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 プロテスタント(キリスト教新教)における求道者とはどういう人のことをいうのでしょうか?私は縁あって昨年から毎週…とまでは行きませんが,つき2,3回プロテスタントの教会での礼拝(毎週日曜に実施される)に出席し,それ以外の行事にも可能な限り出席していますが,洗礼は受けていません。左様な私が求道者であるというのは問題ありでしょうか?

A 回答 (3件)

私の教会では、洗礼を受けている人は信者と言われ、信仰を未だ持ってないで集われる方を大まかに求道者と呼んでいます。

もしかすると、その辺りは宗派・教会によって違うかと思いますが、その程度の事です。
つまり、教会とは信者だけが集まる場所では無い(生また時から信じてクリスチャンでいる方はいない)ので、今、聖書に触れたい、神様を知りたい、救いが欲しい、なんとなく興味がある・・・等々、どんな理由にせよ心に弾き付けられるものがおありでしたら、いろいろな集会に出席を続けられたら良いのではないでしょうか。
確たる信仰を現時点で持っていようがいなかろうが、洗礼を受けていようがいまいが・・・そんな事は気にしないで下さい。
でもそのお気持ちは判ります。私もそうでした。
でも、あなたに最善の時に、信じる気持ち、洗礼を受けようと思う気持ちを、神様が与えられるでしょう。
教会の皆さんもそれを祈って、神様の定められた時をお待ちでしょう。
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別に問題はありません。

あなたが求め、イエスを信じたいと思うなら、誰でも通る道。
早く「信じます」と告白できます様に祈ってますね。
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求道者の実例が聖書の中に書かれてあります。

新約聖書、使徒の働き8章27節~
洗礼についてお尋ねになっておられますが、あまりこだわらないほうがよろしい。ご自身で「受けたい」と思われたときが受け時だと思います。
ただ、この聖書の例であれば、エチオピアの宦官はその日のうちに道ばたで受けています。
いずれにしても、求道者は洗礼を受ける前の人のことを言います。
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そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われた。
そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」と言った。
すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。そして、馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。
(新改訳)
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