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はじめまして。
キリスト教の洗礼を受けるべきかどうか悩んでいます。


私はカトリック校に在籍する高校生(哲学科への進学希望)、祖母、父はキリシタンです。
唯私は洗礼を受けていません。
また、今まで宗教には全く関わりのない生活をしておりました。

まず、洗礼を思い立った経緯について話させていただきたいと思います。
最近はすっかり落ち着いたのですが、一頃自傷に至るほど自己否定が激しく、
父の援助のおかげで緩和した後も、
独善とした人間性や自身に対する激しい拒否は解消されたわけではありませんでした。
その結果思ったのは、
私は自身のことを、「私を生かす存在」として認識しているのが悪いのではないかと言う事でした。
外的なものに「生かされる存在」でなく、「生かす存在」と思っているからこそ
自身を思い通りに傷つけてよい、生死の選択を許されていると思ってしまったのではないか、
その結果自身以外を眼中に入れない人間になってしまったのではないかと。
私はできれば独善とした態度を改め善き者になりたい、
他人に対して誠実にありたいと思います。
そして「生かされている」と言う事を実感し、大きな指針のもと倫理的にありたい。
また、どこかで主のようなものに縋っていることも自覚しております。
信仰と言うものを悪いものとは一切思っておりません。

唯私が洗礼を受けることを躊躇しているのは、
一つに私は今心底信仰を得ているわけではない、むしろ即物的な思考を持っていること。
二つに覚悟の問題。
そして最も大きな懸念は、私は自身のためにキリスト教を利用しているのではないか、
神を愛するためでなく自身を愛するための道具にしているのではないかと言う事です。
善い事と思っている信仰に対して、私は誠実になりきれておりません。
確かに聖書は素晴らしい、興味深いものとして読んでおります。
しかしそれだけでよい訳では決して無いでしょう。
信仰は日々聖書を読んでいくことで勝ち得ていくものなのか、
深い信仰を自覚したときに初めて洗礼を受けることが許されるのか、
今それらに結論を与えようとすることが間違っているのか、
これらに答えることができません。
キリスト教徒に求められる意識とはなんでしょうか。
イエスに対する敬虔さでしょうか。
それともキリスト教そのものに対する思いでしょうか。
教義に沿い、自身の精神を神の求める形に変えていく事でしょうか。
キリシタンの方に特にお伺いしたいと思います。



拙悪な文章で申し訳ありません。

A 回答 (3件)

こんにちは。



キリスト教徒にも実に様々なタイプがあります。
キリスト教徒である私個人の意見として、教会や教えとは無関係に言わせて頂きますが「洗礼を受けているかいないかはあまり関係ない」と思います。
洗礼を受けている人でも受けていない人より神から遠そう^^;な人は沢山いるでしょうし、逆もです。

ですから、洗礼を受けるか否かよりもそのまま探求を続けて行けば良いと思います。
神様のお計らいは質問文から推察するあなたの神様への理解を遥かに超えてきめ細かく力強く、確かで寛容です。

洗礼を受ける資格を考える必要はありません。
あなたが受けたければ受ければよろしいし、まだ受けるべきでないと判断したなら受けなくてよろしいと思います。
そんな事と言ったら他の信徒さんに怒られそうですが、それを気にするよりも神様を実感し、神様を体験してください。
ほぼ確実に今お悩みの事柄は消え去り、right choiceに至るでしょう。それが洗礼う受ける事か受けない事かは私には解りません。
でもいずれであってもright choiceである可能性があると私は思います。

神様は体験したり感じたりするには、安全でオーソドックスな道は「生(活)きる」事です。
環境問題でも良いし、社会問題でも良い、何か現在の信仰をもっているとハッキリ宣言できない現状の自分でもこれは大切な事だと思える事で活動してみては如何でしょうか。
活動するところに問題は生じ、その問題は誠実に対処する事によって正しい方向に導いてくれるパイロット(水先案内人)となります。
そういった生活自体があなたにハッキリと認識させてくれると思います。

現代は良くも悪くも自分自身を大切にできない人は他人を大切にする機会を得難い時代です。「自分を大切にする定義は色々ありそう」ですが、それもレベルや段階によって違うだけでほとんどのものは正しいと言えるもので、擬い物は少ないと思います。ただ「自分のレベル、段階はどこか」を見極める必要はあるかもしれませんが。
洗礼を受けるか否かより、自分の人生に自分のその時その時のレベル、段階に合った誠実や愛をもってできる限りの力を使って自分を含む周囲の人々の支えになり、力になりする事を考える方が大切だと思います。
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この回答へのお礼

遅くなってしまい申し訳ありません。

素晴らしいご回答ありがとう御座います。
確かに、キリスト教について「こうでなければいけない」と私に制限を与えるもののように捉えていたかもしれません。
Apsotleさんの仰られたことが私には非常に新鮮で、
行動し周囲に向き合うことが水先案内人の存在を感じさせてくれるという言葉を胸に刻んでいきたいと思います。

このご回答を今後の行動の参考にしていただきたいと思います。
ありがとう御座いました。

お礼日時:2012/01/29 00:29

私個人の意見を述べさせてもらうと、


躊躇があるなら洗礼は今は受けなくてもいいのではないでしょうか?

というのは、キリスト教には大切な「信条」というものがあって、簡単に言うと、これを信じていなければクリスチャンとは言えないというスタンダードのようなものがあります。

内容的には、簡単に言うと
・イエスキリストは受肉した神である。
・私たちの罪を背負ってそのために十字架につけられ死に、贖罪を行い。
・三日後に復活した。

これらを比喩や神話ではなく「事実」として信じている人がクリスチャンなのです。
最近の信条は口語体になり、これらがあまり意識されず、わかりにくいですが、
要するにこういうことです。

あなたは、神の存在や、自分を生かしている大きな力などは信じていらっしゃるように
感じられますが、さすがに上に挙げたような信条は信じていないでしょうね。
でしたら急ぐ必要はないと思います。イエスを道徳的に優れた人間と考えていたとしたら
それはキリスト教ではないし、正直、ほかの宗教を信じるのと差がないと思います。

ただ、誤解してほしくないのですが、あなたが今回、このような相談を書かれた
というのは間違いなく神の導きだと思うのです。
私があなたに言いたいのはたった一つ、聖書の言葉、

「心をつくし、知性をつくし、精神をつくして私(神)を探すものは見出すだろう」

という言葉を確かめてみてほしいのです。
つまり、spirit soul mindを使って神とは何かを探してほしいと思うのです。
ここで大事なのは、mind(知性)です。
あなたは、神を証明のできないものと考えていると思いますが、本当にそうなのか?
探し求めてみてほしいのです。

あなた自身の問題とリンクしない答えなのでもやもやしていると思いますが、
私は、この探求の旅の答えが、あなたの人生のあらゆる悩みを解決する力を
持っていると信じています。

よい旅に立たれることをお祈りしています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとう御座います。
ご指摘の通り、キリスト教を道徳的なものとして認識していた事は確かです。
「狭き門」などを読んだ時は意識の隔たりを感じさせられました。
それをふまえ、唯今はキリスト教に興味を持てたという事を感謝し、
仰られたように神の存在について考えていきたいと思います。
明解なご回答がとても嬉しいです。
ありがとう御座いました。

お礼日時:2012/01/29 00:40

小生10年ほど前に洗礼を受けました。



年金生活者です。
献金するお金もないので教会には行っていません。

今では病気のデパートです。

もう墓場まで持って行く病気が5つ程あります。

所詮宗教なんて頼りにはなりません。

ゴツコ遊びなのです。
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この回答へのお礼

迅速なご回答ありがとう御座います。
若い者が何を言える訳でもないので言及は避けさせて頂きます。
一つ言うとすれば、救いを求めてこの件を考えているわけではありません。
唯、明らかに一つの点について疑問を思われていらっしゃるようですので
そこは改めさせていただきます。
ご指摘ありがとう御座いました。

お礼日時:2012/01/25 19:21

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