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前回は「自立について」という質問をさせてもらった者です。
沢山の回答を頂いて、参考になったのですが、
自立とは「自己判断と責任」や「自分で立つ、ということ。立つということは、自分で自分を支え、目標を決め、歩き出せる能力を持っていること」など、いろいろな意見を頂いた中で、疑問に思うこともあります。自分の今の判断で責任を自分でとれるか、ということが自立につながるというのは、分かった気がします。しかし、いま、現在や将来の目標を決め、努力していったところで、人生は計画通りには行かないと思うし、目標を追って、努力して頑張って頑張った分、うまくいかなくて挫折した時、落胆も大きく、立ち直れなくなるのではないでしょうか?
私は、目標を追って努力することが悪いことだとは思ってません。
しかし、今の世の中、努力が結果につながるという保証はない気がします。だからと言って何もしないのは、少し違う気もしますが、今の自分の判断で後で責任を取れるか取れないかは、分からないような気がします。いま、自殺者が多いのは、「頑張ってるのに、自分ではどうにもならない状況に置かれているから」ではないでしょうか?
だから私は、時には、逃げることや負けることも大切だと思います。勝たなきゃいけない、そう思って頑張って、自分を追い詰めることは、時には、自分をどうにもならない場所へ追い詰めることになると思います。今の社会、就職できたとしても、会社がつぶれるかもしれない、リストラに遭うかもしれない、頑張っても、給料は増えない、など、そうゆう状況にある、と聞いたことがあります。

今の世の中
「逃げるが勝ち」や
「正直者が馬鹿を見る」や
「頑張りすぎて自滅する」
など、当てはまる可能性もあるのではないでしょうか?

今の社会は、どうなってるんですか?

A 回答 (9件)

まずは計画なんて遅れて当たり前のことです。


では何で計画を立てるのか。
計画を立てないと遅れていることに気がつかないから。
遅れているときがつくからもうちょっと急いで、頑張ってしないといけないなと言う気持ちになります。

だから、計画を立てるときに余裕のない計画を立てる人の多くは失敗をしてしまいます。
ちゃんと余裕のある計画を立てる人は成功しやすくなります。


努力に関しても、基本的に努力は報われないものですよ。
努力すれば報われるのであればこれほど簡単な事はありません。
しかし、努力の方向性を間違えたり、他人の努力の方が上回っていたり、運がなかったりと色々な要因から報われない結果になることの方が多いです。
しかし、報われるためには努力は必要不可欠なものです。
いつか報われようと思ったら努力をし続けるしかない。

だから計画通りに行かなくても努力して駄目でもそんな程度で立ち直れなくなるようではとても人生を進んでいくことが出来なくなりますよ。

確かに今の日本は甘やかしすぎているために、立ち直れなくなったり、心を壊してしまう人が増えていますが・・・

>逃げることや負けることも大切だと思います。
逃げることや負ける事は大切ではないと思います。
逃げる事はその後に繋げることになりません。

人生は進級テストのようなものだと思ったほうが良いです。
確かにトップを取るような勝者は1人しかいません。
しかし、落第になる赤点さえ取らなければ次のステージにすすめます。
勝つ必要はない。負けさえしなければ良い。
負けても確かに翌年また進級テストが出来ます。
再度チャンスはありますが、負ければ必ずその分遅れが出る。
負けることによって得るものもあると思いますが、失うものも多くある。
ならば、勝たなくても良いから負けもしないで、でも勝てなかった教訓から多くのものを得た方が遥かに良いです。

>「逃げるが勝ち」
これは全体的に、または最終的に負けないためにその局面は負ける。というものです。
オリンピックの100mで言えば予選には力を抜いてトップ通過しなくても良いから決勝でトップを取れば良い。
そういう考え方です。

>「正直者が馬鹿を見る」
これの多くは考えることをしないために自分の目的と違った努力をした結果です。
東京から北海道に行こうとしているのに東海道をひたすら南下したら、いくら努力をしても北海道に着くことは出来ません。
しかもこの場合「東海道を南下しなよ」と情報は他人から与えられ、その情報があっているか調べもしないで東海道を南下してしまったと言う感じですね。
その人を信用して良いのか、ちゃんと自分の目的にあっているのか、調べ考えることが大事です。

>「頑張りすぎて自滅する」
これは先ほどの100mでいえば、予選で力を使い果たし、予選はすべてトップ通過したが決勝で惨敗するようなものです。
どこで頑張るのか、その頑張りは自分の限界を超えていてオーバーヒートを起こさないのか、計画を持つことが大事です。

ちゃんと目標を持ち、計画を立て、
その計画は目標に向いているのか、計画より遅れているのか進んでいるのか、計画を見直し、
その状況に応じて、再度計画を練る。
努力し、失敗すればなぜ失敗したかを原因追及して自分を成長し、成功するまで努力を続けていく。

そうしていれば、大勝はなくてもそこそこの勝利や負けない力を手に入れていけますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/30 15:23

社会を作っているのは人間なんだから、理不尽で当たり前。



保証なんて初めからない。10分後に生きている保証すらないんだから。

世の中は「こういうもの」と言えるほどひとくくりにできるものではない。ひとつ言えるのは、生きているやつが好き放題しているステージってことくらい。あとはどう生きようか個人次第。

給料とかは社会の仕組みの一つ。給料をもらうことをするってことだけで社会のシステムに自分を当てはめようとしていることともいえる。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/01 17:43

人様の親御さんを悪く言うのは恐縮だと、いつも思いながらも、それでも発言しています。


本当に間違った育て方をしていない親なら、悪しく甘やかすことはしません。
又、正しい育て方をすれば、「甘やかしている親を見返そう」なんて、子供は思わないのです。

以下は極論的ではあります。元々完璧な人間などいませんから、完璧な親も又いないのですが…。

生きている限り挫折はある。
しかし、親に自立した心の土台を築いてもらった人は、その挫折を乗り越えることができる。
又、やる前からくよくよ考えない。
それは、泳ぎ方を教わってから社会という「海」に投げ出されたからです。
上手に泳げている、ということです。

>逃げるが勝ち。
それが正しいこともあります。そうしないと生きていけないこともあります。
>正直者が馬鹿を見る。
そういうこともあります。昨日「名探偵モンク」を観ていたら、モンクさんが実に良いことを言った。
「正義の車輪はゆっくりしか回らない。しかしいつか行く手を阻む」と。
>頑張りすぎて自滅する。
憎しみをバネにして頑張る人は、いつか自滅します。「見返そう」として頑張る人などです。

よってとにもかくにも本来、上のようなことは何ら「自立」を阻む要素にはなり得ないのです。

ここに書いたことは、私自身も経験したことです。
しかしそれをもっと徹底的に経験したのは、例えば加藤 諦三さんです。
"運命のうけいれ方" という本に、そういうことが詳しく書かれています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
私も悪く甘やかされてるのかもしれない、
と少し思いました。
わたし自身は、親を憎んでることはしてません。
でも、やっぱ自分でも思うのが
「親に自立した土台をつくってもらっていない」
ということです。

本を読んでみたいと思います。

お礼日時:2009/06/30 12:39

「自己責任」とは「弱肉強食」のことでは?


生き残るために自分も他人も道具にして利用する。
現状はそういう傾向が強い社会だと思います。

上位10%はハッピーだけど下位90%は踊らされる。
上位10%を目指すのか、それとも別の道を追求するか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/30 15:23

社会が何かをすることはないと思います。


しているのは個々人の行動だけのはずです。

人生が計画通りにいかないのはごく普通のことだと思います。
計画したことがその通りになるのなら未来予測は全て当たることになって
しまいます。
上手くいかないことが当たり前なら常にその結果に対して柔軟に対応して
計画を修正したり,計画を立て直して可能な方向を見つけ出していくしか
ないはずです。
そのために失敗や間違いはその方向性を示してくれるヒントになってくれる
モノだと思います。
失敗や間違いが役に立たないものだと見捨てていれば,貴重なヒントを
見逃すことになってしまうかもしれません。

自立とは失敗や間違いをしながら自分を育てていくことではないかと
思います。
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この回答へのお礼

回答されたことは最もですね。
>失敗や間違いに柔軟に対応して、貴重なヒントを得る。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/30 07:50

今の社会も昔の社会も関係ないと思いますね。


完璧な社会など未だかつて地球上に存在したことはなかったと思います。
戦争とか饑饉とか自然災害とか革命とか奴隷制とかそれこそいろんな時代から比べても
今は極めて平和でのどかな時代だと思いますよ。
自然淘汰ということでいうと変化に適応できないから淘汰されるのではないかと思います。
リストラされたり会社がなくなってもありのままの変化を受け入れて普通に生きてる人もいれば
環境の変化を受け入れられずに鬱になったり自殺する人もいるのかと思います。
肩に力が入りすぎてるというか適度に抜き方をしらないのでしょう。
ゼロか100しかなくアバウトさがないからパニックになりやすい。
だからそういう人は原始時代であっても封建社会であってもやはりうまくいかないだろうと思います。
現代社会でうまくやっていける人は逆に原始時代でも生きていけるのだと思います。
すべては環境適応能力なのですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
いろんな考え方があるんだな、と思いました。
私も自分なりの考えを持ちたいです。
参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/29 19:49

>今の社会は、どうなってるんですか?


疑問はもっともですね。
時間を追って説明します。

日本が現在の「文明国」として、世界的に認知されてきたのは明治時代以降です。
このときは現在のような「グローバル社会」というものは形成されていませんで、各国独自の文明レベルを比較対照するに過ぎませんでした。
自国での生産物、自国での発明品、という感じですね。
そして二次戦に敗戦した日本に「アメリカ文化」が流れ込み、同時にお隣の朝鮮での動乱が始まり、日本は戦争物資などをアメリカを通じて配給させることで、敗戦の不況から一気に豊かな状態に早変わりしました。
その後、高度経済成長を進める日本は「グローバル経済」の流れに乗り、安くて高品質な自動車の開発生産などを行い、それを輸出することなどで外貨を獲得しました。
そして現在の「経済」は、完全なグローバル化に移行してしまい、自国で高品質な生産物は「人件費が高いから」出来なくなり、賃金の安い海外での生産に取って代わりました。
おまけに一部の投資家などが行った「金融政策」の大失態の結果(リーマンショックなどもそうです)、世界は「取り返しがつかないような」大危機を迎え、日本も例外なくその「あおり」を受けてしまったわけです。

前置きが長くなりました。
今や日本の経済は「バランスを著しく欠いた不完全なもの」になっています。
ですので「頑張らないのは、当たり前」のような風潮があっても、それはある意味「現実的」と言えなくもありません。
裏切られるなら裏切ってしまえ、というのも、人間の「生存本能」から照らし合わせればそうかもしれませんね。

しかし、それらはみな「非生産的行為」です。
何も生み出さず、何も変えられないのです。
現況がどんなにか「不具合」が多いとしても、それでも「逃げる」ということが非生産的行為である限りは、逃げること、否定することを継続することは「生への否定」だと思います。

「自立」というものも、皆達するところは「生存」であり、「生殖」である、と思います。
未来の展望を暗く持つことは、現在の状態を考えれば「誰でも出来る」ことです。
先に長々と歴史について書いたのは、この「現在の状況」が、
「今までとは違う、日本人が未経験の種類の危機」
だからです。
ですから「昔の常識」は、もう通用しないんです。

学校などでいろいろなことを知ってきたと思います。
しかし「教科書に載っていないもの」は、誰も教えてなんかくれないのです。
「素直に」生き方を教えてくれた諸先輩方(もちろんご両親たちにも)に感謝の気持ちは必要ですが、これからは益々「自立」の意義を個々が問わなければいけない時代が来ますし、個々の生き方の「是非」が問われる時代が来るはずです。
「他人と同じが良いや」という常識は、もうどこにも無いといっても過言ではないでしょう。
なんと厳しい時代でしょうか!?。

しかし、未来を任されてこの世に生を受けた以上、このまま「負け犬」になるか、自分を確立して自分なりの人生を歩むかは「自分しだい」です。
貪欲に「生」というものを見つめてください。
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この回答へのお礼

とても詳しく説明して頂いたので、とてもよく分かりました。
(自分なりに・・・です。)
回答を読ませていただいて感じたのが
他人の考えが自分にとって最善なものかは分からない。自分は自分で、知識を持ち、情報を区別し、自分の行動に責任をもち、自分の道を自分で選んでいくしかないな、ということです。
厳しいですね。人に流されとけば、いいや、という問題じゃないんですね。
自分を確立するために、自分を見つめ直し、知識を取り入れたいと思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/29 19:33

そもそも勝ち負けに拘る事が違うんじゃないですか?


それぞれ自分の人生を歩んでいるのですから、人の評価なんて関係ないんですよ。
頑張ってもどうにもならない原因がどこにあるかによってはそこから逃げた方が賢明である場合もあり、判断を誤ってそこで頑張ってしまうと自滅する事もあると思います。
確かに、質問者さんの仰るように今がどんなに安定していたところで先はわからないので、頑張り過ぎるのではなく程々に頑張るくらいがいいのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/29 18:22

こんにちは。

なかなか深いテーマですし、鋭い洞察ですね。確かに今の社会は様々な場面で無理が出てきているように私は感じます。今の社会・時代は、今までの固定概念が崩れる時代、今までの価値観が崩壊している時代、また今までの無理してきた面が表面化してきている時代のように感じています。

どんな場合でも責任は自分で取らなければならないと私は思いますが、そこには「努力する」「頑張る」は全く必要は無いことだと感じています。特に戦後から高度成長期に掛けての社会の発展の影響もあり、頑張ったり努力することが当然のようで、その影響が家庭や学校でも当てはまり、私たちは「正しくなければならない」「間違ってはいけない」「成功しなければ失敗だ」というように教えてられてきました。確かに時代の流れで見れば、それがあったからこそ社会の発展が出来たと言う事もできたと思いますが、今の時代はそれが逆に機能しなくなりそれでは精神的に追い詰められてしまうことに気付いている人々が増え、結果としてより自分自身の内側へ意識が向いてきているように感じます。つまりは、集団から個ではなく、個から集団へ、というような流れを私は感じています。

そして、私たちの中にある「成功と失敗」という競争的な面や「正しくなければならない必要性」というものを手放す必要がある、もっと言えば、「成功と失敗」という概念を超えた部分へ行く時が来ているように感じます。そのためにはまさに自己独立が必要ですね。人は誰しも自己表現をする自由があります。もちろん、他人を操作したりすることはなく、尊重しあいながら。地球上の人全て皆価値観が違いますし同じ人は誰一人としていません。自分には自分にしか表現できないことがあるはずです。その面を抑えるのではなくて、自分を表現していくことが完全なる独立へと繋がっていくように感じています。自分自身にしかできない事を表現しているとき、そこには努力や頑張るというものもありませんし、他者からの評価はあったとしても、自分自身を自分で承認できていれば、他者さえも承認できている状態ということに繋がるので、常にワクワクとした生き方になり、成功とか失敗という概念さえ必要が無いところへ向かいます。負ける必要も無いし、勝つ必要もありません。他人から見れば、頑張っていたり努力しているように見えたとしても本人はただ自分自身が表現したいことを表現しているに過ぎません。

この意味で私が考える自立とは、「自分にしかできない事をこの世界で表現しつつ、自分や他者を承認し、自己実現している状態」だと感じています。そのためには、今までの人生で構築してきた家族や社会から無意識的にも意識的にも受け入れた成功と失敗のパターンの源を知り、そこから生まれた内側の葛藤をリリースする必要性があるでしょう。人は慣れ親しんだパターンから離れることは、とても大変です。それをしてしまったら、自分が変わり者になってしまうのではないか、とか誰かに何か言われるんじゃないか、という恐れがあるからです。でも、本当に独立・自立するには、自分が持っている内側の葛藤を見詰める勇気や、本当に自分を表現してもよいんだという決断が必要になるでしょう。

以上ですが、ちょっと質問の趣旨とずれてしまった点があるかと思いますが、あくまでも私個人の体験から回答させていただきました。何かの参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
私も皆ひとりひとりが個性を表現し、尊重し合える世界になれたら、とっても素晴らしいことだと思います。
回答者様の通り、自分にしか表現できないことを表現するのは、そこに「勝ち負け」はないですし、自分にしかできない使命みたいなのを感じることができて、とってもやりがいを持てると思います。
とても参考になりました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/29 18:12

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