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死刑制度について、あなたはどう思われますか?
現状のままでよいのでしょうか?
人一人殺しても死刑にはなりません。
だったら、なぜに終身刑がないのでしょうか。

暗いニュースが駆け巡ります。私は個人的には見ません。見ても、自分のこの手ではどうすることも出来ないですし、闇ばかり見ていては光は決して見えてこない、そう信じているからです。それでもなお、目から耳から入ってくる社会です。

この現状はどうでしょう。幼いお子さんが何の罪もないのに命を奪われていきます。磯谷利恵さんはどうでしょう。たったの5万円のためにネットで知り合ったという訳の分からない男どもに命を奪われました。

悔しくてならないのです。
宮部みゆき著「クロスファイア」の主人公青木淳子のように念力で人を焼き殺す能力があったら、私はきっと使うでしょう。

人権派、とか言われる弁護士や集団がいます。それはそれでよいでしょう。が、擁護を受けたある男が、釈放後さらに幼い女の子を暴行し、殺したではないですか。いったい誰が責任を取るのでしょう。

冤罪の恐れがあるとか、法の成り立ちとか解釈とか、そんな回答ならご遠慮ください。署名のすすめもご遠慮ください。しました。
一個人、一日本人、一人間としての、あなたの意見が聞きたい。

何度か書き込もうとして、諦めてきた題材です。重すぎますしね。
それでもあえて、皆さんの生の声が聞きたいです。

A 回答 (21件中1~10件)

>宮部みゆき著「クロスファイア」の主人公青木淳子のように念力で~



私も同じような考えで、デスノートがあれば使うかも・・と思ってます。マスコミに踊らされているのかもしれませんが、あまりに残虐、理不尽に殺される事件をここ数年、よく目にしますので。

ごく普通に考えて、大多数の人が「こりゃひどい事件だ」と思えるような事件に関しては、遺族による「復讐刑」があれば良いのに、とさえ思います。亡くなった人は戻ってきませんが、それでも犯人がのうのうと生きているよりはマシかと・・・。山口県光市の母子殺害事件の時など、本当に思いました。
あるいはNo.6さんのご回答の中にあったように、そのような輩には人体実験もいいかと思います。

そういえば、先日テレビで刑務所の様子が映されていましたが、住むだけであればなかなか快適な生活ができそうでした。凶悪犯罪者もここで過ごしているのかなあと思うと、ちょっと疑問を感じてしまいました・・
感情的な人間なので、極端な考えに偏ってしまいました。。が、これが私の生の声です。

この回答への補足

皆様、多数のご回答ありがとうございました。
ひどい質問に真摯にお答えいただき、感謝いたします。

norinori79さん、補足欄にこれを書くことをお許しくださいね。

これにて閉じます。
ありがとうございました。またどこかでお会いしましょう。
次はもっと軽い話題で!

補足日時:2008/10/02 15:38
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この回答へのお礼

norinori79さん、こんにちは。
生の声、ありがとうございます。

>ごく普通に考えて、大多数の人が「こりゃひどい事件だ」と思えるような事件に関しては、遺族による「復讐刑」があれば良いのに、とさえ思います。亡くなった人は戻ってきませんが、それでも犯人がのうのうと生きているよりはマシかと・・・。山口県光市の母子殺害事件の時など、本当に思いました。

norinori79さんのようなご意見が、ごくごく当たり前な、切れば血の出る人間としての自分には、最も分かりやすいです。

だが、それは違うよと、絶対言われるのは間違いないですね。
お互い自爆しましょうか。

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/02 15:27

法律のことは詳しくないんで適当に書きますが、


刑法上は199条で「殺人」は死刑、若しくは懲役となっているわけで、
>人一人殺しても死刑にはなりません。
これはあくまで判決が、であり、制度というか法律の上では何も問題は無いと思います。
問題があるとしたら裁判の方であり(永山基準、だっけ?)、「若しくは懲役」の方向に、
つまりは「なんでコイツに情状酌量するんだよ」みたいなことがあるからでしょう。
おもしろ半分で人を殺しておきながら、それでも殺したのは一人だけだから、という理由で、
死刑ではなく無期懲役だ、となったならば、やはりそれはどう考えてもおかしいのですが、
それでもおかしいのはその判決を下した裁判官たちであり、制度ではないはずです。

でも一応「裁判員制度」は我々下賤な者の意見も取り入れてやるよという、
お偉い方達の配慮ということになっているのでしたっけかねえ。

ただ、ネットの発達により報道される事件の数は以前より多くなりましたが、
耳目を騒がせた事件の「その後」について、実は私たちはよく知らない。
ご質問の事件も、毎日の生活に流されて忘れかけた頃に、ひっそりと死刑判決は出ているかもしれない。
そこらへんはもう少し、憤る前に、きちんと検証しなければならないでしょう。
死刑判決に限って言えば、最近はむしろ増加傾向にある。
殺したのは一人だけだから、というのも通用しなくなりつつあるようです。
誤った「加害者の人権」理論が、いい加減破綻してきたようでなによりです。
もちろんこれは、被害者及びそのご家族の、苦難の末に実現されたことだと思います。

最後に、死刑反対と言いつつ、刑務所の運営すら民間に任せて、
利権をかすめ取ろうなんて考えている輩もおるようですから、
死刑に関する話題は常にアンテナを張っておいた方がよいですね。
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この回答へのお礼

salvationarmyさん、こんにちは。
ご回答ありがとうございます。

>誤った「加害者の人権」理論が、いい加減破綻してきたようでなによりです。
もちろんこれは、被害者及びそのご家族の、苦難の末に実現されたことだと思います。

そうですね。今は遺族が被害者の遺影を抱いて傍聴することも出来るようになったのでしょうか。
その遺影を、罵倒した裁判長が以前居たそうですが、人が人を裁くことに、やはり無理があることは否めません。

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/02 15:19

私としては、犯罪や裁判と言ったものが、テレビの中の出来事なので、


正直、実感できなくて、よくわかりません。

よくわからないので、今のままでもいいと思うし、
ご質問にあるような話を聞くと変える必要があるのかとも思うし、
ご回答にあるような話を聞くとやっぱり変えなくてもいいのかとも思う。

そう言うわけで、さして重い内容のご質問だとも思いません。
あまり遠慮せずに、このような場で意見を求めてもいいと思うのです。
実際に変える事が目的の場ではありませんが、
人々がどのように思うのかをお知りになって、
自分がよく納得できるようにしていただきたいと思います。

はたして、私が犯罪や裁判に関わる事があったなら、
その時は、誰かれと同じように思うのかも知れません。
でも、思うだけで終わるのだと思います。

けれども、少しくらいは、似たような事を考えた事もあります。
私の現在の結論は「どんな犯罪も死刑」と言う極端なものですが、
私が犯罪者でもないし裁判に関わる人間でもないからそうなのかも知れません。

事件の真相が誰にでも明らかなのなら、今よりも、
もっと適切だと誰もが納得できるような刑罰が決められるのかも知れません。
どのような状況で事件が発生したのか、
本当に犯人なのか、色々と定かでない状況もあったりで、
もしかしたら、犯人や被害者でさえもその状況がわからないのに、
事件に直接関係していない人たちの手続きによって、
事件が完結させされているのです。
私がその任に就いていないために、およそ無関心であるのも、
納得していただけるかと思います。

何のための死刑なのか、何のための終身刑なのか、
そう言った事を話すと、たぶん、終わらない話だと思います。
だから、誰もが納得できない、あるいは、
ある人には納得できる法律などで落ち着いているのかも知れません。

私が子供の頃に出した「どんな犯罪も死刑」と言う結論は、
「犯罪」をどう見るかでかわってくるようなものではなく、
とにかく、何かよくない事をしたら死刑、なのです。
「これは犯罪じゃないからセーフ」と言う事ではありません。
私には、犯罪を吟味して適切な刑罰を与える事ができないな、と思うと、
最終的には「死刑でよかろう」と言う結論です。
他に適切な刑罰があるのなら、もちろんそれでかまわないのですが、
それが誰しもが納得できるようなものに決まらないなら、
死刑でもかまわないと思うのです。
この死刑が意味するものなど何もありません。
ただ、適切な刑罰がなければ、みんな死刑と言う均一性。
この話は、今はどうでもいい事なので置いておきましょう。

適切かどうかを判断するに当たって、
事件を調査していくと、色々な事がわかってくるでしょう。

「人を死なせたら死刑」と言う基準を作ったとしましょう。
どのような状況で死なせたかによって、
死刑にはならない、と言う条件があってはいけません。
・AさんがBさんを死なせたので、Aさんが死刑。
・AさんがBさんを死なせようとしたが、Bさんの抵抗により、
 Bさんは逆にAさんを死なせてしまったので、Bさんが死刑。
・AさんがBさんを死なせようとしたが、Bさんの抵抗により、
 Bさんは逆にAさんを死なせかけてしまったが、
 さらにAさんの抵抗により、AさんがBさんを死なせてしまったので、
 Aさんが死刑。

このようなとんち問答のような話をしていたら、
「人一人殺しても死刑にはなりません」と言う話に対して、
「それはそうだ」と誰もが思うと思うのです。

死刑執行人は死刑囚を死なせるので、これも死刑。
でも、それはどうかな、と思うと、
死刑囚はいずれ死刑されるので、
次の死刑囚に死刑執行人をさせればよいのではないか、
と言う、いかにもな問答もはじまる。
待てよ、それもどうかな、と思うと、
死刑囚に自害してもらうのがよいのではないか、
と言う、案もある。
もう、全部、機械任せにしたらどうだろうか。
では、機械を作った人はどうするか。

死刑の判決を下した裁判官も、暗殺者に暗殺させる黒幕も、
あまり変わらないような気もするので、
どちらも死刑か、どちらも死刑ではないのか。
殺人マシンを作ってばらまいている人は、
当然死刑なのか、直接人を死なせていないので死刑ではないのか。

AさんはBさんを死なせるつもりがあったかどうか、
Aさんが「はい、ありました」と言えば、それで死刑。
BさんはAさんを死なせるつもりがあったかどうか、
Bさんが「はい、ありました」と言えば、それで死刑。
本当は、その時に、どのような心情であったかは、
誰にもわからないけど、
後で「死なせるつもりはありませんでした」と言えば、
それで死刑ではなくなる。
そんな簡単な事ではありません。
でも仮に、そんな簡単な事だとしても、
それが真実かどうかは誰にも明らかでない。
なぜでもどうしてでも、本当の事がわからなくても、
謎のままでも、事件は片付けられていくのです。
※わかりやすいかと思って、簡単な言葉で事件にしていますが、
 あくまでサンプルですので、そのようにご理解してください。

私が出した結論には続きがあります。
「でなければ、みな無罪放免」
これもまた極端な話ですが、それでよかろうと思うのです。
何をしても罪を免れるのです。
こう言う事は、2つに1つでないと、話が終わらないのです。
私が安易に、話を終わらせるためだけに、
2つに1つと思うのかも知れません。
私には出せない答えを、いつまでも考えてはいられないのです。

たぶん、世界的に見ても、それでいいのだと思います。
でも、それでは、納得できない人がとても多いのだと思います。
そうすると、その間を取るしかありません。
その間、と言うのは、
例えば、死刑を100、無罪放免を0とした場合、
0から100までのいく通りもの判決があるわけです。
無罪放免とはならないけど、
少し刑罰を与えようと言うのを1としても、
0と1の間に、0.1、0.01と言った、無限な刑罰があるのです。
この有限の中の無限のいったいどの刑罰を与えるのか、
誰にも、適切に判断を下す事はできないのだと思うのです。
例え、事件の真相真実がわかっていたとしてもです。

もしかすると、
「不適切であっても刑罰を与える事で済ましておこう」
これが、現在の法律なのかも知れません。
それならそれで、その任に就いている人に、すべて任せておこう、
と言うのが、私の思いなのかも知れません。

それに、日々、法律は書きかえられていると思うので、
だんだんと、誰かには納得できるような方向へとなるのだと思います。

あまりにも、私の日常ではないので、
このような回答になってしまいましたが、
「許さないのなら死刑、許すなら無罪、間はない」と言うのが、
私のまとめです。

私が、思っている事を全部書いたわけではありませんので、
何かのおりには、どこかで何かを書く事があるかも知れません。
その時には、考え方も違っているかも知れません。
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この回答へのお礼

dell_OKさん、こんにちは。
ご回答ありがとうございます。

>それに、日々、法律は書きかえられていると思うので、
だんだんと、誰かには納得できるような方向へとなるのだと思います。

確かに、一つの判決が社会の流れと、一部の法を変えていくこともあるのでしょうね。

>「許さないのなら死刑、許すなら無罪、間はない」と言うのが、
私のまとめです。

赦すことで、人間は救われる。相手の罪を手放すことで、真実の安息がある。
それもまた一つの真実なのだろうなあ、と思います。

dell_OKさん、貴重なご意見ありがとうございました。
恒例のポイントコールは、次回に倍付けでお許しください。

お礼日時:2008/10/02 15:08

30代前半の男です。

m(_ _)m
人の罪に対する罰の考え方に関して…いま私も
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4365130.html
で同じような質問をさせていただいておりまして共感を覚えましたので回答させていただきます。
>この現状はどうでしょう。幼いお子さんが何の罪もないのに命を奪われていきます。磯谷利恵さんはどうでしょう。たったの5万円のためにネットで知り合ったという訳の分からない男どもに命を奪われました。
そうですね。確かに命を軽視し、命を奪った事に対する責任を微塵にも感じていない人は個人としては非常に許せません。
同じ男として怒りも感じます。心情的には死刑は当然!というのが私の思いです。
ただ、今の日本の死刑制度では死刑の執行は「法務大臣」の命令が必要なのだそうです。
そこで考えてみました…
「○○(死刑が確定している罪人)を明日死刑にしなさい!」と命令するの役割がもし私にあるとして…その命令の重さに私は耐えられるだろうか…
という事です。

私はこの世にコイツは必要ない!と断言しきれる自信がありません。
「死刑=罪に対する罰」ですが、だからと言って「死刑執行」を通達する事はできそうにありません。

現在の日本の死刑制度の問題点はまさにそこにあるような気がします。
だからといってそれに対する解決策は見出せません…。

勿論、死刑反対と言っているつもりはありません。
しかし、死刑執行の権限を一人の人間の権限で執行されるのは問題だとは思います。

答えになっていないような気がしますが…以上が私の回答です。
質問内容に添わない場合は無視してください。
すいません。。。
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この回答へのお礼

Tom-3さん、こんにちは。
ご回答ありがとうございます。

gooの質問も読ませていただきました。
そうそう、虚勢のニュース、ありましたよね。
手法として、それぐらいは自分でも考えても良さそうなのに、聞くとびっくりしますし、本当にそれをやって良いのだろうか、と考え込んでしまいます。

>死刑執行の権限を一人の人間の権限で執行されるのは問題だとは思います。

これがきっと、鳩山さんの、自動的にというか…という例の批判を浴びた発言に繋がったのだろうか、とも思います。

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/02 14:51

サトタンです^^。


驚きました。私のような意見と同じ方などいるものかと、腹をくくっていましたが同じ方が現れました!ビックリと同時にうれしいですので・・・さらに私も続きをお話しようと思いました^^。
NO.17のAma430さまと同意見です!


さて、たとえば死刑の方にそれ以上の苦しみを与える必要などありませんし、それは倫理的にもどうなのか?と疑問がつきます。よって私は反対です。
確かに殺された側の残された遺族のお気持ちを察すれば、いたたまれないものがあります。死刑囚に極度の憎しみや怨念があるかもしれません。気持ちはわからないでもありません。しかし・・・なんです。

これは深い考え方で意見が分かれるかも知れませんが・・・本来、私たちは同じ不完全の罪人ですので、人が人を裁く事すら実は矛盾しているのです。しかし、それではどうにもならないので、人間が人間を裁くようにしています。命には命ですが、やはり命であり・・尊いものなのです!ですから死刑人をものすごく苦しめたりする権利を、我々人間は誰一人として持ち合わせてはいないのです。

せめて死刑囚には、「死」でいいと思います。no、17さまも仰られてますが・・・・・えぐい刑を用意したからといって抑制できるのは長期的なスパンで考えた時、やはり一時的な効果しかないのです。

ですから先ほど私が述べました、もっと深いところにある人間としての教育・・・・・という「根本」に着眼点をもっていけたら・・・と思うのです。しかし先ほど述べましたが、現実はそこを軽視・・・あるいは無視さえしています。r-utsugi様、何度もすみませんでした。
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この回答へのお礼

いえ、こちらこそ何度もありがとうございます。

人間としての教育で現実が変わっていくことを、私も願っています。が、satotan111さんも薄々感じているでしょうが、現状では無理なのかなあ、などと思ったりもします。

目が更に厳しくなってきました。

satotan111さん、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/02 14:39

このようなご意見が決して少数派でないということは承知しているつもりです。



しかし、つきつめると、「恐ろしい罰があれば犯罪がなくなる」という論理に帰着するのだと思います。
そうでないなら、「刑罰は、犯罪抑止としてよりも、被害者の怨念を晴らすことを優先するべき」というご意見でしょうか。

恐ろしい罰で犯罪を抑止することは、長期的にはあまり効果がありません。
むしろ、犯罪を予防するために、教育・福祉・医療を充実させるべきで、日本の構造改革路線はこれに逆行しています。

犯罪抑止より被害者の復讐に当てるべき、という意見には「人間の心理は単純ではないが、それでも、『罪を憎んで人を憎まず』という精神が社会全体を幸福にするし、社会全体が幸福になる中でしか、個人個人の本当の幸福はない」という考えを持っています。

したがって、死刑制度反対・絶対的終身刑もごく限定的なものにしてほしいというスタンスです。
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この回答へのお礼

Ama430さん、こんばんは。

時間がないので、今日はAma430さんだけにお礼をします。
晩酌をしながら書き込むような失礼は出来ませんので、他のご回答者の皆様お許しください。

刑を重くすれば罪が減る、それは画餅だと、私も思います。
人はまるで何かに誘導されるに、時として罪を犯し、社会的制裁を受けます。これを魔が差したなどと言いますが、これは多分避けられないことだと思います。罰則の軽重ではないはずです。

翻って、あらゆる人の死は、生まれたときから決まっている。それは私の確信です。
生まれ落ちる前から人生のシナリオは決まっている、そう思うのです。

若くして、あるいは、幼くして亡くなる人、それは決して非業の死ではなく、何か、自分とか社会とか、あるいは身内とか、その人たちに与える「ヒントや試練」だと思っています。
だから、人の死は変えられない。寿命を延ばすことは出来ない。
言葉を換えれば、全て天寿だと思えるのです。

Ama430さん、私は恐ろしいことに、一部の「人」ではない生き物への報復に重きを置いています。

私は今、肉体をまとって生きています。論理も何もないのです。
上記の理屈を自分でも納得していながらどうしようもない。悲しいニュースは、私を瞬間的にその被害者の肉親にしてしまいます。感受性の問題だと思うのですが。
だから、チャンネルはすぐに切り替えます。私の手では如何ともしがたいからです。心も体も痛くなるのです。
その生身の人間としての、愚かな質問(叫び)だとお許しください。

平和の集会には出席するが、反戦の集まりには出ない。
マザー・テレサがこのようなことを言っていました。
闇ばかり見ていては光は決して見えてこない。私の質問にも書いた言葉は、多分このようなことではないかと思います。

自分でもよく分かっているのですが…

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/01 02:08

 こんばんは。



 迷いながら、でも回答します。

 死刑廃止。替わりに終身刑(文字通り一生入っている)を導入して欲しいです。
 人間は、社会的存在であると同時に、自然的存在です。国家などの権力が、その生殺与奪に介入できるのは、社会的存在としての人間のみだと考えます。
 だから、終身刑(=社会的死刑)を提唱するのです。

 死刑より残酷だという議論に対しては、受刑中の生活を工夫すればよいでしょう。「塀の中」で、それなりの人生を見つければよろしい。ただし、あくまでも「塀の中」で、です。
 税金の無駄遣いだという議論に対しては、他の無駄遣いならいざ知らず、上述の「国は自然的存在としての人間にまで権力を及ぼすことはできない」という原則を維持するためなら、払ってもいいと私は思います。

 それから、死刑云々とは直接関係しませんが、懲役刑に、もっと長いものを採用して欲しいですね。40年とか50年とか。悪意のある殺人に、20年や30年では、軽すぎます。

 余談ですが、「国家は自然的存在としての人間にまでその力を及ぼすことはできない」というのは、つまり、「国家は殺人をしてはならない」ということです。これは、いわば、戦争の否定まで広がりうる考えだと思います。だから重視したいというのもあります。
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この回答へのお礼

d-dropさん、こんにちは。
迷いながらもご回答いただけて、嬉しく思います。

>それから、死刑云々とは直接関係しませんが、懲役刑に、もっと長いものを採用して欲しいですね。40年とか50年とか。悪意のある殺人に、20年や30年では、軽すぎます。

確かに、悪意のある殺人に関して、現在の懲役刑は短いような気がしますし、終身刑はあってしかるべきだと私も思います。

社会のルールを、恐ろしく身勝手な理由で、恐ろしく残虐な手口で破った者は、真実の改心が出来ない限り社会に戻すべきではない、そう思います。
死刑は、国家による殺人である、そんな言葉を何かで読んだ記憶があります。その意味も噛みしめてみます。

d-dropさん、貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/02 14:32

死刑制度は残すべきであり,さらに積極的に取り入れるべきものであると思います。



子供を殺された親が「犯人は懲役20年くらいで良いです…。」なんて言うとは思えません。
死を,本音なら自分の手で殺してやりたいはずです。

悪意のある殺人にはたとえ1人でも,死刑に値するかと思います。
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この回答へのお礼

limusicさん、こんにちは。
ご回答ありがとうございます。

>悪意のある殺人にはたとえ1人でも,死刑に値するかと思います。

悪意とお書きいただいたことで、私の乱文が伝わったのだなと、思いました。人としての生の声がストレートに聞けた気がします。
ありがとうございます。

このような時代が、早く過ぎ去ることを願っています。

貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/10/02 14:15

NO.13の者です。

自分のを読み返してみて少し理解しにくいでしょうね?と思いましたので、もう一度ペン?を取りました。(先ほどはお酒が入っており・・・r様すみません・・汗)

しかし言いたい事は【先ほどと全く一緒】です!
さて、ある男(A)が殺人をしました。罪もない人間を殺したのです。その男は最初、動揺して逃げました。しかし数日たって良心の呵責から「自分は大変な悪い事をしてしまった!」と後悔し、自首しました。

また、ある男(B)も殺人をしました。罪もない人間を殺し・・・。その男は良心の呵責もなしにとにかく逃げました。そして2週間ほど経ったある時、センター街で遊んでいるところを警官に・・・逮捕されました。

少し極端ですが、r様はどうお感じになられますか?Aはまだ人間の心を持っていると思いませんか?後悔していると思いませんか?
一方Bはいかがでしょうか? 本当に後悔しているといえますか?いいえ! では今後後悔すると思われますか?  さぁ・・・わかりません。しかし(過去の再犯率からもわかるように)後悔しない場合が非常に多いのです!・・・・「心」なんです。
・・・・仮に15年経ったとします。・・・・
懲役(実刑)をくらって彼は一体何を学んできたのでしょう?または実際に学んだのでしょうか?品行方正で仕事も真面目です・・・だから刑が軽くなりました? 役人達は一体何に基づいて、刑を軽くするといった判断をしたのですか?ここですでに間違っています!もちろん務所の中では心の教育もされているはずなのです。しかし、そこでの教育者たち自身、人の内奥にある心の状態を見抜く力の無い者や見抜く力を訓練されていない者がとても多いのです。

『人の心の中にある計り事は深~い水のようだ。しかし識別力のある人はそれをくみ上げる者となる』という有名な格言があります。
本当に賢い人(役人)は、時間をかけ・・いろんな角度から質疑応答することによって、その人の(深い井戸という)内奥にある考えや心の状態を、(まるで水をくみ上げるかのように)引き出せるのです・・・!
しかし現在は・・・・・・はぁ~残念ですね。
日本だけでなく世界中でこんな感じです。私が言いたい事をご理解いただけますでしょうか?
だから私からみれば・・・再犯してしまっても何らフシギには思いません。
 

また別の角度からお話しますと・・・・
みなさんはなぜ法律を守りますか? いいえ・・・
なぜドライブで信号を守りますか?
(1)ある人は「そりゃ、危ないからだろ!事故を起こす可能性があるから」
(2)ある人は「そりゃ、みんな守っているから・・・」
(3)しかし、ある人はこう言います・・・「そりゃ、警察に見つかったらキップきられるからだ!」など・・

どうでしょうか?何かお感じになられましたか?それでも皆さん交通ルールは守っています。
そうです!「動機」です。先ほども述べました、動機です。(3)番は・・・ではもし・・・真夜中だったり・・・誰も見ていなかったら・・・警察ももちろんいなかったら・・・いかがでしょうか?
ということなのです。

昔、私は大きな交通事故をして教習場の講習会に出た事がありました。その時に他の8名ほどの方々も一緒でした。そして安全運転の講習を受けさせられました。その時、教習場の教官が次のように言いました。
「もうみなさん、交通ルールはまもりましょう・・・でないと警官に捕まりますよ! 最近は取り締まりも厳しくなり、見つかったらキップきられてお金払ってもったいないですから。もう捕まらないようにしてください」

そして一人ずつ作文を書き読まされるのです。大体みんな「・・・捕まらないようにします・・・」みたいな内容でした。私は「こういう教育だから・・・しょうがないか・・と思いました。」
「私はたとえ警察官がいようがいまいが、見てようが見てまいが、事故を起こしたくないので、これからも交通ルールを守りたいです。」とこたえました。正直その教官に穏やかな抗議!をしていました。

私の言いたい事が伝わってきましたでしょうか?もちろんいろんな考えがあり、それはそれでいいんです。ここで述べているのはあくまでも私の考えであり意見なのですから・・・そこはご了承くださいませ。

つまり交通ルールだけじゃありません。犯罪もそうです。小さなことから大きなことにいたるまで・・・。

犯罪をすれば、【捕まってしまうから】という教育の仕方から、もうすでに病んでいるのです。
人を殺せば【捕まってしまうから】。自転車泥棒したら、もし見つかったら【捕まっちゃうよ?】【それでもいいの?】という教え方!

いかがですか?
私が言いたい事はもっと深い・・・・深いところにあります。そこに気づけば・・・みんなが気づけば・・・・。

しかし気づかない人で覆われてしまったこの世界。矛盾が存在し、混乱を呼び・・・。
だから、私はこういう議論を避けてきました。悲しいですが・・・無駄だから・・・ほんとはどうにかしたい・・・・でもむだだから・・。
それで「人が」ではなく、せめて「自分」だけでもいいかな~と思っているのです。中には理解してくださる方が折られる事を祈りつつ・・・閉じます。:r-utsugi様ありがとうございましたm( )m
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この回答へのお礼

satotan111さん、こんにちは。
ご回答ありがとうございます。

二通とも読ませていただきました。
ルールというものに関して、私なりの考えを述べたいと思います。

「ルールは自分を守るためにある」
誰もルールを守らなくなったら、怖くて信号も渡れなくなりますしね。

ルールというのは、人間という不完全な生き物を、一定の場所、一定の場面、あるいは大勢の中で規制するものだと思います。
だから、成り立ちはそもそも後ろ向きである、そう思います。

人を見て法を説け、そんな言葉があります。そんな説き方しか通用しない人間もまた、いるのだと思います。
だからsatotan111さん、あなたが嘆くようなことが起こるのでしょう。

再犯するか否かは、その人の心、というか人間性なのだと思います。だから、たった一度の過ちを、杓子定規に裁いてはならない。それが殺人であってもです。これは、動機に重きを置いたsatotan111さんのご意見に諸手を挙げるものです。

人を殺してはいけない。これはそのルールの中でも、最も大きなルールでしょう。

人は時として、ルールやマナーに縛られることなく善意を示し。ルールやマナーに縛られることなく慈悲の心を示します。
それは不完全な人間に与えられた、宝の一つだと感じます。

交通事故は怖いです。いつ誰が犯罪者になるか分からない。だから私は運転しません。しなくても住む状態にいることを幸せだと感じます。
中には仕事でハンドルを握らざるを得ない人たちが大勢いるからです。
ずいぶん元手のかかった身分証明書になっています。だから色は決まっています。鮫洲の講習会の短いことこの上ありません。

地上で一番怖い乗り物は、自転車(のようなもの)になる、そんな時代がきっとやってくる。
satotan111ちゃん、自転車に気をつけて行くのよ! 母親がそう子供に声を掛ける日はやってくる。
その時人類は、人が人を殺し、鉄が走り回るあんな時代もあったのだと、感慨深く回顧するのでしょう。

satotan111さん、貴重なご意見ありがとうございました。

私は軽い乱視と遠視です。度の合うメガネがどこかへ行ってしまって、きついのを掛けてパソコンに向かっているので、辛いです。
ゴリも隠し持っていませんでした。私のメガネはどこへ。

お礼日時:2008/10/02 14:07

r-utsugiさま~おはようございます^^。



確かに私もr-utsugi様のお気持ちと同じものがあります。
>一個人、一日本人、一人間としての、あなたの意見が聞きたい。

   では、正直にかつ率直に私の胸の内にある気持ちや考えを吐露させていただきます。どうか怒らずにお聞きくださいませ^^m( )m。


そうです。世の中は不条理な問題でごった返しています。しかもそれは1940年あたりから、総犯罪件数が右肩上がりです。現在などさらにひどいものです。検挙率の問題もありますが、犯罪数は恐ろしく増加の一歩をたどっています。 もっと恐ろしいのは・・・その犯罪の残虐性です。

「命」・・・・命には命という基本的なスタンスを私は持っています。しかし、私が一番苛立っていますのは・・・・「なぜ、犯罪者、ことに殺人者の動機にもっと争点を当てて、その動機で適切な裁きを!」と思っています。
いえ、実際動機を見ていますし、それにより量刑も考慮に入れられています。新しい陪審員制度の大きな利点は・・・こういう点(心、動機)に力を入れ始めたからです。やっと・・・日本もこういう点で本来裁かなければいけないんだな?という事に気づきつつあるようです。

そうです、同じ殺人でも・・・意図せずに殺してしまったのか? 故意に前々から計画していたのか? たまたま突発的な怒りで殴ってしまったら、死なせてしまったのか? 反省しているのか? 後悔しているのか? 動機はお金・・・つまり自分の欲望の為だけに殺したのか? さらにはそこに「憎しみ」というものまであったのか? もしあればどの程度だったのか? ねたみ、嫉妬か? 被害者の死んでゆく姿を見て、痛みを感じたか?面白かったか? ざまあみろ!と、うれしかったか?・・・・などなどです。

これによりだと思います。一番見なくてはならない、調べなくてはならない大事な部分なのに・・・・私たちはやった事実、出された結果、外見、表の見える部分・・・そういったことを重視してきました。
ほんとはもっと大事なものが、深くに・・・深くに・・・あるのに・・・です!

そんなとこを軽視してきたのです! だからこそそんな部分を見る教育をしてこなかったり、そんな部分を育てたり、成長させることもしてこなかったり・・・「あぁ・・・なんとなく・・・・なんとなく・・」なんです。
「なんとなく・・・あれは悪い事だ!」「なんとなく・・・あれはいいことじゃないかなぁ~」 「なんとなく・・・う~んわからない・・・」

そうです。全てが混乱しているからです。裁判だって同じ事です!

私の言いたい事が・・・・・r-utsugi様に伝わっていますでしょうか?伝わっていればうれしいです・・・。

一概に全ての殺人者を一緒くたにはしません!私たち人間は不完全ですので、時として大きな・・取り返しのつかないほどの大罪を犯してしまうかもしれません。私だって、絶対人を殺さないぞ!と決めていますが・・・100%とは自信を持って言えません!!
それほど人間って、弱いのです。
ですから、その深い部分(内容)の真相を出来うる限り究明して、動機(心)をみて裁けたなら・・・どんなにまともな判決が出来うることでしょう!
残念ながら無理です。でもその超重要ポイントに一人一人が気づき、それに近づける努力を払うならば・・・・・今よりも公平・公正な判決に【近づく】ことができるでしょう。あくまでも近づくことが・・・。

もう心が腐って麻痺してしまった人間(犯罪者も含め)は、そう簡単には決して変わりません!心に焼印がつけられているほどの者には、なにをいまさら言おうが、残念ながら・・・「心で」理解は出来ないでしょう。
そういうものには「命には命を持って償って欲しいと思いますし、再犯を犯さない為です。」

他にもいろいろ言いたいですが・・・とりあえずこんなところでいかがでしょうか?^^難しくへタっぴな書き方でしたら何卒ご容赦を~です。
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この回答へのお礼

satotan111さん、おはようございます。

残念ながら時間が無くなりました。カラータイマーがピコピコ言ってます。またしばらくハードスケジュールに突入します。
パソコンに向かえる時間が取れたとき、じっくり読ませていただきます。実際のところ、ここに来られるのは、週に二、三回が限度ですので間が開いたらすみません。

他のご回答者様もありがとうございます。時間が取れ次第読ませていただきます。

お礼日時:2008/09/27 10:49

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