幼稚園時代「何組」でしたか?

こんにちは。閲覧頂きありがとうございます。私はとある二次創作をしているのですが、最近は短篇しか書けなくて困っています。前は中編ぐらいいけたんですけど、今は全くその領域にいかないんです。色々考えた結果、広げすぎて完成しないまま放置する可能性が高くて怖い……という結論に辿り着きました。今までにも何度かあったのですが、私は基本的にかなりの飽き性で、続き物を思いつくと短期集中で書き上げるんですね。その理由は、今やらなきゃ二度と書かなくなるんじゃないだろうか……っていう恐怖や不安なんです。執筆を一日でも休んだら情熱が消えてしまう気がして、とにかく自分を奮い立たせてはいるのですが……最近はそれが精神に負担なのか、続き物を書こうという気すら起こらないんです。でも短篇だとやっぱり話を書くにも限界があって、似たような傾向ばっかりで行き詰まってしまうんです。どうしたら執筆ペース?を上手く作れるようになるでしょうか?完成しないまま終わる恐怖が勝ちすぎて途方に暮れています。周りからは趣味程度でしかないでしょうけど、個人のだし終わらなくたっていいや的ないい加減な気持ちで執筆したくはないんです……。

A 回答 (5件)

 収拾が付かなくなった連載をやりきるために必要なのは、技術や経験よりも、読者か締め切りだろうと思います。


 私は高校までは大学ノートに連載形式で書いて回し読みさせたり、学級新聞の裏に連載小説を載せたり、といったことをやっていたのですが、あれができたのは明らかに読者か締め切りがあったからでした。

 そもそも、明確に読者がいて、その反応がわかる状態だと、自分の作品をきれいにまとめることよりも、どうやったら読者を面白がらせることができるかに考え方がシフトしていくわけです。
 その結果、当初のプロットから軌道が外れたりするわけですが、もはや「きれいにまとめて完成させる」という目的で書いていませんから、全然問題ないわけです。「どうやって繋げるか」「どうやって終わらせるか」ではなく、「どうやったら面白がってくれるか」の方が重要になってきますから。こうなると、いっそ未完でも構わなくなるし、終わらせる理由もなくなる。
 ただ、そういう境地に到って読者受けを狙って面白重視で書いていると、結構いいアイデアが浮かんでくるもので、特にきれいに終わらせようと思って書いているわけではないのに、当初の予定以上にきれいにまとまったりすることもあります。

 問題は、こういう状態をネット上で作り出すのは難しい、ということです。学校で友達相手に書いたり、サークルやクラブ活動なら、読者や共演者の反応が直接見られるし、プロになれば少なくとも担当の編集者がその役目を担ってくれます。でも、ネット上の個人活動だと、連載に必要な読者と締め切りが両方共に確保しづらいのです。
 実際私も、ネット上で企画した連載は1話たりとも完成しませんでした。おそらく質問者さんと同じ状態です。プロットはできていて、あとは書くだけなのに、最初の1話を書き切ることすら億劫で書けない、という。それで実感したのは、連載に必要なのは完璧なプロットや明確なゴールではなく、ライヴ感だということです。

 というわけで、ネット上で連載をやろうとしている人には、単発の書き下ろしにした方が書きやすいよ、とアドバイスすることにしています。
 単発書き下ろしならゴールは明確ですし、作品の管理がしやすいです(連載だと、収拾が付かなくなっても無理矢理繋げる必要がありますが、書き下ろしなら問題の部分から書き直せばいいだけ)。また、書き終わらない場合は全ボツになるので、最後まで書ききるために必要なモチベーションも維持しやすいです(連載だと、書いた分だけ公開して満足してしまい、書ききれなくなる場合がよくある)。

 ただ、ネット上で書き下ろしの中長編を書いても、そうそう読んでもらえません。ネット上の小説書き仲間でいつも自分の作品に感想をくれる人が、長いのを書いたから仕方なく読むとか、そういうシチュエーションくらいしかない。
 昔は中長編が書けたのに、今は短編しか書けないというのは、実は正しい直観に基づくものだろうと思います。昔はただ作品を書きさえすれば満足だったけど、今はニーズのないものを書いたってしょうがないことを無意識に理解しているのではないでしょうか。だから、長いものを書こうとしても、モチベーションが維持できないわけです。
 そこで、連載形式で小出しにする方法で長いのを書けば読者が付いてくるのではと(私を含めたいがいのネット小説家は)思い付くわけですが、それをネット上でやり切るのは難しい、ということは書きました。
 だから、無理に長いのを書く必要は無いし、書けないからといって悩む必要もないと私は思います。

 それでもあえて長いのを書きたいのなら、オリジナルを書いてどこかの賞に応募するのはいかがでしょう。入選すればラッキーですし、落選すればネット上で公開すればいいわけです。そういう目標、もしくは締め切りがあれば、長いものでも書き切れるのではないかと思います。
 最近なぜか勘違いされがちですが、あれはプロになる気がなければ応募してはいけない、というものでもありません(むしろ、入選してもプロになれるとは限らない)。小説に限らず、賞や大会は、素人がまとまった作品を作るためのモチベーション維持のためによく利用されています。習い事をしたら、ヘタクソでも何でも大会に出場させられますよね。
 高いモチベーションがありながら中長編が書けない、ということであれば、技術、経験、向き不向きの問題になってきますが、おそらく現状の問題はそこではなく、どこに中長編を書くためのモチベーションを見出すか、ということでしょう。
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この回答へのお礼

rkd4050さん、お忙しい中、二度目の回答ありがとうございます。


私がこれから執筆していく上で、凄く参考になる回答でした。
そうなんです、私の場合モチベーションを何処に見いだすかが凄く問題なんです。だから、昔は中長編が書けたけど、今はニーズのないものを書いたってしょうがないことを無意識に理解している……というのがグサッときました。本当にその通りだからです。当たり前なんですが、目を背けていたので、いざ言葉にされるとヒシヒシと実感してしまいます。ネット上では確かにライヴ感みたいなのは得られませんよね。よほど面白い物を書いて名が売れないと。無理して中長編を書かなくてもいい理由も説明してくださって、とても勉強になりました。今連載している物を終えたら、単発書き下ろし中心で書いていこうかと思います。実は、続き物を書けない自分は物書きとして駄目な奴なんだ……とも思っていたので、そうでないことがわかって救われた気もしました。私の中に、短編は中長編には勝てないだろうという思い込みがあるのかもしれません。内容とかストーリーの深さといった面で。


今回はとても詳しいアドバイスをありがとうございました。

お礼日時:2011/04/17 06:15

あまり参考にはならないかもしれませんが、短編があるのなら、それを作り直すというのも一つの方法です。


というか、長編作家にはそういった方法をやっていた人がいます。

もちろん、既に短編として完成してるわけですし、短編で収まる内容なんでしょうけど、「アイディアを膨らます」とか「文章を膨らませる」といったトレーニングとしては良い方法ではないかと思います。
一つの短編だけでなく、いくつかを組み合わせて考えてみるのも悪くはないと思うんですけど……。
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この回答へのお礼

Zilantさん、お忙しい中、回答ありがとうございます。



確かに短編を作り直すという手もありますね。残念ながら私の場合、一度完成させた作品にまた手を入れることはないのですけど……。なんでしょう、一つの物語として成り立ったものを、わざわざバランスを崩して壊したくないといいますか……。でも練習には良さそうですね。


今回は回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/17 06:03

 プロの作家でも、掌編、短編、中編、長編と、全て得意な人は少ないです。

優れた掌編作家が長編を書いたら存外つまらなくて、これだったら掌編として書いた方がマシだった、というようなことはありがちです。
 なので、無理をして中編を書く必要はないような気がします。

 短編だとマンネリだけど、中編ならいろいろ膨らませられるから面白くなるのでは……と考えるのは、まあ、そう考える気持ちは私も小説を書くからよく分かるんですが、往々にして思い込みに過ぎなくて、ただ気の抜けた炭酸のような中編ができあがるだけ、という可能性が圧倒的に高いです。慣れないことをやっても、いいものができるはずがない。
 そもそも、短編と中編は構想や設計の段階からして全く別の考え方をしないといけません。単発と連載でも異なります。

 単発の短編作品なら、きっちりと構成や設定を決めて、ほぼ設計通りに組み上げるようにして書きます。中編の場合、プロットの段階では7割くらいの完成度にしておいて、後は実際に書いてみて、感触を確かめながら決めていく書き方をします。この辺は書き手によっても異なるでしょうけど、中編クラスの長さで、短編のようにかっちりとプロットを組んで仕上げるということはあまりしないはずです。このクラスの分量だと、実作業に入らないと分からないことが多々ある。
 短編が得意な人は、中~長編で必要になる、見切り発車でやり始めて、作業をしながら詰めていくやり方が苦手な傾向があって、無理にやるとグダグダになってしまいます。かといって、短編のようにプロットをきっちり決めて書いていくと、最初に決めた計画に縛られて、つまらない作品になってしまいがちです(俗に言う設定病。設定に縛られすぎて作品がつまらなくなったり、途中で行き詰まって書けなくなる病)。

 もともと中編を書くノウハウを持っていて、久しぶりに中編向きの構想を思い付いたけど、書けるかどうか心配、という話なら、心配するより書いてみようよ(中編クラスの構想は、試しに書いてみないとモノになるかどうか判断できない場合が多々あるから)、と言っておきます。しかし、分量が多ければいいということでもないし、無理にやることでもありません。向き不向きもあります。見切り発車が気持ち悪いなら、そうしなくて済むような計画で書けばいいのです。

 連載形式の作品は、プロでも未完に終わる可能性が高いです。もちろんプロはいい加減な気持ちで書いているわけではありません。でも、様々な事情で未完に終わってしまうのです。なぜなら、連載にはそもそもゴールなんてないからです。
 連載とは、ただ目の前の一歩に全力を尽くすのみの形式であり、力尽きた瞬間が結果的にゴールになるのです。そこで少しだけ格好を付けて倒れれば完結したように見える、というだけ。ある程度の計画は必要ですが、だいたい計画通りには進みません。それを怖れていては連載はできません。
「プロが真面目にやっても未完になりやすい」ということを思い出せば、もう少し気楽にやれるのではないでしょうか。

 夏目漱石の『猫』なんかは、連載という形式の典型でしょう。最初は読み切りのつもりで書いて、好評だったから連載して、何らかの理由で打ちきりになったから、猫を殺してお終いにしたのです。連載とはそういうものです。
『こころ』も一見きれいに計画通りに書かれているように見えますが、遺書の部分で気分がノリ過ぎて書きすぎてしまい、本当はあの手の話をいくつか書いて連作形式にする予定が、あの話だけで終わってしまった、という経緯があったりします。

この回答への補足

rkd4050さん、お忙しい中、回答ありがとうございます。


今悩んでる現状をズバズバと指摘され、凄く良いアドバイスになりました。特に、連載にはそもそもゴールなどない、という意見は初耳です。

私自身何度か連載をしていたことはありますが、その時も書きながらどうしたら此処からラストまでスムーズに持っていけるか……と考えていた気がします。よくプロットを壊すんですが、その時は計画していた流れまで破綻して何もかも崩壊したような気分になります。え、此処からこうなっちゃった。ええっ、どうやって次にいけばいいの~!みたいな感じでしょうか。連載とは目の前の一歩に全力を尽くす形式とありましたが、それを私がやると物語が広がりすぎてラストが行方不明になることもしばしばです。また仰る通り、私は広がった物語を収拾づけるのが凄く苦手で……。昔は長編のファンタジーとかも書いたりしてたんですけどね。今は自分の手に負えない範囲だとわかると、思いついたネタ自体放棄します。どうしたら物語を広げながらも収拾する力?が身につくでしょうか?やっぱり量をこなしていくしかないんですかね……。お忙しいのにすみません。

補足日時:2011/04/16 10:04
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この回答へのお礼

先程書き忘れたので、こちらに。


「どうやって繋げるか」「どうやって終わらせるか」ではなく、「どうやったら面白がってくれるか」の方が重要になってくる……とのことでしたが、今の私に足りないのはまさに其処かもしれません。綺麗に完結させることばかり目が向いて、話をおもしろくする、冒険する努力が少し足りないのかな……とも思いました。今後はその点にも気を配っていきたいです。


オリジナルで何か賞に投稿するのは良さそうですね。昔コバルト文庫で一度投稿した経験があります。あの時は確か中学か高校で、締切に追われて学校を休むことまでした記憶が……。締切は確かにモチベーションを高めますね。

お礼日時:2011/04/17 06:46

プロの小説家でも長編を完成させられない人が


予想以上に多かったと思います。(私のなんとなく調べ)

完結しなくってもいいじゃない。そこまで自分が楽しく書ければ。

読む側は読ませて頂いてるんだから、早く続きを書けと言われても完全スルーでいいでしょ。
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この回答へのお礼

bugsbunnyさん、お忙しい中、回答ありがとうございます。


確かに書いてる自分が楽しければ、完成させることなんて気にしなくていいのかもしれませんね。幸い更新ペースを催促されたことはないのですが。

ただ、完成させるっていうことが私の中では凄く重要なんです。頭の中の世界を一つしっかり描き切ったぞ!という。自己満足の自己陶酔かもしれませんが、ね。書くことより完成させることが好きなのか……って気もしてます。


今回は回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/15 16:40

こんにちは、素人です。



きちんと終わらせられるかというのは長編小説にありがちなトラップ
だと思います。勢いで書かずにきちんと骨組みを考えていれば短編が
出来るなら長編も出来るはずなのですが、骨組みが出来ていないと、
終わりの方はどういう話になるかすら考えていないなんてことも少な
くなく、そんな物語の終わりは放置されたり、もしくは無理矢理終わ
らせるにしても、終わらせただけマシなボロボロなものという次元に
なりがちだと思うのです。

短編を書くときでも勢いで書かず、骨組み、大ざっぱな流れを考える
ようにしましょう。これが普段から出来るようになれば長編も出来る
と思うのです。(これが小説の書き方だと思うのです)

特に二次小説は世界観、キャラクターが完成しているので、勢いで短
編なら書けてしまうんです(しかもキャラクタの説明もしなくてもい
い)。しかし話が複雑になっていけばオリジナル要素は絶対に出てく
る訳で、きちんとした書き方をしていないと、そこらへんから行き詰
まっていくと思うのです。
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この回答へのお礼

meg68kさん、お忙しい中、回答ありがとうございます。


えっと、骨組みは立ててるんです。流れとかも一応は。ノートに下書きで流れというか骨組みを書き上げて、そこから携帯に清書していくパターンなんですね。短篇も同じく、です。その下書きの過程で、物語が広がってゴールが見えなくなるのが恐怖なんです。大体の流れは頭にあるけれど、ここに行き着くまで気力情熱が持つだろうか。途中で流れを壊して破綻していかないだろうか……など。なんといいますか、書き始めた時から既に、完成させることしか頭にないという感じでしょうか。わかりにくくてすみません。

今回は回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/15 16:32

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