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 大好きな坂、思い出の坂、気になる坂、いつかは登ってみたい坂、日ごろ苦痛の種の坂…、ありましたらぜひひとこと。

 なお、ここで言う坂とは、北島三郎さんが歌うような人生の坂ではなく、オランダ坂、道玄坂、清水坂、母校の校門に至る坂など、あくまでも地理的な坂道ということにしておきましょう。

 ちなみに、わたしにとっては、横浜の元町あたりから山手の丘に登って行く坂道でしょうか。山手の丘の上には良く知られた「外人墓地」や「港の見える丘公園」、「大佛次郎記念館」など、そして幾つもの異人館、もう少し西手なら、フェリス女学園やカトリック山手教会なども…。そうしたロマンチックな場所に至る谷戸坂や汐汲坂、こうした坂道はわたしにとってとても懐かしく大好きな坂道なんです。

* 写真は汐汲坂

「坂」の質問画像

A 回答 (21件中1~10件)

Nannetteさん、ふたたびこんにちは。



 忘れじの坂でもよかったのですね(汗)

 ここです。
 
 http://sakotyan.cool.coocan.jp/yamaarukiax/sarak …

 『念仏坂』は筑豊の岳人にとっては汗の匂いをともなう郷愁の坂。大病をし、もう行くことはないでしょうけど、今や恍惚の人となった父と共に汗を流した思い出の坂です。
 
 ついでに・・・ブログ内に出てくる福智山は北九州市最高峰(海抜900m 笑)で筑豊の岳人が最初に登る辛い山。香春岳は炭坑節の♪ ひとや~ま~ ふたや~ま~ みやまあ~こえ アヨイヨイ ♪ のモデルの山です。

この回答への補足

お父様のお元気なお姿にBAを…

補足日時:2013/10/20 20:57
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この回答へのお礼

重ねてのご回答有難うございます。

 『念仏坂』…、ホホウ、山頂までただひたすら真っ直ぐ…、豪快ですねぇ。福智山は海抜900m、いえいえ、900mは結構高い。立派に北九州市最高峰と言うにふさわしい高峰ですよ。香春岳は炭坑節のあの歌詞のモデルの山とか、でも素晴らしいトレッキングルートですね。ところでブログの中の筑豊の岳人お三方はお父様とご夫妻の今は懐かしいシーンなんですね、素敵なお写真です。

お礼日時:2013/10/17 20:48

こんばんは。

(笑) 
丁寧な心温まるお礼を頂き有り難うございました。lin(_ _)imo

前回の回答で披露した歌、本日の宴で大合唱となりました。(爆!)
申し訳ありませんが、ちょっとほろ酔いか加減で再度のお目汚しを・・・

Nannette様のような淑女様には、ちょっと申し上げにくいのですが・・・まぁ、お許し願えれば幸いですが・・・

ニーヨンロク(国道246号線)を三軒茶屋・池尻方面から走って行きますと、この歩道橋が見えてきます。ちょうど、ここはカーブしていまして、初めて見たときに驚きのあまり、思わずハンドルを余分に切って、車線をはみ出しそうになって事故を起こしそうになった記憶があります。(爆!)

まったく人騒がせな!たしかに「、」が有るか無いかの違いでしかありませんが・・・
もちろん、坂の名の由来は、そんな下世話なものでないことはご存知かと想いますが・・・それにしても・・・ねぇ(苦笑+汗;)

まったく、よからぬことを考えるヤツ、ってなぁ、どこにでもいるもんですね。イタズラ書きがされた、って噂も聞きました。(嘆)

少し早めに、いつもの宴を終えて・・・
暖かいお礼に気を良くしてのお目汚し、場汚し、ご無礼しました。lin(_ _)imo
少し肌寒く感じます。お風邪等召しませんように。(笑)
「坂」の回答画像21
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この回答へのお礼

こんにちは~、丁寧な心温まる重ねてのご回答を有難うございます…

『雨の権之助坂』を大合唱って、結構皆さまこの曲ご存知なんですね。

 アハハハハ(大爆)、Nannetteのような淑女としましては…ちょっと申し上げにくいのですが、一瞬意味が呑み込めませんでした(大嘘)。意味が分かってひとり爆笑。わずか「、」ひとつ、落書きされていたのを見たら、それこそ反対車線に飛び込むことでしょうね。そういえば二子玉川の略称なんかもなんか怪しい。男子ならではの象徴、男性としては日常結構意識があるものなんでしょうね。まったく、よからぬこと…、いえいえ、淑女とてこういう下世話なもの大好きでございます。

 ほんと、数日前の30℃が信じられないほど冷えてきました。linimoさまもくれぐれもご自愛くださいますように。

お礼日時:2013/10/19 11:45

こんばんは。

今回も深夜に失礼します。(笑) lin(_ _)imo

「行人坂」についてご解答、それについての補足もあるようなので、ヒネクレ者の当方と致しましては「権之助坂」を挙げさせて頂きたく想います。(苦笑+汗;)

まぁ、坂の名のいわれや詳細につきましては割愛させて頂くとして・・・(ぉぃ!)

もう二十五年以上前になりましょうか、ごく一時期、都内に身を置きましたが、そのときに訪れたことが有る場所です。
きっかけは・・・

・・・で、ございます。(爆!)

コメントにもありますが、せっかくの素晴らしい情緒溢れる名曲なのに、なんでプロの歌手が唄わなかったのかなぁ~・・・と想うことしきりです。(苦笑+汗;)
まぁ、この曲が発表された頃は「オレたちひょうきん族」に代表される漫才ブーム全盛の頃でもありましたし、勤務先の応援で花の都に着任した際には、ぜひ行って見よう、と思っていたところでした。しかし、目黒駅から出たときには、とりたててコレって感じもしなかったデス。(爆!)

歴史や、それにより伴う風情等がわかるようになるまでには時間がかかりました。
もう一度、自分の過去を見つめなおす意味でも、訪れてみたい場所です。

いつも楽しいご質問をありがとうございます。
お邪魔しました。(笑) lin(_ _)imo
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この回答へのお礼

こんにちは~、ご回答有難うございます。

 「権之助坂」…、わたしにとっても懐かしい坂です。でも、『雨の権之助坂』って曲は知りませんでした。ビートきよしさんが歌っているというのも意外と言えば意外、とても雰囲気のいい曲ですものね。

 わたしにとっての「権之助坂」は学生時代、生意気に東京の住まいから横浜の学校まで時々ポンコツGTで走ったりしていた頃にお馴染みになった坂でした。首都高羽田線の渋滞を避けて都心を縦断、三田通りから清正公前、白金から目黒駅、そして権之助坂、でも、このあたりだけはやはり渋滞から免れるのは無理な話でした。

 それでも、権之助坂を下り切り、山手通りを過ぎて油面あたりまで我慢していれば、あとはそこそこ普通に走ることができましたし、第3京浜も下りはガラガラ、気持ちよく走れたものでした。そして帰り道、また権之助坂あたりで渋滞。その後も仕事の関係の編集スタジオやプロダクションなどもあったりして、権之助坂は懐かしいところです。

 権之助坂といえば落語でお馴染みの「目黒のサンマ」で知られたところ。よく馴染むといろいろ良いお店もあったりするのですが、なんと言ってもざわざわした目黒通りに面しているだけに、ちょっと見にはあまり魅力的にも見えない街。でも、歩いてみるととても楽しいものがある街です。そうですね。わたしもまた、自分の懐かしい過去を見つめなおす意味でも、訪れてみたいです。

 あら、どういたしまして、こちらこそ、いつも楽しいご回答を賜りましてとても喜んでおりますのよ、これからもよろしくお願いいたします。

お礼日時:2013/10/18 14:20

>そういえば…東急文化会館のすぐ横…と言いますと、会館の北側の少し裏手に、あの狭い通りに面して当時おシャレだったカフェテリアがあったのではありませんか。



御指摘の場所で且つ渋谷の老舗カフェと聞いて、私が先ず第一に思い浮かべるのは、東急文化会館横の狭い通りのどん詰まりにあった「パティオ」ですが・・。

>ちょっぴり意外な渋谷エレジー…、

私を振ってくれた件の女性は、常に悪魔の如き冷たい微笑をたたえた美女でして、恐らくNannette さんとは元御同業、それは今を遡る事10年ほど前の事ですが、出勤前にトーストを齧りつつ、寝ぼけマナコで眺めた、とある新聞の社会面の記事を見て、それはもう腰を抜かさんばかりに驚きました。

当該記事は、JA○客室乗務員の労務関係裁判に関する顛末でしたが、JA○インターナショナルを相手に訴訟に名を連ねた原告の一人として、掲載された写真の一人が紛れも無いその人。

未だ衰えぬその容色と共に、40歳を幾つか越えて尚、彼女はまだスッチーをしていたのかとの驚き、更には噂に聞いた結婚後の姓と違う苗字、なるほど2回目の結婚・・という気付きに、私としては寝た子を起こされた気分、その日は仕事が手に就きませんでした。
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この回答へのお礼

おや、重ねてのご回答有難うございます。

 東急文化会館の北側の少し裏手にあったというおシャレだったカフェテリア、そうなんです、東急文化会館横の狭い通りの一番奥だったとか…。「パティオ」というお店だったんですね。今ごろになって、父や母の若かったころの渋谷にちょっぴり触れた思いがしました。

 isokenさまともあろうミスター・ダンディーをいとも冷酷に袖にしたくだんの女性、その顔に悪魔の如き冷たき微笑をたたえし、まさに傾城と呼ぶにふさわしき美なる女人であったとか…。ところが今を遡ること10年のある朝のこと、とある新聞の社会面の記事を開いたミスター、あまりの驚愕に思わず手にしたトーストをバッタと取り落した…、パパン・パンパン。

 な、な、なんとぉ、パパン、見ればその傾城、当時話題となりおりし某フラグキャリアの客室乗務員が提訴した労務関係の訴訟の当事者、つまり原告であったのだとか…。しかもそれなる傾城、四十有余にしてその容色いささかも衰えず、未だ搭乗勤務に勤しむゆえかむしろ妖艶さを増したかに見える始末、二度ものチャンスに合い見え競う機会を失いしミスター、その心中いかにと、パパン、察するに余りあるなりぃ、パパン・パンパン。

 そういえば、10年前、あの頃がいわばCAという職業の質的転換期、もう少し具体的に言えば、CAに求められる職掌と資質がコペルニクスもびっくりの大幅な質的変化が求められた頃だったように思います。求められる質的変化はそのまま雇用条件の変化に結びつき、自意識が高かった彼女たちにとっては、急激に変化した環境に我慢も限界を超えたのでしょう、可哀想といえば可哀想ですけれどね。

お礼日時:2013/10/18 13:30

   


わりとお気に入りな2つ坂。

天気が良いと鳥海山・月山・朝日連峰・飯豊連峰・吾妻連峰が一望できますザンゲ坂


天気が良いと立山連峰・富山湾・能登半島までジップラインで行けそうです極楽坂
http://www.youtube.com/watch?v=g9jCTuC4j4k
   
(...etc. 春先に桜がいっぱい咲く坂もけっこう好きです^^
   
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

 ザンゲ坂と極楽坂…、youtube 拝見しました。これはもう本格的な坂の中の坂。スケールの大きないいご趣味ですね。

 飛行機から見下ろしますと、立山連峰や蔵王のあたりがひときわ美しく見える日があります。ゲレンデが目立つエリアですが、雪のシーズンはことにきれいだなと思っていました。春先の桜がいっぱい咲き揃うこうした坂もさぞ美しいことでしょうね。

お礼日時:2013/10/17 23:22

こんにちは。



この写真は汐汲坂と言うのですか?
なるほど、懐かしいと言うのは分かるような気がします。

皆さん「オランダ坂」を挙げられる方が多いようです・・・。
私も歩いたことがあります・・・でももう昔の記憶です。
私は坂と言うと函館を思い出します。
nanneteさんは横浜が地元でしょうから・・・でも、
函館も負けず劣らず異国情緒豊かな町のように思います。
私は住んだことはありませんがとても坂が多いのです。

坂の上から眺める函館湾は並木と相まって上質の絵画かな?
そう思えるほどです。
「トラピスト寺院」等、当時の函館の人が、
異国にどのような思いをはせたのでしょうね・・・。

NO1の方と古伊万里について触れておられます。
ポルトガル、オランダ、殊にオランダに古い伊万里が多い・・・
まあ、そうなのでしょうね。
当時の日本とオランダの交易を考えると当然のような気もします。

伊万里で・・・質問とは関係ないのですが、
愚妻が豆皿を集めております。
私はあんな物何が面白いのかな?と遠くから眺めておりますが、
当人は至って楽しいようです。
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この回答へのお礼

こんばんは~、ご回答有難うございます。

 そうそう、坂といえば函館は忘れてはなりませんね。わたし、あまり詳しくはないのですが、函館には函館山から20本ぐらいの坂があるのだとか。そして、そのほとんどが真っ直ぐ海へと下って行く道幅の広い坂道、その大陸的な姿がとても素敵ですよね…などと言っていますが、わたしの記憶に色濃く残っているのは千歳坂。そして弥生坂といったのだったかな。

 オランダに古い伊万里が多い…、あるオランダの地方都市で古伊万里の絵皿に出会ったことがありました。もしよろしければ、詳しくは…。
 http://blog.goo.ne.jp/mirage001

 奥様、豆皿のコレクション、いいご趣味ですこと。、風雅な豆皿からモダンな豆皿まで、無限にバリエーションがある豆皿のこと。あれもいいな、これも素敵と、集め出すとさぞかし楽しいことでしょう。お部屋に飾られた豆皿ってとても美しくて、ついついひとつずつじっくり見入ってしまいます。

お礼日時:2013/10/17 23:12

【思い出の坂】




★京都競馬場第三コーナーの坂


それは…

たくさんの競馬名勝負を演出してくれた、楽しみの場所。


そして…

われらがサラブレッドの使者「テンポイント」号を葬った、悲しみの場所。


もうすぐ…

『それいけ!テンポイント!!!ムチなどいらぬ…』
の肩入れ実況に興奮した【菊花賞】が訪れる


あの日は、鮮やかな芝紅葉。

今年の坂は、どんな色なのだろう…
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

 わたしはお馬ちゃんには詳しくないのですが、京都競馬場の外回りの第三コーナーは「淀の坂」と呼ばれ、高低差3.9m の急勾配がある…のだとか。そして、その坂が名馬「テンポイント」号を葬った、悲しみの場所というわけ…。

 そしてもうすぐ、待望の【菊花賞】だぁ。「hyakkinmanさまの期待を背負ってそれいけ!流星の貴公子テンポイント」。今年の色は熱く燃える茜色だぜ~…。

お礼日時:2013/10/17 22:44

こんばんは。



私の家の周りは坂ばかりです。
小さい時から上り坂下り坂の繰り返しで本当に大変です。
友達も「よくこんな所に住んでいるなぁ~。」と感心しています。
駅に出るまで三回のアップダウンの坂道があります。
私は自転車通勤をしているのですが、もうヘトヘトになってしまいます。
時間は1時間ぐらいかかります。
夏場は汗だくになりながらの通勤です。
普通の人には少し考えられないかも知れません。
最近はこの坂のせいで引っ越しも考えている今日この頃です・・・
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この回答へのお礼

こんばんは、ご回答有難うございます。

 家の周りは坂ばかり、駅に出るまででも3回ものアップダウンが…。小さい時から上り坂下り坂の繰り返し、今は自転車通勤だからもうヘトヘトになってしまう…。通勤は1時間ぐらいかかるから、夏なんかはもう大変。もう引っ越しを考えるほど…とは、うわ~、これはまたすごいですね。
「よくこんな所に住んでいるなぁ~」と言われても、今まで長年こうした環境で暮らしておいでになった、住めば都…と言いますが、でも、たしかにすごいです。頑張って下さいね。

お礼日時:2013/10/17 22:22

「打坂峠」と、或る一人のバスの車掌さんの話を思い出さずにはいられない・・!!


自分の子や孫に、語り継ぐに足る話であると思う・・!!
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

 『打坂峠』とは長崎県時津町元村郷にある峠道。昭和22年(1947)、当時は終戦から幾らも経っていない頃とあって、この打坂峠はまだ未舗装の山道であり、そこを走るバスも木炭を釜の中で燃やして、発生したCOガスを欠乏していたガソリンの代用燃料としてやっと走っていた時代。問題のバスは大瀬戸から長崎までの道を一日一便だけ往復していたのだという。

 打坂峠をやっと登りきったかと思えたあたりで突然駆動系統に故障が発生、そのために成すすべもなくずるずると後退をはじめたバス。しかし運転手には停止させる手段がない。そこで鬼塚という名前の車掌に「車止めの石をかませ!」…と絶叫。鬼塚車掌はすぐ飛び降りるとバスの後輪に石を噛ませた…のだけれど、石はタイヤに踏まれてあっけなく崩れてしまった。もはや車止めにするものもなく、見れば絶壁の崖っぷちまであとわずかしかない。

 それでもバスはなんとか止まった。なぜ…、鬼塚車掌がわが身を投じて自らが車止めとなったからだった。彼は車掌の職責として多くの乗客の生命を守った…。とかく職務上の責任感が希薄になっている今日、誰もに知っておいて欲しい話ですよね。

お礼日時:2013/10/17 21:49

>大好きな坂、思い出の坂、気になる坂、いつかは登ってみたい坂、日ごろ苦痛の種の坂…、ありましたらぜひひとこと。



坂といえば、私も宮益坂か道玄坂、そのどちらかになりますかねぇ。
尚haiji1996さんが仰るウェンディーズは、私の在学中は青山にしかなかったが、当時メインの通学ルートが幾つかありまして、専ら私が利用したのが、渋谷で降り・東急文化会館横をすり抜けて(宮益坂・青山通り?)を突っ切り、東邦生命ビル1Fを通り抜け、西門に至るというコース。

さてもう一方の道玄坂が問題、御存知ラブ・ホテルが林立する都内有数の地域ですが、それは大学在学中の出来事、当時付き合っていた女性と、まさにそこに向かおうとする途中で遭遇した、悪夢の如き災いでした。

渋谷の地理をよく知る、ラブホ帰りのカップルの何組かは、東急本店の横を通り抜けるルートを取る方が少なくないが、GWのとある日、その例に漏れず、暖め合った柔肌の火照りが冷めやらぬ風情といった感じの、ラブホ帰りを思わせる一組のカップルとすれ違った私達でした、・・と、ここまではよくある光景。

そもそも男性連れの女性をガン見する行為は当然マナーに悖る、依って私としても故意に目を逸らせておりました、ところがです、今にもすれ違おうかというその瞬間、相手女性が余りにも不自然に目を伏せた、当然私としては「???」。

好奇心に抗せず且つ己に課した掟を破って、相手女性を凝視したところ、私のつぶらな瞳一杯に映ったその人こそ、もてもてであった当時の私をズタボロに振り(しかも2回)、完膚なきまでに私の自尊心を貶めた女性、その人でありました。

「ちゃんと、やる事はやってんじゃね~か、べ~ロ~!」との、己の行状を顧ない不当な怒りはともかくとして、本音では頭をハンマーで殴られたほどの衝撃と悲しみ、そして惨めさ。

「どう見てもこっちの方がいい男、おまけに15cmは背が高い」と、くだらぬ事で自らを慰めてはみたものの、全ては負け犬の遠吠えでしかない。

何しろ決して短くはない人生で、たった2人しか存在しない好きになった女性の1人、その時の悪夢の如き光景は、老眼鏡無しには新聞が読めないほどに衰えた、我が愛しき網膜に今でも鮮明に焼き付き、道玄坂に対する思い出は、この一点に凝縮されております。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

 あらららら、ダンディーなisoken様にはちょっぴり意外な渋谷エレジー…、

 そういえば…東急文化会館のすぐ横…と言いますと、会館の北側の少し裏手に、あの狭い通りに面して当時おシャレだったカフェテリアがあったのではありませんか。わたしの両親は二人はじめてのデートでそのカフェテリアで食事をしたのだとか。当時カフェテリアといえば、ここと、そのほか赤坂のシャンゼリゼーぐらいしかなかったのだとか。

 道玄坂は恋の街、当然、身も蕩ける歓びもあれば、無残な失望と無念もある…。そして、げに不可解なるものは女人の行状。「どう見てもこっちの方がいい男、おまけに15cmは背が高い」といった素晴らしい男性を切り捨てて今の主人に惚れ直したこのわたし、自分を不可解だと思うことすらあるのですから。

お礼日時:2013/10/17 21:11

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