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「アカシアの雨がやむとき」の歌詞で不明点があるので教えてください。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND194/index.html

1.「アカシアの雨」とは、「アカシアの花がちるのを雨にたとえている」のか「アカシアに降る実際の雨」のことなのか?
2.「ペンダント 白い真珠のこの肌で」の真珠は「ペンダント」にかかりますか、「肌」にかかりますか?自分の肌を真珠のような白い肌と美称しているのでしょうか?
3.「むららきのはねのいろ」は、「私の抜けがら」で、かつ「飛び立つ影」とありますが、抜けがらがどうして飛び立つのでしょうか?死体はベンチにあり、飛び立つのは魂ではないですか?それとも魂が鳩となって飛んでいるのでしょうか?

A 回答 (5件)

私の処に詳しい資料が全く無いものですから・・・もし解釈が間違えていましたら済みません。



1.「アカシアの雨」とは花では無く、アカシアの花が咲く時期の冷たい雨をさすと思います。3番で「雨がやみ青空~」ですから。

2.白い真珠のペンダントでは無く、自分の「白い真珠のこの肌」です

3.この部分はかなり抽象的な表現なので?な部分が多いのですが・・・。抜けがらはベンチに有ります。ただ「鳩の紫の羽の色」が前に有ります。
鳩の羽は白と紫が混ざって居ますので白を魂、紫を肉体と考え表現したのか?とも感じます。
「飛び立つ影」は、『あの人を探す魂』を鳩に例えたものと思います。

元、土木現場監督の解釈ですから・・・余り自信は無いです・・・。
 
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No.4です。



「アカシアの雨」はニセアカシアの花の咲いている様子を喩えているとも考えられますね。
新緑とともに咲く花ですから、朝日の光と同じく、新しい生命の息吹、再出発を象徴する物だと私は思います。
http://pub.ne.jp/zama/?entry_id=173320
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「アカシアの雨」は以前の回答者の方と同じく、アカシアの花の時期の雨のほうと思いますが、あるいは両方に意味がかけられているのかもしれません。


http://kotobank.jp/word/%E6%8E%9B%E3%81%91%E8%A9 …

「白い真珠のこの肌で」は「ペンダント」と「肌」の両方に掛けられた「掛詞」です。
日本の短歌でも最も一般的な技法です。
白い真珠の肌とひとりの男を思い続けた一途な心も重ねているのでしょう。
また主人公が年若いことなども暗示しています。

肌で思い出す短歌といえば与謝野晶子の
「やは肌のあつき血汐(ちしほ)にふれも見でさびしからずや道を説く君」
があります。

「むらさきのはね」のあとは確かにつじつまがうまくあっていません。
ニセアカシアの白い花
真珠の白
青い空
朝の日の光
と、この歌は色のイメージをうまく使って来ていますから、飛び立つ鳩の羽の一瞬の紫をここで入れたかったのでしょう。
飛び立った鳩を追わずにベンチに残された抜けがらを見ると、飛び立った鳩の小さな影が地上をかすめて行きます。この影の色と一瞬の羽根の紫を連想させているのでしょう。

帰ってこない男をあきらめて、新しい道へ旅立つ決意が込められた歌のように思います。
かなわなかった夢をひとつの死と捉えている所、現実の死ではなくて歌の中での死に自分を重ねることでカタルシスを得られるからこの歌が共感されたのだと思います。
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1.「アカシアに降る実際の雨」のことですが、このアカシアは多分に観念的なもので実在するか否かは別です。


2.自分の肌を真珠のような白い肌と美称している。ここは違和感があります。「真珠のような白い肌」はむしろ自分の純粋な恋心を重ねています。
3.死んでベンチに倒れている自分の肉体と、そこから抜け出して空に昇って飛んでいく魂とを分離して表現しています。それは苦しい恋から脱却して自由になりたいという気持ちも表わしています。
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3番を分解すると


 
 
アカシアの雨が止む時(に)青空(を)さして鳩がとぶ
 
むらさきの羽の色(の鳩が)
 
それはベンチの片隅で冷たくなった私のぬけがら(から)あの人をさがして遥かに飛び立つ影よ
 
 
だと思います。「むらさき」は「私」の心象風景の反映であって、これを真ん中に持ってくる事によって前段の詞と後段の詞の橋渡しをしてるんだと思います。
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