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大学生です。

昔は純文学や漫画などのフィクションをよく読んでいたのですが、最近はさっぱり読まなくなりました。
読むとしても、歴史書や、現実にあったことを描写したフィクションやルポルタージュぐらいです。

理由は、
「ノンフィクションのほうがおもしろい」
「現実に起こる事件や歴史に比べると、作家の想像力で作られたフィクションの世界は矮小に見えてしまう」
といったものです。

そこで質問なのですが、文学や漫画などのフィクションはノンフィクション(現実)に勝てるのでしょうか?
それとも、「事実は小説より奇なり」という言葉のように、現実に比べればフィクションなんて大したことないものなのでしょうか?

皆様のご意見お待ちしております。

A 回答 (7件)

No.6です。

お礼をつけていただいたのでちょっと書き足します。

お礼の中で「戦争を描いた映画」と「現実に起こる戦争」を例として挙げていますが、それはあなたがはじめにした質問とはまったく関係がありません。もしかしたら言葉の意味を間違って理解していらっしゃるのではないかと思いますが、「ノンフィクション」とは現実の出来事そのものではありません。「ノンフィクション」とは現実にあったことをもとにして文章や映像で作られた「作品」をさすのです。文章や映像による作品の内容が事実に基づいたもの、筆者の創作が含まれていないものを「ノンフィクション」といい、筆者の創作によるものを「フィクション」というのであって、「現実そのもの」は「フィクション」でも「ノンフィクション」でもありません。その点を勘違いしていらっしゃるのでしたら、この質問は締め切って新たに質問をし直した方がいいと思いますよ。「現実に起こった出来事をもとにして作られた作品は、現実そのものに勝てるか」というようなタイトルをつけて。
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その質問をすること自体が「わかっていない」ことの証明です。



凡庸な作家がいくら「面白いストーリーを作ろう」と思っても現実に起こる出来事にはかないません。現実に起こる出来事には確かに人の想像力をはるかに超えた部分がありますよね。

しかし、本当に才能がある人の小説は「現実の出来事を超えるような面白い出来事」を目指して書かれてはいません。
すぐれた小説やすぐれた映画というのは、ストーリーの面白さによって決まるのではなく、小説なら言葉、映画なら映像と音を使って「これはすごい」というものを築き上げているわけです。だから、すぐれた小説や映画で、ストーリー自体はどこにでもありそうなもの(男女が出会って別れた、とか)であることもしばしばあります。
例えば私は今、金井美恵子の『恋愛太平記』を読んでいますが、別にあっと驚くようなストーリーが展開するわけではないにも関わらず、「なんでこんなことが書けるんだろう」という驚きに満ちた小説で、私は「金井美恵子はほんとにうまいなあ」と感心しながら読み進めているのですが、こういうすぐれた小説に対してこれが「フィクションに勝てるか」というようなことを考えるのは無意味です。

また、ノンフィクションの文章を読んで現実の世界のさまざまな出来事について知ることはとても楽しいことですが、しかし筆者の文章のレベルが低かったり、凡庸な発想しかできない人が書いている場合など、扱っている事象じたいはおもしろそうでも本としては評価できない、最後まで読めない、ということもあります。ノンフィクションといえども言葉を使って作られているものなので、筆者が言葉を扱う十分な力量を持っていないとぐっと質が落ちてしまうのです。だから一概に「ノンフィクションはフィクションに勝る」と言うことはできません。

というわけで結論は、文章を書く力やものを考える力を十分に持った人の書くノンフィクションは読むに値する素晴らしさを持っているけれど、才能ある作家の書く小説にはそれとは別の素晴らしさがあり、それは比較できるものではないので、勝ち負けなどは考えられない、ということになります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 小説なら言葉、映画なら映像と音を使って「これはすごい」というものを築き上げているわけです。
別に「ノンフィクションの物語が優れている」とはいっていませんが……。
ノンフィクションだって、物語が平凡なことはままあります。

「言葉」や「映像と音」を使って、それでもフィクションは現実に勝てるだろうか? というのが私の疑問です。
例えば、戦争を描いた映画などは多々ありますが、どれだけ映像と音を駆使した映画でも、現実に起こる戦争の迫力に勝てるだろうか? と。

お礼日時:2013/07/13 12:25

昔、純文学の小説を書いていました。


…と言ってもプロでもなく、いろんな賞に応募して何の賞にもかすりもしなかったレベルなんですけど。
貴方のおっしゃっていることはよく分かります。逆の立場から…。
リアルと非リアルの狭間が問題なんですよ…。
フィクションで非常に個性の強いキャラクターを描いてしまうと
『こんな人いるわけないじゃん』と覚めてしまいがちです。
しかし、ノンフィクションだと同じようなキャラクターが出てきても
『うわぁ! こんな人いるんだ』になってしまうんです。
リアルに見せる為の作家の技術や工夫が足りないと言われてしまえばそうなんですが、やはりそれだけでは埋められない差があるんです。
小説の世界に没頭させるためにも、自分と重ね合わせて観てもらうにしても、主人公に共感してもらうにしてもフィクションでは個性が強すぎるキャラクターはどうしても出せないんです。
これは本当にどう足掻いてもリアルには勝てません。

次に矮小な世界観ですが、純文学は作家の伝えたいことを明確にするために、俗世間と切り離した感じで描く事が多いです。
リアルな世界ではこうだけど、本筋から離れてくるから、そこはふれないようにしよう…だとか、
伝えたい事がぶれてくるから、あえて描かない。
…描いても後々削るんですよ。伝えたい事が薄くなるんじゃないかとか、伝わらなくなるんじゃないかとか考えると怖くて…。
よく有名な作家さんが新人の書評なんかで『肩の力が抜けて自然に自由にかけてる』と言うのはそこなんですよね。(伝えたいことを前面に出しすぎると説教じみたうざったい小説になる)
でも大抵の作家さんはそれが上手く(いいバランスで)出来ていないし、自然に自由に描けているといわれる作品も、それなりにリアルな部分を上手く潰している。
純文学はとても繊細で簡素な事がメインテーマだという事が多いです。
繊細な為に小さな世界観で
簡素な為に不必要なことを切り捨てて
と言うのが純文学の世界ですから小さく感じるのは当たり前だと思います。

エンターテインメント系ではその逆だと思いますが、あまり詳しくないので、ここでは遠慮させていただきます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 小説の世界に没頭させるためにも、自分と重ね合わせて観てもらうにしても、主人公に共感してもらうにしてもフィクションでは個性が強すぎるキャラクターはどうしても出せないんです。
これは歴史ものでよく起こりますね。

敵人物が都合よく死んだりすると、フィクションでは「ご都合主義」といわれますが、現実だと驚きになります。

お礼日時:2013/07/13 12:21

勝つって言う意味がわかりません。


それは読み手次第なのでは?
創作の面白さと実話の面白さ、両方あるので勝つも負けるもないと思います。
読み手がどう感じるかでしょう。

SFなどの完全な想像の世界の小説や映画、作りものとわかっていながらその世界を楽しむのが文学。
時代小説なども同じですね。実話を題材にしているけど想像の話。
本や映画は娯楽なんですから現実の話ばかりではつまらないという見方もあります。
一時、現実から離れてその世界に身を委ねる、自分の発想や想像力をふくらます、それがフィクションの楽しみだと思います。

そしてノンフィクションならではのリアル感、あるいは実話とは思えない本当の話、そんな面白さも一方であるわけです。
実話だけに説得力は大きいしフィクションより衝撃的だったりするでしょう。
けど小説とは逆に読み手は現実を突きつけられるわけですから、自由に想像するという楽しみは奪われます。

所詮、一人の人間が自ら体験できる事は少ないもの。
限られた狭い世界のなかで一生を送るので、自分の知らない世界を知りたい見たいという欲求があるもの。
それが想像の世界であっても現実の話であってもその欲求を満たすということに変わりないのではないでしょうか。
あとは好き好きの問題です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 本や映画は娯楽なんですから現実の話ばかりではつまらないという見方もあります。
> 一時、現実から離れてその世界に身を委ねる、自分の発想や想像力をふくらます、それがフィクションの楽しみだと思います。
うーん、フィクションでなければ想像力を活かせない、というのが私には分からないですね。
ノンフィクションでも十分に想像力を働かせることはできるのでは。

お礼日時:2013/07/13 12:19

No2で回答したものだけど、なんかフィクションとノンフィクションが


あべこべになってるところが多々あるのでもう一回投稿します
内容は同じなんでNo.2の方は無視してこっちだけ読んでね

*****************************************************************

勝ちとか負けとかいう考え方がそもそもダメ


ノンフィクションの方が面白い場合があるのは確かだよ

例えば現実でサヨナラ満塁ホームランなんて起こったら感動するけど、
フィクションなら作者の好きなように打たせられるから特段感動はしない

現実というだけで、フィクションでは真似できない魅力がノンフィクションにはある


だからといって、フィクションがつまらない事にはならないよ
現実で起こりえない事も楽しめるのがフィクションな訳だし
現実でよく起こる事をフィクションでも見て共感することもあるし


あと、自覚ないだろうけど
あなたがフィクションをつまらないと感じるのは自分が悪いんだからね

あなたは自分の中でノンフィクションをより面白いものにするために、
フィクションを貶めてしまっているね

人っていうのは単純でね。
一度思い込むとどんどんその思い込み通りに進んで言っちゃうんだよ

面白さなんてのは主観が全てだからね
つまらない って決め付けたらつまらなくしかならないわけ


No1さんもそうだよ
海猿をみてリアリティがなくてつまらなかったって?

「現実にはありえない = つまらない」 じゃないよね
「あははありえね~」なんていいながら現実にはあり得ないことを楽しむ事だって出来る訳ですよ


フィクションがつまらないんじゃないんだよ。ノンフィクションが面白いんじゃないんだよ
面白くしてるのもつまらなくしてるのもそれを見た人次第なんだよ

結局は好みの問題という結論に行き着くわけ


好みは個人の自由だけど、全く違うものなんだからどうせなら両方楽しみなよ
片方しか楽しめないなんてもったいないよ

少なくとも、片方を貶めてることでもう片方を持ち上げるような真似は止めなね
お行儀悪いから
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

まず初めに断っておくと、私は「フィクションがおもしろくない」とはいっていません。
ただ、「ノンフィクションのおもしろさには劣るのではないか」と思っています。

> 現実で起こりえない事も楽しめるのがフィクションな訳だし
昔ならそういう面もあったと思います。
現に、SFなどは「まだ実現されていない技術」を夢見て描かれていたわけですし。

しかし、今の世の中で「現実に起こりえない、フィクションでしか描き得ない」ようなものって、ほとんどなくなってしまったのではありませんか?
その意味で、「現実で起こりえない事も楽しめる」という役割を終えつつあるのではないか、と私は思っていますが。

> 現実でよく起こる事をフィクションでも見て共感することもあるし
現実でよく起こるなら、ノンフィクションのほうを見ればよいと思いますが、そこでフィクションを見る理由は何でしょうか?

お礼日時:2013/07/13 12:18

勝ちとか負けとかいう考え方がそもそもダメ




ノンフィクションの方が面白い場合があるのは確かだよ

例えば現実でサヨナラ満塁ホームランなんて起こったら感動するけど、
フィクションなら作者の好きなように打たせられるから特段感動はしない

現実というだけでノンフィクションでは真似できない魅力になる


だからといって、ノンフィクションがつまらない事にはならないよ
現実で起こりえない事も楽しめるのがノンフィクションな訳だし
現実でよく起こる事をフィクションでも見て共感することもあるし


あと、自覚ないだろうけど
あなたがノンフィクションをつまらないと感じるのは自分が悪いんだからね

あなたは自分の中でノンフィクションをより面白いものにするために、
フィクションを貶めてしまっているね

人っていうのは単純でね。
一度思い込むとどんどんその思い込み通りに進んで言っちゃうんだよ

面白さなんてのは主観が全てだからね
つまらない って決め付けたらつまらなくしかならないわけ


No1さんもそうだよ
海猿をみてリアリティがなくてつまらなかったって?

「現実にはありえない = つまらない」 じゃないよね
「あははありえね~」なんていいながら現実にはあり得ないことを楽しむ事だって出来る訳ですよ


フィクションがつまらないんじゃないんだよ。ノンフィクションが面白いんじゃないんだよ
面白くしてるのもつまらなくしてるのもそれを見た人次第なんだよ

結局は好みの問題という結論に行き着くわけ


好みは個人の自由だけど、全く違うものなんだからどうせなら両方楽しみなよ
片方しか楽しめないなんてもったいないよ

少なくとも、片方を貶めてることでもう片方を持ち上げるような真似は止めなね
お行儀悪いから
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個人的にはノンフィクションが勝ると考えています。



現に映画「海猿」を見たとき現実離れした物語に幻滅しました。なぜなら私が元「海猿」だからです。あんなに甘いものではありませんし、訓練中に携帯なんて触る余裕はありません。届くはずの無い船内からの携帯電話の通話や極端な転覆した船舶からの脱出はあり得ないのです。
あのような場所では無線機すら役立たずです。
他にも医師や航空管制官などのドラマがありますけど、やはりフィクションでしかありません。あり得ない設定で如何にもハッピーエンドの持ちこむための創作でしかないと思い、最近の短編ドラマは見る気すらありません。むしろナショジオや世界中の観光地などを巡る旅関係のノンフィクションを好んで見てしまいますね。

所詮はフィクションです。現実にはかないません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 海猿
私は「海猿」という映画を見てはいませんが、戦争ものの場合、ノンフィクションの迫力が勝ってしまうことはしばしばありますね。

大岡昇平『野火』など優れた戦記文学もあるのですが、やはり現実の強烈さには劣ってしまうと感じます。

お礼日時:2013/07/13 12:14

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