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キリスト教の人は皆「クリスチャン以外の人は地獄に落ちる」と思っているのでしょうか?
友人がクリスチャンなのですが、最近になってそういうことを言うようになってきました。(ここ数年の変化なので途中で指導者が変わったのだと思います。)
私自身は特定の宗教に傾倒していないし、逆にキリスト教を否定するつもりもなかったのですが、友人の様子を見て考えが変わってきました。
別の友人と話したところ、その子の友達のクリスチャンはそんなことを言わなかった、と言われたのですが、ケンカにならないよう口にしていないだけで、内心はそう思っているのでしょうか?

他にも知りたいことはありますが、まずこれだけ知りたいです。よろしくお願いします。

A 回答 (13件中1~10件)

簡単に言うと


イエス様を信じた人は天国に行けます。
クリスチャンじゃなくても信じるなら天国に行けます*
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クリスチャン以外は地獄に落ちる? そういう教えをしている会派に所属しているのかもしれませんね。

だとすれば「そこでは」そうなんでしょう。
プロテスタントの会派は無数にあります。米国では一牧師一会派といえるほど多いとも聞きます。
だから全てではありませんが、ないともいえません。結構「キリスト教原理主義」って多いですから。

でも、クリスチャン以外は地獄に落ちるなんて、聖書のどこにも書かれていません。逆にクリスチャンでも神に叛けば地獄に落ちます。

私は洗礼を受けるための勉強会で次のように教わりました。
「洗礼の最も大きな作用は『原罪に対する赦し』である。」
原罪とはエデンにおいてアダムとイブが犯した罪のことです。人はこの罪によって苦難の道を進まねばなりません。天国の門が閉じられているのです。
信者以外の人には原罪があるので、そのままでは天国に入るのが非常に難しい。
基本的には煉獄において原罪の許しを得なければならないということです。
洗礼を受けた者は既に現在を許され、天国の門を開ける鍵を手渡されている。ということでした。

でも、鍵を手に入れたから入れる訳ではありませんし、鍵を持っていなくても招待される資格があれば天国に入れるのです。
そして招待状は、真面目に暮らしていれば普通に貰えると、私は考えています。
煉獄というのは「とても強い苦痛だが時間は短い」と習いました。でも私は煉獄の償いとは死に向う恐怖ではないかと思っています。

独善的な考えは、中世にカトリックが犯した唯一大きな過ちだと私は思います。
カトリックに限らず、キリスト教の全ての教会はこの事を戒めとすべきでしょうね。
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全然回答と関係ありません、すいません。


tokkeyさんの回答を読みすごく救われた気持ちになりました。
私もクリスチャン以外の人は地獄へ落ちるのだろうかとかなり悩み恐怖感に襲われて苦しかったのです。
tokkeyさんに聞いてほしい悩みがあります。
良かったら私の質問を覗いていただきたいのです。

横からすいませんでした。
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こんにちわ。

OKWaver2010と申します。よろしくお願い致します。クリスチャンとひとくくりに言っても色々で、同じ教派(宗派)の中にも多様な考えがあり得ます。結局は聖書の解釈による違いであり、もちろん、クリスチャンは天国に行き、クリスチャン以外の人は地獄に行くと真剣に信じている者も少なからずいるでしょう。しかし、そういうことをやたらと他人に言うのは本人が確信を持っていないからです。相手に聞いてもらうことによって確信を得ようとする心理が働くわけで、かつてのS会のように他の宗教を否定して自分たちの帰依する教えこそ絶対なり、と排他的に主張しているような団体は、それだけ自信がなく確信が持っていないのです。議論をふっかけて他を攻撃することを通して客観化、自らの正当性を得ようとする心理です。しかし宗教の真実は論争の勝敗で決まるものではありません。この点でS会は宗教としてもレベルが低いということがわかります。信者の人数の問題ではないのです。さて、あなたの友人も、死後のことなどわかるわけがなく確信を持てないから、あなたに聞いてもらって確信を得ようとしているのかも知れません。本当に確信のある人は、死後のことなど誤解を招きかねないことには慎重な態度をとります。
新約聖書の中に次の有名な言葉があります。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。」(ヨハネによる福音書3章16~19節)
このように、御子キリストを「信じない者」、つまりクリスチャン以外の人は、この聖書の箇所においては「すでにさばかれている」のであって、死んだ後に地獄に堕ちるということではありません。すでにさばかれているというのです。「滅び」というのは死後のことではなく現在の生活の中にあるということです。それはさばきの結果ですが、さばきについては、「光よりもやみの方を愛したこと」、現在も「愛している」ということです。しかしそれは本人にとって苦痛でもなんでもありません。自分の意志でそうなっているのですから。そもそも、このような「光」と「闇」、おこないが「悪い」か良いか、といった二元的価値判断は、あくまでもクリスチャン側でのことです。一般的に言えることではありません。クリスチャンの行ないは「真理」で、クリスチャン以外の者の行ないは「悪」であると決めつけ、これを絶対化して語るなら、それは独善でしかありません。S会と同じです。そしてそのような独善的な態度は、イエスの福音に反することです。
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 私はプロテスタントのクリスチャンで、かれこれ20年以上、今でも毎週礼拝に集い、祈り、聖書を読み、神様から愛されていることを心から信じて喜んでいます。


さて、質問に対する答えですが、云われる通り多くのクリスチャンは、イエス様を信じていない人は地獄へ行くことになると信じていることでしょう。私もかつてそう信じていました。なぜなら、聖書にそのように書かれているからです。しかしながら、私は、こう確信ています。人類が誕生して以来、地獄へ行った人もいなければ、これから行く人もいないでしょう。どうしてそう確信できるのかというと、聖書に神様は全ての人を愛されていると書かれているからです。それが、どれほどの愛か想像できますか?こう考えてみてください。あなたのことを愛し、大切に思ってくれる人、家族や友人。もしくは、あなたが尊敬する優しさと思いやりを持って他の人のために尽くした偉人といわれるような人たち、例えばマザーテレサとか。その人たちが持っている愛情と比べ物にならないくらい大きくて深く、優しさと慈しみを伴った愛を神様は、私たち一人ひとりに持っておられるのです。その神様が、愛するものをノン・クリスチャンだという理由で地獄へ突き落とすようなことをなさるとは、私には到底思えません。
 だから、私はこう信じています。私が天国へ行ったら、そこで、イエスを裏切ったイスカリオテのユダもイエスを十字架に掛けたローマ人たちやユダヤ教徒たちもみんな天国にいるのです。それは素晴らしい光景でしょう。でもそれでは、キリスト教を信じることも、伝道することも意味がないという人もいるでしょう。でも、私は天国へ入れてもらうために信じている訳ではありません。私はただ、この地上に生かされている間、神様に愛されていることを幸いに思うだけです。そして、一人でも多くの人たちにもそのことを知ってほしいだけです。
 私の考えは、聖書の教えから著しく逸脱していると言っていいでしょう。ただこういうクリスチャンも中には、いると言いたかっただけです。
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宗派によっても違いますし、その人の信仰具合によっても違ってきます。



ただ、そんなことを言う人の天国って同じ様な信仰の人たちが集まっているところで、地獄は自分と同じ信仰を持つ人がいない場所だから、その考えはあっているんでしょうね。
逆にそこまで進行してない人は、その人の言う天国は地獄になるし、そこまで偏った信仰の人がいないほうが天国だと思いますよ。
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クリスチャンにはこういう発言が多いように思います。



残念ながら多いですね~クリスチャンは牧師の真似をしなさい。と言ってなくて
見習うのはキリストのみです、キリストはそんなこと言ったのでしょうか?
確か記憶にないと思います。人に仕えるのが本当のクリスチャン。福音good news
を伝える事が私たちの仕事です。信じるには時がありますからね。
あなた様のために祈るのが本当の意味でクリスチャンです。自分の力で信じることが出来ず
聖霊という神様の導きがあってこそ信じることが出来る。
神様の最善な時に初めて信仰が得れるので私たちはその時まで種をまいてあげるのが私たちの仕事ですね。
決して信じないと天国にいけないなんて脅迫めいた言葉を使うものではない。

もし言うなら神様はあなたの心を叩く時がありますからその時に受け入れてください。
神はあなたを愛してます・・この教えは難しくもなく行いによって救われるとは書いてません。
ただキリストを受け入れてください。クリスマスの時期には教会を開き誰でもこれますから
どうか話を聞きに来てください。
誰が天国に行くか誰かいけないのか私たちでさえわかりません。あの弟子のユダでさえ間違いを犯して
自殺されたみたいですね。
だからクリスチャンが天国にいける!なんていう専売特許みたいなことを言う人がいますけど
そんなものじゃないですね~それならもう信じなくても何をしても天国にいける?そんなことはないでしょう
生まれ変わり新しくならなければクリスチャンとは言いませんね~

まあみんながきちんと学べばいいのですが・・・気を悪くしたら許してください。
そして時期が来たら信じてね。
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No.5です。


>>仏教の教えはすごく好ましいのですが「輪廻転生」はよくわからないですね。

「輪廻転生」の考え方は、そんなに難しくないと思いますよ。前世を覚えていた子供なんて事例は山ほどいるようですしね。
ただ、「なんでそんなシステムがあるの?」とか「その目的は?」とか、守護霊システムなど、深く追求すると難しいようです。それは、超古代文明からのいろんないきさつや、地球という惑星の存在意義にもかかわってくることのようです。

>>日本にきてお寺や神社を観光する外国人も多いかと思うのですが、宗派によって
違うのでしょうか。

たぶん違うと思いますが、キリスト教の宗派について、詳しくは知りませんのであて推量です。

>>(友人は改宗してから絶対に神社などには入れないと言っています。)

まあ、神様どうしでも相性の悪いのはありますからね。イエスとマホメットは霊界でさすがにケンカなんてしないみたいですが、親しくしているとは、とうてい思えませんからね。

また、宗教上のいろんなルールって、神様の都合っていうよりも、人間様の都合によることが多いみたいです。その土地の環境、食生活事情を考慮して、衛生面から「○○してはダメだ。○○を食べてはダメだ。」なんてきまりが生まれているようですからね。(仏教、イスラム教等)

もしかしたら、「神社などに入れない」ってのは、信者を他宗派に奪われないための防衛本能から来ているのかもしれませんね。中国で言論の自由が無いのと同じ事情かもしれません。
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>>キリスト教の人は皆「クリスチャン以外の人は地獄に落ちる」と思っているのでしょうか?



科学技術が、それまでの研究成果を土台に進歩するように、新しい宗教も、それ以前の宗教から、どうしても影響を受けます。キリスト教にしても、イエスは伝道を始める前の若いころ、エジプトやアジアにて修行をしています。エジプトとくれば、ギリシャの信仰の流れをうけています。(キリスト教の女神信仰は、ギリシャ宗教の流れを受けているようにも思えます。)

そして、ギリシャ時代にも天国と地獄の思想はあったようですし、エジプトの信仰でも、死者の罪を計量し、天国と地獄に振り分けるような思想がありましたので、それを引き継いだといえるでしょう。でも、キリスト教では、転生輪廻の思想が明確ではないので、死後の状態はあいまいになっているようです。

それから、確かに「クリスチャン以外の人は地獄に落ちる」という言い方をする方もいるようです。これは、自分たちの宗派の勢力拡大のための「方便」つまりは「嘘」でしょうね。似たような言い方をする宗教は、他にもありますので、まあよくある話ってことでしょう。

ちなみに、地球に生きている私たちの魂は、「転生輪廻」「天国と地獄」っていうシステムの元で暮らしていますけど、他の星の宇宙人は、死後の霊界はあっても、天国や地獄が無いシステムを採用しているケースもあるようです。
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この回答へのお礼

仏教の教えはすごく好ましいのですが「輪廻転生」はよくわからないですね。

>自分たちの宗派の勢力拡大のための「方便」つまりは「嘘」でしょうね。
私もそう思いたいです。親日の外国人でクリスチャンの方も大勢いると思うのですが、皆が皆、日本人は地獄に落ちると思いながらいると思ったらすごく怖いです。
日本にきてお寺や神社を観光する外国人も多いかと思うのですが、宗派によって違うのでしょうか。
(友人は改宗してから絶対に神社などには入れないと言っています。)

お礼日時:2010/06/15 00:00

誰もわかりません。

また洗礼を受けても死んだ時に
あなたを知らないと言うばあいがありますね。

だから誰が天国にいけるのか 誰が地獄に行くのか誰もわかりません。
行いのない信仰ってあるのか?と聖書に書いてますしね。
単に洗礼があり教会にいくだけで本当にクリスチャン?
生まれ変わりがなく本当に心から感謝していないなら・・
同じように地獄に行くでしょうね。

また本来は相手を貶めて無理やりに信じさせることも出来ないし、
クリスチャンの言うべき事じゃないですね。
まず自分がふさわしいのか、考えるべきで他人の事を言ってる暇はないでしょう。
神様に私は地獄にいくと伝えました。主を感謝します。何て祈る事なんて出来ないでしょうね。

確かに信じないものは・・・と言いますが
まず信じる者が本当に信じる行動を取っているのか?という事を伝えているので
それを部外者にいい特権階級ごとく偉そうに言う資格なんてないですね。

間違った信仰のあり方だと思います。

別の友人は言ってないよね~私たちのできることは祈ることだけです。
どうか信じることが出来るようになりますように・・・と

(私たちは祈るためにいるのであって強制的に相手を不安がらせたりするべきものでなく
クリスチャンが絶対にやってはいけない行動 忌み嫌う行動だと思います)
だから誰が天国にいくのかわかりません。私たちクリスチャンでもふさわしい行動がないなら
やはり信じていないと言う事になりますね。

だから忘れて愛のある行動 寛容のある心を持って付き合いしてください。
(どっちがクリスチャン?的な行動なのでしょうね)
まあみんながきちんと教えを理解できるものじゃないんだよね~
今後教会に行く時は気をつけてね~


まあクリスチャンは友人を見ないで見るのはキリストイエスですね。そしていいところだけを見てあげてね。
みんな人間である限り間違いますから
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この回答へのお礼

私は友人の宗教を理解しようといろいろ文書を読んだのですが、
>特権階級ごとく偉そうに言う
↑クリスチャンにはこういう発言が多いように思います。

回答者さんはクリスチャンなのでしょうか?
友人の考え方はキリスト教から見ても間違っていますか?

キリスト教って、確か選民思想のユダヤ教を否定して生まれた宗教ですよね。だとしたら矛盾を感じますし、自分たちだけ幸せになれればいいなんて、本当に神の子だったら言わないと思うんです。
私は宗教以前に、人として間違ってると思うんですが・・・。

お礼日時:2010/06/14 23:53

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