この人頭いいなと思ったエピソード

恋愛をする上で愛してあげたいと思えることは必要なことだと思います。
その反面、尽くす女は愛されない、愛されることが女の喜びだという説もあります。

彼のことが好きだから愛したい。
でも愛してしまえば都合のいい女になって愛されなくなってしまう。

恋愛においてどのようなスタンスでいることが女性にとって最も幸せなのでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

他の回答者さんの補足に関してですが…



<こんなもの食えるか>と言う彼氏は
感想を素直に伝える<内容>に愛はあるが
言い方<方法>には愛が感じられないね。

<こんなもの食えるか>と言われたあなたは
<内容>にだけ愛を感じてへっちゃらになるか
愛のない<方法>だけに悲しくなるのかは
やはり!あなたと彼とのスタンスですね。

これはあくまでも個人的な見解ですが…
<愛とは相手の事を自分の事と想う努力>

男女であれば愛し愛されるのが理想だね♪
    • good
    • 0

女性にとって幸福とは何なのか?の答えは


それぞれの価値観なので一概に言えません。

ただ!愛を捧げたい対象がいるのは幸福です。

見返りを期待しない無償の愛を捧げたい
対象がいて、対象が受け止めてくれればね。
子供への愛情がそのものだと思いません?

対象を愛することが幸福なのか?
対象から愛されることが幸福なのか?
そのスタンスはあなたと対象しだいです♪
    • good
    • 0

お料理のトラブルだったのですね?



私は子どもからも夫からも義実家からも言われまくり。

でも激マズ嫁ではないんです。
これでも料理が得意な母に幼少期から徹底的に仕込まれましたから。

だいたい相手の思い込みや腹の虫が悪くて、文句を言っているようです。

私は、自分を抑えてガマンすることが、自分の心と体を害することを知っていますので、
夫には「グレてやる」「暴れちゃうかも」とか言って、お互い笑っておしまいです。
子どもたちには「食いたくなければどうぞご自由に」という姿勢を示します。
義実家は、「あら、そうかしら。そうかなあ。」と適当につぶやいて「味を足したければどうぞ」と言い、心の中では、「高血圧で病気になるぞ」と言っています。

でも、夫も子どもも義実家も超愛しているし、愛されています。

そもそも、愛を実践する大前提は、人を愛する前に自分を愛すること。
パートナーが自分の料理をけなすことが、果たして自分もパートナーも幸せになれるのでしょうか。

パートナーを本気で愛しているなら、パートナーが礼節を持った成熟した大人に成長するよう育てる、私ならそうします。

尽くしていて都合のいい女のように思わせておいて、実は女性はその何倍も賢く、ひそかにパートナーを成熟した大人に作り上げていく、これが一番負担のない愛し方かもしれません。

ちなみに、料理をけなす度合いが過ぎていたら、立派なDVです。
愛は、支配されたり支配するものではありません。
義実家は姑が家事が苦手なので、姑と舅がどちらもお互いを補って料理を作っています。
うちの息子たちも、彼女が料理が下手だったら、自分が作ったり手伝ったりすると言っています。
男性が料理を作ることに全然抵抗ありません。
私も夫に料理を作ってもらうことあるし、私が料理をサボりたいというと外食や中食をすぐに提案してくれます。

恋愛においてどのようなスタンスでいることが女性にとって最も幸せか。
それは、質問者様自身が自分を愛して自分を幸せにすることです。
ご自身に幸せになることを許可して、どんどん幸せになれる道を自分で選択してください。
不幸を匂わせてネガティブを漂わせて思いつめているような女性は魅力的ではありません。

ご自身がポジティブになれるパートナーを探すか、パートナーと力を合わせて今後ポジティブな関係を築き上げたらいかがでしょうか。
とりあえず、愛において、将来実がなる忍耐は必要ですが、不毛のガマンは必要ありません。

相手に尽くすのは質問者様の自由な選択です。パートナーもおそらく「誰も強要などしていない」と言うと思います。
愛されたいなら、ご自身とパートナーを成熟した大人へと育ててください。
心のゆとりがないと、愛は重たくなってきます。
    • good
    • 0

> それは相手に喜んでもらいたくて


> 作るわけですよね
> そんな時にもし
> こんなもの食えるかと言われたら
> 悲しくなりませんか?

あなた自身も喜ばせるに値する男と付き合うべきですね。
そして相手が喜ばせるに値するなら、まずい料理で相手を
困らせても意味ないので、別のことで相手を喜ばせたらいい。

彼を喜ばせたいという心意気は買うが結果として料理の味が
超不味かったのならそれは相手を困らせたということでしかないので。

相手を困らせた上に被害者ヅラしてても何なのかと思います。

料理では相手を喜ばせられないということですので、
別のことで喜ばせればいい話です。


> 男から見て喜ばせるに値する女ではなかったと変わるべきなのでしょうか。

あなたは不味い料理に「うまい」と言ってほしいのでしょうか。

男は嘘を言わされるのは嫌いです。

男の愛情が現れるのは、
・あなたと一緒にいたがる
・あなたの存在に感謝する
・あなたに贈り物をする
とかそういうことです。


彼がそれをするなら彼はあなたと一緒にいて楽しいと思ってるし
感謝しているしあなたのことを考えているということです。

彼にとって価値ある貴重な存在だということです。

別に料理がうまいことだけが女性の魅力ではありませんので。


男から見て一緒にいて楽しい、ありがたい存在であるべきでしょう。

不味い料理を彼に押し付けるのはありがたい存在ではありません。

別のことで彼が喜んでるならそれでいいのでは。
    • good
    • 0

こんにちは。



愛してあげたいという気持ちと、尽くすことはイコールじゃないんですよ。

尽くす女がなぜ愛されないか。
尽くすことによって、相手を愛したいのでなくて、自分が愛されたいから。
「あなたのため」と言いながら、本音は「私こんなに一生懸命なの、私を愛して愛して」って感じなんじゃないかな。
要は好きな男に下手に出ている訳ですから、相手もそう尊重はしてくれないかと。重いし。
人間って、自分の顔色伺う相手をリスペクトしないんですよ。

愛し愛される関係が一番幸せです。
どんなに愛しても、相手から尊重されていなければ虚しいだけ。
どんなに愛されても、相手を好きでなければ全く無価値。

バランスが大切。


何かの本かコラムで見かけたものですが、
「ついで」の気持ち、というものがありました。
誰かのために何かをする!!!というよりも、自分のためにすることのついでに誰かのことも考える。
たとえば、
「今日はカレー食べたいな」と思ったら、どうせ作るなら一人分も二人分も一緒、彼にも食べさせてあげようとか。
スーパーで美味しそうなリンゴを見つけて買う気になったら、「せっかくなら彼と一緒に食べよう」
「どこどこに行ってみたいんだけど、あんたも一緒に来る?」という感じ。
基本的に、自分のしたいことから「相手へ」発信。
たまには、相手が喜びそうなことを「サプライズ的」にしてみる。

これはとても有効だと思いました。
恋愛関係だけでなく、人間関係全般に有効です。

自分のことを考えるついでに、相手のことを考える。
人間って、いつもさり気ない心遣いに安らぎや喜びを感じるんじゃないかな・・・と思います。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

例えばの話ですが
彼に手料理を作るとします
自分の分のついでだとしても
それは相手に喜んでもらいたくて
作るわけですよね
そんな時にもし
こんなもの食えるかと言われたら
悲しくなりませんか?
愛は見返りを求めるものではないから
悲しくなるならそれは愛ではないのですか?
本当の愛なら
こんなこと言われても
好きだからへっちゃらなのですか?

この例え話だと
愛し愛される関係ではないですよね
この場合
別れた方が幸せなのか
自分の相手への対応が悪いから
こんなこと言われるようになったのだと
自分が変わるべきなのか

どっちだと思いますか?

補足日時:2014/03/23 10:29
    • good
    • 0

男から見て喜ばせるに値する女でい続けることでしょう。



そうすれば喜ばせてもらえる。


尽くすだけの女は中身がないので喜ばせるに値しない。

中身のなさをごまかすために尽くしているだけだから。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

前の回答者様の補足にも
書かせていただいたのですが

例えば彼に手料理を作るとします
自分の分のついでだとしても
それは相手に喜んでもらいたくて
作るわけですよね
そんな時にもし
こんなもの食えるかと言われたら
悲しくなりませんか?
愛は見返りを求めるものではないから
悲しくなるならそれは愛ではないのですか?
本当の愛なら
こんなこと言われても
好きだからへっちゃらなのですか?

そしてこの場合
別れた方が幸せなのか
それともtala-aki様が仰るように
男から見て喜ばせるに値する女ではなかったと変わるべきなのでしょうか。

補足日時:2014/03/23 10:33
    • good
    • 0

尽くす女は愛されない←これがそもそも間違いだと思う。



この場合の「尽くす」ってのは、女性側の自己満足になってるパターンが多い気がする。
相手はそこまで求めてないのに、過剰にサービスしたり、自分はこれだけのことやってるんだから、もっと愛してよと無意識に大きな見返りを求めてたりする。結局、自分の気持ちを満たすための行為でしかなかったりする。それを相手に押し付けてることに気づいてないだけ。

必要なのは、相手が何を求めてるか察する能力じゃないでしょうか。
なにごとも「ほどほど」がいいですよ。

って口で言うほど、簡単ではないけど^^;

あとは、「スタンス」とかいちいち考えなくても、肩の力を抜いて付き合える人と出会うしかないかと思います。うまくいくかどうかは、結局、相手との相性に尽きると思う。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

前の回答者様の補足にも
書かせていただいたのですが

例えば彼に手料理を作るとします
自分の分のついでだとしても
それは相手に喜んでもらいたくて
作るわけですよね
そんな時にもし
こんなもの食えるかと言われたら
悲しくなりませんか?
愛は見返りを求めるものではないから
悲しくなるならそれは愛ではないのですか?
本当の愛なら
こんなこと言われても
好きだからへっちゃらなのですか?

補足日時:2014/03/23 10:35
    • good
    • 0

「愛してあげたい」は違うんじゃないかなと思いますよ


愛したいから愛す、別に見返りは必要ない
愛して欲しいと思うから無償であるはずの愛が与えられなくなる
「こんなに愛してるのにどうして愛してくれない?」と言う方が男女問わず居ますが
言われた側としては知ったこっちゃない
>でも愛してしまえば都合のいい女になって愛されなくなってしまう。
この一文から質問者さんがお相手に等価交換を求めているような気がしてなりません
人それぞれの愛し方があり人それぞれの受け取り方があります
私が与えた愛と同じものを返して、は横暴かと...

好きな人を愛せる事は幸せですよね
愛させてもらえてますよね
>彼のことが好きだから愛したい。
それだけで幸せだと思える女性は魅力的です
そんな女性こそ愛したいと思いますよ

あくまで私は、ですけどね

この回答への補足

回答ありがとうございます。

前の回答者様の補足にも
書かせていただいたのですが

例えば彼に手料理を作るとします
自分の分のついでだとしても
それは相手に喜んでもらいたくて
作るわけですよね
そんな時にもし
こんなもの食えるかと言われたら
悲しくなりませんか?
愛は見返りを求めるものではないから
悲しくなるならそれは愛ではないのですか?
本当の愛なら
こんなこと言われても
愛したい、愛することができただけで十分だと思えるのですか。

補足日時:2014/03/23 10:38
    • good
    • 0

お互いが相手にとって必要な存在になること。


尽くすのと必要な相手は別です。すべて言いなりになり相手だけが居心地の良い関係というのは恋愛ではなく片思いの状態に近くなってしまう可能性があります。

精神的に必要な存在と尽くすことによって必要と思われる存在は違います。
もちろん相手が喜ぶだろうと思うことをするのは大切です。が、それはお互いに思わなければ都合のいい女になるだけですものね。女の喜びとか自分の幸せとかを考えているうちは恋愛に対してまだ頭で考えているだけの状態だと思います。

本気で相手が好きで大切だと思えば自分のことよりも相手のことを優先して考え相手が喜ぶことが、相手の役に立つことが自分の幸せだと考えるようになります。でもそれは尽くすとか相手だけが便利などではなく精神面でのことです。

彼においしいご飯を食べさせてあげたい、身の回りの世話をしてあげたいと思いそれらをするのもいいですがそれは相手を喜ばす行為の一部です。たとえば仕事で疲れて愚痴を言う彼の話を聞いてあげるだけで満足してくれるのか、同調してあげたほうが彼がすっきりするのかなど彼の性格を把握して適した対応をする、など。

愛してあげたいという表現がいまいち理解できないところがあります。愛するということがもしかしたらまだよくわかっていないのかななんて思いますが。。
    • good
    • 0

愛とは相手に寛容になり、相手を許すこと。


いくらパートナーを愛して尽くしても、パートナーの至らないところや失敗を許せなかったら、ギクシャクします。
また、パートナーが自分の至らなさや失敗を許してくれなかったら、生きるのが辛くなります。
愛を真面目に追求するより、ユーモアをもって余裕のある愛のやりとりができれば、お互い苦しくなりません。
尽くすとか愛されるとか、そういうイメージではなく、自分もパートナーもお互い愛を受けて、愛が自分の中に満たされて溢れていく、その溢れたものをパートナーや家族や地域の人たちに流し、自分たちはさらに与えられて、また溢れたものを流す、そのような愛のポジティブなスパイラルができると、お互いの関係や家族の関係が良くなります。
愛が満たされていない状態で、必死で相手に愛を与えると、当然疲弊します。
誰も頼んでもいないのに、自分で自分を疲弊させてしまっては、パートナーもその人を愛しようにも愛しにくくなります。
また、愛されるにしても、パートナーは神様ではないので、いつも絶好調の愛をくれる保証はありません。

結婚20年弱の失敗あり喜びありの体験から申し上げました。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

前の回答者様の補足にも
書かせていただいたのですが

例えば彼に手料理を作るとします
自分の分のついでだとしても
それは相手に喜んでもらいたくて
作るわけですよね
そんな時にもし
こんなもの食えるかと言われたら
悲しくなりませんか?
愛は見返りを求めるものではないから
悲しくなるならそれは愛ではないのですか?
本当の愛なら
こんなこと言われても
寛大に許すべきなのでしょうか。

補足日時:2014/03/23 10:40
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!