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罪を犯した人が謝罪して深く反省しているにも関わらず、
その人を許そうとせずに憎しみ続けることがあったとします。
そのように人を許すことなく憎しみ続けることで、
人としてプラスになることはあると思いますか?

A 回答 (10件)

ありません。


人に向ける感情は自分にも返って来ます。人を憎むと自分の中も憎悪に満たされます。憎悪は人の成長を止めます。感情的に成長する事が出来なくなります。つまりその人は、憎しみを持ったままその時点の精神レベルで一生生きる事になります。つらいでしょう。
又、憎しみを持つ事で身体的損失は計り知れません。笑う事が脳内の快楽物質を増やし、体の抵抗力を高め、医学にも応用されているのがその証拠です。

人を成長させるのは平安です。平安な心が人を安定させ、おだやかで落ち着いた思考を可能にします。その様な思考は自分も他人も幸せにするでしょう。そしてその様な思考はその人の感情を豊かにし、成長させます。成長する事によって、その人はさらに高いレベルの平安を得る事が可能になります。

自分が被害を受けた時、相手を憎むでしょう。憎んで憎んで憎みきる事です。中途半端で止めず、憎みきればあきらめが来ます。心の傷や記憶は完全には消せません。しかしそこからどれだけ相手を許せるかによって、その人の人生は違ってくるでしょう。憎み続けるのも、許すのもその人の自由です。しかし相手を許せた時、その人はより大きな心を持った人になっているでしょう。

人は平安を求める事によって、有意義な人生を送る事が出来ます。一度しかない人生。人を憎んで生きても一生。許して生きても一生です。
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この回答へのお礼

全く同感です。

>憎悪は人の成長を止めます。感情的に成長する事が出来なくなります。
>つまりその人は、憎しみを持ったままその時点の精神レベルで一生生きる事になります。
>つらいでしょう。
憎しみを持ち続けることは、ある意味二次的被害を自分から被るようなことと思えるくらいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/06 07:21

遅くなりまして、すみません。



>>No.3の方が言ったのは「憎しみ続けること」という気持ちの上でのことだと思います。
>>質問もそのようにされている様ですので、行動に移すのはまた別の問題ではないでしょうか。

>別の問題かもしれないですが、行動に移してしまうリスクが発生することは確か
>だと思えますので、そのようなリスクを持つよりは持たない方がいいように
>思えます。

愛していてもそれが相手の迷惑になるようなら、その愛を発言することなどは控えるものだと思います。
では行動して相手に迷惑をかける可能性があるので、愛することも止めるべきだと思いますか?

思いつづける事と、実行してしまうことは別問題です。
実行してしまう人には、思うことと別に自分を押さえる事が出来ないという問題があります。
それは、たとえば愛や憎しみでなくても、お店の商品を万引きしたり
猫をバラバラにしてみたりと言う行動などもそうです。

>>それがなくては、いきる張り合いが無くなってしまう人もいるでしょう。

>他人に不愉快な思いをさせることが生きがいという人がいたとしたら、
>私はその人に生きがいの対象を変えるように説得したくなります。
>同じように人を憎むことが生きる張り合いになっている人がいたら、
>その対象を変えた方が人間の質を高めることになると言いたくなります。

私も説得してるんですけどね。
負にしろ正にしろ年とって生きがいを捨てるというのは難しいですよ。
その本人に取っては、人間の質なんてどうでもいいことですから。

ところであなたは何故質を高めますか?
その方が他人と比べて自分に誇りを持てるから?人に好かれるから?
そのどちらも要らないという人には質なんてどうでもいいことなんです。
変な話ですが、愛に夢中になるように、憎しみに夢中なんです。
せめて行動に出さないように自制しろってゆってんですけど
なかなか…年とって自制心もなくなってきてます。

>>それらは全くプラスにならないこともないでしょうね。

>ということは、謝罪し反省している人に対して許さずに憎しみを抱き続けることがあっても
>よいと、子供達にも言えるということなのでしょうか。

あなたの言うように「憎しみ=全てマイナス」ではなく
ちょっとはええとこもあるよ、と書いたのです。
人を憎んだ事が有る人は他の人の憎しみを理解することができるでしょう。
また理解が出来るということはそれを溶かす可能性も高くなる訳です。
あなたも「憎しみ」を憎んで、憎しみに対して理解が深まったでしょう?
そういう利点なんかも有るよ、ってだけです。

>>私の身内にも憎しみだけをパワーに生きている婆様がいます。
>>顔は般若のようですが、何かが憑いてるのかってぐらい元気ですよ。

>その方も人を憎むことを止めたら穏やかな表情になれると思います。
>そのようなお年で般若のような顔をされているというのは、
>私からみると不幸に思えてなりません。

うん、本人はとても不幸そうですね。
その憎しみの相手はもうすぐ亡くなるのです(病気で余命が宣告されてしまいました)
伝えてませんが、いなくなったらどうなってしまうのか…
きっとしぼんだようになってしまうのではと思っています。
愛にしろ、憎しみにしろ、他人を生きがいにしている人は弱いですね。

一連の質疑応答を通して、あなたの身近に憎しみを捨てない人がいるのでは
と思いました。もしそうなら具体的に相談されたらまたいい答えがあるかもしれませんよ。

ちょっと話は違うんですが、こだわりつづける人はどこかに
「なぜ?どうして?」みたいな疑問があってこだわるのだと思います。
その疑問が解けたら、つき物が落ちたように憎しみが消えることもあったような(笑)
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この回答へのお礼

>では行動して相手に迷惑をかける可能性があるので、愛することも止めるべきだと思いますか?
愛することから生じる迷惑と憎しみ続けることから生じる迷惑の発生率を考えたら、私は後者の方が格段に高いように思えますが。

>思いつづける事と、実行してしまうことは別問題です。
人間というものは基本的に思考の後に行動が伴うものですので、よからぬことを思い続けることはよからぬことをしでかす可能性を生じさすことになることは確かだと思いますが。

>実行してしまう人には、思うことと別に自分を押さえる事が出来ないという問題があります。
なので初めからよからぬことを思考から排除することに努めることが、よからぬことを引き起こさない第一歩になると思いますが。

>その本人に取っては、人間の質なんてどうでもいいことですから。
当人がどう思うかは勝手かも知れないですが、一般論として人間としての質を高めることに努めることがベターだと思います。己の質を高めることに努力できるのは人間だけですから。それを放棄することは人間に生まれてきた甲斐がないようにさえ思えますが。

>ところであなたは何故質を高めますか?
>その方が他人と比べて自分に誇りを持てるから?人に好かれるから?
>そのどちらも要らないという人には質なんてどうでもいいことなんです。
家族や愛する人達のことを思うと、自然に、人として恥ずかしくない生き方をしなければと思えてきますが、貴方はそういう思いは沸いてきませんか? 刹那的な快楽・欲望に身を任せるような生きたかでも別にかまわないと思われますか?

>せめて行動に出さないように自制しろってゆってんですけど
>なかなか…年とって自制心もなくなってきてます。
自制を促すということは、やはりよからぬことを強く思うとよからぬ行動に結びつきやすいと思われているわけですね。

>あなたの言うように「憎しみ=全てマイナス」ではなく
>ちょっとはええとこもあるよ、と書いたのです。
私は別に憎しみを全否定しているわけではないですよ。私が問題にしているのは、相手が謝罪して反省しているのにそれでも許そうとせずに憎しみ続けることです。

>人を憎んだ事が有る人は他の人の憎しみを理解することができるでしょう。
人を憎んだことがない人などいるのでしょうか? 憎むことはよくないと思っていても憎しみという感情は自然に湧き上がってくるものだからこそ、それを湧き上がるがままに放置しておくことは、刹那的な快楽に身を浸すことと同等と思えるということです。

>あなたも「憎しみ」を憎んで、憎しみに対して理解が深まったでしょう?
私は別に「憎しみ」を憎んでなどいませんが。某独裁者に対する憎しみは相当なものですよ。

>一連の質疑応答を通して、あなたの身近に憎しみを捨てない人がいるのではと思いました。
そういうことは特にありません。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/10 20:37

NO.3で回答したものです。



あるがままでいるということは、人間の本質に忠実でいるという意味です。
もっと奥深いところのあるがままということです。

生まれたての赤ちゃんは憎しみも悲しみもありません。
ただ、愛され、誰もが同じように幸せに死んでゆくまでの人生を全うするためだけに生まれてくるのです。

そこに人間のあるがままの本質があると思います。

悲しい、恐ろしい、辛い、憎いなどの心はその後の人生経験によって後から作られてゆくものです。
どこでどのような形で生まれようとも皆同じだと思います。

罪を犯した人も、また、その罪によって深く傷つき憎しみを持つことになった被害者も、本来の人間としての本質は同じなんです。
ただ、産まれて、生かされ、ただ死んでゆく。

人というのはみんなつながっているのです。
どこかで生まれてどこかで死んで、、、。
自分ではそれを操作することはできません。

つまり、生かされているのです。
自分で産まれることを選択することは誰にもできないのです。

生かされている自分。

罪があり、罰があり、生があり、死がある。
自分に振りかかる罪も罰も偶然ではなく必然です。
愛することも、憎しみ続けることも、試練なのです。

人としてプラスになるのかどうかという考えは、自分で自分を成長させ、生かし、自分で死んでゆくのだを言う錯覚の上でしかないように思います。

自分はただ生まれて、人生の試練に打ち勝ち、また、耐え忍び、ただ死んでゆく一生を送るために産まれてきたんだ。ということに気が付けば、人としてプラスだのマイナスだのと言う考えは、1秒にも満たない小さな、短い、意味のないことだと気が付くはずです。

憎しみ続ける心に正面から立ち向かい、人として産まれてきたことの本質に忠実に
あるがままのすがたで静かに人生を全うすることが大切と思います。

またひいては、傲慢な心を捨て、生かされている自分に気が付けばこの世のシャバで日々行われているあらゆる犯罪、悪、憎しみはすべてなくなると思います。

つまり、人としてプラスかマイナスかという心が罪を生むのだと思います。
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この回答へのお礼

>生まれたての赤ちゃんは憎しみも悲しみもありません。
>ただ、愛され、誰もが同じように幸せに死んでゆくまでの人生を全うする
>ためだけに生まれてくるのです。
>そこに人間のあるがままの本質があると思います。

>悲しい、恐ろしい、辛い、憎いなどの心はその後の人生経験によって後から作られてゆくものです。
赤ちゃんの時にあるがままの本質があるのですね。
憎しみが"その後の人生経験によって後から作られてゆくもの"であるなら、憎しみはあなたが言われるところの本質ではないような気がするので、取り除く努力をした方がいいように思えてしまいました。

>人としてプラスだのマイナスだのと言う考えは、1秒にも満たない小さな、短い、意味のないことだと気が付くはずです。
プラスとかマイナスということを考えずに、あるがままの欲求に従って刹那的な快楽を追い求めるような生き方もそれはそれでいいということなんでしょうかね。

>憎しみ続ける心に正面から立ち向かい、人として産まれてきたことの本質に忠実にあるがままのすがたで
>静かに人生を全うすることが大切と思います。
憎しみ続ける心と正面から立ち向かってそれを克服する(許す)ことに、人間としての本質があるような気がしますが。

>またひいては、傲慢な心を捨て、生かされている自分に気が付けばこの世のシャバで日々行われている
>あらゆる犯罪、悪、憎しみはすべてなくなると思います。
「憎しみ」は「犯罪」「悪」と同列というご認識なのですね。

>つまり、人としてプラスかマイナスかという心が罪を生むのだと思います。
人としてプラスかマイナスかということを考えずに、己の欲望をストレートに満たそうとする心が罪を生むのだと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/07 08:47

No.3の方が言ったのは「憎しみ続けること」という気持ちの上でのことだと思います。


質問もそのようにされている様ですので、行動に移すのはまた別の問題ではないでしょうか。

愛することの対極は無関心だそうです。
憎しみも強いマイナスの気持ちではありますが、
人に執着する気持ちとしては同じ強さがあると思います。
それがなくては、いきる張り合いが無くなってしまう人もいるでしょう。

人としてプラスになることも、ない事も無いと思います。
相手へ執着すると相手の事を知りたくなりませんか?
憎しみだろうと愛だろうと相手のことを知るために色々調べたり、
何がそうさせたのか、どういう心理だったのか、
知りたくて沢山本を読んだり(可能なら)話をしたりするでしょう。
それらは全くプラスにならないこともないでしょうね。
ただ憎んでる本人の心の中は荒れておだやかでは居られないでしょうが。

私の身内にも憎しみだけをパワーに生きている婆様がいます。
顔は般若のようですが、何かが憑いてるのかってぐらい元気ですよ。
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この回答へのお礼

>No.3の方が言ったのは「憎しみ続けること」という気持ちの上でのことだと思います。
>質問もそのようにされている様ですので、行動に移すのはまた別の問題ではないでしょうか。
別の問題かもしれないですが、行動に移してしまうリスクが発生することは確かだと思えますので、そのようなリスクを持つよりは持たない方がいいように思えます。

>それがなくては、いきる張り合いが無くなってしまう人もいるでしょう。
他人に不愉快な思いをさせることが生きがいという人がいたとしたら、私はその人に生きがいの対象を変えるように説得したくなります。
同じように人を憎むことが生きる張り合いになっている人がいたら、その対象を変えた方が人間の質を高めることになると言いたくなります。

>それらは全くプラスにならないこともないでしょうね。
ということは、謝罪し反省している人に対して許さずに憎しみを抱き続けることがあってもよいと、子供達にも言えるということなのでしょうか。

>私の身内にも憎しみだけをパワーに生きている婆様がいます。
>顔は般若のようですが、何かが憑いてるのかってぐらい元気ですよ。
その方も人を憎むことを止めたら穏やかな表情になれると思います。そのようなお年で般若のような顔をされているというのは、私からみると不幸に思えてなりません。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/06 10:45

難しいですね。



ちょっとした逸話を紹介しますので判断材料にしてください。

自分の彼女を強姦された男が、犯人を憎しみ続けた結果、怨念が通じて犯人は事故で死んでしまった。
ここであなたがその男だったら、スッキリするタイプか、それとも後味悪くその出来事を一生引きずるタイプか。

個人的には人を心から憎いと思ったことはありますが、憎しみの気持ちを超えると逆にその人物の記憶を自分の脳の中から抹殺してしまう方向に行く気がします。

憎い憎いと思っているうちは、まだその対象にある種好意的な関心が(本人は自覚していなくても)ある証拠で、憎しみがあるレベルを超えると逆にその対象のことを考えなくなるのではないかという気がします。

あとひとつ、医学的には、脳内物質か何か忘れましたが、憎しみの気持ちを持つことで体内に毒性の物質が生成されると聞いたことがあります。
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この回答へのお礼

>自分の彼女を強姦された男が、犯人を憎しみ続けた結果、怨念が通じて犯人は事故で死んでしまった。
>ここであなたがその男だったら、スッキリするタイプか、それとも後味悪くその出来事を一生引きずるタイプか。
犯人が謝罪して十分反省しているなら私なら憎しみ続けるようなことはしないと思います。

>憎い憎いと思っているうちは、まだその対象にある種好意的な関心が(本人は自覚していなくても)ある証拠で、
○○真理教から被害を受けた方々でいまだに○○真理教を憎んでられる方は、○○真理教にある種の好意的な関心があるということなんでしょうかね。

>あとひとつ、医学的には、脳内物質か何か忘れましたが、憎しみの気持ちを持つことで
>体内に毒性の物質が生成されると聞いたことがあります。
それはありそうですね。
やはり百害あって一利なしのように感じてしまいます。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/06 06:48

憎しみの気持ちは、できることなら、持たない方が、幸せですよね。


罪を犯した人の謝罪が、その人にとっては足りないのだと思います。
第三者から見て、充分反省してると見えても、当事者が許せないと思うのなら、やはり謝罪が足りないと思うのです。
その人に許してもらえるまで、謝罪し続けて欲しいと思います。
謝罪の気持ちが通じた時、許すことができ、プラスの気持ちになれるのだと思います。
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この回答へのお礼

>憎しみの気持ちは、できることなら、持たない方が、幸せですよね。
一時的なものは仕方ないとしても、それを持ち続けることは人間としての成長を妨げることになるような気がしています。

>第三者から見て、充分反省してると見えても、当事者が許せないと思うのなら、やはり謝罪が足りないと思うのです。
私は逆です。当事者はどうしても感情的になって冷静に謝罪を受け止めることができないものだと思うのです。
ですから、謝罪が十文かどうかの判断は第三者にしかできないと思うのです。その第三者が謝罪・反省が十分だと認めているのに許すことができない・許そうと努力しないとしたら、被害を受けた方ははなから許す気持ちがないように感じてしまいます。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/03 21:14

損得勘定だけで成り立たないのが『人生』です。


人間、自分にとってプラスのことだけをして生きていくとしたら、そういう罪を犯したりすること自体なくなります。

そのときの自分にとってはそれ(憎しみ続けること)が一時的にマイナスであることを知っていても、そうせずには生きていけないことだってあると思います。

不測定値(=死)になるか、マイナス値(=憎しみ続けること)になるかの選択においてどちらを選択するかという苦渋の選択の結果かもしれません。
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この回答へのお礼

>人間、自分にとってプラスのことだけをして生きていくとしたら、そういう罪を犯したりすること自体なくなります。
罪を犯したりすること自体が減少する方向に向かった方が好ましいと思いませんか?

>そのときの自分にとってはそれ(憎しみ続けること)が一時的にマイナスであることを知っていても、
>そうせずには生きていけないことだってあると思います。
一時的にマイナスと言われているので、やはり憎しみ続けることそれ自体は良いことでないとお考えですかね。
それ自体を良いことでないとお考えなら、それを持ち続けることをやむを得ないとするより、それを克服する(罪を許す)ことに努力する姿勢があった方が良いと思いませんか?
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/03 20:54

どのような罪でしょう?


憎しみにもパワーがあってそれが自分に帰ってくることもあるのでは。
人と心と心はどこか深い部分でつながっていて、ぐるぐる回っているように感じます。
憎しみ続けることが人としてプラスになるかというと、、、。
答えにならなくてすみませんが、人生においてプラスもマイナスもなく、死んでしまう時にはプラスマイナスゼロになるように思います。

憎しみを捨てることはある意味自分にうそをつくことになるでしょうし、自分の真の心を封じ込めるのはたやすいことではないでしょう。

あるがままでよいのではないでしょうか?

憎しみのパワーが形を変えて自分に帰ってきたとしても、それもまたひとつ。
あるがままの自分で、与えられた人生を全うすることが大事と思います。
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この回答へのお礼

>あるがままでよいのではないでしょうか?
人を憎む感情というのは犯罪の源になっている場合があると思いますが。
いじめや意地悪の源になっている場合があると思いますが。
あるがままの心に従って、いじめ・意地悪・犯罪に走るようなことがあってもやむを得ないということでしょうか?
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/03 20:42

私はプラスになることはないと思います。



憎しみ続けて、自分の人生がそれで終わってしまうなんて
悲しいじゃないですか。
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この回答へのお礼

>私はプラスになることはないと思います。
私もそれに近いものを感じています。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/03 20:36

あると思いますね。



あまりに激しいショックを受けた場合、
一時期はそうしないと生きていけないということがありえます。

願わくばその人がそのような状態から早く脱出できることを。
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この回答へのお礼

>願わくばその人がそのような状態から早く脱出できることを。
ずっといつまでも憎しみ続けることは好ましいことではないとお考えなのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/03 20:35

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