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私はクリスチャンです。
しかし、このごろものすごい性欲で我慢するのが辛いです。

信仰歴は半年ですし、人間である以上
しようがないかもしれません。

普通の男と思うのですが本当のクリスチャンらしく性欲
が抑制できるようになりたいです。

聖書は姦淫を非常に駄目なことだと記されていますね。
そんなこともあり出来る限り女性をそんな目で見たくないのですが
神とのかわりがより一層欲しいです。

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A 回答 (13件中1~10件)

まあさ、ダビデみたいな女ったらしもいたわけだし、


そう深刻にならなくてもいいんじゃないの?

適当なところでガス抜きしないと、ドカンといくかもよ。
何が?
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No.6です。

 何度もすいません。

死海文書というのが発見されたのが、、、1947年頃からだったと思います。
イスラエルの独立の前の日だったかな?

その歯科医文書にはエステル書以外の旧約全部が入っていた。
つまり現存する最古の写本です。
(新約聖書だと現存する最古の写本は4世紀だったと思いますが、それよりもっと古いんですね。 それでキリスト教側は自分達が持っていた旧約聖書とそんなに違わなかったので、ほっとしたわけです。)


その発見された写本の中には、クムラン独自の教義も入っており、規律に関するものも入っていた。
それによってクムラン宗団が一体どのようなものだったか、知ることができたわけです。

キリスト教との類似性がいくつかある。

例えば「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」はイエスではなくクムランの教え。
多数者 12人による聖餐式もあり、「これは神の肉体である。 これは神の血である」もクムランの儀式の一つ。


メシア(たち)がやってきて、闇の子らと最終戦争をするという終末思想を持っていた。

そこに入会して住み込むものは、財産を共同金庫に納めるとされた。

(なお クムラン宗団の方がキリスト教より古い。従ってクムランがキリスト教を真似たのではない。)


他にもキリスト教の内容と類似するものがいくつもありますが、今回の性欲に関することだと、、、


クムランは独身制度で、穢れを嫌い、少しでも穢れた行為をやったものは、沐浴をしてある一定の期間、聖所に近づくことを禁じられていたんですね

その一つが性欲を覚えたものは、穢れを清めなさい とある。

罪とされたというより、性欲を覚えて穢れたのだから清めなさい としていたわけです。

推測の域を出ませんが、独身制度であれば、神の祝福である子を設けられませんよね。
それで、一定期間、そこから出て町に行っていた。
その一定の期間はおよそ2から3年で、イエスがいきなり町に出きて布教活動をした期間と一致します。


聖書に成長の記録が欠如していますが、クムランで育ったというのであれば、突如 成人になって現れてもおかしくないわけです。


どうして2年から3年 宗団から離れて町で暮らすということになったのかというと、聖婚をするため。

性欲ではなく、神の祝福として子供を授かるという目的で性交をするという証を立てるため。
それで試験的結婚をして、決められたときまで、交わりをしなかった。
そして定められた月である12月に初めて性交をする。
それで妊娠が確認されなければ、次の定められた時まで、また性交をしない。
2年から3年の俗世の暮らしは、性交するため。
聖所ではやってはならなかったわけです。
定められた月に定められた相手と神の祝福を得る目的で性交をしていた。


ですが、健康な人間である以上、出すものは出さないと精神障害など引き起こしてしまう。
ですから、自慰などやったものは、一定の期間 穢れを清める沐浴をやり、聖所に近づかないということを定め、その行為をやったら穢れが清められ、従って穢れていない とされた。


クムランでは穢れを清めるやり方を規定しているので、それをやればもう穢れてはいないとされたのだから、キリスト教でも穢れを清めるやり方を定めればいいわけです。

聖水とかふりまくのか知りませんが、クムランの教義すら模倣したキリスト教なので、沐浴に似たような穢れを清めるやり方はあるんじゃないでしょうか。

ただ、クムランの沐浴だと、何か入っていたらしいんですね。
エッセネ派という説もあるので、薬草かなにかを入れていたのかもしれません。

これで本当に清められたことになるのかというより、自分が属する集団が、それでOKとしている以上、それでOKじゃないかと。

法律がOkでも本当に穢れが清められたのか怪しいものだ というのなら、クムランの教義を信じていないので、クムランから脱会すればいいと思うんですね。

キリスト教の穢れを清めるやり方を信用できないのなら、キリスト教を指示していないということが明らかになり、にもかかわらず属していることが矛盾することになります。

これは神父様、牧師様に このケースの穢れの清め方は、この教団ではどう法律で規定されていますか? と聞くしかないかと。

神父様だって牧師様だって、性欲を抑えて精神障害を引き起こしていたら、とてもじゃないけど仕事できませんので、健康ならちゃんと性欲をあり、ためたら病気になりますので、抜くということをやっているはずです。
その後 どうしているのか 聞いてみたらどうでしょうか?
病気により性欲が全くなくなり聖職者になった という人たちばかりなら、不健康だし、神の祝福が無い人たちということで、、、とてもこの宗教にとってとても重大な問題を抱える人たちが、責任者になってしまっている つまり 神から呪われた人たちが、幹部になっているということになってしまいます。


教皇だって健康な男でしたら、ちゃんと性欲はあったはずです。
教皇らは一生独身だったのでバージンのまま亡くなっていったと思うのですが、、、、
独身であっても心身ともに健康であれば、旺盛な性欲はあったはず。
そう思うと、楽になりません?


信者だって心身ともに結構であれば、性欲はあり、女性を見るだけで発情する時期もあるはずなんですね。
心身共に不健康な人のみ限定で信者になるってわけじゃないと思うので。
もしそうならキリスト教徒は全員病気で不健康な集団ってことになってしまいます。


キリスト教の歴史は男の性に対する悩みの歴史だと思うんですね。
女性を見ただけで発情して勃起してしまうのは、女性が誘惑したからと女性のせいにしてきた。
女性を誘惑する悪魔だとして、性欲の理由を女性が原因だとしてきた。

現代で、もし勃起したのは女のせいだ 自分は悪くない レイプしたのも女が誘惑して俺の息子を操ったからだ 全て女のせいで俺は悪くない というレイプ犯がいたら、どうします?

女性を見るだけで勃起してしまう男達は、女性を目にすることを極端に恐れるようになり、修道院を作ってこもってしまったんですね。
これでもう女性を見ることもなく、性欲に悩まされることはない と思ったら、、、、
相手が男でも性欲を持つようになってしまった。
とうわけで修道院で同性愛者が発生し、教会はこれを禁じることになり、同性愛は禁止だとなったわけです。
しかし 法律で禁止されても、発情し、しかも男しかいないので、男に欲情せざるを得ず、、、、、

修道院に逃げ込んでも性欲から逃れられなかったってことですね。

ということで、ノープロブレム。
手術しない限り、健康であれば性欲はあってあたりまえ。

ひとまず 穢れたと思うのなら、沐浴したらどうでしょうか?
それで穢れは清められるってキリスト教がお手本としたであろうクムランではなっていたんだし。
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 No10以外の答えを除いて、他の方の見解は主観が多く、ほとんど不十分と思います。



 まず「性欲」と「姦淫」は厳密に分けなければなりません。旧約における、いわば「姦淫禁止命令」は律法であります。しかし、これは「行為」でしかありません。したがって性欲というレベルでは、実は罪ではありません。

 性欲そのものは、食欲と同じく、神が人間に備えた一つの感覚であって、人間が正常に生活し活動するためのものです。考えてもみてください。もし食欲がなかったら、人間にとって食べることはつらいことであったでしょう。しかし、神は人に味覚をつくり、さらに豊かな食べ物をつくられ、私たちの楽しみとしたのです。
 性欲もまた同じです。生めよ、増やせよとはいっても、もし性欲がなければ、性行為は人に苦痛であったでしょう。それゆえ性は、人が子孫を荏円滑に産んでいくための神の知恵だったのです。

 さらにあなたはおそらく勘違いされていると思います。あなたがもし結婚していれば「姦淫」の可能性があるのですが、独身ならどんなことがあっても姦淫はありません。

 姦淫とは、いわゆる「離婚」をいっています。

マタイ19・9「不品行のゆえでなくて、自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである。」

 したがって、姦淫は「ふたりは一体である」の原則を破壊することに対する罪です(なぜ罪なのかということは、エペソ5章において明らかにされます、それはキリストと教会の一体性を破壊することを象徴するからです)。

 ここの不品行とは、売春・淫行とも翻訳されます。つまり、夫か妻のいずれかが他の人と「淫行」(性行為)をおかした場合には、離婚しても「姦淫」にはならないのです。
 ですから、一度結婚したら、どんなに仲が悪かろうが、奥さんがどれほど凶暴であろうが、いかなる理由においても離婚できないのです。離婚することは「姦淫」になるからです。
 しかし、唯一の例外は「不品行あるいは淫行」です。これがいわゆる不倫のことで、夫か妻のいずれかが不倫をして性行為をしたなら、離婚しても「姦淫」にならないということです。


ローマ6・17~
「不品行を避けなさい。…しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」

 不品行と訳された日本語は、同様に売春や淫行のことです。

 結論的に聖書では、「姦淫」と「淫行」の2つがあります。

 「姦淫」は直接的には結婚している状態で離婚することで、あるいは結婚していながら妻以外の者と性行為をすることを含むことがあります。

 「不品行」「淫行」は、結婚してない状態で性行為へといたることです。つまり、神の定めでは、性行為の条件は、(1)結婚していて、(2)妻とだけ、性「行為」をするということになります。


 もう1つきわめて重大なことがあります。これはほとんどの人が見過ごしていることです。旧約と新約では、姦淫の原則が変わっているのです。

マタイ5・27-28
「『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」

 旧約の原則は、性の「行為」でした。しかし、新約の原則は変わり、わたしたちの「心」にまでいたるのです。「情欲を抱いて」、「見る」こと、すなわちある女性をいやらしい思いで見ることなども、すべて罪として換算されてしまうというわけです。

 ややこしいのは、マスタベーションは罪か否かということです。旧約の原則にいえば罪とはいいきれず、新約の原則でいえば罪の可能性が高いです。なぜなら、ある種の妄想が含まれているからです。


 ここまで読まれると絶望的になるかもしれません。 
 しかし、問題は罪を犯すことではなく、罪を犯した後のわれわれの態であると聖書は言っています。福音書におけるイエスは。罪を責めたのではなく、罪をおかした者たちの「態度」に注意を払ったことを見てください。
 ヨハネ4章、サマリヤの女は5人の夫をもった姦淫だらけの女です。しかし、イエスは彼女の罪を責めず、彼女の態度に注意を払い、導いたのです。

 第1ヨハネ(書簡)1:9-10を読めば、罪の告白が重要であることが分かり、罪を犯すことを神は折り込みずみだということが分かります。問題は罪をおかした後の告白であり、そのたびに救いとなるわけです。

 ですから、ダビデは姦淫の罪をおかし、預言者ナタンによって責められ、悔い改めました(詩篇51篇を参照)。彼は赦され、神に生きました。しかし、ダビデが生涯で過ちはほとんどおかしていないため、原則上は相当、神に仕えた人です。

 クリスチャンは神に仕える者であるべきですが、時に過ちを犯します。しかし、悔い改めの祈りをもつなら、赦されるのです。
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私は中学で洗礼を受けたカトリックです。


確かに十戒では「姦淫するなかれ」と書かれています。
これは非常に難しい問題だと思います。今でも婚姻後以外の性交は原則として禁止しています。が、性欲もまたヒトとしての神から与えられた正常な生理です。
本来なら、人は性欲の盛んになる頃には、既に生活の糧を自立して得なければなりません。昔は15歳で成人になり、20歳までには自立できました。しかし、現実ではいまや25歳くらいまでは自立できない社会になっています。
私は、頭の中だけで創り上げた宗教の縛りは本当に合っているのか、長い間考えました。性に対して後ろ向きでしかない人達が未だに縛っている戒律が正しいのだろうかと。

結論だけ言えば、吐き出すべきものを吐き出さなければ、女性を性欲以外で見るのは難しいと思います。身体に溜まる物がなければ、余裕を持って見る事ができるようになります。
その状態で、自分が相手に求めるものと相手に出来る事を良く考えていきましょう。

私は、女性を長く共にするパートナーとして付き合えば、姦淫の罪はないと考えています。単なる付き合うだけの恋人ではなく、将来を見据えた人として選べば、罪とは思いません。
姦淫とは欲情だけ、快楽を求めるだけの交際だと解釈します。
確かに、自分で処理する為にもある程度の「相手」が必要かもしれません。しかし、キリストもその(神が人に与えた)生理上の罪を知っていたから、娼婦を赦したのではないでしょうか?だから石打つ人に「罪がないのなら打て」と言ったのではないでしょうか?
自分が大きな間違いを犯さないための行動を責める事など、誰にも出来ません。妄想などは自然に湧いてくるものです。そんなものを罪だとされても困ります。ただ、それだけに捉われては本当の罪になります。
だからその程度なら、素直に犯した罪を告戒所で告げて、赦しを得ればよいと思います。

そして、女性とは、お互いに理解しあう姿勢を持って、真剣に付き合いましょう。そして性に対しても真正面から向き合い、二人で考えて行動して下さい。またその様な人を見つけて下さい。
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主は己の姿に似せて人間を造ったと言うでは有りませんか、何を恥らう事がありましょう。



あなたがそのような状態と言う事は主も同様だと言うことですから堂々とそれを認め何ら恥らう必要は無いのです。
主は人間をこの大地に増やそうと様々な特性を与えましたが中でも性欲は最も有効な特性でしょう。これが無ければ人間はここまで発達しなかったし途中で滅んでいたかも知れません。

しかし現実社会には法律が有りますので社会の決まり事も守らなければいけません。法律を守り良き社会人となりつつ主から戴いた性欲を有効利用してください。これこそが主のご意思です。
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キリスト・イエスに 掟は ありません。



神を愛せ そして 人を愛せ つまり これら二つは同じことで 自分と同じように人を愛す これ以外にありません。このようにするから クリスチャンになったのではありませんか。

姦淫は 両者ともが それぞれ 人を裏切っており 人を愛すに反します。

聖書が あなたの神ではありません。(《文字は殺し 霊は生かす》です)。あなたの神に聞いてみては いかがですか。誰も神と対話できるとは思いませんが その努力のなかで 答えが見つかることもあるでしょう。

(神を愛すとは 人を愛すと同じことであるように 人に尋ねることが 神に聞いてみることと同じであると見ることも出来ます。見方によるとも考えられますが)。

《本当のクリスチャンらしく性欲が抑制できる》というのは 《性欲については 人を愛すこととしてそれを満たすことのみを行なおうとする》という意味だと思います。なお 《性欲のない生殖に至る》とも観想されています。パウロの文章も参考になると思いますが。
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No6です。



訂正です。

>イエスの両親も、子供ができず、神殿に神に祝福が欲しいとお願いに行ったところ、

イエスの両親じゃなく、イエスの母マリアの両親でした。
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聖書を読むと神の祝福とは、子沢山のことであるとわかります。



神は何度も人間と契約を交わしていますが、祝福した対象の者は沢山の子供に恵まれ、家系が繁栄したとなっています。

子供が多いほど、稼ぎ手は多く、それだけその家系の人数が大きくなるので、勢力が大きくなるわけですよね。

「生めよ増やせよ地の果てまでも」これが神の祝福なわけです。


でも、十戒に「私の愛する子供達が姦淫などしようか するはずがない」と書かれていますよね。
(古代ヘブライ語には否定+禁止が無かったそうなので、○○してはならない という現代の訳は正しくないそうです。)

十戒を授かったが、それがどういう意味なのか、このケースの場合も駄目なのか いいのか ということで、律法学者はあれこれ論争したそうです。

例えば古代女性に相続権がありました。
女性に代々財産が引き継がれていってたわけです。

その女性が夫と離縁すると、夫はすってんてんになってしまう。
この男から神の祝福は遠ざかってしまうわけです。

また、夫を捨て、他の男と妻が再婚し、後にその妻が死亡した場合、前夫の財産は亡き妻のものであると、死亡した妻が再婚していた男から要求されたりしたわけです。


そうなっては困るので、夫が生きている間、妻は離縁して別の男と再婚することは姦淫である とした。

そういうことになる可能性を持つ、例えば、夫が死んだ妻がその一族以外の男と再婚しそうになるのも、姦淫だとして、再婚をさせないようにしていた。

さらに神経質になり、夫が死んだ妻が、一族以外の男と口を利いただけでも、チラっと見ただけでも、「姦淫をした!!」として石打の形にするまでになってしまった。

律法学者 つまり方の番人たちは、こうやって民族の戒律を十戒を基本に詳細に規定していったわけです。

確かヨハネはヘロデ大王だったと思いますが、姦淫をしたとして非難し、ヘロデに殺されていますよね。
ヘロデの姦淫とはなにか、弟だったと思いますが、その妻を自分の妻に横取りした。
弟が生きている間に、その妻を自分の嫁にしたためそれが<姦淫をした>ことになったわけです。

レビレート婚ってありますよね。
兄が死亡した場合、未亡人となった妻は、夫の兄弟 あるいは 一族の誰かと再婚をしなければならない という法律。
妻の財産が他の一族に流出するのを防止する、すなわち一族の繁栄を守るために、妻が他の一族と結婚することを防止する法律。


イエスが姦淫をしたとされた女を救出したエピソードがありますよね。
これを読んだ現代の読者は、独身女性が誰かとセックスをしたため、淫乱として人々から石打の処されそうになったのだろう あるいは 売春婦だったから、姦淫したとして処刑されそうになったのだろう と推測しています。

そうも取れますが、姦淫とは、みだりにセックスをすることではなく、未亡人が他の一族と口を利いただけでも、チラと見ただけでも、「もしかして この女は一族以外の男と再婚をしてしまうかもしれない。財産の流出を阻止するためには、再婚される前に殺すしかない」 ということで、律法を乱用して殺そうとしていたとしたら。


イエスは律法重視だった。
しかし、イエスは律法を完成させるようとしていた。
律法学者は姦淫とはなにか についてあれこれ議論していた時代、イエスは姦淫とは、未亡人が他の一族の男と口を利いただけでは姦淫にならない としたかったのではないかと。

前の夫が生きているうちに、別の男と再婚をしたら、神により与えられた結婚という祝福を、人間側が拒んだことになり、背信になりますが、それを拡大解釈する律法学者たちの解釈は正しくない としたんじゃないかと。

姦淫をした女を、マグダラのマリアと同一視された時代がありましたが、1960年代だったと思いますが、教会は同一人物ではないようだ と発表しています。
にもかかわらず、現代でも<罪深い姦淫した女 マグダラのマリア と思われてしまっています。
しかも汚らわしい娼婦マグダラのマリアすらイエス様は救ってくださったのです と一番のキリスト教の布教の広告に悪用してしまっている。
律法学者たちの拡大解釈と変わらない解釈をして イエスの真意を伝えていないのではないかと。。。。。


トマスの福音書には、何度もイエスはマリアと口づけを交わしており、それにペトロが嫉妬し、マリアはペトロの憎悪を怖がっていたとあります。

これは比喩で、イエスが口伝で伝えた内容を、マリアが一番に理解していたということだと思えます。
ペトロは同じ内容を聞いてもマリアほど理解できず、それでイエスはマリアばかり愛する と嫉妬したのであって、自分もイエスと口づけを交わして、イエスと愛を交わしたかったわけじゃあない。

「何故マリアばかり愛するのですか」と問うペトロに、イエスは「何故私はマリアほどにあなたを愛せないのでしょうか」と逆に理解しないペトロに問いを投げ返している。


カトリックの場合は、マスタベーションも禁止です。
カトリック信者にどうやって性欲を抑ええているのか聞いてみてはどうでしょうか?

性欲を覚えるということは、神の祝福が下りてきたということで、セックスを神が要求していると考えてはどうでしょうか。
ただし、独身なら神から祝福があれば、女性とめぐり合うでしょうから、その方と性欲が起こるたびに神の祝福であるセックスをすればいいと思うんですね。

カトリックだと避妊具は禁止ですが、避妊具を使用するということは、神の祝福である子沢山を拒む行為になるので、それで避妊具も禁止になっているのだと思います。


古代、性欲が無い人、子供ができない人は、神から呪われているとされました。
イエスの両親も、子供ができず、神殿に神に祝福が欲しいとお願いに行ったところ、子供のいない夫婦は神から祝福されていないとして、お参りを拒否されたんですね。

それで、夫は荒れ野で40日ほど修行をして、(インポテンツの治療?
)、妻は自宅で「もし 子供が授かりましたら、初子を神に捧げます」と約束した。

そしてめでたく夫婦に子供ができ、マリアとなずけられ、約束通り初子であるマリアが神殿に捧げられた と。
これがイエスの母マリアの出生の秘密となっています。

私は前マリアは神殿娼婦だったんじゃないかと言って、かなりバッシングされましたが、娼婦と利いただけで、キリスト教徒はおぞましいものをイメージするようなんですね。
マグダラのマリアは誰とでも寝る売春婦だったとキリスト教徒は言うし、神殿娼婦とは神殿におまいりに来る観光客目当てに体を売る娼婦だとキリスト教徒は思っており、それでイエスの母マリアを売春婦呼ばわりするなんて と激怒したようです。

私に言う神殿娼婦とは、観光客相手に春を売る女のことじゃあない。
古代の神殿娼婦はそういう概念じゃあない。
神の地上の体現者 神の化身が神殿娼婦。
王に権力を与え、霊的な導きをするものが神殿娼婦。

で、マリアは夫選びの時、ヨセフの杖だけが反応したので、ヨセフを夫として聖別したとある。
その聖別されたヨセフが、イエスの義理の父親となるわけです。
マリアとヨセフの間には沢山の子供ができた。
初子であるイエスは神に捧げられた子供になるので、ヨセフの子供じゃないとなり、ヨセフは義父だとされるようになった。


というわけで、夫婦であれば、自然な行為なので、早く神からの引き合わせがあり、結婚すればいいのではないかと・・・・。

結婚相手とまだめぐり合っていないのであれば、神からまだ祝福されていないということですが、こればかりは一方的に祝福は下りてくるので、人間が「神よ早く嫁さんください」と祈るのは筋違い。


いつも思うんですけど、どうして各宗教の信者は、信者ではない人と結婚をしたがるのでしょう?
宗教教団内に結婚紹介所とかどうして設置しないのでしょう?
どうして外部の人から嫁をもらいたがるのでしょう?
宗教の拡大のため、信者ではない人と結婚をして、その人も信者にしなければならないという暗黙の了解があるのでしょうか?

信者ではない人と結婚しても、価値観が違うので、無理があると思うんですね。
教団内に信者同士の結婚相談所を設置するよう、教団に要請してみてはどうでしょう?

もし、信者が魅力的ではなく、外部の女性が魅力的なら、どうして信者の女性は魅力が無いのか、どうして外部の女性は魅力的なのか、考えてみてはどうでしょうか。

何故自由意志を持っている女性が輝いているのか。
生き生きとしているのか。
何故信者の女性は自由意志を持たないのか。

信仰の核に迫るものなので、回避したいことでしょうけど。
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ご自分のことをさしてクリスチャンというということは、あなたはエホバの証人ですか? この回答はエホバの証人であるということを念頭に書いていますので、違ったらごめんなさい。




確かに聖書中、十戒というもっとも基本的な部分に「姦淫してはならない」とあり、イエスの言葉にも「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです」とあります。

しかしながら、イエスはこうも言っています。「(娼婦をさして)『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。』」。
欲望だけで女性を抱くのは好ましくないかも知れませんが、それ以上の気持ちであれば問題はないのかも知れません。

もっとも、エホバの証人というコミュニティの中での受けは、また別の話です。
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キリスト自身も、確か偽典か外典で、布教か何かの際に「マグダラのマリア」と言う名の娼婦を連れており、一筋縄ではいかない人物だった様です。

15世紀には、修道女が接神体験したと言う記録も残っていますし、真言宗の経典の「理趣経」には、「欲望と悟りは一体である」と言う「煩悩即菩提」と言う教えもあるので、一概に「性欲は悪である。」とは言え無いと思います。一神教でも多神教でもこの問題は、共通の問題の内のひとつです。※「理趣教」はあくまで仏の視点から説かれているものです。最澄は空海にこの経典の解説書である「理趣釈経」の借用を断られ絶縁に至っています。
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Qオナニーは、キリスト教では罪になりますか?

宗教のカテゴリーがないので、こちらで質問させて頂きます。

キリスト教では、オナニーは罪になりますか?
もし、罪になるとしたら、その根拠として、聖書のどの箇所にどの様に書かれているかも含めて教えて頂ければ、有難いと思います。

Aベストアンサー

こちらをご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%8B%E3%83%BC

私はカトリック信者ですが、
神父さん曰く、「そんなもん罪なわけないでしょ」とのことです。

Qクリスチャンの方に質問です。(性)

一体どうやって彼らは婚前前の性欲を処理をするのでしょうか?

「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。(マタイ5:28-29)

自己処理もいけないのでしょうか?

しかし、性教育で習ったのはある一定の期間で精子を出さないといけない。健康を害するのでしょうか?

なるべく経験者や専門家の方から意見が頂きたいです。どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

当然,まずお祈りをします.性的な欲求がなくなるように.
他に楽しい遊びなどで時間を潰すことなどができれば,それも可能かと...

中学生向けの性教育なんかでは,性欲を助長させるものからは離れるようにと教えています.
手を繋いだりすることやキスなどは罪にはなりませんが,
徐々にエスカレートして過ちを犯すのを避けるという意味で,
スキンシップそのものを全て避けたほうが良いとしています.

あとは,そういう欲求があり我慢ができないのであれば,
早く結婚してしまうことです.

結局は自分本位な欲求と,
自分と神様との関係のどちらを重要視するか,
どれだけの信仰があるのかといったことになるのだと思います.

個人的には,
軽いスキンシップで満足できればいいんじゃないかなと思いますが.

まかり間違って最後までやって妊娠でもしようものなら,
クリスチャンとしての立場がないでしょうから,
それだけは避けたほうがいいでしょうね.

Q修行僧や神父は一生禁欲できる?

最近は、男性側レスの話題をよく聞きますが、
たまたまTVで、厳しい修行僧の番組があり、夫に聞いてみました。

夫は、修行僧も当然、妻帯は認められてるし、性欲は肯定されている。
修行中は禁欲かもしれないけど、一生禁欲生活なんて不自然だと。

でも、カトリックの神父は妻帯は認められてないし、性欲には否定的だと言うと、
そんなのは去勢でもしなければムリだそうです。

因みに、そう言う夫は単純おバカで、出産後は「とてもそんな気にならない」と2年近くレス。
私が襲って解消しなければ、私とは一生レスだったでしょう。
中高年以降は、その反動か?、熟年の今はエロじじいですが。。

その修行僧を見てると、煩悩や苦悩を超越した深い喜びがあるのかなと思えました。

Aベストアンサー

元風俗嬢です。

20年余り男性をおもてなししてきましたが、僧侶も牧師も神父も普通に来店されていました^^;

よくご指名くださったお坊様は、法事の帰りに墨染の法衣をなびかせながらスクーターできていましたよ。法事の手土産片手に(笑)

出張で呼んでくださった某高僧さんは、ご本尊の真ん前でおもてなしいたしました。

かつて鎌倉時代の修行僧は、不浄観といって、「どんなに美しい女性も皮膚の下は骨と汚物である」という、ほとんど思い込み暗示で性欲を抑え込むドMな修行プレイをがんばっていたようですが、反面「女性(にょしょう)が禁忌でも稚児ならOK」と、ご都合主義解釈でいたいけな少年をさんざんいたぶっていましたし、例外はあってもやはり本能を精神力で制御するのは大方の男性がなしえない性(サガ)だと思いますよ。かのトンチンカンチン一休さんも無類の女好きで有名だし、最近ではキリスト妻帯説も浮上していますしね。

思うに、性を厳格に禁忌とする(つまり逆にそれだけ執着がある)宗教者より、ニューエイジ系とか正統派でないヨガ行者、もしくはヨガにどっぷり生活100%の「インドの山奥で~」タイプの方々のほうが、性欲を抑えるためというより結果的に性欲要らずの独特な自己世界を構築しているように感じます。
夕暮れの崖っぷちでありえないポーズを次々にこなす様、トランス状態そのもの。脳内麻薬でまくり?そりゃ性交より遥かにエクスタシーだろうなぁと、こっちは傍観するしかないみたいな^^;


私の個人的考えでは、ごく僅かな例外を除き、例え精神性の高い宗教者であれど、健康な男性であれば、性交であれ自慰であれ無精であれ生涯回避するのはまず不可能かと思います。

そんな稀有な例外で、私が色んな意味で尊敬するのはかのマス大山です。
山籠り修行の一年半、夜な夜な女性の裸が夢に…
「修行だ!」厳寒の中、川に飛び込みひたすら正拳付き、大木殴り、己の邪念と闘う。結果、本人いわく「女性への煩悩が消え、更に空手を極めることができた」(本当なら)そうです。
とりあえず大山総裁のメソッドを実践するのもいいかもしれませんね^^;

元風俗嬢です。

20年余り男性をおもてなししてきましたが、僧侶も牧師も神父も普通に来店されていました^^;

よくご指名くださったお坊様は、法事の帰りに墨染の法衣をなびかせながらスクーターできていましたよ。法事の手土産片手に(笑)

出張で呼んでくださった某高僧さんは、ご本尊の真ん前でおもてなしいたしました。

かつて鎌倉時代の修行僧は、不浄観といって、「どんなに美しい女性も皮膚の下は骨と汚物である」という、ほとんど思い込み暗示で性欲を抑え込むドMな修行プレイをがんばっていたよ...続きを読む

Qキリスト教の人と結婚したらどうなる?

今付き合ってる彼の家はクリスチャンだそうです。彼自身は熱心な信者と言うわけでもないようですが、やはり彼と結婚したら生活に何か影響が出てくるのでしょうか?

私はバツイチの子持ちなのですが、私や子供も入信しなければいけないのでしょうか?またキリスト教でも離婚をしてはいけない派閥があると聞きましたが、バツイチの人と結婚するのはどうなんでしょう?

また私の家は熱心ではないですが仏教徒です。しかも親戚にお寺があると言う、家柄です。
宗教の違いと言っても怪しい宗教ではないですし、私自身キリスト教系の学校に通っていた為、なじみが全く無いわけではありません。特にキリスト教に対する偏見などもありません。

ただ、先日神社であったお祭りに出かけた時「お参りする?」って聞いたら「宗教が違うからしないほうがいいような気がする・・・」と言われ、これが宗教が違うと言う事なのか!と実感してしまいました。
またクリスマスもやはり毎年ミサに参加しているそうで、「良くある『ホテルで2人でディナー』とかは出来ないの?」と聞くと「親戚とか集まるからクリスマス位は・・」ということでした。イヤ特にホテルのディナーに行きたいわけではありません。私も去年のクリスマスは子供と一緒に近所の教会へ行ってみたほどなので。ただそういった「宗教的行事」などは強制参加になるのでしょうか?

お付き合いしていく分には特に支障はないようなのですが、今まで自分が当たり前にやってきた宗教行事(お葬式、法事等)とかけ離れた世界の事が日常的に繰り広げられてるようで結婚後の想像がつきません。
また宗教が違うと結婚の際もめたりする事は考えられるのでしょうか?何か体験談等ありましたらお聞かせください。

今付き合ってる彼の家はクリスチャンだそうです。彼自身は熱心な信者と言うわけでもないようですが、やはり彼と結婚したら生活に何か影響が出てくるのでしょうか?

私はバツイチの子持ちなのですが、私や子供も入信しなければいけないのでしょうか?またキリスト教でも離婚をしてはいけない派閥があると聞きましたが、バツイチの人と結婚するのはどうなんでしょう?

また私の家は熱心ではないですが仏教徒です。しかも親戚にお寺があると言う、家柄です。
宗教の違いと言っても怪しい宗教ではないですし、...続きを読む

Aベストアンサー

私自身クリスチャンですが、クリスチャンの中にも色々あります。彼がどのぐらい生活の中に宗教を入れているか、によって違います。また、結婚となると彼のご家族とのお付き合いもあると思いますので、彼のご家族の信仰に対する姿勢も関係してきますね。「相手も絶対にクリスチャンじゃなきゃイヤ!」って方もいらっしゃいますし。

一般的なクリスチャンの生活です。日曜日は教会に行く。礼拝ですね。そして毎日聖書を読む。朝夕お祈りをする。食事の前にも必ずお祈りをする。週に1回は聖書の勉強会みたいなのに出席する。奉仕で教会の掃除をする。教会の運営に携わる。などでしょうか?また、結婚式の仲人も神式だったら引き受けないとか、身内の結婚式でも神式だったら式場の外で待っているとか、お葬式でお焼香はしないし、手を合わせたりの行為(人を拝む)はしないとか、お供えものは頂かないとか、初詣もしないし、七五三もしない。お祭りや地蔵盆も拒否っていう人も。

私のクリスチャン生活。礼拝に出席する。聖書は時たま。寝る前にお祈りする。食事の前のお祈りはおなかがすいているので出来ない(笑)。勉強会は気が向いたとき。奉仕はしない。教会の運営にも携わらない。結婚式は何でも出席する。お葬式も数珠持って拝むし、お焼香ももちろんする。お供え物は頂ける物はなんでも!初詣もするし、息子はきっちり三歳と五歳に七五三しましたよ。お祭り大好き!地蔵盆も息子と行きました。(これを読んで怒るクリスチャンの方もいらっしゃるかと・・・)

と、言うように一般にクリスチャンといっても千差万別。また、カソリックやプロテスタントとの違いもあります。彼はミサというのでしたら、カソリックでは?プロテスタントではミサとは言いません。

彼と彼の家族がバリバリのクリスチャンだったら、あなたと子どもさんも宗教行事に参加でしょうね。でもあくまで自由参加。私の夫も行ったり行かなかったりです。でも教会の人達は「ご主人も参加してもらおうね」とか言ってきます。心の中で「大きなお世話!」と言ってしまっている私がいます。(主よ お許しください)その辺を彼がどう思うか、彼の家族がどう思うかによって変わりますよね。

具体的に話が進んで行っているのですね。お幸せに。

私自身クリスチャンですが、クリスチャンの中にも色々あります。彼がどのぐらい生活の中に宗教を入れているか、によって違います。また、結婚となると彼のご家族とのお付き合いもあると思いますので、彼のご家族の信仰に対する姿勢も関係してきますね。「相手も絶対にクリスチャンじゃなきゃイヤ!」って方もいらっしゃいますし。

一般的なクリスチャンの生活です。日曜日は教会に行く。礼拝ですね。そして毎日聖書を読む。朝夕お祈りをする。食事の前にも必ずお祈りをする。週に1回は聖書の勉強会みたいなの...続きを読む

Qキリスト教で禁止されること

キリスト教の教えで禁止されていることを教えてください。
食事など、生活にかかわっていくことを知りたいと思っています。

Aベストアンサー

 こんにちは。プロテスタントは宗教の名前ではなく、カトリックに反発してできた宗教の総称ですので、様々な宗派があります。ですのでプロテスタント全てに当てはまるというのは難しいと思います。
 一応カトリックですが、生活にかかわって来る事で一番身近なのは「大斎(だいさい)小斎(しょうさい)」だと思います。対象となるのは14歳~60歳までで、病人や妊娠されている方は除きます。詳しくは↓に書いています。
http://www.pauline.or.jp/chripedia/mame_danjiki.php
 現在これは全てのカトリック信者が守っているかと言われるとかなり微妙です。例えば金曜日に肉を食べないといっても、給食とかお弁当を取っている人は無理ですし、なるべく守り、その基準は個人の采配にまかすといった感じだと思います。私も一応は守るようにはしています。
ちなみに灰の水曜日とは↓に説明されていますが、カトリックではこの日から四旬節に入ります。カトリック国のカーニバルはこの四旬節に入る前に楽しんでおこう!というお祭りです。これから40日間復活祭まで心を静かに節度をもって生活をします。石井美樹子さんの西洋の食事の本では、四旬節中肉食を禁止して節制するので復活祭では四旬節中食べられていた鰊をなげて喜んだそうです。現在はそこまで厳しくはないですが、暴飲暴食を謹んで節制すると思います。カトリック信者同士で「四旬節なのに太ったよ~」とか会話する事があります(私太りました(^_^;))。
 ちなみに灰の水曜日、復活祭は移動祝日なので毎年変わります。関係ないですが、復活祭では卵が復活のシンボルとしてよく食べられますし、多産のシンボルの兎もモチーフになります。
http://www.pauline.or.jp/chripedia/mame_hainosuiyou.php
http://www.pauline.or.jp/chripedia/mame_sijyunsetu.php
 食事に関してはあとは特にないと思いますが、ミサの中で聖体拝領という儀式があります。これはキリストの体をいただくという行為で、実際は丸く小さなモナカの皮のようなものを司祭からいただきます。食事は少なくともこの聖体拝領の1時間前までに済ませる事が決められています。ただミサが始まって聖体拝領までが1時間ぐらいかかりますので(もちろんマチマチで違いますが)、ミサが始まる直前に慌てて食事しなかったら大抵対丈夫です。これも昔はミサが終わってから朝食をとるとか、ミサ自体が始まる1時間前とか色々あったようですが、現在はゆるやかになっています。
 食事以外では中絶、同性愛、離婚、避妊も禁止されています。前の教皇ヨハネ・パウロ・2世も今の教皇ベネディクト16世も超保守派ですので、これは変わる事はないでしょう。特に中絶は様々な議論がされています。カトリック国であるアイルランドの歌手シニード・オコナーが中絶反対に反対するとして、テレビで前教皇の写真を破った為ものすごいブーイングがあった事があります(その為か以前ライブでものすごくブーイングされて歌えなかった映像を見た事があります)。
http://www.cdjournal.com/main/artist/artist.php?ano=112884
 プロテスタントにはない事ですが、カトリックには様々なお祈りの道具や絵や像があります(これをプロテスタントの方は偶像崇拝といいますが、カトリックではあくまでもこれを道具として祈ると位置付けています)。ロザリオやスカプラリオ、十字架、像、メダイなどがありますが、多くの信者は購入すると司祭(神父)に祝別してもらいます。感じとしては上で十字を切ってもらうのが多いです。これを人にプレゼントしたりするのは構いませんが、販売や転売するのは罪になります(準秘跡ですので)。
http://goseitai-to-seibo-no-sito.web.infoseek.co.jp/send%20de%20hushiginomedai.html
 他には主日(日曜日)と祝日にミサに行く、年に一度はゆるしの秘跡(いわゆる懺悔です)、年に一度は聖体拝領を受けるなどの決まりはあります。あとは大罪とかありますので、詳しくは↓をご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%BD%AA
 あとは特にないと思いますが(飲酒も喫煙も特に禁止されていません。喫煙される司祭もいらっしゃいます)、もっと詳しい方がいらっしゃると思います。プロテスタント諸派の事は分かりません。
 ご参考までにm(__)m。
 

 

 こんにちは。プロテスタントは宗教の名前ではなく、カトリックに反発してできた宗教の総称ですので、様々な宗派があります。ですのでプロテスタント全てに当てはまるというのは難しいと思います。
 一応カトリックですが、生活にかかわって来る事で一番身近なのは「大斎(だいさい)小斎(しょうさい)」だと思います。対象となるのは14歳~60歳までで、病人や妊娠されている方は除きます。詳しくは↓に書いています。
http://www.pauline.or.jp/chripedia/mame_danjiki.php
 現在これは全てのカトリッ...続きを読む

Qクリスチャンの彼。婚前交渉。

クリスチャンの彼について
私の彼はアメリカ人クリスチャンです。彼は私との結婚も視野に入れているくらい真剣に私と付き合ってくれています。彼の両親も、真剣に私を認めてくれているようです。
しかし最近無宗教の私にとって彼の宗教的な考え方に疑問を持つようになりました。
というより、正直今までの私の元彼との付き合い方や、互いの価値観の違いなど比べものにならない程違うので戸惑いを隠せません。
彼は29歳にして童貞を貫いています。彼女は私が初めてだそうです。しかし私はごく普通の日本人女性で、初体験は17歳に終えています。交際人数も今の彼が5人目です。
彼とは全く恋愛境遇が違います。彼にはまだ私が処女であることを言っていません。なぜなら成人した女性が処女でないことを驚くことはないと考えていたからです。
しかし、インターネットで調べていくにつれ、童貞のクリスチャンは処女としか結婚できない、というのを見て、もしかしたら彼は私のこと処女だと思っているから付き合っているのか、と不安になってきてしまいました。言おうと思えばいつでも言えますが、これを言うことでもう付き合えないということにならないかが不安で言うことができません。やはりクリスチャンは処女としか結婚できないのでしょうか?
また、婚前交渉について彼と話しました。私は婚前交渉の何がいけないのか、と彼に言いました。彼は、やはり婚前交渉をするつもりはないそうです。しかし私は、セックスは愛し合う2人の愛をさらに深めてくれるものだと思います。もちろん、道徳に反するような、快楽のためだけのセックスは私も反対です。そのようなセックスのことを悪く言うのはわかりますが、愛し合っているのになぜキリスト教においてセックスが許されないのか。無宗教の私にとってはこの考えが馬鹿馬鹿しくてたまりません。もちろん彼のことは大好きですし、理解したい気持ちでいっぱいです。でも私はまだ学生で、若いうちに若いセックス、と言っては語弊がありますが、できるうちに沢山愛を深めたいタイプです。結婚を待っていたら彼は年老います。本当に彼を愛しているなら我慢できるはずだ、という綺麗事は実際問題少なくとも私には通用しないのです。なぜなら性欲は人間の本能ですし、それ以上に大好きな彼とセックスという形で結ばれたいと思う気持ちが強いからです。

別れるという選択肢以外で、無宗教で無知な私に、この壁をどのように乗り越えられるかアドバイスを頂けますか?切実に悩んでいます。

クリスチャンの彼について
私の彼はアメリカ人クリスチャンです。彼は私との結婚も視野に入れているくらい真剣に私と付き合ってくれています。彼の両親も、真剣に私を認めてくれているようです。
しかし最近無宗教の私にとって彼の宗教的な考え方に疑問を持つようになりました。
というより、正直今までの私の元彼との付き合い方や、互いの価値観の違いなど比べものにならない程違うので戸惑いを隠せません。
彼は29歳にして童貞を貫いています。彼女は私が初めてだそうです。しかし私はごく普通の日本人女性で、...続きを読む

Aベストアンサー

どちらか一方がノンクリスチャンの夫婦なんて無数(と言ったら大袈裟ですが)に居ますよ。

聖書によれば、どちらか片方がキリスト信仰を持っている事によって連帯責任よろしく信仰を持ってい無い方の片方も救われます。

だから、あなたの彼はあなたの救いに対して大きな役割を持つ事に成ります。あなたが信仰を持とうが持つまいが。


ただ、例えばですが、家が火事で焼けており、直ぐにでも逃げ出さなければならないような普通に考えれば考えるまでもない明らかな方向性が見えていると一般の人が考えている事柄について「逃げずに祈る。祈れば火は消える」などと発想するような葛藤なんて言葉では形容できないほどの「差」を感じる機会はあるかもしれません。

そんな時、貴女は日本国内に於いて多数派になっている場合が多いかもしれません。
しかし、多数派は必ずしも智慧に基づいておらず、多数派の数の利を活かして少数派は足下で蹴散らしているだけの事柄も多くむしろ智慧に基づいているとは言いにくいケースも枚挙にいとまがありません。
しかし多数派というだけでそれが智慧であるかの様に思い込めてしまいます。


クリスチャンの多くは無抵抗主義ですから、そうなった場合あなたの彼氏はサンドバックです。
日本国内で過ごしているなら、日頃から少なからず周囲とのギャップには悩んでいる事も予想され、それら彼のストレスの小さな一つ一つを理解できていなければある日突然「何でこんな事でそんなに怒るのか分らない!プンプン!」と不毛な時間を過ごす事になりかねませんし、愚かな結果を招く事も考えられます。


彼との付き合いだけではありませんが、特に彼との付き合いに対しては思考停止で右に倣えの日本人らしさをコントロールしなければならないかもしれません。
今当たり前に思っている婚前交渉は誰しもが持っているものというあなたの世界観が既に彼の世界観とは違っている事が発覚しているのですから、それに関連する他の部分もそのうち明らかになってくると思います。



ただ、恐れる必要はあまりなく、心配する必要もあまりありません。
思考停止を止め、一つ一つ目の前の事柄を自分の目で見て、自分の耳で聞いて自分の頭で考えて、自分の心で感じて、自分の理性と信念とで判断する。
人間として当たり前の事を日々行っていれば良いだけです。
念の為に言っておきますが、きっとあなたは今現在はそれをしていないと私は考えているので、今以上にという意味です。


今までの回答者たちへの受け答え拝見しました。
誠実で良いと思います。
今のあなたなら私は応援できます(笑)
頑張って最高に幸せになって下さい♪(^^)

長文失礼。

どちらか一方がノンクリスチャンの夫婦なんて無数(と言ったら大袈裟ですが)に居ますよ。

聖書によれば、どちらか片方がキリスト信仰を持っている事によって連帯責任よろしく信仰を持ってい無い方の片方も救われます。

だから、あなたの彼はあなたの救いに対して大きな役割を持つ事に成ります。あなたが信仰を持とうが持つまいが。


ただ、例えばですが、家が火事で焼けており、直ぐにでも逃げ出さなければならないような普通に考えれば考えるまでもない明らかな方向性が見えていると一般の人が考えている事柄に...続きを読む

Q性欲は罪なのか教えてください。

特に男性は強い性欲で犯罪に走る人もいます。

強い性欲によりさまざまな弊害もあると思いますが
性欲は罪なのでしょうか。
それともそのような行為、犯罪をしてしまう男性が罪なのでしょうか。

犯罪者が男性では無く女性に生まれていたとしたら
性犯罪に走ってないかもしれないのなら
性欲が罪なのかそれとも犯罪をした男性が罪なのか教えてください。

Aベストアンサー

>性欲は罪なのか教えてください。

いえ、キリスト教とくにカトリックは性欲を大罪であるかのように捉える教父たちを多く排出しましたが、聖典に入っていない書物を読むと、性欲=罪という概念は持っていなかったようです。



聖書の中に神が人間と何度か契約していると書かれています。
その契約とは何か? 神の祝福とはなにか。
読めば神が契約した祝福とは子沢山・子孫繁栄のことだとわかります。
毎回神が祝福したというところに、子孫繁栄を約束したという内容が書かれている。

性欲が無ければ子孫は増えず、増えなければ「お前の子孫を天の星のように増やしてやる」といった神の約束は果たされません。

聖典には入っていませんが、アポクリファとされた書物には、アダムの最初の妻リリスと書かれています。
アダムは一方的な性交に及んだため、リリスは怒って彼の元から去ったとなっています。
一方的で双方の意思に基づかない性交とは強姦のことではないかと想像できます。
天使たちはリリスをなだめてアダムの元に帰るように説得しましたが、リリスは拒絶。
リリスは半数の天使たちを率い、この強姦されろ もとい アダムのやりたいようにさせろという天使たちと激突。
アダム側についた天使たちによって、リリスは邪悪な者と聖書にも別の名前で悪者として登場しています。

逆に理想的な女性のお手本とされたのがマリア。
ただ泣くだけの女 無抵抗の女の象徴。
実に強姦願望の男性にとって泣き寝入りしてくれる都合のいい女に仕立て上げられ伝えられていますが、実はやはり聖典には入っていませんが、マリアに関して別な話があります。

マリアの両親の間に子どもがいなかったことで、彼らは神から呪われたものとされました。
神の祝福が子沢山なので、当時は子どもがいないのは神から呪われているというのが常識だったようです。

40日間荒れ野で修行をしてマリアの父となるヨアキムは頑張ったようで、(物語には書かれていませんが、修行というより夫婦で儀式に参加して無事合体したのではないかと)子どもができました。

マリアの母は子どもができたら神に捧げると約束していたので、3歳の頃、マリアは神殿に捧げられ、紡ぎ手となりました。
この紡ぎ手というものが意味深なのです。(子沢山の比喩のような気がします。実際マリアは子沢山だったようです)

彼女は結婚するに当たり、儀式が執り行われました。
ヨセフの杖だけが反応したのでヨセフを選んだとなっています。
杖、つまり男のナニがマリアを見て反応したわけです。
早い話が繁殖能力が旺盛なヨセフをマリアは自らの意思で選んだというわけです。

ご覧のように決して性欲が汚らわしいのもではなく、神聖なものとして語られていますよね。

しかしキリスト教の伝えるマリアはレイプされても泣き寝入りしてくれる都合のいい女であるかのような弱い女です。
自分の意志で生殖相手を決めたなどかかれていない。

ナグ・ハマディーに出てくるマグダラのマリアは、イエスに第一の弟子とされたようで、それによってペトロに憎悪され、マリアはその嫉妬心におびえていたようです。

イエス物語を読むと男女とも均衡を保っていたようですが、イエスの死後は女性は低められてしまい、後のキリスト教になってはもう汚らわしい生き物とされたようです。

その刷り込み教育の弊害としてレイプ魔を捕まえて聞くと「だって女はそういうものだと教えられたから」という答えが返ってくるまでになった。

要するに教育によっても、強姦は発動しやすくなるようです。


では刷り込みではなく、人間の本能においてはどうか?
人間も動物です。他の動物はどうか?
実はイルカは集団レイプするそうです。
http://spiritualyoga.seesaa.net/article/9434576.html

不思議なことに人間にしてもイルカにしても男(オス)が女(メス)を襲っており、その逆は聞いたことがありません。
ということは、どういうことなのか?
鍵はY染色体ではないかと思います。


性欲は罪ではない。
が、不幸を招くレイプは罪です。
両者の同意無し、欲望なしに行われる性交が悲劇なのです。

>性欲は罪なのか教えてください。

いえ、キリスト教とくにカトリックは性欲を大罪であるかのように捉える教父たちを多く排出しましたが、聖典に入っていない書物を読むと、性欲=罪という概念は持っていなかったようです。



聖書の中に神が人間と何度か契約していると書かれています。
その契約とは何か? 神の祝福とはなにか。
読めば神が契約した祝福とは子沢山・子孫繁栄のことだとわかります。
毎回神が祝福したというところに、子孫繁栄を約束したという内容が書かれている。

性欲が無ければ...続きを読む

Qプロテスタント教会での出来事

教会に恐怖を感じていくのをやめました。
洗礼は受けていませんが、一日5時間聖書を読めとか、一度でも礼拝を休むと
必ず、しつこく詮索してくる人がいます。今まで大勢の人が教会を去って行きました。
教会はどんな人でも受け入れるのが神様の愛なのではないのでしょうか?
普段はいい人なのですが、聖書を少しでも理解できない人や、期待した言葉をださないと
感情をむき出して、その人たちを排除して、オウムや創価のような恐怖や洗脳を思い出すがあります。1度、警察沙汰になったとき「私は悪くないのこの人は悪魔なの」と
警官のまえで悪あがきをして、このことが教会をやめる決定打になりました。
宗教って、生きることに疲れた人が心のよりどころと平安を与えるところ、
単純な理由で弱者や異質を攻撃するのなんて、残念です。
多くの教会が社交場化しているのでは、駅から歩いて3分もないのにわざわざベンツやBMWで乗り付けて路上に止めることもないのでは。

Aベストアンサー

カトリック信者で、ここの所原則毎週カトリックの教会に通っています。
少なくても私の周りでは、カトリック信者である前に、皆さん「良き市民」であり、特に偏屈な人、変に狂信的な人は見受けられません。逆に言えば、特別素晴らしい、徳の高い人にもそうそうはお目にかかれません。早い話が、一般の世の中と同じだということです。

この「良き市民」とは、キリスト教的に言えば「善きサマリア人」と言い換えてもよいと思います。
サマリア人は、聖書の時代、ユダヤ人から見てひどく差別されていたようです。
しかし、イエスの説法の中にある有名な「善きサマリア人のたとえ」(新約聖書・ルカによる福音書第10章第26~37節)にある通り、道で行き倒れになった人を救助し看病したのは、ユダヤ教の祭司などではなく、ふだんは卑しめられ差別されていた一人のサマリア人だったという話です。その人は、まるで自分のことのようにその行き倒れた人のことを心配し、先を急いでいたのに立ち止まって救助したのです。この「他人の痛みや苦しみを自分のことのように心配して、救いの手を差し伸べる精神」つまり「隣人愛」こそ、イエス・キリストが最も重んじるべき価値観として奨励したものであることは、質問者様もよくご存じの通りだと思います。

更に質問者様もよくご存じの通りかと思いますが、キリスト教の神は、本来、「裁く神」ではなく、人の過ちを「7の70倍」まで許す神です。(新約聖書・マタイによる福音書第18章第21~22節ご参照)
又、律法ばかりを重んじ、血の通わない、隣人愛の伴わない正義(?)をふりかざすパリサイ人たちに対するイエスの批判は当を得たものだったと思います。
更にもうひとつ、マタイによる福音書第6章第5~8節にもあるように、祈る時は隠れて祈れ、これ見よがしに人に「祈ってるぞ」と見せびらかすこともない、とあるように、虚栄心を戒めていますね。

こうしたイエスの教えにもかかわらず、教会といえども、世間のドロドロした人間関係や虚栄心、邪心から逃れることは出来ず、最初に書いた通り、やはり「弱い人間」の集合体なのだと思います。
だからこそ、逆説的ではありますが、そんな弱い人間から脱却して、少しでも心掛けのよい人間になるために、キリスト教をはじめとした宗教や、教会などのコミュニティの存在意義があるのではないでしょうか?

あなたの通っておられる教会は、どうも不幸な現状に晒されているようですが、それが、キリスト教ひいては宗教のすべてとは思わないでください。しかし、「すべて」ではないにしても、一つの姿ではあるという現実とも、同時に向き合って下さい。

その上で、あなたの身の処し方については、あなたの自由意思で考えて頂いてよいと思いますが、
1.今の教会で「改革」を目指すにしても、
2.他の教会(含・教派・宗派の変更)で再起を目指すにしても、
出来れば、キリスト教にもう少し付き合い、色んな現場から、学んでいって頂ければ幸いです。
(因みに、プロテスタント諸教派は、聖書に最も価値をおきますが、カトリックは、必ずしもそうではなく、教義にも柔軟な所が見受けられるようです。)

勿論、キリスト教にこだわらないのも、一案です。
最後に白状しますが、私自身、仏教や神道などにも深い親近感を持っており、特定の宗教というよりも普通名詞の「宗教」や「神」と向き合いたいという意識を強くもっています。

カトリック信者で、ここの所原則毎週カトリックの教会に通っています。
少なくても私の周りでは、カトリック信者である前に、皆さん「良き市民」であり、特に偏屈な人、変に狂信的な人は見受けられません。逆に言えば、特別素晴らしい、徳の高い人にもそうそうはお目にかかれません。早い話が、一般の世の中と同じだということです。

この「良き市民」とは、キリスト教的に言えば「善きサマリア人」と言い換えてもよいと思います。
サマリア人は、聖書の時代、ユダヤ人から見てひどく差別されていたようです。
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Qクリスチャンと恋愛・セックスについて

私は30代♀精神疾患ありの数年前に改宗し、洗礼したクリスチャンの者です。私には45歳になる同じ精神疾患ある、デイサービスの仲間の男性と、お付き合いしてます。ノンクリスチャンですが、少しご友人の勧めで別の教会に通っていた時期もあるそうで聖書も持ってます。今は通ってなく日曜日は、もっぱら友人らと普通に交遊してます。 私は付き合い始めは、今まで付き合い出した男性とは身体の関係あり次こそ止めよう!!と誓うなか欲求や雰囲気に負けていて、神様との関係のあり方から外れ罪を重ねてました。今回も最初は、彼に私がクリスチャンで結婚前までしたくないことを伝えました。彼も、その時は分かったと言ってくれましたが、キスやディープタッチのみにしてました。挿入をだけは、避けていたのですが、しかし彼も我慢しきれず、私もココロが揺れて遂に今回も、信仰の薄さ故に負けて身体の関係を持ってしまいました。私は正直sexは好きな方だと思います。それか普通か。でもクリスチャンとしては、異端者なのは判ってます。聖書の教えや、先輩の方は簡単にsex間違いという事も知りつつ、いつも男性と付き合うとクリスチャンと、sexの壁に当たり悩みます。結婚前のsexがダメなら私は一生、付き合う事を諦めて神様や弱い人を愛しボランティア的な生き方を決意しなければ負い目と苦しみの繰り返しの人生になるのではと思いもします。彼がいくら避妊してくれても、婚前前交渉には変わりないし、子供できる可能性もありますよね!?彼は、今は結婚は考えてないです。私は彼を選んだことから間違えたのでしょうか?最初からクリスチャン同士で付き合えばsexなどの障害は乗り越えて神様の前に忠実に、祝福され平和な付き合いができるのでしょうか?どうすれば、クリスチャンとしての苦しくない恋愛ができるのでしょうか?それとも私のような者は、ハナからクリスチャンにならなかった方が良かったのですか?私は施設に入居中で、彼は、生活保護で一人暮らしですが、医師から仕事は無理とのことです。結婚しても経済力は求めらられません。辛いです。先輩クリスチャン特に改宗してから、お付き合いされてる方やクリスチャンの性の悩みの経験のある方、この様な罪深く思慮の浅い、愚かな者ですが真剣に悩んでますので、長文と、まとまらない文脈ですが御教示の程お願い申し上げます。辛いです。

私は30代♀精神疾患ありの数年前に改宗し、洗礼したクリスチャンの者です。私には45歳になる同じ精神疾患ある、デイサービスの仲間の男性と、お付き合いしてます。ノンクリスチャンですが、少しご友人の勧めで別の教会に通っていた時期もあるそうで聖書も持ってます。今は通ってなく日曜日は、もっぱら友人らと普通に交遊してます。 私は付き合い始めは、今まで付き合い出した男性とは身体の関係あり次こそ止めよう!!と誓うなか欲求や雰囲気に負けていて、神様との関係のあり方から外れ罪を重ねてました。今回も最...続きを読む

Aベストアンサー

イエスも馬小屋で生まれました。
まずしくとも子育てはできると思いますが、クリスチャンとしてどうすべきなのでしょうか。
キリスト教では、堕胎も避妊も本来はタブーだと思います。
籍をいれるかどうかはともかく、彼と二人で神様に誓うことができるでしょうか。
できるのなら、そこに罪はないと思います。彼に誠意があるかないかということも、実は関係ないと思います。
イエスはユダもマリアも受け入れるわけです。
心穏やかにすごしたいなら、人を信じても頼りにはしないことです。
万が一子どもができて、彼が「一緒には育てられない」などと言いだしても、許すことです。
彼の悪意のなさを信じ、罪を許し、彼の罪を代わりに背負えば良いのです。
キリスト教徒なら、生まれによるわけ隔てなく子どもも受け入れるはずです。

実は、私は、以前教会で、尋ねたことがあります。
「結婚して母になる人と、聖職者になる人はどうやって決まるのですか??」
そして、今の私には明確な答えがあります。
行為の中に、彼しか見えていないなら、質問者様はますます辛い地獄に追いやられることと思います。
その一方で、母になるということは、我慢するということだけではなく、力を与えられることだと思います。
そして、質問者様は、授かろうとしているわけです。
今はまだ、彼のことしか見えないかもしれませんが、全ては、質問者様がこれから神様から授かるものにつながっていることと思います。それが、母になる喜びであるか、禁欲の果てに神に仕える喜びであるか、
まだ分からなくて当然だと思います。
質問者様の心の中にしか、答えはありません。

彼に何とかしてもらおうと思っている。その一点のみ。彼に罪を償ってもらおうと思っている。
大げさに言うと、彼の罪を許せずにいる。
その一点のみが、質問者様を苦しめているように思えます。

イエスも馬小屋で生まれました。
まずしくとも子育てはできると思いますが、クリスチャンとしてどうすべきなのでしょうか。
キリスト教では、堕胎も避妊も本来はタブーだと思います。
籍をいれるかどうかはともかく、彼と二人で神様に誓うことができるでしょうか。
できるのなら、そこに罪はないと思います。彼に誠意があるかないかということも、実は関係ないと思います。
イエスはユダもマリアも受け入れるわけです。
心穏やかにすごしたいなら、人を信じても頼りにはしないことです。
万が一子どもができて、彼...続きを読む

Qキリスト教の食事の前の祈り

キリスト教の食事の前の祈り…(十字架を書いて)なんですが、どういう意味を込めてなんでしょうか?
同時に祈りの文章を一緒に戴けたら幸いです☆

Aベストアンサー

カトリック信者です。

十字の意味は、イエスが十字架に貼り付けられ処刑されたのはクリスチャンでなくとも大抵の人が知っていますね。
よって、信者はイエスと同様に自分も十字架を背負って生きていく覚悟で洗礼を受けるのです。
ですから十字架を誇りに思っております。
また「十字を書く」ではなく「十字を切る」と言います。

●十字の切り方
まず自分の心を沈め、神を賛美し神への感謝を込める気持ちに満ちて、
(1)まず、ほぼ額の中央位置で右手中指で軽く触れ「父と」と言葉に出し、
(2)その手中指を胸の辺りに移動して止め「子と」と言葉に出し、(3)次にその手中指を左腕の付け根辺りに移動させて止め、「聖霊のみ名に」と言いながら
(4)右手中指を右腕付け根あたりにて止めた時には「よって」と言い、
(5)最後に両手を合わせ「アーメン」と言います。

続けて言いますと、
「父と、子と、聖霊のみ名によって、アーメン。」
また、声に出さなくてもよいのですが出せばベストですね。

「父と子と聖霊」は三位一体といって
神様=「父と子と聖霊」
ということを意味します。

●私の場合の食事のお祈り
(1)食事を頂くとき
両手を合わせた状態(いわゆる合掌)を保ち、
「父よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事をいただきます。
ここに用意された物(食物)を祝福し、私達の心と身体を支える糧としてください。」
ここで十字をきりながら、
「父と、子と、聖霊のみ名によって、アーメン。」

(2)食事を終えるとき
両手を合わせた状態(いわゆる合掌)を保ち、
「父よ、感謝のうちにこの食事を終わります。
あなたの慈しみを忘れず、全ての人の幸せを祈りながら。」
ここで十字をきりながら、
「父と、子と、聖霊のみ名によって、アーメン。」
私の場合ここで再び両手を合わせ「ご馳走さまでした。」と言います。

以上参考になりましたでしょうか

カトリック信者です。

十字の意味は、イエスが十字架に貼り付けられ処刑されたのはクリスチャンでなくとも大抵の人が知っていますね。
よって、信者はイエスと同様に自分も十字架を背負って生きていく覚悟で洗礼を受けるのです。
ですから十字架を誇りに思っております。
また「十字を書く」ではなく「十字を切る」と言います。

●十字の切り方
まず自分の心を沈め、神を賛美し神への感謝を込める気持ちに満ちて、
(1)まず、ほぼ額の中央位置で右手中指で軽く触れ「父と」と言葉に出し、
(2)その手...続きを読む


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