都道府県穴埋めゲーム

こんいちわ、僕は今年で47歳になる男です。
僕は最近自分のこれまでの人生を振り返るにつけ後悔ばかりで、「なんて俺は貴重な時間を
無意に過ごしてきたのだろうと」思うようになりました。
学校は勉強が嫌いだったので、高校も中退しました。
その時は別に学歴なんかにこだわらなくても生きて行けると考えていました。
でもそれは間違った大きな過ちでした。
その後、僕は就職、給料、結婚とたくさんのことで学歴がないということが大きな壁となり
結婚も失敗(これは、学歴だけのせいにするのは卑怯ですが)、就職しても給料面で同じ年の人よりもかなり低賃金です。
幸い、就職は今と違い景気のいい時に就職できましたので、そこそこの会社に就職することができましたが当然出世など不可能、万年平社員です。
それは、割り切ってしまえばいいことなのですが、ただ若い頃の軽率な自分の判断が後悔されてなりません。
結婚に失敗した後僕はもう自分は人並みに家庭をもつことなど出来ない人間なのだと勝手に思い込み、半分ひねくれた考えで恋人を捜す事もせず気がつけばこの年になっていました。
会社に女性が少ない事もありますがやはり若い頃の失敗が僕を臆病にしました。
それにバツイチであることを人に知られるのもなんだか恥ずかしかったのです。
そしてこの年になり病を得て自分というより人間はいつどうなるかわからない、だから今ある暮らしがこれから先もずっと続くとは限らない今日が最後の日になるかもしれないというくらいの気持ちで生きて行かなかれば後悔する。
そう思うようになったのです。
でも、それでも僕にはわかりません、後悔のない有意義な人生とはいったいどんなものなのか?
僕は相変わらず自己中心的な自分でも嫌になるくらいガキっぽい生き方をしてまわりに迷惑ばかりかけています。
どうすれば、本当の意味で有意義人生を過ごす事が出来るのでしょうか?
それは今からでも間に合うものなのでしょうか?
ご意見よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

たびたびすみません


最近がんでお亡くなりになった入川保則さんのお言葉によきフレーズがありました。

『明日死ぬと思って生きなさい』
『ずっと生きると思って学びなさい』
今の質問者様にしっくり来るかはわからないのですが
個人的に心を打たれたので記しておきます。応援しています。
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この回答へのお礼

深い言葉ですね胸に沁みました。
明日死ぬと思って生きなさい。
ずっと生きると思って学びなさい。
本当にそのとうりですね。
ありがとうございました救われた気がします。

お礼日時:2012/05/03 10:57

有意義とは難しい問題ですね。

私は高校を中退し夜間高校に行き直しました。高校中退がどうとか世間で、というよりも、自分のなかで中退がやはりどこかでひっかかって…。
御蔭で一応高卒です。
私の場合は高校時代に親と毎晩大喧嘩し非行に走り、彼氏の家に入り浸ってたら彼の先輩からレイプ未遂に遭い、色々なトラウマで学校に行けなくなってしまいました。
なぜ学校にいけなかったの?と質問されるのが嫌で…
でも今思えば、あの時の私はあれはあれで一生懸命生きていたんだと認めています。
家族から一生懸命逃げて、彼氏に一生懸命惚れて、その分傷ついた。人には自慢できる人生では決してありませんが…
自分の人生をやり直したい!と思ったので恥ずかしがらずに『定時制卒業なんです』と言っても来ました。
将来を見据えたりは出来ない性分なので若い頃は若い頃しか出来ないことがあると思って割に合わない仕事もやってきました。(当時は貯金ゼロ!)

好きな人にはフられることもありましたが、主人と結婚しました。もちろん結婚してからも不妊治療やらセックスレスでの行き違い、夫婦の危機やらいろいろありました。
ですが子供を授かりました。
そしてこの間、長年私と相性の悪かった父が他界しました。急逝でありがとうも言えませんでした。子供をもつようになったら余計に父の行動はなんだったの?と思うくらい未だに腹の立つこともあります。

しかし、ふと思ったことがあります。
その時その時を一生懸命生きていたのなら、(他人に迷惑をかけることはもちろん良くないのですが)それはその人にとって意味のある選択であり、有意義だったのではないかということです。
生きていくことは恥ずかしいことの連続だと思います。失敗もありますし、人から誤解されたり、気持ちが行き違うこと、嫌われること、馬鹿にされたりいじめられること…
これらは『よくある話』だと思います。みんな言わないだけでよくあることのような気がするのです。
バツイチもよくある話。高校中退もよくある話。
それを克服することが何なのかを考えてみてはどうでしょう。
私の場合はすべての恥を隠さないことで開き直ることができました!
今、もしかしたら子供が障害があるかもで悩んでいます。病名によっては重度かもしれませんが、うちの家に来てくれたことだけで感謝したいと思っていますし人には隠さず生きて、理解をしてもらえたらと思っています。生きてるだけで丸儲けなので…!
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この回答へのお礼

本当にその通りです。
明石屋さんまは冗談抜きに偉い人ですね。
ぼくも前向きに生きて行きたいと思います。ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/03 08:19

”それは今からでも間に合うものなのでしょうか?”


    ↑
死ぬ一分前まで、間に合います。

死ぬ時に、俺の人生は有意義だった、と
思えればそれで十分なのですから、死ぬ
直前まで間に合います。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
最後まであきらめるなということですね。
目標を見つけられるよう頑張ります。

お礼日時:2012/05/03 08:20

大小あれども過去の後悔を引きずって生活してるひとは少なくないと思います。


私も過去さかのぼると、自分なりにもうちょっと勉強一生懸命やっとけば理系の職に就けてた、小さい頃牛乳がまんして飲んどけばもうちょっと背が伸びてた、あの時こうしとけば良かった~~
そしたら人生変わってたかな?!‥て、小さいですけどありますよ。(今に不満ある訳じゃないけど。)
有意義な人生って、結局はその場その場の、しんどい事、面倒・おっくうな事、おっかない事から逃げない事で達成出来そうな気がします…。流されて生きないというか、ちゃんと自分で生き方をコントロールする(ように心掛ける)というか。
頑張ったけど、ダメだったっていうのはある意味充足感ある気がするし…。
まあそんなこんなで、悩んでる現在はいずれまた過去になるし、過去になれば、また、あの時思ったんだからああしとけばよかった~。。となってしまうのかな、と。
ヽ(´ー`)ノ
自分にも言い聞かせております。

趣味も良し。婚活もよし。自分探しもよし。
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この回答へのお礼

暖かい激励の言葉ありがとうございます。
趣味はいろいろあるのですが、それが果たしてプラスになっているかどうか?
とにかく頑張ります。
あいがとうございました。

お礼日時:2012/05/03 08:23

青い鳥のお話のようでもありますが、本当に大切なものは外側を探しても見つからないものですね。

本当に大切なものは実はもう手にしているのであって、ご自身の内面の世界を深く掘り起こせば必ず出会えるものであると僕は思っています。

「人生の意味は問うものではなく、人生から私達に問われている」

V・E・ビクトールさんの言葉です。

ガブリエル・マルセルの「問題と神秘」という本から学んだ事を書かせて下さい。

学歴社会とは「問題」を解く事です。

問題とは、何らかの作業する手順や方法を繰り返しながらより良い手順や方法で物事を解決しようとする試みです。このような事が促進されると社会はより良く発展し、人々の幸福が増進される事が期待さますね。学ぶ事はとても素晴らしい事です。

現在の日本はこう言う事が事細かくマニュアル化されていますね。失敗を許容するおおらかさがあればベストだと思いますが、現実はギスギスしがちです。自己の経験に裏打ちされた情報こそが後の応用に利くと僕は考えていますが、応用とは自由な発想とも言えるので型通りマニュアル厳守では人間の思考は固定化し、それは柔軟な思考を阻害する事にもなりますね。

話はそれましたが、こうした方法で解決しない事柄も多いですよね。それはもう解決の糸口も方法も無いような出来事です。

治らない病、戦争、殺人、事故、それとは逆に出会いや愛情といった単なる問題のレベルでは解決を得ない次元の問題をマルセルは「神秘」と言ったのです。問題は知識によって解決されるがそれよりも深い神秘へ挑む場合、簡単に答えがない場合も多くありますね。しかし、そうした深い神秘に接したとき、人間は命の尊さや時間の大切さに気が付く事が出来るのではないかと思います。

人間には複数の時間があります。

それは客観的な時間と人間的な時間です。

客観的な時間とは、川の流れの様に元に戻る事のない時間の流れです。

人間的な時間とは、人間は過去に時間を戻す事が出来る。過去や未来に時間を行き来する事が出来ます。そして、過去に戻ってその起きてしまった出来事、起きて欲しくはなかった出来事と和解する事が出来る。和解とは今まで許せなかった事が許せるようになる事ですから、大きな変化が思考の中で起きた事を意味します。それは新しい意味を過去のわだかまりから見出したという事になります。
人間は過去に囚われがちですが、過去の出来事と和解をする事によって過去からの呪縛からやっと解放されるのだと思います。

人間の人生は喪失体験の連続です。あらゆる出会い、もの、若さ、健康、全てのものをなくしていく体験だと思います。そして、どんなものを失うかは、私たちは選ぶ事が出来ません。しかし、そうした喪失体験の後を「どう生きるか?」自分で選ぶ事が出来ます。

何が運命的なもので、何が自分で選べるものなのどうか?
その状況に至った時、運命なら受容し、選べるものなら積極的に自分の主体性を発揮し使う事を意識しなけらばなりませんね。

後悔がなければ和解もないのだし、和解がなければ人間は進歩出来ませんね。
後悔は人間を正しい方向へ導く道標だと僕は思います。ビクトールさんの著書はご質問者様におかれましてもとても参考になるものが多いかと思われます。是非読んでみてください(*^_^*)

ご参考までに。
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この回答へのお礼

貴重なご意見ありがとうございます
ご紹介の本、機会を見つけて是非読ませていただきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/03 08:27

 私は小学校の時に「これで良し」と言って死んだ人の話を聞いて


自分もそうしようと思いました。
それには、1日1日を精一杯生きるしかありません。
それで、10才から20才までマンガ家になろうとマンガを描いていました。
ただ、自信作が載らなかったのでマンガに見切りをつけました。
その後は、好きだったジャズの影響でフルートとサックスを始め
58才の現在に至っております。
 そして、音楽は聴き倒しておりますし、映画も観倒しております。
本も相当読んでおります。
それ以外に、ルアー・フィッシング、フライ・フィッシング、バードウォチング
バック・パッキング、ビリヤードなんかも相当やりました。
(フライ・フィッシングは毛ばりを巻くこともやりました)
後、学校の勉強は私も嫌いでしたが(あんなもの、受験用のたんなる詰め込みです)
自分なりの勉強はずっと続けております。
それは精神分析、音楽理論、数学、英語、哲学、物理学、化学等です。
本当に充実した人生だと思います。
 あなたは恐らく私に似てかなりプライドの高い方だと思います。
それが一概に悪いことだとは思いませんが
何がやりたいのかが見えません。
今からでも遅いとか遅くないとか全く関係ありません。
今から死ぬまでの時間をいかに無駄に使わないかだけです。  
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この回答へのお礼

本当におっしゃる通りです。
気がつけば人生の中間点をすぎ、まわりを見渡すとみなさんそれなりの果実を手にしておられる。
なのに自分の手にはなにもない。
それを自由とうらやむ方もおられますが、なにもないのは寂しいことです。
僕は確かにプライドが高く学歴がないことも、離婚歴がある事も絶対に同僚に話したりしませんでした。
話したら、馬鹿にされると思い込んでいたのです。
出来るかできないかわかりませんが、もう一度始めようと思います。
ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/03 07:08

今から、特養の介護員の仕事についてください、意味が出てきますよ。

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この回答へのお礼

貴重なご意見ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2012/05/03 06:58

何をもって有意義と言えるかはそれぞれですが



「人生において」となるとやはり、家族の割合が非常に大きいかと思います

家庭と仕事があって+αをいくつ見つけられるかがポイントになるかと感じます

今からでも遅くないと思いますので「有意義」に対して妥協せず、前向きに結婚を考えてみてはいかがですか?

失敗したって…結婚しようとする過程もまた有意義です

子供云々となると難しい部分も出てくるかと思いますが結婚は出来ますし、仕事だって個人事業はいつからでも出来ます。

何が有意義かがわからなくても有意義ではないことならわかると思います。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
子供はむりでも結婚ならこんな僕でもできるでしょうか?
頑張ってみようと思います。
恥をかいてもいいなと思う人がいたらどんどんアプローチして、
いろんなサークルなどにも積極的に参加するのもいいかもしれませんね。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/03 07:14

>>でも、それでも僕にはわかりません、後悔のない有意義な人生とはいったいどんなものなのか?



明日この世が滅びようと、私は今日リンゴの木を植える・・


>>それは今からでも間に合うものなのでしょうか?


私は今65才。
48才の時にある出会いがありました。

始める事に年齢や時期など関係ありません。
始めた時が時期なのです。

武術家の端くれですが・・18年・・茶帯です。
黒帯への道は未だ?ですが・・
後輩にどんどん追い抜かれています。
それでも続けています。

可能性は、何時でも何処にでも。
そして、可能性への扉は開きます。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
いくつになろうとも前向きに生きる事が大切なんですね。
自分、自分、全部最後は自分にはねかえってくるんですね。
この年になってやっとそのことがわかってきました。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/03 07:19

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