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20代の男です。


何かやりたいこと、やらなければいけないことがあるとします。


そういった事をやろうとしている時に、

「少しでもその存在を頭に浮かべると気分が悪くなる人」
「考えるとものすごくストレスを感じる人」
「その存在を考えている時間全てが無駄である人」
「もし遭遇したら馬鹿にしてくるかもしれない人」
「僕のいない所で悪口を言っているかもしれない人」


こういった人達のことを考える必要がないのに、考えてしまうことがあります。



僕は中学生の頃イジメに遭ったことがあるのですが、もう何年もたった今でも時折当時のいじめの加害者達のことを考えてしまいます。

当時の加害者達と関わり合いを持つことは将来死ぬまでないです。

にもかかわらず、未だに頭に浮かべてしまう。。。


恐らくそれは、

「考えないと大変なことになるかもしれない」

という脅迫観念が未だに頭から抜けていないから、
無理やり考えてしまっている、と言った方がいいかもしれません。


他にも、当時のいじめの加害者以外にも過去に出会った嫌な人間のことを
また思い出して考えてしまうことがあります。

そんなイジメの加害者や嫌な人間みたいな、考えるとストレスを感じ気分が悪くなる嫌な人達を考えると、
時間も無駄になりますし、思考のエネルギーも無駄、そして作業にも集中できません。


こういった人達のことをわざわざ考えて、
嫌な気持ちになるのはもう二度と嫌だ。



そこで皆さんに質問です。


冒頭で述べた、

「少しでもその存在を頭に浮かべると気分が悪くなる人」
「考えるとものすごくストレスを感じる人」
「その存在を考えている時間全てが無駄である人」
「もし遭遇したら馬鹿にしてくるかもしれない人」
「僕のいない所で悪口を言っているかもしれない人」

こういった人達のことを、しかももう自分にとって「過去の」人間である人達のことを


やりたいことをやろうとしている時、
やらなければいけないことをしようとしている時、
趣味を楽しもうとしている時に、
というか生きている間


考える必要が無い、と論理的に説明して納得させて頂けませんか?


もっと言えば、仮に今もそういう類いの人物と日常的に顔を合わせなければならないとしても、
わざわざ考える必要はないということも論理的に説明して納得させて欲しいんです。


つまり、

過去に関わった人物/現在も関わりのある、そういう類いの人物のことを、
自分の人生を生きようとしている時に考える必要が無いということを、
徹底的に説明して頂きたいんです。




僕は、過去の人物であればもう一生考えなくてよくて、今仮にそういう人物が周りにいたとしても、
その人物と接する時以外は1秒も考えなくていいと思っています。


でも、やっぱり「考えないといけないんじゃ・・・」という不安に駆られるのです。


そこで皆さんのお力をお借りして、もうこんな不安を感じないようにしたいと思います。

では回答の方よろしくお願いいたします。

A 回答 (8件)

どんな論理的な説明がなされても、あなたがそれで過去を忘れることは


出来ないでしょう。 理性で抑えこめるなら何年も繰り返し思い出しはし
ないでしょう。
忘れなきゃいけないと思うから余計に思い出してしまうのです。
失恋した相手の事を思うのとまったく同じです。

>何かやりたいこと、やらなければいけないことがあるとします。

やれば良いじゃないですか。何故やらないのでしょう。
考えてストレスを感じて嫌な気分になれば一歩も前に踏み出せないなんて
言い訳に過ぎません。

あなたは今まで全力で限界まで何かをしたことも、一歩間違えれば死ぬかも
知れないような過酷な状況に身を置いたことは一度もないのでしょう。
スポーツでも学業でも仕事でも例え一年でも良いから全力を費やしてみれば
わかります。 限界は一度ぶっ倒れてみないとわかりません。

そんな過去の事なんか考えている暇はないはずです。
つまり現在のあなたは暇なのです。 暇だからつまらん過去を思い出す。
そして現在は危機も無い平和な状況なのです。だから思い出す。

何故、人間は危険だと知った上でも山に登ったり海の底深く潜ったり空を飛ぼうと
するのでしょう。 何故、車やバイクで危険なレースや格闘技に心躍らせるのでしょう。
それは危険であればあるほど人の知覚や感性は研ぎ澄まされ集中力が高まるから
です。 つまらぬ考えが全て無になり今この瞬間に全神経を注がなければ最悪の
事態を招きかねないからこそ無になれるのです。

別にそこまで危険なことをしなくても限界ギリギリのフルマラソンや体力を出し尽くす
スポーツでも考えている暇なんてないでしょう。

仕事も同じです。私は二十代の頃は昼間は会社勤務、夜はバイトと平均睡眠時間は
3、4時間でした。 独立するためには資金が必要だったのです。
熱があることさえ気づかず、40度を越えていてぶっ倒れた時に始めて自分の限界を
知りました。

良い方法をお教えしましょう。私が昔やった方法です。
自分の命が後一年しかないと仮定して後365日、その間に何が出来るか。
眠る時間も惜しいと思いました。 目的を立て、そうすればそれを達成できるか、それ
のみに集中しました。 その間、他の事は何も考えられませんでしたよ。
その反動でその後に女遊び熱中しちゃいましたが…。

不安を感じない人間なんていませんよ。期待があれば同時に失敗したときの
不安も生まれるのですから。 
その不安を抑えることが出来るのは積み重ねた知識や経験や技術といった
一朝一夕では得られないものばかりです。

考えてから動くか、考える前に動くか? 動きながら考えましょうよ。
それも過去じゃなく未来を。 一年でもいいですから何かに全力でぶつかってみて
ください。 一年ですよ、二、三ヶ月で答えを期待しちゃいけません。
まずはやってみてください。 過去の話はその後でいいじゃないですか。
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別の方も仰っていますが、結局過去のトラウマを理由にして、嫌なことやつらいことから逃げているだけって気がします。


トラウマが病的なレベルなら、生活全般に支障が出るはずなので、カウンセリングにでも行ったほうがいいでしょう。
ここでのアドバイスでは解決が難しいです。
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●「考える必要が無い」と、論理的に説明して欲しい。



↑ご質問の趣旨は、過去の不都合な体験を考えてしまい、それが今やるべき何事かを邪魔する。その仕組みについて「論理的」に説明して欲しい。と、いうことだと判断して、以下に申し上げます。

1,過去の考えなくても良いことを思いだして考え出す。と、いうことは、特に嫌な思い出を思い出してしまう。と、いうことは、その事を当時キチンと自分が納得できるように「処理」してこなかった。と、いうことがいえます。

2,次に、現在から明日将来に向かって何かをやろうとした時、過去の事を思い出すのは、何かをやろうとするそのものの計画が未熟なのか或いは成功のイメージが描けないときに、過去と同じような気持ちになるのではないだろうか。と、いう失敗の気持ちの方に引っ張られます。要するにこれからやることに自信が無いときに、自信が無いことの言い訳として過去の失敗を引っ張り出して、これからやるべき行動にブレーキを掛けているのです。(言い訳です。)

3,過去の事は良いことも悪いことも考えてはいけない。と、いう心の仕組みがあります。但し、考えて良い場合があります。それは、これから何かをやるために、過去と同じ失敗を繰り返さないために過去を「反省」する「内省する」とか「教訓を生かす」などの前向きに過去を捉える場合です。こういう場合は大いに過去の事を考えて良いのです。それ以外は絶対にダメなのです。過去の良いことも原則考えてはダメなのです。これから先の事をミジメに考えてしまうきっかけになるからです。

過去の事を考えると、後ろ向きの考えになります。人間の身体は食事を摂って睡眠を取って身体は明日に向かって生きるために働いています。人間は精神と身体の統一体です。身体は明日に向かって生きる準備をしているのに精神とか心は、過去の過ぎ去ったことを考えていたのでは、心(精神)と身体のバランスが崩れます。バランスが崩れると現実の何かと衝突をします。この衝突は上手くいかなさとして自身に感知されます。

比喩的に言いますと、車の運転は車の進む前を向いて運転します。車の運転中に首から上の頭の部分(考えたり判断するところです。)だけが車が通り過ぎた後ろを向いていた場合どうでしょう。たちまち何かに衝突します。命を落とす場合もあるかも知れません。思考と身体の動きのバランスが反対になった場合も車の運転と同じで、世の中の何かに衝突するのです。そこで、こんなハズではなかったのに・・・。とか、上手く行かないのは周りのせいだとかなんとかかんとか言って自分を守ろうとします。

4,過去の事を理由も無く考えるというのは、命を落とすくらいに危険なことである。と、言う事が分かって頂けたと思います。この事はここで説明するまでもなく、日本で年間の自殺者が3万人を昨年まで越えていたことがなによりの証明です。人間は誰でも過去に生きていません。なのに過去の事を考え続け、思考が過去に引きずられるのは、思考はもちろんですが身体がいつも受け身な状態に置いている。と、言うことです。

5,人間は身体が何もしていない受け身の時に、過去の不都合なことを頭に浮かべて何だかんだと考えます。決してからだが動いている時には過去の事は考えません。家の中で独りぼっちで身体をごろんとさせているときとか、寝た状態に身体を置き、音楽を聴いているときとか、身体が受け身の状態の時に色々と考えてしまいます。そして、その考えがいかにも正当なのではないだろうか、と思ってしまうのもなのです。くる日もくる日も同じ事を考え続けるとそうなります。

6,誰だって過去に向かって生きていませんので、理由もなく過去の事を考えるとロクな事は無いのだ。と、言うことを自分に言い聞かせて下さい。鏡の前に立って鏡に映った自分の顔に向かって、過去の事は考えてはダメ。そういうことを考えるとロクな事は無い。と、言うように加々美の前の自分の姿に向かって、強く言い聞かせることです。一回鏡の前に立ったなら5回位先のように自分の顔に向かって鏡の中の自分に向かって声を出して言い続けましょう。声を出していえないときは、腹の中で言いましょう。今のあなたの迷いは2週間続けられたなら最低半分は解消します。半分解消できたと言うことは、全部解消するのも間近、ということです。(論理的にはです。)

以上単純な事は単純なままに捉えましょう。難しく捉えると出口が分からなくなります。やがて心の病に陥る可能性が高くなります。人間の心は難しく出来ていません。単純な組み合わせで出来ています。もっともっと自信を持ちましょう。以上です。
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質問の本質は、


イジメという嫌な思い出を思い出したくない、
思い出して嫌な気分を味わいたくない、
という事でしょう。

そのために
考える必要はない、考えることは無駄である、
と、論理的に納得したい、という事ですね。

質問の趣旨とは反しますが、
人の感情を論理的に考え、納得する事は出来るのでしょうか。
感情と理屈は別物だと思います。
例えば恋愛に関して、人を好きになる気持ちを考えれば明白だと思います。

その質問の本質を解決するには、
感情を論理によって力ずくで納得するのではなく、
自分が強くなる事が一番の解決方法だと思います。
強くなると言ってもケンカに強くなる、という意味ではありません。
体を鍛えて逞しくなる、という意味ももちろん含みますが、
精神的に強くなる、という意味です。

頭で納得させて「考える必要はない」と結論づけるのは
本当の解決ではなく、表面的な取り繕いだと思います。
一時的に改善されても何かのキッカケで元に戻ってしまう可能性もあるでしょう。
そのような中途半端な解決ですと、これからの仕事をする上で、人間関係において、
弱気な面が出て上手く行かない事もあるかもしれません。
本当の解決には正面からぶつかって元から裁つしかありません。
それはイジメの加害者と対決しろという意味ではなく、
嫌な過去に振り回されている弱い自分に勝つ、という意味です。
ぜひ精神的に強くなる方法を考えて実践してみてください。

いじめた奴らのような卑怯者とは自分は違うと言えるような
強い心を持つ事が本当の解決だと思います。
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女性です。

学生の頃は私もひどいいじめにありました。まぁ過去の事ですけど。

さて、私もNO2さん貴殿は>と少し同じです。

質問者さんがご自分でなしていることでもあります。でもどうにか克服したい。前に進みたい。支配されなくないわけですよね

。。。。質問者さんの今はどうですか?今の周り友人などのつながり、恋人など

今が充実していれば過去と決着できると思うのです。今の自分を認める。好きになる。です

それに文面より、多少もの事理屈ぽく考えるように思いましたがいかがですか。

例えば、昔でぶっちょでも今は痩せてスリム となんら変わりがない大したことではない と過去のいじめに対して決めてくださ

い。過去にいじめられていましたが、それが何か?ってなもんですよ。その時は、いじめられていた自分は辛かったのですが

あの頃の自分が受けてくれた作業で、今(大人)の自分はもう別人。大人という生き物なので、過去は終わり

いじめられていた事が、悪い過去 のように思うからだと思いますが、質問者さんが悪くていじめにあったわけでもないだろうし
考えたが合わなかった このくらいの事 と思う事です。

だからもう僕は、頭に思い浮かべない 
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 『気にすまい』と念じることは、気にしているのと同じことです。

神経症(≒ノイローゼ)の森田療法には<思想の矛盾>という言葉があります。「思想の矛盾」とは、例えば「人前で緊張してはいけない」、「試験の前の日は十分に眠らなければならない」といった“かくあるべし”という思想と、「人前で緊張してしまう」、「なかなか寝付けない」という“かくある”事実との矛盾を意味し、禅の「悪智」と同様の意味です。 「かくあるべき」であろうと努力すれば、その結果はますます逆の結果となります。(=緊張しないように努力することが、むしろより緊張することにつながります。)人の感情はそもそも非論理的・非合理的なものなので、論理的・合理的な考え(知性)で解決できるものではありません。“かくある”事実を「あるがまま」に受け入れていくしかありません。
 また、<自然に服従し、境遇に柔順なれ>という言葉もあります。「冬は寒い」、「人前で緊張する」、「なかなか寝付けなくて苦しい」などという気持ちは心に浮かぶ自然の現象ですので、仕方なく我慢するしかありません。(=自然に服従する) 仕方がないから我慢して、与えられた境遇に応じて、なすべきことを実行することを「境遇に柔順」と言います。(緊張しながらも、話すべきことを話す。寝付けなくても体を休めて眠りをゆっくりと待つなど。)つまり、この言葉は「あるがまま」と同様の意味となります。
 尚、仏教で「南無阿弥陀仏」と唱えますが、「南無」とは「帰依する」、「お任せする」の意味で、「阿弥陀仏」は「自然」を意味しますので、「南無阿弥陀仏」=「自然にお任せする」=「自然に服従」とつながっていること、森田療法は仏教そのものであると故馬杉保先生は教えています。

「一生感動 一生青春」
  で、‘相田みつを’が父として、子どもに あるがままを受け入れ、自分の意志と判断で問題に対応できる知恵と力をつけてやることが大切として、予防接種のことを話しています。

  注射は痛い・・痛いけれどやらなければ大きな病気になる・・
  避けては通れない・・我慢して耐えること・・
  その我慢は他からの強制や、‘痛くない’とだまされてするものでは
  ない・・子ども自身の判断と意志で本心から納得して我慢をする・・
  積極的な我慢こそ長続きする・・
  5~6才の娘へのことばです。

  「わんわんと大声出して泣いてもいいし、
   泣かないでじっとガマンしてもいい。
   どっちでも自分の好きでいいよ。
   それからね、
   大声出して泣いてもね、じっとガマンしてもね、
   注射の痛さには変わりないんだからね。
   そこをよく考えるんだね。」

           「一生感動 一生青春」より
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貴殿の疑問に正解を与えることはできません。

なぜなら、貴殿はパラドックスを弄しているからです。有名なパラドックスで「アキレス(俊足で有名な人)は亀に追い付けない」というものがあります。
足の速いアキレスが亀に追い付こうとすると、アキレスが亀にいた場所に追い付いたとき、亀は少し先に進んでいます。その場所にアキレスが着いたとき、亀はそれよりほんの先前に進んでいます。それを延々と繰り返せば、アキレスは亀に追い付けないことになります。これがパラドックスです。でも、実際はアキレスはあっという間に亀を追い抜きます。
貴殿はパラドックスをもってきて、「解を我に与えよ」といいますが、最初からそれはパラドックスなので解を与えようがないのです。「7÷3=?」と問うようなもの。「2.33333・・・その先には何があるのだ?7÷3の答えは何だ?」と聞いているようなものなのです。

さて貴殿は「どうしても奴らのことが思い浮かぶ。ゆえに先に進めない」といいますが、実はそれはわざと思い浮かべているのです。先に進みたくない、先に進むのが面倒だから、その理由として「あいつらのこと」を理由としてあげるのです。
だから、同じ質問をひたすらくり返すってわけ。「納得する理由がないから」ではないのです。「どんな理由であれ納得するつもりがないから」解が見つからないのです。そして貴殿はディスプレイの向こうで「やはり納得する理由が見つからない。僕が前に進めないのもやむをえない」と<納得>するのです。つまり最初から結論ありきなわけ。不安なことがあるから、不安になるのではなく、不安になりたいから、不安の理由を探しているのです。

ひとつはっきりといってあげます。貴殿が前に進めなくても、私たちが困ることはなにひとつない。貴殿が前に進めなくて困るのは、あくまで貴殿個人の問題です。だから、誰も助けてはくれません。自分を助けられるのは、自分だけです。
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人間の脳というのは、感情や本能を司る大脳旧皮質という


部分と、理性などを司る大脳新皮質、という部分から
構成されています。

強烈な体験などがあると、それは大脳旧皮質に記憶され
ます。
ここに記憶されると、ちょっとやそっとでは消えません。
語学などを長時間勉強したひとは、勉強したことが
この旧皮質に記憶されるため、考えなくてもぺらぺら
と外国語がしゃべれるのです。
そして一度マスターした外国語は、長く使わなくても
忘れません。
いじめなどの体験も、それが強烈であれば旧皮質に
記憶されます。

これに対して、理論というのは新皮質にとどまっている
ものです。
だから、いくら理論を振り回しても消えません。
他の方法を考えましょう。

例えは違いますが、私は幼い頃から臆病で、お化けとか
幽霊とか、犯罪者とかが怖くてしかたがありませんでした。
それで、格闘技をやり始めました。
何年もやって有段者になり、世界大会にも出場するように
なりました。
それでも臆病という性格は治りませんでした。
しかし、お化けとか幽霊、犯罪者などは怖くなくなりました。
参考までに。
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