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自殺者についてです。
自殺者の中でも、飛び降り自殺についてなんですが、
どうして靴を脱ぐのでしょうか?


意見をよろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

色々と異なる解釈はあると思いますが、一般的に言われているのは仏教の観念から来ていると言われています。



三途の川と言うやつです。

先進国の中で唯一仏教が時の帝と並んで国宗として歴史を歩んだ経緯がある日本において特筆するべき特徴と言えるのが自殺が必ずしも悪しき行為ではないと言う考え方を持つと言う事です。

自らの意思で死を選ぶ事に対し、「潔い」「美学」等、人としての業を絶つと言う考え方が古くから日本には存在し、それらが「切腹」「特攻」「心中」等様々な言葉に言い換えられ歴史上の事実として存在してきました。

キリスト教圏やイスラム教の圏内における自殺事例では靴を脱ぐと言うケースは殆どありません。
同時に言われているのが、生活の中に入っている宗教観も要因と言われ、屋内にて靴を脱いで生活する慣例がある場合、自殺における傾向も同様に靴を脱ぎ揃える傾向が高いと言われています。

先例に記した通り、三途の川と呼ばれる現世とあの世(死後の世界)を境とする永遠の流れを持つ川を渡る際は現世において身に着けていた全ての物を脱ぎ捨ててから渡って行くと言う解釈が広く伝わっているのは葬儀の際、亡くなった方が白装束等に着替えさせられる事等でお解かりかと思います。
「奪衣婆/ダツエバア」等と言う名前で記憶にある人もいると思います。(奪衣婆も仏に仕える神の一人と言われています。)

生前身に着けていた衣服には生前の罪業が重さとなって現れ、三途の川ではその罪業によってその後の世界が決定されると言う考え方があり、罪業を減らす上で履物を揃え身から外し死を選択したと言う考え方もあるようです。

仏教の根底にある教えに従い物事を願い救済を求める時、先人達は素足になり願い救いを求めました。
お百度参りや水ごり等もそうですが、許し希(こいねが)う際に日本に渡来した仏教では素足と言うスタイルが聖なる儀礼として定着したと考えられます。
日本古来の神教と仏教が融合した際に生まれた形式とも言われています。
それ以前の日本に定着していた神々に祈る際、必ずしも素足であるという形式があったと言う確証ある文献が見つかっていないのも事実です。

素足=許されたい思いや願いと救済に対する思い

この考え方が古来より自然に継承されて来たと考えられていると言われています。

救われない話ですが、現在と異なり維新前の日本では「心中」は大罪であり、切腹は「大罪」よって課せられる罰でした。
昭和に入り「特攻」は国家による犠牲として実行された権力による「大罪」として歴史の解釈に名を残しています。

大きく異なるのは、現在と過去の自殺における社会通念上の人生観及び宗教観です。
過去の世界では自らの意思で生命を抹消する代償は救いを求める為の最終手段であった事と、現在の自殺における切迫及び逼迫した状況からの逃避による物では大きく異なります。

しかしながら最終的な救いを求める際の儀礼として「素足」の形式が現在まで残っていると言う事だろうと言う事です。
他の宗教圏では殆ど無い姿と言えそうです。

但し、正確な事は永遠に解らないのではないでしょうか。
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この場所から「自分の意思で」飛び降りましたよーっていうメッセージじゃないですか?



事故と区別してもらうため。
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