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職場を辞めたいと自分の正直な気持ちを伝えたのですが、今まで親切にしてくれた人達の事は何も考えてはいなかったと思います。
我が儘ということになりますか?
気持ちを伝えた事は後悔していないけど、自分が身勝手な人間に思えてきます。
話を聞いてくれた人の意見は聞く耳を持たずに押し通しました。
また私の優柔不断な性格が出てきそうです。すぐ気持ちがふらふらします。
でももう続けられないなと思って決めて伝えたのだから次へ進む事を考えた方がいいでしょうか?
自分の事は自分で決めなければいけないですよね?

A 回答 (5件)

辞めると言う事は、消えると言う事です。



これまでに対して無責任であったとお悩みのようですが、

今後の人生も含めて、自分の境遇については自己責任となります。

「誰にも助けてもらえない。」

と言う前提で判断していれば問題ありませんよ。


結果が悪いほうに転んだとき、

「あの人はワガママだったから」

と評価され、

結果が良いほうに転んだとき、

「あの人は決断力があったから」

と評価されるものです。

しかし、良くなろうと、悪くなろうと、他の人は気にしません。

他人の人生に興味がある人はいないと思います。

すぐに貴方がいたことを忘れると思います。

ですので、ワガママと言う言葉は当てはまらないと思いますよ。


仕事を辞めた後、今より生活がよくなるのか?

それだけを考えましょう。

別の仕事が決まっているのならば、今更悩む必要は無いと思います。


もし、自分が正常に思考しているのか疑問に思った時は、

食事を取って、休息をしているときに、

「自分の命を心配してくる人など、一人もいない。

 自分で何とかするしかない。」

と心に何度も唱えてください。

(空腹時にやってはいけませんよ。必ずネガティブになります)


この時に哀しくなったら、正しい思考をしていません。

いまの判断、いまの言動、いまの見え方、いまの気持ちは全て間違っています。

必ず、別の本当の自分がおり、別の意見をもっているはずです。

逆に、やる気がわいてきたら、正常な思考をしているはずです。

私の経験では、両方の状態がありました。

上手くいく場合は、後者の「やる気が出てくる」方だけでした。

このときは、例え一般的ではない答えや判断であっても、周囲の方が間違っており、

自分の判断が正しいという結果になりました。


自分の心は、最良の選択と最悪の選択のどちらかに振れるようです。

普通がありません。

どちらかを選び、実際に行動してしまうわけです。

これで人生の軌道が徐々に変わっていくようです。


その理由も意外なところにあるようです。

体調が悪くなったりしますと、脳に必要なカロリーが供給されなくなります。

体の方が忙しくなり、脳が正常に動作しなくなるんですね。

ここで生じる気持ちは、ネガティブなものが多い。

ですので、これらは全て錯覚です。

体が元気になりますと、嘘の様に違った答えを出してきます。

一呼吸おいて、体調をチェックし、こちらから回復させる必要があります。


しかし、

「いや、今だけじゃないんだ。

 これまでも何度も同じ事を思った。

 もう、そろそろ今の自分の考えを本当として良いはずだろ?」

と言う場合があります。

果たして、これは錯覚の一貫なのか、本当の判断なのか?

本当の判断(脳が正しく動作している状態)であっても、

その人の判断が間違っており、あとで後悔する場合は多くあります。

更に加えて、(本当の判断ではなく)何らかの不調により錯覚である場合もあります。

自己責任で生きて行くのですから、せめて前者(錯覚ではない)であって欲しいですよね。

そうでなければ、錯覚に振り回されて自滅していく性質を自分が持っていると言う事です。

社会全体の自浄作用ではありますが、自分に生じてしまうのは嫌です。


そこで、体調がもっとも良いとき。

お腹が満ちて、休息をとっているとき。

「自分の命を心配してくれる人など誰もいない。

 自分で自分の命を守るんだ。」

と唱えてみます。

体の奥底から、そうだそうだ、お前は正しいという気持ちが生じたら、

再度、今の選択が正しいのか、もっとやり様があるのか考えて見ましょう。

「おいおい、やるにしたって、手段がおかしい。せつな的過ぎる。」

と感じたら、それまでの自分の感じ方が長期的な錯覚の中にあったということです。

まるで夢から覚めたように感じるはずです。

しかし、この状態はすぐに無くなり、これまでの自分に戻ります。

そうであっても、

「いままでの自分は、そう感じるし、そう言うよね。

 でもそれ、アレ(本当の自分の意見)に比べたらみすぼらしいだけだから。

 もう、それ(今感じている気持ち)を本当だと思って信じないよ。

 アレになりたい。あっちだと、今の場合はどう判断するんだろ?

 わからない。でも、自分が考えることは全て間違っていると言う事はわかった。

 いまは・・・だけど。」

とすることで、危うい状態から遠ざかることが出来ます。

結果として、

「自分の命を自分で守るためには、アレ(本当の自分)を手に入れるのが先。

 それまで命を繋ぐ場として、ここは利用できるし、不満は無い。」

と思うはずです。

もしやる気が沸かず、逆に哀しくなったら、さらに危ない状態なんだと理解し、

「自分が回復するまでは、ここも利用できる。

 体調優先で我侭をし、それで居座ってみよう。

 それで辞めさせられたら、それはそれでいい。」

としましょう。


幸せに成りたいとか、

自分で決めて生きて行くんだとか、

自分らしくありたいとか、

そういう理想論はとても素晴らしいと思います。

しかし、果たして地に足が着いている意見なのでしょうか?


本当は、

「自分の命ですら、他人は心配してくれない。

 それが相場なのに、私は「命は大丈夫」として幸せについて考えている。

 まるで、事実が怖くて、目をそらしているみたいだ。

 他の人も同じかもしれない。

 『幸せには、命の保障も含まれているよね?

  幸せを手に入れれば、命の保証もされるってことだよね?』

 って、論理が破綻した子供みたいになって、逃げている。

 実際は、命すら保障されていない。

 今の自分は、命を自分で守る力すらもっていない。

 幸せを望むほどの力なんてどこにもない。

 そんな立場じゃない。」

ではないでしょうか?


自分の命すら、他人にとってはどうでも良いことだと感じたとき、

不安になるようでしたら、自力が足りていないんでしょう。

他人に阻害されるとか、嫌なことを言われるとか、そういう話と、

過重労働で体が辛いという話を一緒にしてはいけませんよね。

前者は心の話ですが、後者は命の話です。

優先順位が違います。

命を守るより、心を守るように自分が判断していたら、

自分の感じ方や主張のすべてが狂気であるということです。



また、他人に嫌われると悩んでいる人もいますが、

命を守るより心を守ろうとする人には、嫌われても大丈夫ですよ。

この人達は、いずれ命より心をとって、消えてしまうでしょう。

逆に、

心よりも命を守ろうとする人に嫌われてはいけませんよ。

自分の命が危ないとき、助けてもらえなくなります。

「気持ちがどうとか、煩すぎる。そういう立場なのか?」

「あんたは私の気持ちを無視している。アンタになんか助けられたくない。」

「わかった、自分で何とかしてくれ。お前みたいなやつにはつきあえない。」

となり、助ける力を持つ人が自然に離れていきます。

どんなに心が傷ついても、

「ああ、良かった。これで助かりました。生きているって素晴らしい。」

と(歯を食いしばって)言える様でなければ正常じゃありません。


より、安全に過すためには、

「心より命が大事だ」とはっきりと決めている人か、

そういう集まりに加わりましょう。

そういう集まりに加わるためには、心が傷ついたとアピールしないことです。

これは智慧の一つでしょう。


より幸せに生きて行くためには、人間を二種類に分けて判断しましょう。

心より命を大事にしている人は、

「気持ちが辛いのはわかった。でも命を繋ぐ手段は確保しているのか?」

と心配するでしょう。

命より心を大事にしている人は、

「気持ちが辛いまま続けていくなんて無理だよ。

 自分が思うままに生きるしかないよ。」

と言うでしょう。まるで、命の心配はいらないとでも言うように。

そしてそう言う人は、自分の心が傷ついたとき、他人の命を軽んじます。

命のやり取りならともかく・・・無駄すぎます。



人間は最良と最悪の判断をします。

長期的にどちらかの自分に成っています。

自分だけではなく、他人についても、どちらになっているか興味を持って確認しましょう。

命より心が大事だと感じている人には関わらないことです。


さて、

「自分の命を誰も心配してくれない。

 誰にも気付かれず、ひっそりと消えていく。

 まるで自分が最初からいなかったように。」

と自分に言ってみて、これで哀しくなりますか?

哀しいと感じたら、「命よりも心を大事にしている自分」に成っています。

このときは、自分の感じ方の全てを錯覚だと否定しましょう。

「いまの自分は、あぶない。体調か何かがおかしい。」

としましょう。


辞めると言う事は消えると言う事です。

「まさか消えないよね? 他にも世界はあるよね?」

と思っているようでしたら、悪い状態になっています。

本来の自分は、

「ここを変える。私の手で必要なモノを作り、作りかえる。

 私のいる場所が世界になっていく。

 だから動くなんて面倒くさい。ここでいいよ。」

と考えるはずです。


以上、ご参考になれば。
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辞めるときによく思われるヒトなんていませんよ。

迷惑ですから。それでも自分に必要なステップなら、そんな小さいことを気にしてたら生きていけませんわ。辞めたヒトは、仲良かっても消去しますから。
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もう続けられないなと思って決める場合それは仕方のない事です。


仕事はいろいろな事が並行し形になっている事ですので、全部を綺麗に拭い取り辞めるなんて現実的に無理でしょう。
辞めるにあたり、何かの犠牲はそこに発生しますけど、それは、あなたが辞めざるを得なくなるような職場環境しか提供できなかったその職場の責任もありますから、責任の全てがあなたにあるわけじゃない。
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逆にもうやめたい、やめるって言ってしまった以上、その職場に居続けるのも厳しいでしょう。


やめるのは本来個人の勝手ですって。引き留められるくらいであれば別ですが、普通引き留められてもやめるって決めたらやめるものです。他人がどうこうとか関係ありません(引き継ぎさえちゃんとやってれば職場は回ります。自分がいなきゃなんてのは自意識過剰です)。

あなたの書いている通り、次を考えましょう。自分の事は自分にしか決められませんから。
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仕事を辞める辞めないに直接関係するのはあなたの人生だけなので、深く他人の気持ちを考える必要はないでしょう。



我儘になると言うのは退職を申し出て引き継ぎなどもせずに当日に辞める事です。

退職を申し出て、引き継ぎ業務などを済ませれば我儘なんかじゃありません。
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