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日本人は八百万の神を信じているので、キリスト教の一神教を信じるヨーロッパ人やアメリカ人のように戦争は好きでないという人がいます。どういう意味ですか?それは正しいのですか?正しいなら八百万の神の考え方を広めたら世界平和ができるのですか?

A 回答 (13件中1~10件)

後付けの言い訳ですね。



敗戦国の日本人はアメリカに統治された後に骨抜きにされた。

神なんて関係ありません。
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一番大事なことを書き忘れました。

人間社会では格差の拡大は不可避です。格差があることそのものは不満を高じさせるとは限りませんが、地位向上を強く希求する人の動きを抑制する文化的仕組みがうまく機能しないと、やがて集団的地位向上欲求・社会体制改革運動が生じ強まります。これをうまくとりなしつつ緩やかに社会体制の調整が出来れば維新改革革命ということにはならないで済む可能性が増えるのですが、現実はとてもやっかいです。21世紀の社会はグローバルに連鎖しています。格差もグローバルに地域格差を含めてとても強固なものになっています。このような広がりの中で生じる集団的地位向上欲求は、多くの別の格差を抱えている地域では無縁な要求で、ある上級階層が多い地域社会で特定の集団的地位向上欲求を取り込む社会体制調整がなされることは、それ自体がグローバル社会の中の格差の拡大をもたらすことになってしまいます。また遅れた人たちとか劣等民というような偏見蔑視も生じ社会の分断が強まります。大きな戦役を開始するのはとても困難です。そのような社会状況では、戦争という統制された軍事組織で行われるものではなく、個人的行動・少人数グループ行動での戦闘が中心になり、テロ、銃乱射、自爆、暴動、自主独立国家樹立などの動きが止まることなく頻発します。グローバルの視点で見たときに経済的にゆとりの大きい人が多く住まい表立った障壁は少ない地域ではテロや自滅的破綻行動からの自衛防壁を強化するのが当然化し結果として社会は分断していきます。その後には、また権利要求・集団的地位向上欲求運動、改革運動です。基本的に格差拡大は巨大化しているので、格差の固定安定化で社会を安定化するのも難しいでしょう。格差拡大を基本的には受け入れ、その中で日常と将来を明るく感じて生活していける文化を作れれば、長期にわたって戦闘戦争テロの起きない社会が出現するでしょう。
八百万の神が、一神教の神が、というようなことではとても困難です。
戦争は、富・権益・支配権をめぐって起きるのが基本です。宗教や信仰を巡る激突・武力抗争・殲滅戦争も、権益・勢力圏の争いであることがほとんどです。世界中が教条信仰を持たなくなる方向に進むというのもあり得ないことに思います。
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「八百万の神の考え方」と言うならばはっきりした内容のあるものは存在しません。

従って広めようもありません。
教えなどは八百万の神にはないのです。
あるのはその時々の祈りを捧げるときに仮に向ける実在です。岩、山、川、淵、杜、田、辻、樹、洞、泉、岬、井戸、竈、厠でもいいのです。時代が進と小さな小屋を祀り用に造って社として祈ったり、御幣を造り戴いてそれに向かって祈ったり、祈るのならなんでもありなので、八百万の神というのです。もうそうした祈りをする人は日本でも少ないです。世界に広めることは無理でしょう。ただし風習としては遺風は強くあり、有名な神社にいくつもの合格祈願、良縁祈願をしたり、毎年特定の神社に内容もはっきりとはしない恒例のお詣りをしたりしている人たちの数は多いです。しかし夏祭り秋祭りなどになると参加、見物客は相当数についてなりますが、祈りや神事と結びつけている人は少ないでしょう。元は祈りや祝賀に関連していても現在は大騒ぎして解放気分を満喫する行事イベントは日本以外にもあり、それを日本でもやるようになっています。
ハレとケのハレのイベントはどこでもそれなりにあるものです。また、ここでなになにするとこれこれの願いが叶うというようなのもだいたい世界中にあるものです。
日本でなかなか大きな団体に根付き継続することがなかったのは、日常の生活行動を強く規制する教えを説く宗教です。逆に、他の地域では、自分の指向が放縦になってしまうのを敬遠するのか「こうしなさい」との指示を受けてそれを拠り所にしようとする人々が大きな団体になり、長く継承されることがが多いようです。なぜそうなのかはわかりません。
そうしたら人々は信仰の中に道徳律を持っていることが多いようです。日本の場合は道徳律ではなく、世間への配慮とかお上の指示ということで結果としては道徳律を自分の中に持っているのとほぼ似た状態を実現しています。
一人一人の中に規律や道徳を持たせるやり方だと信条の集団的せめぎ合いが起きやすくなり、世間への配慮と御上の指示への服従の方は御上次第で攻撃性が高まる危険があります。
ただし、世界中の歴史で、戦闘や侵略征服などの集団的行動が盛んだったときは、ほとんど強いリーダーがいたので、元々御上依存の体制の方が戦争を起こし易いかもしれないです。
圧倒的に強い国や世界で支配指導力が抜きん出たものやトップ集団が異を許さないほどの体制ができるなら戦争など起こらなくなるでしょうが、強国やトップ集団の権勢が低下し始めると分裂反乱と各地での戦闘が発生するのは、過去や現在だけのことではないでしょう。
宗教と信仰に他の信仰集団に対するある程度の寛容がプラスされれば、そういう集団が五、六あって、世界で有力になっていれば、日本型の無教条信仰者が多い地域外いくつかあっても、長期に戦争のない世界を維持できると思います。
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八百万は何でもありだから神としては不適格、不適格神を崇めても意味がない、キリスト教の一神教のみが神様、預言の書、聖書に地球の預言が書かれている、読まないと損をする。

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ビックバンから世界が始まったのであれば火の神【男神】と火を消すための水神【女神】が産まれて十字に重なり、石の神様【分霊】を造り出したのです。

石の神様がアッラーと呼ばれる神です。ですが謙虚な方なのでお孫様達に位を譲られました。
神にとっては七日間の天地創造は私達の何億光年です
もとひとつなのに喧嘩する方がおかしいのです
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全世界を平和にしたら儲からない一握りの人間がいるからでしょう。

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「八百万の神」とは、風、水、鳥、空気、花びら、、、etcなどの



「全て」に神が宿っている、、ということです。

戦いの神、、ということでは、ありません。

また、戦争は神が起こすものではなく、「人間の欲」が起こすものです。
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日本の古代は、多民族の神を飲み込む事で、勢力を大きくしてきた事実があります。

迷信深い古代人は、神の存在無くして、団結など出来なかったのです。そうして血みどろの戦いの末天皇家の神に飲み込まれ、国が統一されて行ったのです。だから実際には、天皇家の神以外に多くの神が今でも存在します。

仏教の伝来は、天皇家の神との衝突が必然的に発生します。蘇我一族、聖徳太子一族の滅亡は、その一端であり、平城京の成立によって仏教が軍事的に天皇家の神に勝利しました。血みどろの戦いの末です。そして天皇家の神は、実質的に仏教に飲み込まれます。しかし先祖に対する祀りを絶やすわけにもいかず、仏教徒神は並行して明治に至るのです。

こんな訳で、日本には八百万の神が存在するのです。しかし忘れてはならないのは、統一過程で神を全否定する事は、かっての敵地統治に支障が出る場合が多いので、神や仏が、敵の神を飲み込み、都合よく一部が生かされるのです。だから一神教のみが他の神を排撃する訳では無く、全ての神々は争うのです。

旧約聖書を読めばお分かりのように、ヘブライ教を信じていない人々を必ずしも排撃していません。争いは、生活上不都合が生じた場合であり、好戦的に住民を洗脳して戦うのは、現代と同じ手法です。七十数年前の日本は、世界で最も好戦的な国であった事を忘れてはなりません。同じ武器で戦えば、日本は世界最強であった事は、事実なのです。そして教育の結果、平和国家になったのも事実です。その正反対の事実は、宗教とは全く関係は無く、その教育内容の洗脳の手段に宗教が利用されたに過ぎません。
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唯一神教ってのは、自分の神以外は神ではないって考えなので、他の宗教を認めず、それが火種になるってことでしょう。


仏教などの多神教も沢山戦争をしてきたので、それが戦争の火種になることはないが、他の要因で沢山戦争は起きてきました。ロヒンギャの民族浄化なども起きるはずがないってことになってしまいます(現実には起きている)。
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十字軍のように他宗教を侵略、撲滅させる宗教戦争は起きないというだけかと。



宗教なんて、どれもここ数千年に作られたものばかり。
山の神(噴火や崖崩れ、地震)、海の神(津波、高潮、不漁)、雨の神など、
ジプシーのように彷徨うわけではない大和民族ゆえ
その地の「荒ぶる神」という自然災害に向き合って来たから増えただけでしょう。
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