プロが教えるわが家の防犯対策術!

僕は何かをするとき、集中します。
何か1つの網羅的なコツに一点集中して、取り組みます。
向上心がある場合はなおさらです。

しかし、集中する、何かを意識すると、心にゆとりがなくなる実感があります。
自然体ではない、精神的に無理をしている、そんな感覚があります。
でも、コツというのは、それに集中することで、楽に、効率的にできるものなので、
物理的には無理をしていないと思います。自然体ではないという違和感が「無理をしている」と感じさせる程度です。

かといって、集中しないと結果が出ず、もともと結果主義、合理主義な精神が根付いている自分は、
結果が出ない状況に不安になり、心にゆとりがなくなります。

このような場合、自然体ではない状況に納得する、その状態を自然体と思い込むしかないのでしょうか。

自分の最高の理想としては、自然体でなんでもできる状態です。
この「なんでもできる」という水準は、努力が報われたと感じたり、自己承認欲を満たす程度です。

もう少し詳しく述べさせていただきます。

僕は、マイペースな性格で、自己流な生き方をするたび、親に矯正されて育ちました。
客観的にみて、やや矯正の度が過ぎるかな、という程度です。
ゆえに、努力して結果を出さないと、他者に認めてもらえない、という心理が強く根付きました。
自己否定感が強く、向上心(危機感?)が強い傾向にあります。
結果を出せない自分のことを認めてくれる人に出会ったことはなく、
論理的に考えて、そんな人がいるとも思えません。

そういう心理から、「自分が自然体でいること」より「なんでもできること」に重きを置いています。
しかし、同時両立が理想です。
僕が考えた手段は、「なんでもできる水準の妥協」または「自然体で集中できる程度の反復練習」なのですが、前者は上記のように危機感が強いので、妥協をすると、強い不安に襲われます。
後者は、あらゆることをするには時間がかかりすぎます。

もし、「自然体でなんでもできる」状態というのを(主観的でも)実感している方がいましたら、
どのような心理状態なのか、教えていただけないでしょうか。
もし信念や軸などがある場合、その辺も教えていただきたいです。

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

質問者さまの質問を言い換えれば、どうやって平常心を維持するかということですよね。

自分も同様な悩みを抱えている者ですし、他の多くの人も同じ悩みを抱えていると思います。

偉大なロックンローラーとしてエルビス・プレスリーという歌手がしましたが、彼があがり症だったことは有名な話です。ただそれは、舞台に上る前で舞台に立ってしまうと素晴らしいパフォーマンスをします。自分は思うに、その上がり症と素晴らしパーフォーマンスは一体だということです。事前の緊張があるから素晴らしいパフォーマンスが可能なのです。人間はそう出来ているのだと思います。

ただ、自分の場合、事前に緊張した上で実行の場面で考えすぎて失敗してしまうことがあります。それはそれが実力と言えば実力なのですが、その時に平常心を保てればよりよいパーフォーマンスができると考え、その方法に就いて書かれた本を探しているところです。

別の話ですが、ある本に、悩みの解決方法の9割は本に書いてあるとありました。つまり人間は同じように悩み、同じように解決方法を探した人が沢山いるということです。

上がり症なことも悩みが多いことも、別に質問者さまや本回答者だけではないのです。そこからまた努力し頑張ることが自分の成長になり成功することに繋がるのだと思います。
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「自然体で何でもできる」人なんていないです。


「なんでも自然体でやりたい」と思う人はいるけれど。
そんな人は、結果を最重要としない、だから人には認められることは二番目です。

自分のことは、自分が良くわかっている。
自分を一番許せるのは、自分。
自分の言い訳を一番聞いてくれるのは、自分。
自分を一番慰めてくれるのは、自分。
自分を一番褒めてあげることができるのも、自分。
だから自分を一番肯定できるのは、自分。

自然体でやろうとする人って、こういうことをよくわかっているから、自分を自分で追い込まないんですよ。
追い込みそうになったら、立ち止まって休む。

たとえば、スポーツが出来るって、単に鍛錬を積み重ねた結果ではないです。
無駄な力を入れないことが上手い・・・心も身体もです。
そして、理想は高くても、目の前の目標ハードルは低いです。
日々の小さなことに、充実感を持っています。

自己否定したりや下手な向上心を持ってたり、結果を重要視していると、心の要らないところに力がいっぱい入って、逆に肝心なところには力が集中しない。
だから、いい結果がなかなか出ない。
ますます自己否定して・・・。
悪循環だと思わない?

信念や軸・・・自分を大事にすることでしょう。結果が悪くても。良く評価されなくても。
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剣豪宮本武蔵は、その自然体の極致を目指しました。

「五輪書」によると、剣の構え方も最終的には「型のようで型ではない。例えれば水のような融通無碍なものが理想である」と記してあります。

しかーし、その極致に達するには「ひたすらに修行に励め」とあります。歴史にその名を残す剣豪でさえその極致に達するには長年の修業が必要で、そのために彼は剣術のみならず書画などの研鑽も積みました。
その極致に達するには、何十年もの修行が必要であることには異論の余地はないと思います。汝研鑽し己が道を究めたまえ。
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自然体って、人から見た自然体と、自分で感じる自然体って違うと思います。


いつも落ち着いてる人が、仕事が溜まってるときもテキパキこなしていくのを見て凄いなぁと思ってたら「終わらないかもしれないと思った。焦った」と言っていたり。自分がすごくテンパってても「いつも冷静だよね」って言われたりします。

意識して集中したり、ゆとりがなくなるってことは、自然体でそれをこなせるだけの力がまだあなたにないんだと思います。でも、努力を続けていくことで、無理をしなくてもサラッとこなしていくだけの力をつけることも、これからできるんじゃないでしょうか。
「なんでもできる水準の妥協」に強く不安を覚えるなら、ストレスにもなるし辞めた方がいいかもしれません。でも、自分にとっての水準と他者から求められる水準は往々にしてギャップがあることが多いですから、どの程度の水準を求められてるかを知ることも大事かもしれません。「自分の水準を満たすため」ではなく「他者が満足できる水準を満たすため」と考えればある程度の妥協はできるかもしれません。
「自然体で集中できる程度の反復練習」は出来る範囲からやっていけばいいのではないでしょうか。ちょっとずつ出来る幅を広げればいいと思います。

私は余裕なくなるとよく口調がきつくなったり軽いパニック起こすので、自分で注意しています。意識して自分なりの努力をすることで、ちょっとはマシになってるかなと思います。
是非ご自身の負担になりすぎない程度で頑張ってください。
頑張ってるあなたを見て評価してくれている人がきっといますし、あなたが望んでいない自分の姿を受け入れてくれる人もいっぱいいるはずです
あなたのご両親と言うのは地球上に大勢いるうちのたった二人ですから、皆が同じ価値観と言うわけではないはずです。
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それが経験を積むということでしょう。


今の姿勢を続けることが将来そうなれる事につながると思いますよ。
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自然体でやってそうな人たちっていますよね。



でもよく話を聞いてみると、実は緊張していたり、いろいろ内心は考えていたりするようなんですよ。

大人の場合、本当に自然体でやっているばかりでなくて、「慣れのせいでそう見える」ということがあるようです。大人は全部本音をそのまま表に出すわけじゃないですからね。

たとえば、仕事だったらその「役割」に合わせた態度や対応をするわけで、そういうのは経験や失敗を積み重ねて慣れていくわけです。

オリンピック選手だって、「楽しんでやります」「自然体で」と口では言ってますけど、なかなかそうはいかないんじゃないでしょうか?かなり精神力が強くないと練習の成果は発揮できないでしょう。思う通りに本番で出来るんだったら、誰も苦労しないですよね。

そこまですごくない一般人も・・・
音楽関係の習い事の発表会を見に行って、出た友達が演奏途中で引っかかって止まってしまったり(他の人たちもそうなのですが)、でも日頃マイペースな感じの人なので、あんまり緊張してないのかなあ?と思ったんですが、後で本人に聞いたら、「練習の時は引っかからないで弾けるんだよね」と言っていました。
やっぱり人間てそういうものなんですよ。
程度はいろいろあるでしょうけど。

私は森田療法で言う、「目的本位」「あるがまま」が良いと思っています。
うまくやろう、自然体でやろう、と考えるからさらに緊張しちゃうのであって、緊張しても不安でも構わないので、そのままやることをやろう、という考え方。恐れとか不安も持っていていいから、そのままやることをやる。


>結果を出せない自分のことを認めてくれる人に出会ったことはなく、
>論理的に考えて、そんな人がいるとも思えません。

私も「出来ないといけない」思考があるので質問者さんの考え方はある程度理解できるつもりですが、でも、世の中にはちゃんといるんですよ。結果が出ないときでも受け入れてくれる人々が。
親がそうだったからと言って、世の中の人間全部が同じわけではないんです。
フィルターをできるだけ外して、いろいろな人に出会ってください。

もちろん、結果が求められる場合はあります。
成果を得ることが意味が無いとは言いません。

でもたとえば、人間的に好きになってくれるかとか、友達になってくれるかとかは、「出来るかどうか」とはイコールではないです。あと、結果が得られなくてもその過程の努力を認められることもあります。

自分を許すこと、人を許すことも、学習課題かなと思います。
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