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当家の墓がある霊園の隅の方に当家の墓の敷地とは別なところに3代前の先祖が馬頭観音様を建てました。それを建てた理由は、2代前の子供(3代前の孫にあたる子)の内、男の子が2か3人あったそうですがどの男の子も10歳になる前に亡くなってしまいました。どうもその原因が3代前の先祖がある馬の処分に立ち会い後ろ足を持っていた為に「その馬が怒っているから男の子がとられる」とあるその手のことを見てくれる方に言われたそうで、「そのお怒りを鎮める為には馬頭観音様を建てるといい」ということで建てたようです。現在、2代前の子供の残った女ばかりの長女(私の母)が後を取り、私(長男)と妹を得ました。その馬頭観音様のお蔭か私も無事に53歳となり二人の息子も無事に過ごしております。父は亡くなりその母も86歳で脳出血の為に左片麻痺の生活で私の相続も視野に入ってまいりました。将来は、引っ越しするつもりですが、お墓も移す予定です。そこでその馬頭観音様をどうするか母に尋ねると「もう十分お参りしたからあなたの代は廃止してもいいよ」と言っております。私は母を送ったらいつ死んでもいいつもりですが、二人の息子がいまだにその因縁があるとすればその馬頭観音様を廃止すると何か起こりそうで心配です。母がそう言うなら廃止すれば、ある意味私の相続をする息子たちもその馬頭観音様のお世話をしなくて済むので特に心配の必要がなければ廃止したいところです。どなたかこのことについてアドバイスをいただけるとありがたいです。

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A 回答 (4件)

個人的に立てた馬頭観音様ですよね。


継ぐ継がないは お子様にきちんと御確認をして
意思がなければ ご自分が檀家となっているお寺さんの御住職様にお伺いしてみたらどうでしょうか。

信じるか信じないかは別として
常に事故のある場所がありました。
ガードレールを直しても一週間と経たないうちに事故で壊れる。
魔のカーブとして ずっと不思議に思っていたのですが
ある日 ふと脇を見ると 草むらの荒れた土地の中に 馬頭観音様が・・・
知り合いが近くにいたので
もしかしたら 馬頭観音様の周りを綺麗に草刈りした方が良いかも。
事故もなくなるのでは?
との話に何故か不思議と違和感を抱かれる事もなく 次の日に綺麗に草が刈られ
整然となっておりました。
それ以来 其処での事故がなくなり ガードレールも壊れる事がありません。

触らぬ神に祟りなし。

折角立てられた馬頭観音様

何かしらの意味を果たしていると思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/08/07 11:28

その馬頭観音はもはや質問主様の手から離れているように思います。


その霊園の管理下に入っているかと思われます。
馬頭観音が立っている区画のお金も払わなくてもいいようになっているかと思います。
お参りをして、お供えをして、供養して下さっているから○○さんちの馬頭観音と言っているかと思いますが、我が家に所有権が有るとか、廃棄する権利が有るとかはもう消滅しているかと思います。

おばあさんもいい加減ですね。「もう十分お参りしたからあなたの代は廃止してもいいよ」じゃなくて、廃止していいなら、おばあさんが廃止すべきです。
無理かと思いますが。

質問主様が馬頭観音を廃止したいと霊園に話をすれば「せっかくの馬頭観音ですから、霊園として管理しますので、そのままにしておいては如何ですか」とやんわりと言われるかと思います。
金もかからずに我が家の管理を離れるなら、ラッキーなどと思ってOKを出すと、その馬頭観音に金を出したい人が居て、それなりの金で整備して、何時の間にか建立○○家等になります。
こういうものは、一番最後に金を出した人が私のものと言って良い事になっていますので、後で見たら腹が立って腹が立ってって事があります。
そうならないためにも質問主様でなく、おばあさんに対応してもらう。
他の人が管理をするようになってもおばあさまの決定だからとして、冷静を保つのが一番です。
廃止の方法として壊してしまうのは良い事ではありません。
石材店などに頼んで、その区画を更地にして馬頭観音は石屋さんに処分してもらうのなどもあまり良い方法とはいえません。

霊園にはあまり無いかと思いますが、寺の境内に何か判らないのが沢山有る所が有りますが、それらはそう言うのの集まりです。
金回りがよくなって、その中に自分家の名前が刻まっているものなどを見つけると、つい一区画設けて供養したくなりますが、止めておきましょう、廃止した時の怨念が出てきたりすることが有りますので。

触らぬ神に祟り無し、です。
自分の管理する年なんかせいぜい30年かと思います、30年そ~っとすごして、終わりにしましょう。
次の代なんか親の供養もしてくれるかどうか判らないのですから。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/08/07 11:29

この様なお話はよく聞きます。



結果からお話させて頂くと、お墓を移転するにしても概ねの方は「廃止」はしていません。
迷信じみた事なのでしょうが、何もないと云えば何もない筈ですが・・・
何かあったとき、「そのせいではないか?」と思うのが人間ですので・・・
移転が出来るものであれば、新規の墓地の貴家の墓石の横に直してあげればあげれば気も楽でしょう。
移転が出来ない位の大きなものの場合でしたら、新規の墓地に準じた大きさの馬頭観音様を
安置してあげるのも方法だと思います。
そのことで質問者様の「気持ち」が休まるのならば、その選択が正解なはずです。

また、特に、いわく因縁のある「馬頭観音様」ですから、質問者様のお母様のお話も、質問者様を思う(面倒かけてはいけない)
という親心より出ていると考える事がある意味正解なのではないでしょうか?

特に、ご質問者様が自身のご子息様たちにその観音様を「面倒見なくてもいいよ」と云ってあげる事は
はたして本当にご子息様たちにとって良い事なのでしょうか?

ご子息様たちに、後を託すと云う事は、つまり、この様な事も含めて後を託すと云う事。

ご子息様たちが貴家の祀る馬頭観音様の意味を理解したうえで、それでも「面倒だ」と思うのならば、
ご子息様たちの意志で廃止するべき事です。

ご子息様たちが決定するべきことを、親御さんが決定してはいけませんし、
ご子息様方の意見が一番大事な事でしょう。(今現在の意見ではありませんよ。ある程度の年を迎えてからです)

親御さんたちの思い出を(貴家のご先祖様も含めて)ご子息様たちが大切にしてくれるかもしれませんので・・・

ご参考まで
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/08/07 11:29

信心するしないは、本人の心次第です。


拙は、全く信心はしませんが。
故に拙から言わせれば、廃止のみです。
>馬頭観音様を廃止すると何か起こりそうで心配です。
無用の心配です。
何か在るとしても、全くの偶然に過ぎません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2016/08/07 11:29

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(本文旧漢字)

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Q馬頭観音の祭事について

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どなたか、お知恵を拝借下さい。。。

Aベストアンサー

 馬頭観音は、馬頭観自在菩薩または馬頭明王とも呼ばれ、インドのサンスクリット語で「Hayagri<長音>vah(ガヤキリバ)」といい、馬が絶えず草を食むように、一切の煩悩を食い尽くすように衆生を救済される菩薩です。その姿は忿怒形で体は肉赤色、頭上に馬を頂きます。日本の民間信仰では「馬頭」というところから、牛馬や家畜の守り本尊、または五穀豊穣や道中安全の仏として信仰されます。
 祭祀の仕方は灯明・花・香炉・鐘(打ち鳴らし)など、基本的な仏前の荘厳と同様です。供物は飯・豆類・野菜・菓子・乾物・海藻類などをお供えしますが、当然に仏前ですから、鳥・獣・魚やネギ・ニラ・ニンニク・ラッキョウ・ショウガのような臭いのある野菜は用いません。
 般若心経・観音経などを読経し、馬頭観音の真言、「オン アミリトドハンバ ウン ハッタ」あるいは「南無馬頭観世音菩薩」を三遍または七遍・二十一遍お唱えします。

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Q馬頭観音

カテが微妙ですが、一応ここで質問させてください。

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Aベストアンサー

 まず馬頭観音とは、馬頭観世音菩薩、馬頭観自在菩薩または馬頭明王とも呼ばれ、インドのサンスクリット語で「Hayagri<長音>vah(ガヤキリバ)」といいます。馬が絶えず草を食むように、一切の煩悩を食い尽くかのごとく衆生を救済されます。その姿は忿怒形で体は肉赤色、頭上に馬を頂きます。日本の民間信仰では「馬頭」というところから、牛馬や家畜の守り本尊、または五穀豊穣や道中安全の仏として信仰されます。お参りされる際には、馬頭観音の真言「オン アミリトドハンバ ウン ハッタ」あるいは「南無馬頭観世音菩薩」を三遍または七遍・二十一遍お唱えします。

 さて、千手観音や十一面観音など他の観音菩薩の比べて、馬頭観音を本尊とするお寺はあまり多くないのが実情ですが、関東では秩父観音霊場の橋立寺が有名でしょう。
http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/reikenki/chichibu/reijo28.html

関西では西国観音霊場の松尾寺(舞鶴市)。
http://www.saikoku33.gr.jp/dai29/

四国では四国八十八ケ所の本山寺(三豊市)。
http://shikoku-net.co.jp/88/8870.htm

以上が馬頭観音を本尊とする寺院で有名なところです。ほかには大安寺(奈良市)なども知られています。
http://www.daianji.or.jp/index.html
これらの寺院に一度ご相談されてはいかがでしょうか。
 なお余談ですが、牛馬の守り本尊は東日本では馬頭観音ですが、西日本では大日如来が、東北では駒形神社が信仰されます。

 まず馬頭観音とは、馬頭観世音菩薩、馬頭観自在菩薩または馬頭明王とも呼ばれ、インドのサンスクリット語で「Hayagri<長音>vah(ガヤキリバ)」といいます。馬が絶えず草を食むように、一切の煩悩を食い尽くかのごとく衆生を救済されます。その姿は忿怒形で体は肉赤色、頭上に馬を頂きます。日本の民間信仰では「馬頭」というところから、牛馬や家畜の守り本尊、または五穀豊穣や道中安全の仏として信仰されます。お参りされる際には、馬頭観音の真言「オン アミリトドハンバ ウン ハッタ」あるいは「南無馬頭...続きを読む

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