ちょっと先の未来クイズ第4問

ときどき無責任な慰めの言葉をかける人がいます。

例えば、佐藤さんの家族が列車事故に遭ったとします。
かなり大きな事故で、乗客の生死は不明という報道が流れています。

そこで、友人の中山さんが「大丈夫だよ。きっと助かるよ」とか「心配しなくても、きっと生きて帰ってくるよ」などと慰めの言葉をかけます。

私は、こういう無責任な慰めの言葉って大嫌いです。
本人は、慰めのつもりで言っているんでしょうが、大きな列車事故に遭ったご家族の生死なんて誰にも分からないわけですよ。
それを、簡単に「きっと助かるよ」「きっと生きて帰ってくるよ」なんてどうして言えるんですか。
もし、そうでなかったらどう責任を取るつもりか、と言いたくなります。
すごく無責任な言葉だと思うんです。

こういう無責任な慰めの言葉をかけられても、よくそんなことが言えるなと腹が立ちます。
私なら、少なくともそんな無責任な言い方は出来ません。

貴方なら、こういう無責任な慰めの言葉をかけられて嬉しいですか。
それとも腹が立ちますか。

A 回答 (10件)

No.4です。


No.8の方へのお礼の文章を読ませていただきました。

貴方が不快になったのは
余裕があったためではなく、なかったのだと思いますよ。
前の回答でも申しましたが、心が強い衝撃を受けると
過剰な反応が生まれたり、逆に無反応になったりします。
これはどちらも防除心理です。
そのために慰める側が
『相手の感情表現を妨げる言葉』を言ってはいけないのです。
心に生まれた些細な感情も
表に出させるような対処の方法が必要になってきます。

質問をされたのがこちらのアンケートカテなので
様々な回答が寄せられていますが、
例えば貴方と同じ経験をされた方たちに
この質問を投げかけていれば、きっと
「私もそうでした」という回答が多数だと思います。
経験者のほとんど全ての人が一時期そうした感情を持ちます。
貴方が細かい性格だからではなく、それが正常な感情なんです。
まず貴方自身がそれを認めてあげてくださいね。

強い衝撃を受けた後の心の回復には時間がかかりますが
それぞれの「段階」がありますから
自分がどこにいるのかを認識することも回復への道だと思います。
もしも興味があるようでしたら
心理学のことを本やネットで調べると
貴方の持たれた感情が特別なものではないことが
すぐにわかりますよ。
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この回答へのお礼

有難うございます。
なるほど、そうですね。
余裕があれば、カチンとくることもなかったのかもしれません。

お礼日時:2009/11/22 10:20

その言葉でうれしいと思うかどうかはわからない。


よっぽどへこんでいたら、もしかしたらありがたいと思うかも知れない。
少なくとも、腹が立つ事はないし、それを「無責任な言葉」と言う風にも受け止める事はない。
もしかしたら、まったく耳に入ってこないような精神状態に私がなっているかも知れないし。
また、私がそのような言葉を人にかける事はありません。
言ってもあまり意味がないとたぶん思うし。
まあ、無責任な事は言わないでいようと言う気持ちにもならない。
それが無責任な事だとは少しも思っていないし。
と言う視点から、意味がない言葉を聞いても、意味がない言葉だと思うだけです。
これで腹まで立てるなんて、よっぽどどうにかしてるような気がして、そんな人だとわかっていたら、絶対に言わないようにしないといけないから、前もって教えてもらっとかないといけません。
そんな事をあらかじめ聞くのもあほらしいので聞かない、だから、言わない。
まあ、もし、私がそんな言葉を言って、相手が立腹したら、その場で言いあいになって、口げんかになって、「なんだ」と言って、しばらく口をきかなくなって、もしかしたらそれっきりになって。
と言う視点から、ただそれだけの事で、あまりにも馬鹿らしいから、言われて腹を立ててもどうにもならない、と思っていて、腹を立てない。
それ以前に。
私は人から慰められるほどにどうにかなったりしないし、そんな私を見て友達の方が、かえって心配してくれるだろうから、私自身が身内の心配などもしそうにありません。
事故の結果報告を待つ、だけですもの。
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この回答へのお礼

有難うございます。
ある意味、達観されているのですね。

お礼日時:2009/11/22 10:23

No3です。



『悪気がないのは許せ』
と言っているのではありませんよ。
それにいちいち反応して怒る必要はない、といっているのです。

というか、本当にそういう状況のときには
心配のことが先にたってしまって
他人の言っていることにいちいち怒っている暇もないんですけどね。


ご質問者がそういうことを言いたくないなら
言わなければいいですし、それがご質問者なりの気遣いなのでしょうから
『やめろ』とか『するな』とは言いません。
ですが、その尺度だけで、他人の言動の全てをはかって
いちいち怒るのはおかしいと思いますし
それだけ人間として小さい証だと思いますけどね。

もしも、気分を害されたならお許しくださいませm(_ _)m
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この回答へのお礼

有難うございます。
列車事故の例えは、極端な例ですが、それに類するケースを経験したことはあります。
そのとき、無責任な慰めの言葉をかけられました。
素直に嬉しいとは思えませんでした。
心も安らぎませんでした。
なんだか嫌な気持ちになりました。
そんなに簡単に言ってくれるな、と言いたくなりましたね。
安易な言葉だと感じました。
相手が私の気持ちをほんとに想像して(くんで)言ってくれた言葉だとは思えませんでしたね。
相手に悪意はないのは分かりますし、慰めのつもりで言っているのも分かります。
それでもなんだかそういうのって嫌なんです。
そのときは、自分にまだ余裕があったからですかねえ。
ほんとに余裕がなかったら、そんなことを思ってるどころではないでしょうね。
ともかく、そういう慰めの言葉には素直になれないです。
「ムッ」とします。
相手に悪意がなくても、瞬間的にそう反応しますね。

自分の尺度だけで他人の言動の全てを測るのは、たしかにおかしいです。
人それぞれ価値観は違います。
そのことは承知しています。
だから、どんなケースでも怒るのではありませんよ。
ただ、そういう慰めの言葉だけは感覚的に受け入れられないんですね。
ほんとに相手の気持ちを汲み取るなら、私なら違う言い方をします。

まあ、相手に悪意がなくて、慰めるつもりで言ってくれてるのは分かりながら、素直に受け入れることが出来ないのは器が小さいのかどうか。
いまはまだ結論は出せないですね。

私は、割となんでも細かいところにこだわる性質があるので。

お礼日時:2009/11/21 17:36

理由は分かりませんが、


「必ず報われます」
の類のコトバは嫌いですね。
年間3万人の人が自殺しているという現実があるからでしょうか。
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この回答へのお礼

有難うございます。
相手のために尽くしてやれば、それはいつか自分に何らかの報酬として返ってくるという意味なら私は信じます。

お礼日時:2009/11/21 17:08

>簡単に「きっと助かるよ」「きっと生きて帰ってくるよ」なんてどうして言えるんですか。



ああ、その続きがあるんですよ本来は。
「きっと助かるから元気を出して」
「きっと生きて戻ってくるから泣かないで」

こんなふうに。

勿論、それが空虚な言葉であることは事実でしょう。
だって、生死が判らない状態で「助かるよ」なんて言ってるんですから、これは明らかに「空疎な言葉」です。

でも、身内が事故で死んだかもしれないという、恐怖と不安と憤激に押しつぶされそうになっている人にとっては、慰めの言葉はありがたいものなのです。
これは、実際にそういう思いをした人でないと、中々理解できないと思います。

「きっと死んじゃったよ」と言われるよりも、「きっと生きてるから」と言われるほうが、救われます。
たとえ、死んでしまっても。

責任とか無責任とかではなく、単なる慰めの言葉です。テンプレートですよ。
「このたびはおめでとうございます」などと同じです。
めでたくなんかないと思っていても、言います。
それが社会通念上、普通とされているからです。

ま、そういうことだと思いますよ。
それでも、堂々と「めでたくなんかないよ」と言ってしまうよりは、良いのではないかと思います。
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この回答へのお礼

有難うございます。
単なる慰めの言葉ですか。
儀礼的なものですか。
どうもそういうのって好きになれないなあ。
私が、素直でないからかな。

お礼日時:2009/11/20 18:30

その人が安心させようとしてくれてるコトは解るんです。

でも、自分に置きかえようとしてない感じがします。腹は立ちませんが、慰めてくれた人が遠くにいたんだって気が付くと思います。所詮、他人事。自分は痛くも痒くもないんだなって。

「あの時、きっと帰ってくるって言ったのに、帰ってこなかったらどうやって責任とってくれるんですか?」って聞かれたらどうするんでしょう。最悪の事態だった場合、慰められた人は、現実に直面した時、より強いショックを受けそうです。

質問者様の状態の場合、
「心配だと思うけど、無事に帰ってくることを今は祈って待とう。状況が解ったら、わたしに出来るコトあったら言って。」って言われたら、一番安心するかな。

深刻度が違うかもですが、昔、受験の発表待ちの時やばーちゃんがガンの検査の結果待ちの時、父が「人間、なるようにしかならへん。今は黙って待て。」と言ってくれました。

上記のような慰め方をする人って、自分の身内にも同じ様に言えるのかな?
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この回答へのお礼

有難うございます。
>「心配だと思うけど、無事に帰ってくることを今は祈って待とう。状況が解ったら、わたしに出来るコトあったら言って。」って言われたら、一番安心するかな。

 そうですね。そういう言い方の方が嬉しいし、私の心にはピッタリ
 きますね。

 より誠実な感じがします。

お礼日時:2009/11/20 18:24

貴方が経験者でないのに、そのように感じられるのであれば


貴方は感受性が強く気配りの出来る方なのだと思いますよ。

経験しなければわからないことは世の中に幾らでもあります。

200人ほどから慰めの言葉について
聞き取り調査をしたことがありますが、
経験のあるなしで 言葉が真逆であるのという結果があります。
一般にはよく使われる慰めの言葉でも
経験者だからこそ言わない慰めの言葉があり、
経験のない人は、
相手を気遣い、思いやりから発している言葉で
実はその相手を非常に深く傷つけているのです。

ではなぜ 優しい言葉で傷つくのか?!
これは受け取る側が普通の心理状態ではないためです。
命の危機に平常心ではいられません。
本人さえ自覚できないほど傷つきやすくなっているので
些細な一言が哀しみや不安を増幅させてしまいます。

善意の上でも言ってはいけない言葉
現実をつきつける言葉
相手の感情表現を妨げる言葉
慰める側はこれらに配慮しながら
慎重に言葉を選んでいくのがいいですね。
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この回答へのお礼

有難うございます。
善意の上でも言ってはいけない言葉は、たしかにあると思います。

お礼日時:2009/11/20 18:16

人はどんなに絶望的な状況でも、そうでないことを望みます。


ご質問者のおっしゃっておられるように
『無責任』に見える発言に聞こえるかも知れません。
でも、そう言う人もそういう願望をこめてそう言っているだけであって
決して悪気があるわけではありませんし、間違っても
『もうダメだ』
などというような否定的な言葉を言っては火に油を注ぐようなものです。

というかご質問者のように
自分の尺度だけで他人の言動全てを推しはかるのなら
励ましの言葉も慰めの言葉もどんな言葉もかけられなくなってしまいますね。

声をかけないくらいの方がいいですか?
まさか、声をかけられなくなったら今度は
『慰めの言葉のひとつもない』
と立腹されるのでしょうか。

なんにせよ、他人の言動に勝手に怒っているのは『ご質問者』です。
人が悪気があっていうことならともかく、悪気がないことを怒るのもどうかと思いますけどねぇ。
┐(´~`;)┌
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この回答へのお礼

有難うございます。
願望を込めて言っているのは分かります。
声をかけてほしくないとは思いません。
悪気がないのは分かりますけどね。
なんかそういう言い方って好きじゃないんですよね。
この例だけに限らず、どんな場合でも悪気がなければ全て許せるかというと、そうではないと思いますけど。

お礼日時:2009/11/20 18:12

そうですね 難しい 確かに当事者ではないので無責任といえば無責任


どんな友人レベルか 親友? 単なる知り合いか 相手にもよるでしょう
でも その仮説佐藤さんはその時そう想っているでしょう? なのでそんな慰めは たぶん友人の不安や悲しみを理解したい 出来ないとしても 同じ感情で居るからこそとの想いでしょう
少なくともそんな結果が不明な状況(死の可能性があるそんな場合で直接声を掛けられるところへは友人の中でも親友 か親身に想ってくれている親族等しか来ないでしょう)で他人から声を掛けて貰えるなら 私ならどんな慰めでも感謝です 結果不幸があってその人から「残念だったね」も感謝です
逆に 同じくその時に(駆けつけられないからではなく)避けてて(そんなの何となく大概わかります) あとで結果知ってから 単なる知り合い(や 遠い親戚とか)から内容も知らずに「大変だったね」とかの方がイヤかな

実際に親友が仕事中高所から転落事故に会いました 後頭部頭蓋骨陥没骨折・・・ その時医者は嫁さんに「無理かも 覚悟しておいて下さい」と言ったそうですが 私は「ぜったい目を覚ますから」と言いました たしかに全く無責任ですが 私はそうとしか言えませんでした 嫁さんがその言葉に感謝していたかは聞いていないので不明ですが

言った相手が泣いていたなら ほとんど本気の言葉です と思います
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この回答へのお礼

有難うございます。
本気で心配しているからこそ、そういう言葉が出るのだということは理解できます。
でも、何か引っかかりますね。
少し言葉が軽いという感じ。
私なら違う言い方をするだろうなあと思います。

お礼日時:2009/11/20 18:03

中山さんのいう事が好意からである事は明白です。

後は受け取る側の器量の問題です。
好意で言ってくれたのに、自分が受け止めきれずに怒りをぶつけたら自分だったら後でとても後悔しますね。

切羽詰っている時は聞き入れる余裕がないのは良くわかります。自分だってこんな事を言っても実際に八つ当たりをしてしまう事も再三ですから。

ただ、口から出た、耳から入ってきた「セリフ」は実はどうでもいいのです。大事なのは相手の好意の気持ちであって、それまで否定するのは間違いです。
佐藤さんが生きているかどうかなんて誰にもわからないでしょ。だから誰の口から出てくる言葉そのものにはすべて意味はないのです。

重視すべきはそんな言葉をくれた人の気持ち。

仮に言葉をくれなくてもその人が「ざまあみろ」「馬鹿が」「死んで当然だ」と思っていたとしたら?
黙っていてくれたとしても、そんな人にはその場に居て欲しくはないでしょう?

言葉にだけ反応して腹が立つのは余裕がないからです。余裕があれば「どうしてこんな事を言ったんだろう」と考えられますから。
そこに到達できれば「こんなに心配してくれているんだ」という事に気付けるはずです。

そう考えれば良いのでは?
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この回答へのお礼

有難うございます。
余裕がないからですか。
そうかもしれないですね。
ただ、私ならそういう言い方はしませんけどね。

お礼日時:2009/11/20 17:55

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