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キリスト教の人は皆「クリスチャン以外の人は地獄に落ちる」と思っているのでしょうか?
友人がクリスチャンなのですが、最近になってそういうことを言うようになってきました。(ここ数年の変化なので途中で指導者が変わったのだと思います。)
私自身は特定の宗教に傾倒していないし、逆にキリスト教を否定するつもりもなかったのですが、友人の様子を見て考えが変わってきました。
別の友人と話したところ、その子の友達のクリスチャンはそんなことを言わなかった、と言われたのですが、ケンカにならないよう口にしていないだけで、内心はそう思っているのでしょうか?

他にも知りたいことはありますが、まずこれだけ知りたいです。よろしくお願いします。

A 回答 (13件中11~13件)

「抑(そもそも)地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば・或は地の下と申す経文もあり・或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候」(十字〈むしもち〉御書、日蓮大聖人のお言葉)



天国や地獄といっても、どこか別の場所にあるのではなく、あくまで我々自身の生命のなかにある、との仰せです。

キリスト教などでは「最後の審判」と称して、人は死に直面すれば神に裁かれ、悪人は地獄に堕ちるという考えがありますが、そうではない。自分の生前の行いにより、因果の理法によって、自分自身が自分自身によって裁かれるのです。つまり、地獄に堕ちるとしても、それは自分自身が積んだ原因による結果なのです。これが仏法上の教えです。

また、地獄に堕ちるというのは、上述したように、具体的に地の下に落ちて、閻魔や鬼などに断罪されるということではありません。仏法でもそのように説く場合がありますが、それはあくまでも象徴的な譬えにすぎない。人間の生命は永遠で来世にも続く。ゆえに、生前の悪行が原因となって、その結果を来世の自分の人生の中で招き出さざるを得なくなる。そして来世の人生は、人からいじめられたり、様々な災難に直面するなど、地獄の苦悩と化してしまう。これが、現実的な「地獄に堕ちる」姿なのです。

キリスト教は「外道」で、仏法は「内道」であるがゆえに、このような見解の差が出てくるのです。「外道」といえば悪口のように聞こえますけど、自分の幸・不幸の原因を、神など自分以外の「外」に求める教えのことを「外道」と言うのです。逆に仏法は自分の「内」に求めるから「内道」と言います。

地獄に堕ちるか否かは、あくまでも生前の自分の行いが良いか悪いかによって決まるのです。その選択権者は、どこまでも自分自身なのです。少なくとも、単に「クリスチャンでない」から地獄に堕ちるということは、ないのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
仏教の教えはとても理解できます。特に自分を仏教徒だと思ったことはありませんでしたが、こういう教えは道徳として親や先生から教えられ受け継がれているのだから、意識しなくとも私たちは仏教徒なのだ、と書かれているテキストを見てなるほどな、と思いました。

悪いことをした人が地獄に落ちるという考え方はよくわかります。それも本当に落ちるかどうかはわからないけれど、概念としてそう教育しているんですよね。でもキリスト教では真面目に堅実に生きていても、ただクリスチャンではないだけで地獄行きらしいのです。その根拠が2番さんの回答だとしたらあまりに飛躍しすぎではないかと思いました。

お礼日時:2010/06/14 23:37

カトリックとプロテスタントでは死後のあり方の解釈、教えが異なりますが、神を信じなかった者、つまりノンクリスチャンが死後どうなるか?その結論はわからない、です。



へブル9:27
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっている。

聖書には神を信じなかった者が死後、いわゆる地獄に行く、という表現、記載があります、又生きていた間の行いによって裁かれる、との記載もあり結局わからないのです。

よって数年前、プロテスタントサイドで、セカンドチャンスという解釈が取りだたされ話題になりました。
セカンド、二度目、つまり死後、もう一度、神を信じる機会、救われる機会がある、というものです。
これも一応、聖書の記載に基づいての解釈です。(異論、反論が交じわされました。)

さらに最終的には死後、ある過程を経て人は皆救われる、という万人救済説というのもあります。

ところでキリスト教は予定説です、予定調和、すなわち神が全てを支配している、起承転結全てを把握している、人が生まれて死ぬまでの間、どの様な行いをするか全て、その人が生まれる前から知っている、という事です。

ならば福音、救い、というものが究極人には解らないもの、人智では解らないもの、という事になります。

ここに信仰というものが在ります。(抽象的でご理解頂けないでしょうが、)
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この回答へのお礼

地獄云々の根拠を聞くと、クリスチャンは聖書にあるから、と言うようですが、その該当箇所がへブル9:27なのでしょうか?他にもありますか??

死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっている。

これだけではキリスト教以外の人が地獄に落ちるとは読めないのですが、具体的に書かれている箇所があるのでしょうか?

お礼日時:2010/06/14 10:45

webを探索すると、クリスチャン以外の人は「人」じゃないなんていう解釈も実際にあるらしいですね。


だから、思っていても不思議じゃないかなーって思います。これはキリスト教徒にかかわらず。
昔からの仏教も実は同じなんですよ(あがめるのは始祖ね)。新興宗教系の仏教も(あがめるのは教祖(人間)ね)。新興宗教なんて、もっとひどいですよ・・・(笑)

そういう判断をしている非宗教者です。地獄を信じるほどでなければ、ここに溝があるな程度に思っていればいいですよ。人口爆発期を経験している現世を把握すればさ。

生まれてすぐ死んじゃったら、地獄におちるわけですよ。意味分かんないですよね。
地獄から来た人も、天国から来た人もいないのに、その存在を信じること自体、奇妙ですよね。

所詮、宗教は太古のローカル宗教の概念を統合したようなものですから、どこかの宗教で
そういう地獄とか天国とかあったのかもです。よく見てみると、宗教それぞれが言ってる言葉
は、他の宗教でも出てきますよ。言葉とかが違うだけで、意味するものは一緒なんですねー、
そこに文化の継承まで見てとれるわけです。

広く知られているので、古くはエジプト、5000年前にありますね。

あんま気にしないってことですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
新興宗教はそうですよね。日本の宗教でも復活説とか書物に載ってるから真実だ、とか同じような主張をしている宗教もたくさんあるようです。友人もかつてはその手の考え方を非難していたはずなのですが・・・。

>あんま気にしないってことですよ。
自分たちのことを地獄に落ちると思ってる人、だと思うとすごく気味が悪いです。

お礼日時:2010/06/14 10:22

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