産の為辞めることとなりましたが、会社の上司から夫のことをかなり詳しく聞かれた上でそれとなく言われました。
本当にショックで血の気が引きました。
その後、義父母や夫がよく口にする地区をネットで検索してみると、全て部落に当てはまる地区で自分が住んでいる地区も昔はそうだったと知りました。
本当にショックでした。
冒頭に「悔しい」と書いたのは騙されたと感じるからです。
結婚前に夫の性格や暴力のことで母や親戚から反対されながらも結婚を選んだのは私です。
でも、墓場まで持って行こうとした夫が許せません。
私に話していたら結婚は迷ったかもしれない。
でもきっと結婚していたと思うんです。
それなのに純粋な気持ちでずっと夫を思ってきたのに隠し通そうとしている夫は裏切り者です。大嘘つきです。
夫を許せません。
結婚するまでは部落の人がいるのかどうかも知りませんでした。そして、部落が何かもよくわかりませんでした。
しかし、少しずつ勉強したり地区や周りの人間を見ていく中で分かったことがあります。それは差別する人間だけが悪いのではなく、差別される側にも問題があるということです。
義父や夫の親戚の会話は人間の血が通っていなくて、私にはとても理解ができません。酷い言い方かも知れませんが、気が狂いそうになるほど見ず知らずの他人を悪く言ったり暴言を吐きます。
私が言われることもあります。
今、人生にとても悩んでいます。こどもが小さいので母子家庭は厳しいかもしれませんが、穏やかな暮らしがしたいです。
夫とも義父母とも一切の縁を切ってこの土地からも逃れたい・・普通の考えをした人間と関わりあって生きたい。これが正直な気持ちです。
簡単にはいきませんが、何も考えずに生活しようとしても夫や義父が何か言動を起こす度にうんざりしている自分がいます。
まとまりの無い文章ですみません。
経験談やアドバイスなど、皆さんの考えをお聞かせ下さい。
どうぞ宜しくお願い致します。
最後まで読んで下さってありがとうございました。

悔しくて夜も眠れずこちらに辿り着きました。
(理解していただきたいので内容が細かく、長いです。申し訳ありません。)
出会った当時私は学生で、夫は県外の人間でしたが仕事の為に都心部に移り住んでいました。
結婚して4年です。子供が一人います。
夫が実家近くに転職したので、今は夫の実家の近くに住んでいます。
私は3人姉妹の末っ子で、父が中学生のときに亡くなったので母親に育てられましたが、祖父母が会社を経営していたので何一つ不自由なく育ちました。
出会った当時、夫は実家にルートセ...続きを読む

Aベストアンサー

難しい問題ですね。 差別する事はいけない事だと倫理を
説いても、実際にはいろんな形で区別されている事も事実。

自分がその立場に立った時に、つゆほども気にせず過ごせるか?
と聞かれると自信がありません。

普通に・・・・と言う気持はよくわかります。

昨今は、まだ昔ほどの差別はないにしても、中には未だに
違った目で見る人がまだまだいる事も確かです。

そのうえ、いろんな事件が世間を騒がせますから、この事が
表だって知られるようになれば、なにがしかの弊害はあるやも
しれませんしね。

この事案からまったくかけ離れた所で生活している物が
当事者に対して簡単に「差別はいけません」とは言い難いです。

関わった物の苦しみは関わった者しか分かりませんね。

輪の中に身を置くという事で、私は単なる個人の人格だけの
問題でもない気がします。

生活の環境と言う物は、個人の主観に大きく影響します。

周りを取り囲む人々が同じ価値観で接してくれば、少なからず
感化されますからね。

さて、問題は今後ですよね。
離婚されるなら身を隠す必要があると思いますよ。

今までの言動・行動を見ても旦那様自身がこの事をかさに
人を威圧する性格が見受けられます。
そういう境遇が持たしたら性格かもしれませんが、実際問題
多少危険である事は覚悟する必要があると思います。

出来れば御実家のご両親にもきちんと相談されて、考えうる
対応を模索しておく必要があると思います。

それでも先を考えれば、行動する価値は十二分にあると思います。
今は×1も珍しくありません。
心穏やかな生活が迎えられると良いですね。

難しい問題ですね。 差別する事はいけない事だと倫理を
説いても、実際にはいろんな形で区別されている事も事実。

自分がその立場に立った時に、つゆほども気にせず過ごせるか?
と聞かれると自信がありません。

普通に・・・・と言う気持はよくわかります。

昨今は、まだ昔ほどの差別はないにしても、中には未だに
違った目で見る人がまだまだいる事も確かです。

そのうえ、いろんな事件が世間を騒がせますから、この事が
表だって知られるようになれば、なにがしかの弊害はあるやも
しれませ...続きを読む

Qオナニーは、キリスト教では罪になりますか?

宗教のカテゴリーがないので、こちらで質問させて頂きます。

キリスト教では、オナニーは罪になりますか?
もし、罪になるとしたら、その根拠として、聖書のどの箇所にどの様に書かれているかも含めて教えて頂ければ、有難いと思います。

Aベストアンサー

こちらをご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%8B%E3%83%BC

私はカトリック信者ですが、
神父さん曰く、「そんなもん罪なわけないでしょ」とのことです。


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