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一度違う場で質問した内容なのですが、興味深かったので回答者にお礼と質問のできるこの場をお借りします。

キリスト教徒の方々は当然神の存在を信じているかと思います。
その神の天地創造の話に恐竜って出てきませんよね?
でもキリスト教徒の方たちが信奉している聖書に反する恐竜の存在に対する抗議とかって聞いたことがありません。
キリスト教徒の大半の方って恐竜とか人間が出てくる前の時代をどのように捉えているのでしょう?
恐竜がいたという方が嘘になるのでしょうか?恐竜の存在は信じないとか…
それとも、聖書に載っているアダムとイブなどが虚構の話と思ってるのでしょうか?

またもし、神の天地創造をフィクションだと捉えているのであればそれは教徒として許されるのでしょうか?
確か、主って自分のことを疑ったり否定した教徒を許しませんよね?
ということは、恐竜が嘘と考えてる?
う~ん、考えれば考えるほど謎です。

冗長な文となってしまいましたが、よかったら宗教に疎い私にお教えください。キリスト、ユダヤ、イスラム教の方たちでなく一般考えでも全然お聞きしたいのでよろしくお願いします。

 神学という分野の質問らしいのですけどそのカテゴリがなかったので、社会に置きました。分野別でしたらゴメンなさいm(__)m

A 回答 (9件)

>キリスト教徒の方たちが信奉している聖書に反する恐竜の存在に対する抗議とかって聞いたことがありません



実はこれでモメたりしているのです。
アメリカで学校の生物の時間に進化論だけを教えるのは一方に創造論があるのだから不公平である、というような論議があったりします。
恐竜の化石と見えるものは実は神がそのように創ったものであるに過ぎない、というような考え方もあります。
地球が丸いことや地動説を聖書の記述に反するという理由で否定する人々もいます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E9%80%A0% …

聖書に書いてあることを字句通りに解釈する、というようなキリスト教徒をファンダメンタリスト(キリスト教根本主義者)と呼びますが、日本ではあまり問題にはなりませんが、アメリカ合衆国ではそのような人々が驚くほど多くいるようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA% …

上に書いたようなことがキリスト教徒の全てではありません。
キリスト教は歴史も長く世界各地で独自に発展したりしてもしているので、全てのキリスト教徒、または諸派の教義をひとくくりに論ずることはできないと思います。

ついでに
現代科学に照らして教義についてあれこれ言う事も、教義に反しているからと科学を否定することも、どちらも同様に愚かな態度だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
創造科学というものがあるのですか?

って思ったらリンク先で科学ではない疑似科学と否定されていますね。
なんか色んな意味で残念です。

私もhunaskinさんのいうように科学と創造科学との検証のしあいは愚かな行為だと思います。
ただ、もう既に誰かが検証してくれていたらそれを読むのは大変好奇心をそそられてしまいます。

リンク先のノアの方舟の件の水の行方を何故か納得しそうな自分がいたので新たな自分発見した気分です。どうにも私は難解な科学用語には弱く信じやすい性質のようです。

大変おもしろかったですし、参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/07 08:11

どこまでが真実なのか?と言われたらわかりません


魚のおなかにはいったなんて書いてあるからね。

聖書を書いた人がすべてみていたわけでもないし・・・
すべてを理解していたなんていうのもおかしいし、
実際書いた人は人間ですしね、最初から文字があったわけでもない

恐竜はいたと思うよ。別にかまわない、ノアの時 神からみたら
よくない動物なので乗せていないかもしれないね。

まあわからないことはわからない、信じているんで
事実 
科学的に見るものではないね。これを信仰といいます。
だから信仰としての立場で見るならこうのようになりますね
これもカトリックの人は進化論を推薦したなんていう話もありますが
別に他人の事をとやかく言う気もありません

聖書の一部分が違っていても神はいる という感じです

あとそれから 信仰というものは頭で理解できるものではありません
僕も信じる前はあなたのような立場でした
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

信仰に対して大変勉強になりました。
読んでいて「あ~そうだなぁ確かに」と思わず頷いてしまいました。
確かに私なんかでは理解は出来るんですけど、なんか附に落ちないみたいなしこりが残ってしまいます。

そして1katyanさんまでの回答(もう一つの場を含めて)などで私が知りたかった「恐竜の見解」に関しては大体理解できましたのでここで締め切らせて頂きたいと思います。
1katyanさんの回答は理解の決め手となりました。
本当にありがとうございました。

今は「恐竜の見解」から一番の方にしたような質問に関心がズレてしまいました^^;)
でも、それはネット上で聞くよりも司教さんなどに尋ねた方がいい気がしますので控えておこうかと思います。
(質問が質問なだけに司教さんに説教されないかだけが心配ですT_T)

それでは

「恐竜の見解」などをよくわかることが出来るようになりました。
今まで回答してくださった方、本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/02/10 22:09

歴史書に書かれている内容が、全てを網羅しているとは限りません。


教えとして必要な、或いは印象的な事柄しか書かれないのが一般的ではないでしょうか。
それに、書物には必ず書いた人の意思が含まれています。
恐竜の存在が、私達に何らかの教訓を与えてくれるのなら、書かれていたかもしれませんが、残念ながら著者や編集者はそれを見出さなかったのでしょう。
それに、現代人でも見た事のないものまでは書けませんし、歴史書も50年前のものと現在のものではかなり違っています。学者が書いた歴史書もほとんどの部分は創造の域を脱していないでしょう。
恐竜そのものも、昔は爬虫類だと言われていましたが、近年では鳥類の祖先説が出、全く別の種類説が出、近年では多種説が出ています。

中世までの信者ならいざ知らず、現代の信者でそのまま鵜呑みにしている人はごく少数ではないでしょうか?

この回答への補足

ただ
>恐竜の存在が、私達に何らかの教訓を与えてくれるのなら、書かれていたかもしれませんが、残念ながら著者や編集者はそれを見出さなかったのでしょう。
の件が大変魅力的です。
この文の意味だと著者や編集者が恐竜の存在を知っていてあえて聖書に載せなかったという風に受けとれてしまうのですけど、そのようにお考えなのでしょうか?(考え方の否定ではありませんのでどうかお気を悪くしないで頂けたらと思います。他の方も同じ類の回答がありましたし。ただそちらでは書いた方の真意の確認が元々取れないシステムで)

補足日時:2007/02/09 04:56
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この回答へのお礼

michael-mさん回答ありがとうございます。
歴史が創作というのは私も一つの真実だと思います。
ただ、大まかな流れというものは(例え平安京が存在した)とかいうのはいつになっても変わらないので、独裁政治(史記を紐解くと始皇帝は独裁政治ではないように感じられます)や権力者構造だったとか細かい事象やエピソードの類は創造物としても考えられますし、あいつの茶の飲み方最高で任用などのエピソードなどは?です。
ただ、大きな物としては様々な文献と合致していて、歴史的建造物などの発見、立証があれば存在(または正しい)したであろう(古くなればなるほどそうとは言い切れませんが^^;)とは思います。
恐竜もそういった意味では歴史と確かに同じですね。
大変勉強になりました。

確かにそのまま鵜呑みにしている教徒の方は皆無ではありませんでしたが、なかなかいらっしゃらないみたいです。それでも一番と六番さんのように受け取り方に違いがあって大変参考になります。もう一つの場でももう2、3の解釈の仕方がありました。

イスラムとユダヤ(根っこが一緒なのにキリストとは聖書の見解が大きく違うらしいですし)の方の回答も見てみたかったのですけど、日本にはあまりいないようです。そこだけは残念でした。

とても魅力的な回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/09 04:56

完全にケンカをふっかけておると判断いたしましたので、応戦したいと思います。



>だからこそお聞きしたいのですけれど、様々な意見を。

当初より質問者の方が、多様な意見を聞く意志が無い事は、質問文を読めば明らかです。
自分の意見を述べ、反論を誘い、それに難癖つけるのが目的であったとはっきり理解できました。当初は、無知なための質問であると私は思ったのですが、確信犯であるとの認識に変更しました。

当問題について、なにゆえキリスト教徒と限定されたのでしょうか?
なぜ同じ質問を、友人や親族の方に聞かれないのでしょうか?
質問者の親族や友人は、皆バリバリの無信教者で、初詣も神社へのお参りもしない方ばかりなのでしょうか?

>世界のほとんどが所属宗教というのは完璧な誤りです。
現在の宗教の形態というものをまずはご理解ください。
イスラムからキリストに移る人だって、また、逆だってあるし、キリストから無宗教、無宗教から宗教家だっています。
わざわざドイツから日本に来て仏教やっている人もいました。

完全に誤った考え方である事におきずきになっておりません。
なぜヨーロッパではキリスト教が優勢であり、中東ではイスラムが優勢なのでしょうか?
インドでヒンズー教が優勢なのも、生まれたときから所属している集団がヒンズー教だからに他なりません。
キリスト教の場合、多くの教派で、幼児洗礼を行っています。
生まれたばかりの子をキリスト教徒として洗礼を行い、キリスト教徒として育てます。
その時当人にキリスト教徒となる分別はありません。
日本人の多くが「お宮参り」として神道である神社にお参りするのと同じ事です。
それら集団を外れて他の宗教に走る人は、ごく例外な人です。
生まれた集団の宗教から離れる人と、その集団に留まる人の割合を比べてみれば完全に同一集団に留まる人が多いのは明らかです。

質問者は、
>日本神教は所属宗教ですので日本人全員が信者ということにはなります
と言っておりますが、その場合質問者の考え方では、「神道の信者でなければ日本人ではない」という事になってしまいます。
お寺の住職は、日本人ではないと言いたいのでしょうか?
それが極端な考え方である事は明白です。
いずれにしましても、例外はある事を理解しての発言をしませんと、おかしな事になってしまいます。
そういった意味でも、
>そしてあなたのいう意見では一番の回答をしてくれた方はほとんど今の世界では存在しないというと考えてよろしいのでしょうか?
一番の方はこれから自由意識で今まさに神と契約しようとするところの方です。

の発言がおかしい事は理解できませんか?

>また、そういった方にこのような質問をしてはいけないのでしょうか?
また、そうじゃない方に宗教となじみがまるでない私がこのような質問をしてはいけないのでしょうか?

ケンカを吹っかけるような意図の基での発言はしてはならないと思っています。
質問者には、純粋に理解するために質問したのではなく、相手をオチョクル目的で質問をしたとしか思えません。
でなければ、
>回答ありがとうございます。
天地創造博物館なんてものがあるんですか!?
しかも、矛盾もなしで!?
>って思ったらリンク先で科学ではない疑似科学と否定されていますね。
なんか色んな意味で残念です。

こういった回答が出るはずがありません。
つまり、質問者は、理解する意志があり質問したのではなく、相手をけなすために質問という形をとったにすぎません。
そのため。
>そういった方にこのような質問をしてはいけないのでしょうか?

の問いにかんしては、「そういった気持ちでの質問をしてはなりません」が回答となります。

>私に対する自由への規制でしょうか?

自由の考え方を履き違えています。
自由社会でも無制限な自由が与えられているわけではありません。
相手を殺す自由が無い事、相手を無条件に罵倒する自由が無い事と同じです。

>キリスト教徒には聞いてはいけない質問だったのでしょうか?

質問の内容が問題なのではなく、質問者の質問の意図がおかしい事を言っています。
質問者が、特定の意図の下に、相手をオチョクル目的で質問という形をとった事がいけないのです。

逆に質問しますが、完全な無神論者のあなたが、なにゆえ天地創造神話に興味をもたれたのでしょうか?
相手を侮辱する意図がないのに。
通常の無神論者は、そのような事に関心を持ちません。
神話自体を無意味な物と考えるのであれば、そういった質問じたいが当人にとって無意味なものであるからです。

この回答への補足

一つの参考意見として参考になりました。
ありがとうございました。
私はケンカの議論をするつもりはありませんのでここで止めようかと思います。

回答ありがとうございました。

補足日時:2007/02/08 16:49
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この回答へのお礼

すみません、補足を要求されていることに気付かなかったのでこちらを借ります。

私はキリスト教に関しては本当に「無知」です。
私が知っているのはテレビなどで見た内容と大まかな聖書の流れをものすごく簡単に解説した書で読んだことがあるだけです。
聖書を深くまで読んで、その本質を理解しようとしている信者の方たちには遠く及ばないと思っています。

解説本を読んだのはもう随分前でしたが
ふと、この疑問が浮かび質問をした次第で他意はありません。
あと、質問の最初に書いてある通りもう一つの場でも同様の質問をしたところ、私の質問に対する批判はまだ見えません。
そこでは様々な意見が飛び交っております。
それで、余計に好奇心が膨らんで回答者に質問が出来るこちらの場をお借りした次第です。
だから、本当にただの好奇心からで他の他意や悪意はありません。

では、後の部分は私に対するnacomさんの見解として了解しました。
それも大変参考になる見方です。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/08 17:47

こんにちは。

質問をしたいのか議論をふっかけたいのか分かりかねる内容ですが一応回答したいと思います。

私も洗礼は受けていませんが、イエスを信じています。しかし、イエスが行った数々の奇跡、あるいは彼が死んで三日後に復活したという話をどこまで信じているかというと、うーん、というところです。特に復活は私にとっては実はどうでもいいことなんです。ただし、キリスト教とキリスト教徒にとって復活こそが信仰の根幹に関わることなのでこれを信じないとキリスト教そのものがなりたちません(そもそも復活しなければキリストではないということになります)。でも、私個人にとっては復活したかどうかだなんてどうでもいいのです。
私個人にとっては、ナザレに生まれたイエスという男が愛を説いて十字架に張りつけられた。それが重要なのであって、処女の母ちゃんからベツレヘムで生まれてどーのこーのという「正史」にはほとんど興味がないのです。

子供の頃、ウルトラマンとか仮面ライダーとかサンタさんとか信じていましたよね。いつからか、それはフィクションの世界だと知りますが、だからといって円谷プロに文句をつけようとは思いませんよね。フィンランドから毎年サンタさんがやってきますけど、あれに文句をつけるのはヤボってやつですよね。おそらく、ほとんどの信者の方はそうやって折り合いをつけていると思います。ただ、ちゃんとした信者の方は復活はちゃんと信じていると思いますよ。例えば、遠藤周作さんなんかは「弟子の心の中に復活した」とおっしゃってますね。

どんな宗教にも「原理主義」が存在します。経典を絶対正しいと信じ、教典に反するものを絶対に認めない人たちがいます。私から見ると、質問者さんも「反宗教原理主義者」に見えてしまいます。宗教は科学に反するのだから絶対信じてはいけない、みたいなね。
事実は事実、信仰は信仰、ととらえているのではないですかね。そういう「都合のよい解釈は許せん」というのが原理主義ですわね。

「最後の誘惑」という刺激的なイエスの映画があります。これは保守的なキリスト教徒の猛反発を買い、映画館が放火されて死者が出るほどでした。その中で、イエスの復活を説くパウロが十字架から助け出された(なぜそうなってるかは映画を見てください)イエスに「ウソの話をでっちあげるな」と怒られると「人々を見てみろ。彼らは救いを必要としている。俺は人々を救うためなら何度でもあんたを十字架にかけて復活させるよ」といいました。まだ質問者さんは若い(と思われる)からわかんないだろうなあ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

正史に興味がないなど他にも、まさに私がキリスト教徒になるとしたらこう納得するだろうなぁという回答でした。
とても納得の出来る回答でした。
ありがとうございます。

eroero1919さんの回答は要約すれば
人を信じて神を信じず
言い方が悪ければれば
理を信じて事象を信じず
といった内容かと思いました。

ご指摘の通り私は「反宗教原理主義者」だと思います。
ただし、キリストの言った理念とかの本質とかいうところになれば私は結構好きですし、尊敬もしています。(歴史的じゃなくて聖書に描かれている人物像として)
なのでキリスト教徒の方に対して
「宗教は科学に反するのだから絶対信じてはいけない」
と思ってることはないです。
私は自分が好きだなぁと思うことに関心が赴く性質なので、
逆に嫌いなことであれば触らないようにします。

「最後の誘惑」は偉人のヒューマンドラマとして大変面白かった覚えがあります。

大変納得のいく回答ありがとうございました。

P.S
すみません、この質問本当にただの好奇心からしたんです。
決して議論をふっかける意図ではありませんでした。
OKwaveにふさわしくない質問かもと少しだけ反省してます。
あと私にとってはもの凄く納得いく回答を頂きましたが、もうちょっと他の方々の様々な回答が見れたらいいなぁとも思っていますのでもう少しの間、回答を募集したいと思っています。

お礼日時:2007/02/07 23:05

4番です。



>私の質問を私自身にしても私の知りたいことは何一つ見当たりません。

では、質問者の友人や親族に同じ質問をまずされてみてください。

>日本神教は所属宗教ですので日本人全員が信者ということにはなりますが。それでも所属宗教の強制信者と契約宗教での自主性信者では性格はまた全く異なります

世界のほとんどの宗教が所属宗教です。
キリスト教徒の民族集団に生まれた子供のほとんどは、はじめからキリスト教徒として育ちます。
キリスト教徒のほとんどの子供が、幼児洗礼を受けています。
幼児洗礼を否定しているのは、アナバプテストくらいではないでしょうか。
これは、イスラム教でも同じです。
キリスト教徒の子に生まれた子供は、ほとんどがキリスト教徒として育ち、イスラム教徒の子は、やはりほとんどがイスラム教徒として育ちます。
彼らのほとんどが、自分から志願してキリスト教徒になったりイスラム教徒になったわけではありません。
日本の場合とまったく同じ構造なりです。

>のこの考えがキリスト教徒全員に当てはまると考えてよろしいのでしょうか?

これも、日本人にあてはめて考えてみてください。
質問者のように、完全無神論を唱える人がいる一方、学校で日本神話を教えるように主張している人もいますし、諸外国の反発を知りながら靖国神社に参拝を強行する首相もいました。
キリスト教徒にしても、イスラム教徒にしても、いろいろな考えの人がいる事を理解してください。

もし同様の質問をするのであれば、キリスト教徒への質問ではなく、福音派の方への質問とするべきです。
(日本には純粋な福音派はほとんどいませんがアメリカにはけっこういます)

この回答への補足

回答ありがとうございます。

それと自分の固定観念の日本人となぜ千差万別にいる~教徒の方たちの固定観念の日本人がすべて共通するとお考えなのでしょうか?
まずこの時点で私とnacamさんの間で意見の相違があるというのに。
なので私はnacamさんのような視点に初めて気付きましたよ?
だからこそ興味深くて質問をした訳なのですけれど。

あなたの回答が大きく最初とズレているところをご指摘したいかと思います。
自分の価値観→日本人の一般的な認識=キリスト教徒全員の認識
様々な意見があるというところでは確かに一緒ですね。
でも、ただそれだけで細かいところは何もわかりません。
だからこそお聞きしたいのですけれど、様々な意見を。


世界のほとんどが所属宗教というのは完璧な誤りです。
現在の宗教の形態というものをまずはご理解ください。
イスラムからキリストに移る人だって、また、逆だってあるし、キリストから無宗教、無宗教から宗教家だっています。
わざわざドイツから日本に来て仏教やっている人もいました。

宗教というのには大きく三つの形態があります。
所属宗教、自覚宗教、契約宗教です。
そしてあなたのいう意見では一番の回答をしてくれた方はほとんど今の世界では存在しないというと考えてよろしいのでしょうか?
一番の方はこれから自由意識で今まさに神と契約しようとするところの方です。
その存在を否定するかのような意見は慎むべきかと思います。
また、そういった方にこのような質問をしてはいけないのでしょうか?
また、そうじゃない方に宗教となじみがまるでない私がこのような質問をしてはいけないのでしょうか?

それと私は様々な信者の方の意見、つまり今当たり前の科学の価値観との差異をどのように納得してキリスト教徒の方たちは神を信じているのかを知りたいのであって、なぜ、そこで福音派のみと限定しなくてはならないのでしょうか?私に対する自由への規制でしょうか?

それと最初の回答では(福音派は、それにまじめに答えようとしているだけです)(日本には純粋な福音派はほとんどいませんがアメリカにはけっこういます)
では福音派の解釈が大きくズレてはいませんでしょうか?
それとも真面目に答えようとしていない(言い方がちょっとキリスト教徒の方に対して失礼ですみません)キリスト教徒には聞いてはいけない質問だったのでしょうか?

とりあえずnacamさんの視点はよくわかりました。
正直に色々気付かされました。やっぱりこの質問してよかったです。
ありがとうございました。

補足日時:2007/02/07 18:14
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この回答へのお礼

すみません。
最後の
(福音派は、それにまじめに答えようとしているだけです)との件での引用元を間違えました。
もし同様の質問をするのであれば、キリスト教徒への質問ではなく、福音派の方への質問とするべきです。

のところでした。
失礼しました。

お礼日時:2007/02/07 18:19

私は、質問者の疑問をそのまま質問者に返したいと思います。


質問者の方は、初詣に行きますか?
結婚式は、神前?
神社へお参りはしませんか?

日本の神話では、イザナギ命とイザナミ命が日本の国を造りました。
日本以外は、誰がどのように創ったのでしょうか?
日本創世以前と思われる化石(ナウマン象や明石原人など)について、どのように説明し、納得されておられるのでしょうか?

仏教徒であっても同じ事です。

キリスト教徒であっても同じ事だと理解しています。
質問者のお答えが、この質問の回答そのものです。
(福音派は、それにまじめに答えようとしているだけです)

この回答への補足

まずは回答ありがとうございます。
え~と、質問されたことを答えたいと思います。

私は10年近く初詣には行ってません。
結婚式の予定も行った事もありません。
神社へも寺へも歴史的建造物巡り以外では行った事がありません。

日本神教についてですがまず私は信者ではありませんので、私の質問を私自身にしても私の知りたいことは何一つ見当たりません。
(まあ、日本神教は所属宗教ですので日本人全員が信者ということにはなりますが。それでも所属宗教の強制信者と契約宗教での自主性信者では性格はまた全く異なります)

私は日本神話を説明のよちなく完全な作り物だと思っていますし、あれはかなり汚い物語だと感じています。私は日本神教を民俗宗教として古代の日本人の感性を理解するための研究はしたことはあります。
なので私にとっては日本神教は古代人に対する研究対象でしかありません。
(私は中国と日本の宗教や民俗学での古代人の価値感や感性に興味を持って、その専攻をしています。ただ西洋は守備範囲外だったのでこのような質問をしてみました。最初の質問の欄に書いておくべき事項だったかもしれません。すみませんでした)

nacamさんのご意見では私のこの考えがキリスト教徒全員に当てはまると考えてよろしいのでしょうか?
そしたら聖書は(色んな意味で恐ろしくて書けません^^;)となります。
また、千差万別の感性を持つであろうキリスト教徒の信仰を一つの固定概念にだけ集約していいのでしょうか?

最後に
それでも千差万別の意見の中の一つとしてnacamさんの回答は大変参考になるものであることには違いありません。
お答え本当にありがとうございました。

補足日時:2007/02/07 06:57
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アメリカのキリスト教原理主義の一派「Answers in Genesis」が設立して天地創造博物館には、聖書の記述に沿って何の矛盾もなく恐竜が展示されているそうです。


ここ→http://www.answersingenesis.org/museum/

東京都庁の近くに、ハンドマイクで天地創造説をぶっているおじさんがときどき出没します。進化論を信じる者は地獄に落ちる、みたいなことをのたまっています。彼らの脳内では矛盾のない理論体系が構築されているのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
天地創造博物館なんてものがあるんですか!?
しかも、矛盾もなしで!?

科学的な検証で一致させたということでしょうか
う~ん、物凄い好奇心がそそられます。

天地創造説おじさんもかなり興味深いですね。
一度話をじっくりしてみたいです。

大変参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/07 08:02

洗礼はまだ受けていませんが、教会に通っている者です。


神の存在を信じていますし、太古の昔に恐竜がいたことも信じています。恐竜は聖書に反するなんて、全然思いませんよ。聖書の創世記に書かれてある天地創造の箇所は神話だと思っています。

聖書を文字通り信じているわけではないです。天地創造の記述は、この世界は神が創ったのだということを神話的な表現で記しているのです。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
キリスト教徒になろうとしている方の意見は本当に参考になります。
創世記の件はフィクションとして受け取っているとのこと了解しました。

ではその上でただ、2.3だけ質問させて頂きたいのですけど悪意からではなくキリスト教に対する好奇心からの質問なのでして気を悪くしないで頂けたらと思います。

私の質問の
主って自分のことを疑ったり否定した教徒を許しませんよね?
の部分で
主のしたことを神話的表現で記しているという解釈自体が旧約聖書の否定にはならないでしょうか?
また今の教会でそのように旧約聖書の創世記は神話的な作り話だと今では教えているのでしょうか?

神の愛は無限や、神はすべてを許すというのも悔い改めて神を「一点の曇りなく愛したとき」であったと思います。神話的作り話と思う時点で敬虔なキリスト教徒と言えるのでしょうか?(キリスト教を私は知らないのでアブラハムとかダビデとかの件での勝手な推測と映画などからの情報)

う~ん、すみません。
なんか打っている内に最初の質問から大きく反れてしまいました。
なので気が向いたときにでもキリスト教に疎い私にお教えいただけたら幸いです。

補足日時:2007/02/07 07:25
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