プロが教えるわが家の防犯対策術!

第二次世界大戦時の戦闘機パイロットについて色々知りたい事があります。
(出来れば欧米のパイロットに関する事であれば助かります。)
このサイトなら分かりやすい、とかでも構いません。


1、脱出装置と脱出の仕方、脱出後用のサバイバル装備の内容はどんなものだったか。
また脱出訓練はあったのか。

2、パイロットの服装と装備品はどんなものだったか。
(今のように酸素マスクがあったりしたのか。現在のは酸素マスクと無線がひとつになっているとも聞いたのですが。)

3、パイロットが出撃命令を受けてから会敵までの具体的な手順や行動。
(例えば乗り込んだらスタッフと何かチェックや打ち合わせをしたりするのか等。)


どなたかよろしくお願いします。

A 回答 (2件)

1:基本的に脱出装置はなし。

キャノピーを開けてベイルアウトします。
  米軍の場合、非常用キットも装備されていました。

2:高々度を飛行する航空機には酸素マスクはありました。
  ただしB-29のように与圧されている航空機は酸素マスクは不要。
  与圧服はありませんでしたが、ニクロム線を織り込んだ電熱服はありました。
  (高々度では気温が下がるため)

3:レーダーがない(発達していない)日本軍の場合、飛び立つと指揮が困難になりました。
  無線機も故障しがちでした。
  米軍の場合レーダー、無線が充実していましたので航空管制は行われていました。
  独軍の場合も迎撃に際しては高度な航空管制が行われていました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お陰で助かりました。

となると、脱出時は機体にぶつかる確立がかなり高くて危険だったんでしょうね。

電熱服を早速検索してみたら、初期は不評だったとか。
写真等で見ると皮革製品のイメージしか湧かなかったので、意外でした。

無線、レーダーは国によって優劣があり、戦局を左右していたんですね。
日本に関しては八木アンテナを開発していたからと言って、生かせたとは限らなかったみたいですね。

お礼日時:2011/06/20 23:13

>脱出時は機体にぶつかる確立がかなり高くて危険だったんでしょうね。



垂直尾翼、水平尾翼に激突する例がありました。運が悪ければそのまま死亡。
後部にプロペラがある震電の場合、脱出の際にはプロペラを爆薬で吹き飛ばす仕様でした。
(プロペラがあると、ほぼ確実に巻き込まれると考えられた)

日本軍の電熱服は、結構評判が悪かったです。

レーダーの使い方に関しては、日本は奇襲防止に役立てたかったようですが、米軍の場合
艦隊に接近してくる航空機を待ち伏せるように誘導するように利用していました。
八木アンテナも英軍捕虜を尋問して、初めて有用性が分かったようなお粗末振りでした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

やはり脱出は運に左右されやすかったんですね。
もっとも、今でも危険に変わりはないでしょうが。
でも震電のプロぺラ爆破の話はびっくりしました。
今は人間の方を爆破で飛ばすのですから・・・

もっと電熱服で検索してみたら、日本軍のものの画像が見つかりました。
説明イラストを見ると何かの箱(スイッチ函と有り。バッテリー?)が描いてあり、そこに引き出し線(コード、コンセント?)を繋ぐらしいです。
と言う事は脱出時はわざわざ抜いていたか、抜ける仕組みだったのかも知れませんね。

レーダーを索敵以外に誘導用にした発想は、私には新鮮でした。
それに引き換え、残念ながら日本軍は八木アンテナの存在すら知らなかったのですね。

お礼日時:2011/06/21 22:11

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