アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

価値観の違いを目の当たりにしてショック。槇原敬之さんの曲が好きなのですが、「ホモって知ってから聴かなくなった」と知人が言ってました。
ゲイです。少し年上の方ですが、好きな音楽の話題になって「最近は槇原敬之も聴きます」と言ったんです。

すると「ああ、昔は好きで聴いてたけど、ホモだって知って『じゃあ今までの歌は男に対して歌ってたんだ』ってちょっとショック受けて以来聴かなくなった」と言ったのです。

その方は年齢関係なく年下の僕にも同年代のように気さくに話しかけてくれ、とても優しくていいかたなんですがそれだけにショックでした。 僕が仮に異性愛者であったとしてもショックを受けたと思います。 「恋愛に性別関係ないでしょ? 誰もこれは男性が女性に、異性に向けて歌ってますとか異性愛者の歌ですなんて言ってないでしょ」って。

やはり、価値観の違いで傷つくことってあるんでしょうか? みなさんのご意見お聞かせください。 もっと人を広い目で見て「自分だって知らず知らずのうちに人を傷つけてるんだから」とか価値観を押し付けたり頭ごなしに非難はできないとも思うのですが…

よくよく考えたら、おれ自身その人を否定してないか? 同じことしてないかって…

A 回答 (5件)

自分は両性愛者なので、男性からも女性からも、


結構チクチクくる言葉を掛けられることがあります。

でもやっぱり、少なくとも日本における一般的な意識として
「同性愛は気持ち悪い」とかそれに近いものがあります。
だから隠すし、悩むし、相談もできない人が多いんです。
例えば学校でバレたら「あいつホモなんだってよ……気持ち悪ぃ……」
とか言われることが殆どですよね。
質問者さんの知人さんと同じような視点で見る人、
同じような価値観の人が殆どってことです。

でも人それぞれ価値観なんて違うし、理解の仕方や理解するレベルも違います。
もうしょうがないですよね、それは。人間だもの。



個人的には、「ホモ」という言い方はどうにも受け入れられませんね。。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます! 僕も「ホモって言葉は使わないで欲しいな」と思いました(^_^;)

お礼日時:2012/06/04 00:22

同性愛は価値観の違いだけではなく、感情が一番大きいと思います。



頭では理解できるけど、心や体では拒否反応を示してしまう方もいます。

それに、同性の同性愛者には拒否反応?みたいのがある傾向にありますよね?

例えば、女性はホモ(BL)には寛容だけどレズにはちょっと・・・みたいな。逆に、男性もレズはいいけどホモはちょっと・・・。みたいなね。

こればかりは、その方の価値観というか感情だから強制は出来ないので、「そうなんだ」と思ってショックでも諦めるしかないと思います。

ちなみに、私は女性でバイなので女性も男性も両方いけます。

でも、理解してくれる女性が少ないのも現状です。

私が、女性もいけると知ると目つきが変わったり態度が急変した方もいました。

肩をたたいただけで異常者を見るような目で見られた事もあります。

多少傷つきますが、私はバイである自分を恥ずかしいとは思ってないので諦めておりますが、レズ・ホモ・バイをカミングアウトするのは勇気がいることです。

少しでも、理解してくれる方が増えることを祈ってます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お辛い思いをされてるんですね… そうですよね、理解してくれなくてもいいから否定だけはされたくないです(^_^;)

お礼日時:2012/06/04 00:24

歌手において、評価されるべきは「歌」そのものなのでそれが


いい曲であれば「作品」としては別にいいとは思うんですが…

>恋愛に性別は関係ないでしょ?
正直これにはドン引きです。
関係ないと思うアナタにショックを受けましたよ。

ラブソングは自らの経験やあこがれを重ねあわせて恋心を
思い出したり悲しみに浸ることで感情を震わせるものですから
カミングアウトしてから同性への愛を歌うならともかく
カミングアウト前のラブソングが同性愛者発の物だとわかったら
そりゃ騙された!って思うのは当たり前です。

こと同性愛においては、動物として考えていくと異常な価値観
ですから知人が一般論で言うならば多数派で正常と言う事になります。

難しい事をいうと、[愛]は種族保存本能に基づいた感情で
異性にしか機能しないはずの物でありそれが狂って何でもあり
の人間が異常であるのです。

[子孫を残す]という目的でない同性愛は純粋な意味で性愛が
情動の元となっているため一般には受け入れがたい感情で
ある事は忘れないようにしましょう。
    • good
    • 0

>「ホモって知ってから聴かなくなった」


別に何だってよかったんですよ。聞かなくなった言い訳として何かにこじつけたいだけです。
ホモじゃなくたって、別のことに因縁つけたいんですよ。


考え方というのは狭い人ほど一つに拘り続けますが、
広い人は様々な物に結びつけます。
その違いは何かといったら「応用力の違い」なんですよね。

私の経験上、仕事をいかにして恋愛に応用したらうまくいきましたが、
恋愛のうまくいかない人は自分の仕事がうまくいかないことと恋愛が
うまくいかないことは別だと思ってるでしょう。

価値観の違いの前に、価値観って何だと思いますか?
価値観という言葉の意味です。
私はこれを様々な人の意見、著名な人の意見の総意から、
価値観とはこれまで生きてきた軌跡を言うのだと考えています。
人生において何が大事かというのはそれまで生きてきた軌跡によって
決まります。しかしながら、同じ物を良しとするにしても当人同士が
同じ軌跡を踏んできたのではないのです。結果としての一部分が
同じように見えるだけでそれまでの経緯は全く違う。

例えばこんな例があります。
ある数字が偶数か奇数か?
それを調べるには様々な方法がありますが、その結果出る答えはひとつだけです。
そのひとつは同じだが、人によってやり方が異なる。
やり方が異なる以上、例え結果が同じでもそれは異なるものだということです。

もっと例をあげれば、東大合格。
同じ私立有名大学合格にしても、学生時代がむしゃらにやってきた人、
ダメもとで受けてみたら偶然受かってしまった人、学校推薦で受かった人、
スポーツ推薦で受かった人、様々な人がいます。
同じ合格という点だけで見たら皆同じだけど、
じゃあ新学期始まったら皆スタート地点は同じかといったら違うわけです。

そういった意味で、誰しも、例え双子だとしても生きてきた軌跡は必ず違う。
だから価値観が違うのは当然だ、ということです。
物事を結果という点で見るのではなく、軌跡という線であったり、
複合的な要素である面で見たりすることで、それが必ずしも一致するものではない
ことがわかると思います。


よく男女が別れる理由に価値観の違いを挙げますが、
初めっから価値観など違って当たり前、というのが私の考えであり、
さらにいうのであれば、日本は建前社会ですので、「価値観の違い」
という建前を置くことで、実際にある「本音」を隠している、そう言えます。

こういったことから、価値観の違いで傷つくなんてことは、
まずありえない、ということはわかっていただけたと思います。
なんてったって、人は千差万別であり、十人十色であるからです。

もし、本音で価値観の違いだと思っているようであれば、
その人は視野が点でしか無いと言うことです。

一般的に仕事などを培っていくことで視野は広がり、
それによって、様々な人が常に重ならない面を持っていることを認識した上で、
いかにしてその面を相手に合わせるように自分を補正するか。
それが対人コミュニケーションと言えるでしょう。


点で考える人は点しか見えず、面で考える人は点も線も面も見えます。
この違いは面で見る人が点で見る人にアドバイスすれば、
面で見る人にはアドバイスと映るが、点で見る人には面が見えないので
頭ごなしに言われていると感じるでしょう。

点も面も重ねることができないのであれば、そもそもコミュニケーションを破棄するなり、
すればよろしいことだと思います。面で見れる人は他人を傷つけているかどうかは
わかります。勿論、被害妄想で傷ついた!などと言う人がいたとしても、
それは点で言う人は主張のつもりだが、面で見ている人はただの被害妄想だと
解っているから相手にしませんし、他の面で見ている人もまたその思想が
はっきりと理解できます。

そもそも論として、否定はしてはいけないことではないし、非難もしてはいけないものではない。
何を論拠にしてはいけないと思い込んでしまうのか、それはやはり考えが狭いからではないか?

考えの幅を決める一つの基準は「言葉」です。
言葉を正しく使っているか、正しいと認識しているだけで実は違うのではないか、
同じ言葉を様々な意味で使う人がいることを認識しているか、
その言葉の由来とは何であるか、など、多岐に渡って考え、時には調べ、また人の意見を参考にしつつ、
自分なりの解釈を「定義」する。定義なくして会話はなりたちません。
自分がこう思っている言葉であっても、他人は違うように思っているかもしれない。
先の例であった「価値観」もそうだし、「愛する」って言葉だってそう。
自分の思い込みで言葉を使っていたら伝わる内容も100%伝わらない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

長文に渡るご回答ありがとうございます! 点で見るか、そうじゃないかですね!

お礼日時:2012/06/04 00:23

ついでなのでもう少し展開しましょうか。



「ホモ」とは差別用語です。
つまり、彼は「ホモ」ということで明らかに差別化したかったわけです。
そうすることで自分の中にある何かしらを正当化したいかったのでしょう。


もうひとつ。
「愛」について。
愛とは何か、一番わかりやすいのが「母性愛」です。
母性愛とは「母親の子に対する」=母性、「一方的に見返りを求めない与え」=愛です。
母親が子供に対して何かを望むから世話をするのではありません。
ただ、それが自分の子供だからという理由で金も手間も時には自分の全てを捧げるのです。

前述したように相手に対して一方的であり、尚且つ何も見返りを求めないで、
相手のためによかれと思って何かをしてあげることが「愛する」ってことです。

誰かさんが本能だのなんだのほざいてますが、
母親が子供を相手にする母性愛の愛は種を残すことには何も関連しませんし、
動物にも虫にも植物にさえ、愛はあります。
でなければ、親は子を平気で食らうはずだし、子のために必死に危険なところに向かう
動物を説明できなくなりますからね。動物が自分さえよければいいと思ったら種は残すはずがないです。

話はそれましたが、愛とは「利他」とも言いかえることができます。
利他とは利己の逆であり、己に損失があろうとも他人に尽くす、という考え方であり、
これもまた動物にも虫にも植物にもそれが組み込まれていることが良く知られています。


これまでの多くの歌や文章とは、世間の目を逃れることを含め、ストレートに表したものばかりではありませんでした。
それこそ近年の歌は読解力の無い人が聞くから、それらしく書かないと理解できないけれど、
昔から歌は何かにおきかえることでそれを通じて理解するのが普通でした。
それは国語の授業などで俳句などを読んでみたらそれはとても理解できるはずです。
俳句でストレートで書いたら必ず字余りになります。
様々な言葉を使い、字余りにならないようにいかにして伝えるか、深い意味を持たせるか、
或いは、弾圧で生命の危機にある状態でいかにして大事なことを伝えるか。
暗号電文はただの信号ではなく、ちゃんとしたメッセージであるように、
大事なことほどストレートには書かず、何か別の物に置き換えて書かれたものです。

それが必ずしも作者の意図にあたるかどうかは定かではありません。
取りようによっては幾らでも解釈ができるからです。
ひとつの解釈しかできない人は視野が狭いし、考え方も狭いが、
様々な解釈の仕方に気付ける人は、ただ視野が広いだけではなく、
様々な経験を通じて、広く深く考えられる人だというわけです。

自己啓発の本などを読んでみればそういったテクニックは多く書かれています。
仕事を恋愛に応用するテクニックは、歌であれば恋愛のことを仕事のことのように
書くことで視野の狭い人には仕事の悩みにしか聞こえないが、広い人には
恋愛の悩みを書いているのだと分かるわけです。
それを踏まえると、作者がその当時どういった悩みを抱えていて、或いは
どういったことを考えて作ったのか、それがその後の作者のおける立ち位置に
どのように変化していったのかが、解る人には解るわけです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!