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再び佐世保事件関連です。この事件においてバスケットボール部をやめるよう強要されたことがどの程度影響を持つかは想像の域を出ませんが、取り上げられたという事実は子どもの心に深く残ると思います。

今回の例でも成績や帰宅時間のことがあがっておりました。親としては、可愛そうだけど仕方ないという想いで取り上げているのだと思います。しかしそれを子どもがどこまで理解して受け入れてくれるのか。過去に、携帯電話やゲームを取り上げたことによって非行に走ってしまったという例もありました。

そこで、皆さんにまた聞いてみたいのですが、「自分の好きなものを親に取り上げられた、納得できなかったけど強引にとられた」という経験はありますでしょうか?好きなものというのは広く解釈していただいてゲーム・マンガ・携帯電話・カード・ミニ四駆・ウォークマンなどを対象にしてみて下さい。

子供心に「納得する」ことは少なくないと思いますが「納得できず」に好きなものを奪われた場合、それが精神的にどのような影響を与えてしまうのか・・・

取り上げられた理由を含めて体験談を効かせてください。(長文おつきあいありがとうございました)

A 回答 (2件)

#1の方と少し似ていますが、小学校5年生からバレーボールをしていました。

基本的に5年生のチームと6年生のチームとふたつありましたが、わたしは背は低いながらも器用だったため、5年生のときに、5年生チームではアタッカー、6年生チームではセッターと両方のチームのレギュラーになってました。ただ、当時私は週3回の学習塾と日曜日に試験のみ(午前中試験、午後解説)の進学塾に通っていました。平日の塾は練習が終わってからだったので、問題なかったですが、試合などは当然、日曜日にあります。でも、親は練習試合だけでなく、公式の大会でも休んで塾へ行けと言うのです。結局、レギュラーでありながら、試合にはほとんど出れないというチームメイトにも申し訳ない状態になってしまいました。

なんどか親に頼みましたが、小学5年生では親に口でかなうはずもなく、いつも泣く泣く塾へ行ってました。大きくなってから思うと試合のある日に、朝早いうちにさっさと家を抜け出せばよかったと思うのですが、そのときは正攻法しか思い浮かばず、いつも玉砕してました。結局、日曜の試験の勉強は漢字以外しなくなり、夜、勉強しながらなんだかすべてが嫌になり、死んでしまおうかなあと考えたこともありました。中学は私立に入ったものの勉強が嫌になり、英語は特に落ちこぼれまくってました。自分のやりたいことをさせてもらえなかった親への恨みはかなり長いことひきずりました。それだけでなく、やりたいことをやりとおせなかった自分に対しての劣等感、喪失感も大きかったです。

あと「好きなものを取り上げる」とは違うのですが、小学5年生の終わりに借家の一軒家からマンションに引っ越すことになりました。当時、犬を飼っていたのですが、もらってくれる人もうまく見つからず、また気性の荒い犬でもあり、保健所に連れて行かなければならなくなりました。いつお別れしなければならないのか聞こうと思っていた矢先に、母は私が学校へ行っている間に保健所に連れて行ってしまい、学校から帰ったらもういませんでした。母は「totomamaが哀しむと思って・・・」と涙ぐんでましたが、こちらは「え?」という感じでした。きちんとお別れもさせてもらえなかったこと、哀しみをきちんと受け止めることができなかったことがとても中途半端で未消化な状態になってしまいました。

親はこどもが苦労しないように、良い学校に入れよう、勉強ができないとかわいそうだから、こどもがそのとき嫌がっても、頑張ってやらせれば、きっといずれ良かったと思うと子どもに良かれとするのでしょう。また、哀しまないように傷つかないようにというのも親心のつもりなのでしょうが、将来親の言うとおりにしておいて良かったと思うことの大きさとやりたいことを納得しないまま、親の言いなりになってしまったことによって無くしたものの大きさを考えると良かったと思うことなどほんとに些細なものでした。

こどもには自分で選んで「失敗する権利」もあると思います。失敗することによって自分で納得できることもあるのですから。わざと突き飛ばして転ばすことはありませんが、転ぶかもしれない道をこどもが選んだとしたら、先回りして危険を全部取り除いてしまわずに、こどもが助けを求めてから手を出しても構わないと思います。それまでは後ろから見守るだけでいいと思うのです。

ただ、この「見守る」ということ「待つ」ことが出来ない親が多いのです。それはとても根気のいることだからです。そして、親はしばしば「こどものため」と称して実は「自分がめんどくさいから」こどものすることに手出しをします。性質が悪いのは親自身が「自分のため」と自覚していないことです。とくに私の母はそういう人でした。そういう親はしてほしくないことをしておいて、”あんたのためにしてあげた”と、とても恩着せがましかったりします。

わたしは20代を過ぎても親の干渉が苦しく半分ノイローゼになったこともありました。その頃には、死にたいとは思わなくなっていましたが、家にいるのが苦しくて、どこか全然違う場所へ行ってしまおうかなあと思ったことはありました。30歳も半ばになって当時の気持ちを母に言うと「そんなに傷つけていたなんて知らなかった」と言います。知らなかったというよりも、こどもを親の良かれと思うとおりにするものだと思っている親にはこどもの意見などたいして重要ではないのでしょう。今、私には5歳の息子と1歳の娘がいますが、私と息子の関わり方を見て、母は「お母さんはあんたたちの気持ちなんて考えたことなかった」と言ってました。他のトピで「こどもを1人の人間としてみたことがありますか?」という問いがありました。1人の人間としてでなく他にどうみるのか疑問に思いましたが、実際、1人の人間としてみていたらしないことを親は結構こどもにしています。

私は自分が親になってから、親の叱り方、接し方によっていかに自信のない弱い人間になったかを、ようやく理解しました。今は反面教師として自分がされて嫌だったことは、なるべくこどもにしないように気をつけています。時々爆発しちゃいますが・・・。このように書くと私の親はひどい親かとお思いかもしれませんが、世間一般的にみれば、母は身奇麗にきちんとしていて、おやつも手作りで作ってくれたり、常識のある人だと思います。でも、完璧な親ほど、自分の思っているのと違うこどもを許せないという面はあると思います。

この佐世保の少女も学業に差し障りがあるからとバスケ部をやめさせられたということですが、ネットで「なんか暇・・・」と書き込んだりしているということですから、好きなことをやめさせられたことによる無気力感はあったかもしれませんね。だからといってみんながみんなあんなことはしないでしょうが・・・。長々ととりとめなく書いてしまってすみません。
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この回答へのお礼

詳しく有難うございました。大変大変参考になりました。子供は自分で失敗してみる権利がある、そのとおりですんね。「待つ」教育、これは今後自分の研究課題とさせて下さい。親としては、皆子どものためにやっていることのはずです。それをどう受け止められるかというのは大変なことですね。どうしても大人は先を読んでしまいます。子どもの純真な心とどう向き合っていくか、大変考えさせられました。

お礼日時:2004/06/09 15:22

もう10年以上前の話ですが、高校に入ってバスケット部に入ろうとしたら両親になぜかものすごく反対されて、結局入れませんでした。

反対の理由は不明でした。出足をくじかれた私は何もかもにやる気をなくし、結局、高校3年間どのクラブにも属さずブラブラして過ごし、勉強もあまり手につかず危うく道を外すところでした。今思えば、何と言われようがバスケットボール部に入れば両親の事を恨むことも無く、有意義な3年間を送れたと思います。結局自分の意思が弱かったのだと今は思いますが、しばらくはずーっと両親のことを恨んでました。
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この回答へのお礼

第1号回答有り難うございます。なぜ反対かは知らせて欲しかったでしょうね。恐らく理由はあったのでしょうが。取り上げる前に与えない例もあるんだということ、実感しました。

お礼日時:2004/06/08 23:40

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