■想像力のない子どもが増えている!?
お話を伺ったのは、塾の経営および教師講師をする傍ら、歌人・小説家としても活動する小田原漂情先生。
「活字で提示された文章を読解し、その人自身の思考を展開することは、きわめて能動的な行動です。一方、写真や動画など電子媒体で提示される対象は、動きのあるものであればあるほど、設定や展開に対して受動的にならざるを得ないといえます。したがって、活字離れにより、思考力や判断力、読解力が低下する可能性は、多分にあると考えます」(小田原先生)
特に顕著なのは、発達段階にある子どもたちだ。
「国語の授業で、文章の内容をイメージできない子どもが増えています。読み終わったばかりの文章の内容を、ちょっと切り口をかえて質問してみると、まったく答えられない。そんな子が多いのです。活字離れがこうした傾向をさらに推し進めることは、疑いないと思われます。例えばカーナビを使えば、地図を読み解くことなく目的地に案内してもらえます。塾の子どもたちもいまやほとんどがスマートフォンを持っていますが、子どもたちの日常が、便利なカーナビのように何から何までお膳立てされていて、『自分から積極的にものごとの意味をくみとっていく』ことからかけ離れているのであろうことは、容易に想像できます。このことは、2000年代と2010年代、つまりひと時代ちがう子どもたちの様子をつぶさに見てきて、私が得た推論です」(小田原先生)
活字離れは、「能動的に読みとり、意味を見出すこと」から離れ、受動的な人間性を大量生産していくのではないか、と小田原先生は指摘する。
■思考力や判断力、読解力を育てる「国語力」
「文字を読む」という点だけなら、電子書籍でも問題ないように感じる。
「電子書籍自体に大きなマイナスがあるとは考えません。ただ、私個人としては個人的には、『紙の本』のページが持つ『余白』は、作品の息づかいを保証している面が非常に大きいと感じます。古い世代の言い分に聞こえるかもしれませんが、私が小説など文学に位置するものを書くときも、まず原稿用紙に書き起こし、一定段階からワードと併用します。そうでないと、文章の息づかいに肉声がこもらないように感じるためです」(小田原先生)
子どもたちにも、紙の本を読み、紙の上に書き起こすことを勧めているという小田原先生。では、子どもたちにとって、それは将来どんな風に役に立つのだろうか。
「中学、高校、大学と進学し、社会に出て一人の大人として活躍する過程で、多くのことを『書く』、『語る』必要にせまられます。例えば、クラスでの発表や入試の面接、レポートの作成や卒業論文、面接などです。面接で自分のことを語るとき、ただ饒舌にしゃべればいいのではありません。自分の経験や考えを、取捨選択し、練り上げて、必要かつ強く相手に伝えたいことだけをきちんと話すことが求められます。そして、書くこと、語ることのいずれにも、『国語の力』が強く求められます。『国語の力』は、一生の力となるものです。さまざまな場面で必要になりますし、生きることそのものと言っても言い過ぎではないほどに、人生の多くの局面で人のあり方を左右するものだと言えます」(小田原先生)
文章をきちんと読んで、自分の考えを組み立て、それを自分の文章として表現する習慣を続けることで、自ら思考し、判断する力を育むことができるのだという。
大人も子どもも、この秋は面倒くさがらずに、活字に親しんでみてはいかがだろうか?
●専門家プロフィール:小田原 漂情
1963年生まれ。2004年から文京区にて、本質的な国語教育を行う「言問学舎」を経営。また歌人、小説家として、歌集、小説、エッセイ集など、著書多数。短歌を中心とする文学サイト「美し言の葉」を石井綾乃と共同運営、『桜草短歌会』主宰。
(酒井理恵)