No.9ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは、exhibitionistさん。
当質問を発見したのが昨夜でしたが、何しろ夕方8時頃帰宅した途端、(自称・古手川祐子似の)女房殿から「早くお風呂入って!」と追いまくられ、その後じゃれあいながら、差しつ差されつ晩酌なんぞを楽しんでいると、あっという間に11時、依って本日の投稿と相成りました。
ところで今は懐かしいバブル経済、当時の行過ぎた資産インフレは確かに異常を通り越してはいたが、その時代に生きた当時者としましては、正直活気に富み且つ楽しかった、身を置けて幸せであったとすら考えます。
ネオン街の異常な熱気、更には新橋タクシー乗り場での2時間待ちも、前後何年かの世代とは共有出来得る、過ぎてみればそれなりにいい思い出、往時を語る枕詞ですらある。
あれから既に20年以上、当時美貌の好青年を自称した私も、小便切れの悪いただのオヤジと化し早50歳と幾つ、年は取りたくないものです。
>あなたは、1990年にどんな立場で何をしていましたか?
当時私は30歳で社内的には勿論平社員(「自称「筆頭ヒラ」)、3年間赴任したシンガポールから帰国した年でもありましたが、シンガポールでのタイトルはシニア・マネージャーという御大層なもの、そして御多分に漏れずアテンド稼業に精を出す日々。
無論当時主流の通信ツールはテレックス、「○月○日・○○商事・○○課長ほか1名・○○時チャンギ空港着、至急ホテルの手配願い度し」といった類が毎日入電する訳で、何しろその処理に忙しく、来星される方のステイタスに合わせて、お迎えの車・ホテル等を手配し、殆んどの場合食事とお酒にお付き合い、時には女性の御世話までしなければならない。
そもそも日本では良識ある社会人、且つ家庭内に於いては良きパパであり分別盛りの紳士であられるはずが、実際には一夜のアバンチュールを期待して来られたりする方が少なくなく、老いて尚盛んなオスの本能に、今更ながらと驚いた次第。
ところで帰国後、人事部配属を命じられたまでは良かったが、当時の私といえば借金だらけで首が回らなかった、依って遊びたくても遊ぶ金が無い、でも死ぬほど遊びたいという自己矛盾の中、その資金の捻出に大忙し。
あれやこれやと姑息な手段で経費を浮かして、遊び金に回しておりましたが、何しろあの時期会社のお金と自分の財布の区別が付かなかった、当然仮払いの清算も貯めに貯め、全社的に期限付きの清算命令が出された時は、死ぬほど驚いたものです。
ところが一方に於いて、基本線はやはり極楽トンボですから、毎日が遊び感覚且つ頭の中は常にアフター・ファイブ。
当時平社員の私でしたが、まあ次長程度までは遊び相手、通常は上司が部下を飲みに誘い・麻雀を強要するのが基本形なのでしょうが、殆んどの場合私が麻雀メンバーをセットし、そして銀座をおねだり、当然礼を失せぬ程度にですが・・。
元より上司に阿る気は更々無かったが、結果としてそうなった可能性は否定出来ない、世の常・人の倣いとして、彼らに映る私は恐らく「愛い奴」だったのでしょう、入社以来一貫して上司に可愛がられた事は、恐らく間違いない。
例えば当時接待稟議の後出しは当たり前でしたが、飲み屋の付回しその他も私の場合はほぼ盲判、歴代仕えた上司が常連のホテルのバーに繰り出し、彼らのボトルを勝手に飲んじゃうなんて不届きな事すら、平気でしておりましたから。
何しろ私が身を置く業界は、その昔より完全なるサバイバル・ゲーム、つまり上司に嫌われてしまえば、若い内の出向・転籍は当たり前、それもほぼ例外なく、二度とは戻れない片道切符の世界。
まあ半沢直樹の如く、力がある上司に逆らう事は、ほぼ即座に企業人としての死を意味します。
>あの時代はあなたに何を与え何を奪ったでしょう。
与えられたものは、個人的な時間の大幅増加と余暇の充実、そして失われたものは、会社に対するロイヤルティ辺りでしょうか。
但しこの世の森羅万象は、須らく自己責任であるはずですから、私が背負った1000万円以上の借金も、自らが放漫に遊び倒したつけに過ぎず、しかも今にして思えば、株の信用取引などで、追証の決済に奔走した挙句、人生を棒に振った先輩同僚との比較に於いて、被害軽微であった事は恐らく間違いありません。
とまあ、個人的な環境変化は今述べた通りですが、バブル崩壊後メディアが煽った、余りに強いバブル・アレルギー、並びに「羹に懲りて膾を吹く」的風潮に依り、若い世代から野心という名のエネルギーを奪い去り、去勢方向へと誘導した経緯には、少なからぬ公憤を持ちます。
そもそも男の興味の対象は、一義的には金と名誉と女であるはず、つまり「草食系男子=女性に興味が少ないオス」なんて方程式が、私の貧困な想像力の埒外にあります。
更には車を欲しがらない若者の存在も如何なものか、我々の時代は金が無くても先ず車、極端な話飯を食わずに、給料の殆んどを車に費やしてた友人も少なくなかったが・・。
オスの本能を以って盛大に女性を口説き、獲物を仕留める為の小道具への購買意欲を、内需へとフィード・バックしてこそ一人前の男、昨今のこの国の在り方は、間違っているとしか思えないのですが・・。
>そして一番深く記憶にのこっていることは何でしたでしょう。
まあ死ぬほどありますが、その全てをここで披露するのは不可能、依って最もティピカルな話を一席。
それは私が帰国する数ヶ月前の事、何故か会社よりさる国際金融講習会の受講を命じられ、ヒルトン・ホテルのタイランド・ルームという会議室を一週間借り切って行われた、当該講習会に参加。
講師は国際金融のエキスパートであるアメリカ人、そして30人前後であった受講者の内訳は、シンガポーリアンがほぼ半数、残りはアメリカ人・イギリス人・マレーシア人・インドネシア人、我が同胞も私を含めて4人ほどいました。
その日本人の内2人は、紳士然とした外見とは裏腹にかなりの挙動不審、当然100%英語で行われた講習会に於いて、「私に構うな」的オーラを全身から発し、これには講師も苦笑い。
何しろこのお二人英語を全く解さない、講習中は左甚五郎もびっくりの、「見ざる・言わざる・聞かざる」に徹しておりましたが、休憩中に話しかけられ名刺交換をしたところ、内幸町辺りに本店を構える、東日本大震災以来何かと話題の某巨大企業の社員様でした。
何しろあの会社は、大銀行・大手商社・スーパー・ゼネコンですら出入りの業者扱い、官僚以上の官僚体質にして、その頭の高さは尋常ではない旨、その悪名は聞き及んでおりましたが、恐らく勤続20何年とかの御褒美に、出張という名目をくっつけて、当講習会に参加していたのでしょう。
しかしそこはよくしたもので、私なんぞの付け焼刃英語とは違い、流暢なキングス・イングリッシュを駆使する某大手商社○○物産の現地若手駐在員が、朝から晩までフル・アテンドして、気の毒なほどの気の使いよう。
そりゃそうです、○○物産からしてみれば、当時の内幸町は年間数千億円のLNGを購入してくれる大の御得意様、但しこの人選は明らかなミス・キャストであり、私にとっても大迷惑であった。
何しろかの2人のおじさまは、何故かエリート君を相手にせず私にばかり話し掛けてくる、そして話題を(へその)下の方へ下の方へと持って行こうとする意図がありあり、無論ぴんときました、夜のお遊びを御所望なんだと。
何せ年こそ若いが、当時の私はアテンドのプロ、しかも世の酸いも甘いも噛み分けた「違いが分かる男」、ただそんな義理はこれっぽっちも無いし、物産君に恨まれては迷惑千万、依って知らぬ顔の半兵衛を決め込んでおりました。
ところがです、講習終了後彼らからホテルのティー・ルームに誘われて、予想通り泣きつかれた次第。
いきなりしかもあからさまに、女性がいるお店に案内して欲しいと切り出されて、逆に好感を持った私は、「業界こそ違えど同じ金融畑、いつかこの借りは返してもらえるだろう」、との損得勘定を頭の中で素早く済ませ、且つ「義を見て助けざりきは、勇無きなり」と観念して、どんと胸を叩いた。
何しろ物産のエリート君はいい奴だが、中年男性の心の奥底というか人生の機微が分からない。
但し後で恨みを買わないように、私のアテンドは高いですよと予め念を押し、先ずは当時シンガポールで唯一の高級寿司店であった「野川」に御連れした。
何しろこの「野川」は、わざわざネタを築地から空輸するお店として名高く、当然の事ながら御勘定は破廉恥なほどに馬鹿高い。
但し今日の勘定は他人様持ち、気分は大船どころか王侯貴族、依っていつもは二の足を踏む「松茸の土瓶蒸」などを遠慮なく注文したが、御会計は当然の事ながら3人で軽く10万円越え。
次いで当時シンガポールで最も高いと評判であった、某クラブへと流れたが、顔見知りのチー・ママに話をつけ、飛び切りの美女数名をテーブルに張り付けてもらいました。
何しろあちらの女の子は、日本の女性と比べて明らかに拳1つ分ほどお尻の位置が高く、言うなればスタイル抜群、見ればかのお二人、既に鼻の下が1.5倍程にまで肥大し、一本抜かなければ収まりが付かない御様子。
まあ事の顛末は御想像に御任せしますが、何はともあれ一件落着と相成った次第。
ところで、あのお二人は意外と律儀なお方でして、後日丁重なる御礼状を頂くと共に、あちらの担当部署を通じて私の事を褒めちぎって下さり、私としましても、安値安定であった我が株を、大いに上げさせて頂き、返って恐縮した次第です。
この回答への補足
みなさま、23年前の遠い記憶を語っていただき大変ありございました。
当たり前のことですが、当時37歳だった私は今年還暦。
つまりバブル時代に30歳以上だった人たちで資産インフレや過剰流動性の
金融時代を経験した人はどんどん退職していくのですね。
isokenさんの言われた元気のいい時代、男の本来のエネルギー源みたいなことを
再認識しないとみんなでちいさく固まるデフレ経済体質にそまっていってしまいそう
アベノミクスがなんとなく正義のように見えてきて、インフレターゲットの正当性
をみんなが考えはじめたようです。
正直、ここまで世代差が明確に出るとは驚きでした。遠い過去でさほど思い出も
ないという方もいれば、まだ高校生だった方まで。
本当にみなさま大切な記憶を語っていただきありがとうございました。
当時の六本木、赤坂の記憶はとてもなつかしいです。
ということでみなさまにBAをさしあげたいところ
いちばん冷静にかつ愛着をもって思い出を語ってくださったisokenさんにさしあげたいと
思います。
isokenさんこんばんわ
いつもながら、情景を活写されるお手並み鮮やかですね。文の長さを感じさせない軽快な語り口、読んでいて快感を覚えます。ことに、ところどころにちりばめられた惹句には毎回関心されられます。
>当時美貌の好青年を自称した私も、小便切れの悪いただのオヤジ
この辺の表現、抑制された隠喩が効いていて
>今は懐かしいバブル経済、当時の行過ぎた資産インフレは確かに異常を通り越してはいたが、その時代に生きた当時者としましては、正直活気に富み且つ楽しかった、身を置けて幸せであったとすら考えます。
金融畑にいらしてなお、最盛期に国際金融の中心地でお仕事をされたというのは優秀でいらしたのだと拝察します。
>ネオン街の異常な熱気、更には新橋タクシー乗り場での2時間待ちも、前後何年かの世代とは共有出来得る、過ぎてみればそれなりにいい思い出、往時を語る枕詞ですらある。
まさに、あの時代のネオン街とタクシー業界の勢いは世の中の景気を象徴していました。接待はエスカレートして向島で芸者さんあげてエレクトーンの先生が伴奏しカラオケをやったり半玉さんの奴さんの踊りを観たり。とにかく接待なのか放蕩なのかわからないこともありました。
>当時主流の通信ツールはテレックス
いや、懐かしいです。テレックスオペレータという職種もありました。
>毎日が遊び感覚且つ頭の中は常にアフター・ファイブ。
・・次長程度までは遊び相手、通常は上司が部下を飲みに誘い・麻雀を強要するのが基本形なのでしょうが、殆んどの場合私が麻雀メンバーをセットし、そして銀座をおねだり
当時はよく麻雀やりました。大手町のガード下とか溜池の高速脇でよく朝まで麻雀やりました。銀座は安い店に上司のお供でいったり新橋のカラオケ割烹みたいな店に幹部が常連になっていて飲み代は自腹ですが帰りは会社のタクシーチケット。秘書の女の子を習志野まで送って世田谷に帰ったこともあります。
>バブル崩壊後メディアが煽った、余りに強いバブル・アレルギー、並びに「羹に懲りて膾を吹く」的風潮に依り、若い世代から野心という名のエネルギーを奪い去り、去勢方向へと誘導した経緯には、少なからぬ公憤を持ちます。
大拍手です。バブルをまるで思考停止の愚行といってみたり、最後は泣きをみる危ない橋みたいに言うのは間違っていますよね。
>男の興味の対象は、一義的には金と名誉と女であるはず・・・盛大に女性を口説き、獲物を仕留める為の小道具への購買意欲を、内需へとフィード・バックしてこそ一人前の男、
こういうことを声を大にして言う人が少なくなりました。
内幸町の某社の話、笑っちゃいました。旅の恥はかき捨て、しかし役人さんより品がないですね。あっさりこなして株があがったisokenさんのお手並み鮮やかです。株と言えばバブル期に安定資産株で定評のあった内幸町の某社の株ですが私は暴落時に手を出して結構やられました。
バブルってこんな時代だという時代の一端をかいまみさせてくれる文章をありがとうございました。デフレの時代は、皆で貧しく生きれば怖くないみたいな風潮でした。バブルの時期こそ運不運、人脈の有無、巧妙に立ち回るか否か つまり人生の醍醐味のすべてが味わえた時代だったのだと思います。
内藤陳流に言えば「バブルを知らずに死ねるか」です。
秋と冬と春だけの季節ではつまらないです。情熱の夏がないと、人生の本当の楽しみ方を知らずに生きていくような気がします。
いや、楽しく拝読いたしました。
ご回答ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
27歳でしたね。
25歳の時に始まったプロジェクトがちょうど完了した頃です。
弊社担当分が総額5億円で、私が弊社側プロジェクトリーダーに任命されました。
バブルの頃ですから会社もそういう冒険をする余裕があったのでしょう。
そのプロジェクトの終了と同時に次の大型案件のリーダーを任されたので、バタバタとした1年だったはずです。
20代後半は駆け足で働き、学び、遊びましたから、時間がいくらあっても足りなかったと思います。
車やスキーなど金のかかる遊びも多かったうえに、結婚する前年ですから、そっち方面でもお金がかかっていました。
時間もない、金もない、でもダイナミックな時代でしたね。
何を与え何を奪ったか。
経験を与え、我武者羅さを奪ったかな。
一番深く記憶に残っていることは、社内旅行で三陸海岸をグルッと回った時のこと。
宴会で、当時「若手三羽烏」と呼ばれた同期の3人で初めてカラオケを歌ったことが印象に残っています。
1人は人前では一切唄わないことで有名でしたが、私が「プロジェクト成功は3人力を出し切った成果だから、その記念に是非一緒に歌いたい」と誘って実現しました。
今ではみなそれぞれの部門の次長職で、いつのまにか上より下の方が多くなってしまいましたが、たまに3人で
飲みに行くときは当時の向う見ずな若造の気分に戻れます。
>27歳でしたね。
>25歳の時に始まったプロジェクトがちょうど完了した頃です。
この時代、人が育ちましたよね。私が今年60歳、回答者さまとは10歳の歳の差がありますが、部下が皆伸びました。一人は震災の時東北支店の副支店長をやって大活躍。とにかく仕事に前向きにむかう姿勢がピカイチ。
>バブルの頃ですから会社もそういう冒険をする余裕があったのでしょう。
オリンピックを契機にまた若手にチャンスがまわってくる時代になるといいですね。当時は、アイデアだけでも戦力だといわれて、アイデアを出すと「やってみろ」とか言われて。結構たのしかったですね。
>そのプロジェクトの終了と同時に次の大型案件のリーダーを任されたので、バタバタとした1年だったはずです。
いい時間をすごされましたね。また20代の後半の時期にチャンスに恵まれたというのは僕らの世代とはまた違った喜びでしょう。
質問者さまより3年後あたりの年齢になると、人材確保と称して足止めでホテルに泊めたり、箱根に幽閉したりで話題になった頃で、この時期入った人はバブル崩壊で仕事がなく「使えない新人」とこき下ろされたのと大違いですね。
おそらくこれからの日本の経済は今50歳前後の人たちの双肩にかかっているのだろうと思います。
私も、当時はプロデューサを名乗る人の本が書店に山積みで そんな中で博報堂の小川明さんの本や幕張メッセや大川端リバーシティを構想した梅澤忠雄さんとかの本を熱心に読んでました。
> 時間もない、金もない、でもダイナミックな時代でしたね。
そう。一言でいうと「ダイナミックな時代」
実感のこもったお言葉ですね。そういう時代でも人生を意気に感じることが
できた人はそれほど多くはなかったかもしれません。
>私が「プロジェクト成功は3人力を出し切った成果だから、その記念に是非一緒に歌いたい」と誘って実現しました。
いいお話ですね。
>たまに3人で飲みに行くときは当時の向う見ずな若造の気分に戻れます。
もう一度、景気が回復しビッグプロジェクトのチャンスが巡ってくるのは、今後7年~10年の間かもしれません。そういう時代に二度遭遇できるとしたらビジネスマンとして幸運なことなのでしょう。
ガムシャラさを取り戻すのは今かもしれません。ご活躍をお祈りいたします。
ご回答ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
株式の運用報告を受けにホテルに赴いていました。
もう退屈で仕方なかったことが最も記憶に残っています(笑)
バブル崩壊前に売却したので損失は発生しなかったと聞いていますね。
土地の売却は出遅れましたが、それも見込み益を逃しただけです。
巨大な金が動いた時代だという印象です。とても恐ろしいと感じます。
>株式の運用報告を受けにホテルに赴いていました。
ご立派です。ファンドも投信も報告書すら目を通さない人が多いのに
当時は莫大なカネをあつめて大きな運用をする機関が多くて
小さなところは心配だから見にいかれたのだと拝察いたします。
私は、当時は早くマンションの頭金をコツコツためていて、資金運用と
いう頭はなかったですね。広い社宅に入っていたら、先妻の父親が
熱心に不動産投資をすすめてきました。
>バブル崩壊前に売却したので損失は発生しなかったと聞いていますね。
これはすごいです。
>土地の売却は出遅れましたが、それも見込み益を逃しただけです。
これもすごい。1985年以前に買っていないと確実に含み損がでているでしょう。
>巨大な金が動いた時代だという印象です。とても恐ろしいと感じます。
そうですね。今は巨大なカネがうずもれている時代で、資産バブルの反動で
資産デフレ。価格に絶対評価はないというのが悩ましいところです。
人生の経験として資産インフレを知っているかどうかということで人生観も
180度違うだろうと思っています。
デフレしかしらない人生ってものまた恐ろしい気もします。
ご回答ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
1990年だと丁度、二十歳ですね
今の会社に入社して2年目で、まだまだ下っ端の設計者と言った所でしょうか?
>あの時代はあなたに何を与え何を奪ったでしょう。
正直、与えられたものも奪われたものもそんなに無い気がします
バブル経済のお蔭で求人に困らず、今の会社へも
すんなり入社出来ましたので
>そして一番深く記憶にのこっていることは何でしたでしょう。
イラクがクウェートに侵攻して、中東の緊張が一気に高まった事ですね
そして年明けに、多国籍軍がイラクを空爆し、湾岸戦争の始まりました
そうですか。20歳だとまだ世の中の景気の波を実感されるほどの出来事はないのかもしれませんね。
とはいえ、崩壊の前とあとでは、大違いということですね。
丁度節目で世の中に出られて、良いわけでもなく割を喰うわけでもなく・・そうですかs。そういう
世代がもう40代半ばにむかいつつある。
とても感慨深いです。
湾岸戦争はTVで克明に中継し、視覚的に印象にのこっていますね。
ご回答ありがとうございました。 世代の認識の差について認識を新たにしました。
No.5
- 回答日時:
30歳でした。
29歳で上の子を産み、子育てしながら家で出来る事はないかと翻訳をワープロ駆使してフリーランスで受けたり、子どもを預けて(新生児ですよお)3週間コースに通って資格を取ったりしました。
その後パートタイムで資格を使っての仕事をしましたが、シッター代とトントン。経験だけ積んで終わりました。
次の妊娠が分かったのでオフィス仕事のが楽なため、出産前の会社に頼んで戻らせてもらいました。しかし出産すると正社員扱いではなくなるので経済的には楽ではありませんが、子どもはとにかく病院通いや伝染病が多いので、ある意味では気楽に休みが取れて子育てと両立出来ました。
バブルの恩恵は一切受けたことはありません。ただ今から振り返れば、この職業に入れただけでラッキーだったのかもしれません。現在の志望者には狭き門になってますから。
子育てと共稼ぎを親戚友人の繋がりもなくやって来て、夫婦の絆が強まりました。やればできる、という自信をつけたかな。
その後1991年に出産後一ヶ月で旦那の会社が倒産し二人で無収入となり、翌日乳児を乳房から引き離してまた私の会社に戻りましたが、母乳が張って搾乳機でトイレで毎日搾乳しました。一回搾乳機を忘れた時は痛くて仕事にならず早退した事を思い出します。
我が家も共働きでした。ちょうど30歳の頃長子誕生で、おなじような雰囲気だったのをおもいだします。とはいえ、まだ80年代前半で、さほど世の中は騒然としていませんでした。うちは、二人目の子育ての時期に、バブルで仕事が強烈に忙しくなり、社内で少ない企画屋は引っ張りだこといえば聞こえはいいですが、いいようn会社に利用され、とはいえ、それなりにポストは上がって生活は楽になりながら、夫婦仲は悪くなりました(;;)バブルの終焉は私生活においても大きな転換期であったことにきがついたのは、そのあとからでした。
大変な時期をのりきってこられてご家族の結束が固まるというのは、大変うらやましいことだと感じました。
私事ですが2月にニューキャッスルとブリスベンに出張でうかがうことになりそうです。初めてのオーストラリア楽しみです。
ご回答ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
1990年は17歳で高校生でした。
どうしても行きたい大学があり、受験勉強に必死になっていました。与えられたもの:私立大学に進学できる学費…かな?
奪われたもの:家族の輪、先祖から受け継いだもの
父が小さな内装会社を経営していたのですが、バブル期は結構儲けていたようで、毎日中洲(繁華街)で飲み歩いてはお金をバラ撒いて、元々お酒は弱いくせにそうやって飲むから帰ったら酔いつぶれて母を蹴飛ばしたりそこら中のものを壊したり…
ずっと昔からあった振り子式の大時計も父が悪酔いして壊してしまいましたし、そうやって毎回暴れる父に私も姉も怯えてばかりで父が飲みに行った夜は眠れませんでした(私も階段から突き落とされて怪我をしたこともありましたし)
そして調子に乗って他人の借金の保証人になって(それも3件も)、バブルがはじけたらものの見事に全部の借金を背負うはめになりました。
その時に先祖代々の土地も銀行の担保に入れたので、もうすぐ売られるかもしれません(父が去年急死して、残された私たちでは返却の目途が立たないため)
結局一番深く記憶に残っているのは父に怯えて暮らした日々と莫大な借金の額に途方に暮れたことですかね…
ご苦労されたのですね。ご実家の不動産まで、競売にかけられるのは本当に悲しいことです。
ウィークリーマンションのT社の社長も、明るい顔をしながら膨大な負債を抱えたという
話を何かで読みました。
バブル崩壊間際でも、金を借りろとたきつける悪い金融マンがいるんですね。
当時はみんな夢を見て、そして逃げ遅れたものだけが波にのまれたのかもしれません。
おつらいお話をお聞かせくださりありがとうございました。心労が重なりお若くして亡くなられた
であろうお父上のご冥福をお祈り申し上げます。
No.2
- 回答日時:
ある仕事で、国際見本市や展示場に行って、部下の女性と一緒に資料集めをしていた記憶があります。
社員持ち株会に入っていたので、その女性と“1株7千円になったよ!”と驚いていて、“じゃあ今売ったら・・・”みたいな話をしていました。
とはいえ、バブルで生活が潤ったとか大儲けしたとか、そういう経験はなかったですから、失うものもなかったですね。
当時六本木のはずれに、J-FOXというショーパブみたいなお店があって、そこでは何人もの外国人女性ダンサーが、小さい衣装を身にまとって雲形テーブルの上を歩いたりしゃがんだりするサービスがありました。
お客はそのテーブルでお酒を飲んで、見たり談笑したりして楽しむわけです。
VIP客はいい角度の専用席に陣取って見ていましたね。
すごく賑わっていて歩けないくらいでしたが、店自体はいやらしさは全くなくて業界人が結構多かったように思います。
今考えると、すごくバブリーなお店でした。
「ジュリアナ東京」「J-FOX」「JーMens Tokyo」は、もしかしたらバブル時代の3大聖地だったかも知れませんね。
Maximizorの「Can't Undo This!!」もさんざん流れていました。
>国際見本市や展示場に行って、部下の女性と一緒に資料集めをしていた記憶があります。
当時は、幕張メッセが中心。遠かったですよね。今でも遠いですが。
>社員持ち株会に入っていたので、・・
某国営企業が民営化し株式上場。ちょっとした株ブームでした。
>六本木のはずれに、J-FOXというショーパブみたいなお店が
うろ覚えで記憶にあるのは、その模倣店だったかもしれません。
商社マンの友人に連れていってもらいました。
> 「ジュリアナ東京」「J-FOX」「JーMens Tokyo」は、もしかしたらバブル時代の3大聖地だったかも知れませんね。
トンビさん粋人だけにお詳しいですね。トンビさん私より上の世代でいらっしゃいますか?思いかえすと当時の私はまだまだ会社にこき使われていて臨海副都心の展示場のイメージパースを描いていたのを思い出します。当時東京都知事だったS氏はわがまま勝手な人でやたらアクロバットな建築が好きだったのを思い出します。
> Maximizorの「Can't Undo This!!」もさんざん流れていました。
ジュリアナ東京の映像の背景でいつも流れていた曲でしょうか。私はダンスはフォークダンスしか踊れないのでやはり蚊帳の外だったようです。
http://www.youtube.com/watch?v=OXMnLHwO4YY
当時で懐かしいのはSPAGOとかクィーンアリス迎賓館とか
食い気ばかりですみません。
ご回答ありがとうございます。記憶の枠組みがひろがりました。
No.1
- 回答日時:
こんにちは! われらバブル崩壊後就職組ですw
高校生でアルバイトに明け暮れてました。親はバブルの恩恵受けてなくて貧乏な方でしたけど、バイト代全部遊びに使えたので、毎日放課後はゲーセンとかボーリングとかカラオケで遊んでました。
時代の空気だったのか「お金はすべて使い切るもの」と思ってましたが、高校卒業後専門学校の学費を自分で払わなくてはならなくなり、毎日同じ服で口の開いた靴を履いてました。高校の時にお金を貯めておけば良かった。・・・というより、高卒で就職するべきでした。専学行ってる2年間で氷河期になってしまったので。
バイト先にもカワイイ子いっぱいいて楽しかったですが、チェリーボーイだった私はチャンスをすべて無駄にしてました。バイト先のバブリー美女に飲みに誘われ、高いディスコ代を払い、帰りの電車が無くなって駅前を回るナンパ車を捕まえ「実は弟がいるの」と私も乗せてもらって帰り、彼女のアパートに寄るも目の前でパジャマに着替え始めて「週に1回はSEXしないと耐えられない」とか言われて困惑して「そろそろ帰るね」って帰ったら、その後無視されるようになりました。何度かそのパターンありました。もう一度そういったチャンスがあれば、きっちり要求に応える自信あるのに、モテ期はそれ以来巡ってきません・・・
ドラマ観て、「なんでお茶汲みとコピーとりしかしてないOLが、豪華な部屋で高級ワインを飲みながら愛だの恋だの言ってるんだろう」と不思議に思ってました。
バイト先の女の子の一人が、「ちょうどマハラジャのある場所に、小さい頃住んでいた」と言ってたのを覚えてます。
私にとって、バブルは空気は感じましたが、実体験としては特に何もありません。これからバブルが来たらどう愉しめばいいのかexhibitionistさま、御指南くださいw
>われらバブル崩壊後就職組ですw
えっ、mikasaさんお若いですね。というかバブル経験世代が年老いている
のでしょうか。淋しいですね。
>高校生でアルバイトに明け暮れてました。
バブル時代に高校生というのはちょっと残念でしたね。
>時代の空気だったのか「お金はすべて使い切るもの」と思ってましたが、
おかげでお金がよく回りました。
>バイト先のバブリー美女に飲みに誘われ、高いディスコ代を払い、
あはは、わかります。恐ろしくたかかったです。VIPルームなんてのも
ありましたし、ディスコの黒服が人気職種でしたね。確か。
>帰りの電車が無くなって駅前を回るナンパ車を捕まえ「実は弟がいるの」と私も乗せてもらって・・
年下は食欲をそそられるとは確かな筋の話です。当時の女の子は酔うと堪え性がなくなるというのも。
>「そろそろ帰るね」って帰ったら、その後無視されるようになりました。
あーあ、mikasaさんたら、「据え膳食わぬは男の恥」っていうのに。
神様がくださったせっかくのご褒美をもったいないですねぇ。
でも、あの時代の自暴自棄で退廃的な空気をよく表しているエピソードかも
しれません。そのディスコを商社で企画した男がのちに介護ビジネスで
一山あてて、その後「そろそろ辞めるね」って会社売ったらその後社会からも
無視されるようになりましたね。
介護も夜伽も腹をくくって最後までやり遂げたほうがいいんでしょうね。
>何度かそのパターンありました。もう一度そういったチャンスがあれば、きっちり要求に応える自信あるのに、モテ期はそれ以来巡ってきません・・・
やはり、チャンスは前髪を掴め、後ろは剥げている。のことわざどおりですね。
>ドラマ観て、「なんでお茶汲みとコピーとりしかしてないOLが、豪華な部屋で高級ワインを飲みながら愛だの恋だの言ってるんだろう」と不思議に思ってました。
当時のドラマをググってみても、記憶に残るものは少なく、ただキャストがめちゃくちゃ多いですね。
そう、なぜか家賃も不動産も高騰のおりから、とんでもなく現実離れした部屋に
住んでいる登場人物。今観るときっとパトロンがいたに違いないと思うでしょうね。「貧しい」なんてのはドラマではタブーだった時代かも。
>バイト先の女の子の一人が、「ちょうどマハラジャのある場所に、小さい頃住んでいた」と言ってたのを覚えてます。
我々は、同じ経営のライブハウス「最後の20セント」の方がなじみがあります。ディスコはバブル崩壊後にオープンのジュリアナ東京のほうがなじみがあります。若い部下を連れて企画会社持ちで社会見学していました。当時はつぶれる前に
お立ち台を見ておこうと・・・客は閑散としていました。
> 私にとって、バブルは空気は感じましたが、実体験としては特に何もありません。
当時中間管理職だった私は、上司の夜遊びのお供はしたものの、つかまりにくい
タクシー待ちで赤坂でカラオケのレパートリーが増えたとかタクシーチケットが
無制限だったとかいうだけで特別な思い出はありません。
>これからバブルが来たらどう愉しめばいいのか
いやいやこれから7年間は今40代の皆様の時間。きっと私たちは採血と検尿の
順番待ちです。
貴重なお話ありがとうございました。バイトの女の子の布団のなかで何があった
かは誰にもいいませんからね。大丈夫。
ご回答ありがとうございました。
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