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よろしくお願いします。
今の役人殺害事件の人の話の中で
クレームをつけまくって、アパートの下の人を引っ越させた
等色々かかれています。
これをみると、無理を押し通した人が結局得をしているような気がします。
本人は殺害犯人として捕まったことすら誇りに思っているかもしれません。

人を裏切って浮気をした人
人をうまく利用した人
人をだました人

などなど、普通なら加害者で裁かれるべき人が得をしているような
気がして悔しいです。
しかも、そういう人は裁かれることすら織り込み済みだという
ことが許せないです。

無理をした人に一矢報いたいという人がたくさん出てきた場合
とても血なまぐさい社会になりそうな気がします。

私も一矢報いたい派ですが。

皆さんは一矢報いたい人はいますか?
その人のことはどのように気持ちを処理するのですか?

教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

#4の者です。


お礼をありがとうございます!^^

>などなど想像してみて欲しいです。

痛い事をおっしゃいますね。。。。^^
そうですね。。。いえ。。。「想像」でなく「ほぼ経験」であるのです。
どれ程、自分の心と身体を「ミンチにしたい!!」居たたまれなさを持つものか、私には判ります。
それが一時ではなく、永く永くより深く刻み込まれて行く。
過去の全ての「良い想い出」を蹂躙して行くものかも判ります。

私の経験等まだ「甘っちょろい」と思われますので、もっとお辛く耐えている方がいられると思います。

>それよりも諸悪の根源を断ち切りたい=一矢報いたい
>と思わないでしょうか?

だって、
「一矢報いる事=諸悪の根源を断ち切る事」になんて、なりませんもの。

本当の意味で一矢を報いるには、「自分と自分の周りの人間を幸せにする」事が一番です。
「良心ある人間」の皆がそうすれば、それこそが「諸悪の根源を断ち切る」事になります。
その方が「断然近道!」です。^^

こう思える迄には、数年掛かりましたし、まだ「甘っちょろい経験」だから「数年程度」で済んだのだとおもっておりますが。。。。

私は何か「理不尽な事」に出会うと、「こんな目に遭うのは、私が最後だといいな。。。」と思うのです。自分の大切な人たちがこんな思いをしないといいな。。。と思うのです。(大切な人、は一人じゃありませんからね。^^)

kimi1980様は、もっと、「本物を探す」事を意識された方が良いと思います。世間で言われる事、一般的に理想とされる事、等の「生半可な/甘っちょろい本物」では無く、「本物の中の本物」です。
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この回答へのお礼

たびたびの回答ありがとうございます。

感情に流されてしまっているので
どうしても加害者をもっと社会的にも
破滅させたいです。

でも、それは仰るとおり本物ではないのでしょう・・・。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/30 20:19

こんばんは。


20代後半の女性です。

タイトルを一読して
>無理をした人が得?
とのご質問に対して、「そりゃあ、勿論!!^^」と思ってしまった私です。日頃から「無理をする事が好き」な私なので、こんな回答を真っ先に抱いてしまいました。

だって、「無理をする」と「自分の幅を拡げる事が出来る」。これが私には何よりも「快感!」なのです。^^

ところで、
ご質問にあるような「良くない人たち」って、「無理をしているのでしょうか?」

私にはどちらかと言うと、
本人は無理等一つもしていない。
周りに無理をさせている、と思えます。
本人は「やりたいようにやっている」のは確かですよね?
無理なんてしているのでしょうか?
(「言葉遊び」のようで申し訳ありません!)
きっと、「無理を通す」って「無理をさせる/強いる」事なのでしょうね。

さて、そんな人達の事を、私は「得をしている」と考えた事はありません。。。と言うか、そうは考えなくなりました。
そうは言っても、「良くない人たちに一矢報いたい」気持ちが無い訳ではありません。そうですね。。。そう言う人達を「得している」と捉えていた頃はもっと強く「一矢報いたい!!」と思っていましたね。

でも、そんな人達を「ズルいな、得している」と思いながらも、一方で「疑問」がどんどん膨らむのです。。。。「本当に「得」をしているの?」或は「自分も同じように得をしたい?」

答えは「いや。。。。何か違う気がする、嫌だな」です。
何だか「もっと良い得」があると思う(思った)のです。

元々がテストだろうと、運動だろうと、「一番でなければ意味が無い!」と鼻息の荒い人間でしたので、「一番良いもの」でなければ「要らない」と選り好みが激しいのです。汗
「道理を引っ込めさせて得た得」はどう見ても、明らかに「一番良いものじゃない」ですよね?
だから、私は「要らない」。もっと良いものを手に入れるもん!って、思っていました。

では、「もっと良いもの」って何だろう?と当時の私は考えました。

現時点で私が得ている答えは二つです。
*自分の幸せと他人の幸せを両立させる事は不可能じゃない。
*社会がどんな状況であろうとも、「より良く生きる事」は不可能じゃない。
の、二つです。

よく、「自分の幸せは他人の不幸の上に成り立っている」なんて言われますよね?
あれって、中学校当時の私の「大嫌いな言葉」でした。
そんな筈は無い。そんな世界は寂し過ぎる。だから、何か両立させる方法がある筈だ。。。。そう考えて何年も探して来ました。

。。。申し訳ありません!!話が逸れてしまいました。
ご質問
>その人のことはどのように気持ちを処理するのですか?
に対する答えとしては、
一矢報う事で「傷付く人を増やす」より、「傷付いた人達を救える人間」になりたい!!が私の「最優先事項」ですので、「報う行為」は「後回し」です。優先事項を片付けて、「手が空いて余裕がある時のお楽しみ」です。^^
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私の書き方が悪かったのでしょう
私の
”無理をしている人”
とはいわゆる犯罪行為をする人たちです。

今回の役人殺害の件、秋葉原の殺傷事件、
その他痴漢やもろもろのことをさしています。

例えば、貴女の大切な人が殺されてしまって
殺人犯はのうのうとどこかで生きている、
または
貴女が誰かに強姦されて、犯人は
まだどこかでのうのうと生きている
もしかしたらその経験を友達と楽しそうに話している・・・

などなど想像してみて欲しいです。
それでもあなたは

”傷付いた人達を救える人間」になりたい!!”

といえますか?

それよりも諸悪の根源を断ち切りたい=一矢報いたい

と思わないでしょうか?

回答ありがとうございました

お礼日時:2008/11/26 02:19

私も、一矢報いたい派です。


しかし、思考回路はかなり能天気なので、いつの間にか気持ちの整理がついています。

浮気をされたら、振ったことを後悔するくらいの人間になるように。
利用されたら、自分はこれから比べ物にならないほどの成功をおさめよう。
騙されたら、そんな奴よりもっと賢くなろう。

これが、私にとっての「一矢報いる」です。

私はかなり短気なほうですので、嫌なことがあると、非常に頭にきます。
しかし、頭にくるだけでは損だと感じ、更に腹が立ちます。
その結果が、自分にとってプラスになるよう考えることへと繋がっています。
ここまでくると、生来の性格かもしれませんね(笑)
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目には目を歯には歯の様に、暴力に暴力では同じ人種になってしまいます。


法治国家の日本では、法律を勉強し法律を巧く使って相手を懲らしめるように持って行きます。
お互いにもう少し利口な対応が出来るように勉強しましょう。
そして、近隣住民や迷惑を被った者同士が協力して、力を出し合い泣き寝入りしなければ、横暴者を無くすことが出来ます。

人を裏切って浮気をした人=当然それに対する罰は法律の範囲で罰することが出来ます。
人をうまく利用した人=利用される側がもう少し利口で有れば悔いを残すことはありません。
人をだました人=だまされることがなければだますことも出来ません。

人を信用することは大切ですが、だまされると言うことは本来の信頼関係が出来ていなかったからかも知れません。
また、うまい話に乗ってだまされるのは、自分の欲望が強すぎるからであって、だまされる方にも原因があります。

>皆さんは一矢報いたい人はいますか?
>その人のことはどのように気持ちを処理するのですか?
一矢報いたい相手を作るような付き合いをしないようにしましょう。
万一その様な人が出来てしまえば、合法的に反撃し懲らしめます。
残念ながら悔しい思いがあっても一矢報うことが出来なければ、合法的にそれが出来ない自分の不勉強を恥じ、自分の力のなさを戒め勉強をします。
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問題の根源は、加害者に対する制裁とその適応の厳しさにあるのでは?



民主制で、公的権力の運用に制約が大きい場合は、社会からの逸脱行為を有効に裁けなくなります。ただ、こういう社会は、ある意味寛容でもあります。質問者さんがおっしゃるように、今の日本は、こうした社会になりつつある気がします。

公的な権力が強い、あるいは市民からの信頼度や委任された権限大きい場合は、加害者への制裁は容易になります。つまり、独裁体制か、民主制ではあるが、社会からの逸脱者に厳しい(画一的な市民像を求める)社会なら、制裁が有効に機能するかもしれません。
ゼロトレーランスという言葉を聞いたことがあるでしょうか?小さな犯罪も絶対に許さないという意味です。小さな犯罪が大きな犯罪の予兆であり、芽のうちに摘み取るという発想です。
ただし、副作用もあって、社会的逸脱行為への制裁が厳しく、また適用が容易であると、軽い罪あるいは罪とは言えない行為でも制裁を受ける可能性があります。たとえば、最近、高校の入試で服装が乱れている受験生を成績にかかわらず、不合格にした事件が報道されましたよね。まさにこういう事例です。
服装の乱れと、他人に迷惑をかけることは、イコールではありません。しかし、社会的に相関関係が認められれば、軽微なルール違反も重大な制裁の対象となります。その結果、確かに治安が維持されることも事実です。ただし、行きすぎると公権力の独善性を許してしまいます。それを防ぐ意味において、制裁とその適用は常に明文化される必要があります。校長が処分されたのも、制裁の内容(服装で不合格としたこと)自体よりも、明文化していなかったことにあります。

明文化も確かにいたちごっこかもしれませんが、ある程度繰り返せば、それなりに治安や風紀は維持されるでしょう。問題は、一度民主化した社会や政治において、こうした厳しい制度の運用は、市民のコンセンサスが必要だということです。

実際の事例としてゼロトレーランスは、多くの非民主国家で行われていますが、比較的公平さを保っているのはシンガポールでしょう。1991年か、1992年に同国に居住するアメリカ人の少年が車を盗んで解体した事件で、彼はむち打ちの刑になりました。
このとき、パパブッシュは「郷に入れば郷に従え」と刑に理解を示し、クリントンは「未成年なのだから、減刑を」少年をかばいました。このほか、アメリカ国内でも、人権重視の立場から寛容性を優先する政治家と、ゼロトレーランスの実践を行う政治家の意見対立があるのです。ニューヨークでの治安回復などはその良い例で、犯罪が減った成果がある一方で、警官による暴行や誤認逮捕が増えたという副作用がありました。

長々と書きましたが、これは難しい問題なので、結論は出にくい問題だと思います。ただ、経済と一緒で、節度を保ちながら、厳しくしたり、緩めたりと試行錯誤をするしかないでしょう。そろそろ、刑を厳しくする時期に来ているのかもしれません。
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