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その辺の道を歩いている外国の人たちに向かって「美しい国、日本」だとか「ようこそ! 美しい国 日本へ」なんて言っちゃダメですよね。
そんなこと言ったら途端に日本は美しくなくなりますからね。
そんな当たり前のことも知らん恥知らずが「美しい国、日本」なんて言うんだよね。

https://dwl.gov-online.go.jp/video/cao/dl/public …

A 回答 (33件中11~20件)

▲ (ヰキぺ:美しい国) ~~~~~~~~~~~~~~~~~


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97 …

『活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする、
世界に開かれた、「美しい国、日本」 』と定義されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ ということだそうですね。努力目標であってもいいんぢゃないの?


だけど:
△ 愛国者の責務は、祖国を、その政府から守ること
☆ って言ってたら 自律の精神もないみたいに思えます。

愛国者たちが 市民政府をつくればいいのだから。

日本人だって そのくらいはやったんだから。大政奉還は――主権の
存するムラ(市町村)へと実質的にも還るまでには―― 道半ばです
が。

君が代が――ちなみに安倍さんに言わせれば 世界にめづらしく血な
まぐさくない国歌なんだとか―― 一階の市民のあいだで互いの長寿
を祝いつつ祈りつつうたったのが いつのまにか お二階へアマアガ
リしてしまっている。のだから これを アマクダリするようにすれ
ばよい。

千五百年かかったけれど――つまり 自律の精神より先に ユヅリア
ヒの精神がまさっているからだけど―― あと五十年・百年くらいぢ
ゃないの?

すこぶるうつくしい国になるってえーの。
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この回答へのお礼

>千五百年かかったけれど――つまり 自律の精神より先に ユヅリア
ヒの精神がまさっているからだけど―― あと五十年・百年くらいぢ
ゃないの?

美しい国とは君が代のことではない。
美しい国とは人の道のことなんだよ。

>すこぶるうつくしい国になるってえーの。

人の道だ、つーの。

お礼日時:2019/01/27 08:29

まず、「welcome to beautiful 何々」(何々には地名などが入る)は、ありふれた言い回しと思われます。

検索したら、たくさん出てきます。「ようこそ! 美しい国 日本へ」とやらも、そのたぐいと見なせば、「外国の人たちに向かって」言う分には変じゃないかも知れません。
そんなことより問題なのは、日本政府が国民に向かって「美しい国、日本」と言ってることです。安倍内閣のキャッチフレーズの一つなんです(首相官邸http://www.kantei.go.jp/jp/singi/utukusii/)。これには、私もご質問者と同様、違和感を感じてしまいます。
内閣みずから自画自賛かよ、と。あなたの爺さん(岸信介)の後に首相を務めた、池田勇人の「低姿勢」でも思い出して、驕慢を反省せよと。あなたの爺さんが政権を投げ出した後、その尻拭いをした人だよと。

まあ池田勇人のことはさておき、ここでは「大江健三郎は偉かった」と言っておきたいです。ノーベル賞をもらったとき、「あいまいな日本の私」という講演をしました。その前に受賞した川端康成の「美しい日本の私」を、もじったものです。
川端の場合、何せ戦前に活躍した古い人だから、花鳥風月の美などを「美しい日本」として語ったのは仕方ないことでしょうが、戦後派の大江はそういうわけに行きませんでした。大江は1935年生まれで、10歳で終戦を迎えています。小さいころは軍国少年だった(不良少年でもあった)ようですが、世の中が様変わりして戦後の教育を受け、東大仏文科に進み在学中に作家デビューして……。
彼の言う「あいまいな」は ambiguous で、「両義に取れる、多義の」という意味だそうです。軍国少年が、戦後民主主義を称揚する平和主義者になりました。彼は雑種としての自分の出発点を自覚し、戦後日本の雑種性にも重ね合わせているのです。
戦後の日本はアメリカなどの影響があまりに大きく、「外国の良いところをどんどん取り入れ」て「みんな日本の味付けにしちまう」などと、いい気になっていられる状態をはるかに超えて、ambiguous な国になっています。例えば大江の後期の作品に繰り返し登場する「高安カッチャン」の、ねじ曲がった人生などを思うと泣けてきます。さんざん日本の知識人の悪口を言うくせに、ハワイのカフェテリアで大食いするときは醤油味の料理ばかり選ぶんですよ。ambiguous な人なんです。それでも、私たちはそのような矛盾を生きていくほかありません(ちなみに高安カッチャンは作中で死んだ)。

安倍晋三のいう「美しい国、日本」は欺瞞でしょう。どのつらさげて「美しい国」などと言えるのか。外国人向けの営業フレーズなら、ともかくとして。
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日本人って、謙遜か怖いのか?外国人に話し掛けない事で世界的に非常に有名だけど。


ってか、見ず知らずの人に絶対に話し掛けない。
変人に思われる。
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>歌舞伎座なんてクソくらえでどーでもええんじゃよ。




んだ、んだ、人のみっちゃんが典型的な外国かぶれだ。日本人は外国の良いところをどんどん取り入れる才能があるんだ。でもコピペじゃない。みんな日本の味付けにしちまうんだ。だから、「歌舞伎座は銭湯みたい」「東京にもブロードウェイを」「京都にもポン・ヌフを」なんて言っている外国かぶれが受け売りしているなんてレベルを超えて、外国人が「俺そんなこと言ってない」ってなレベルまで高みに昇華させちまうんだ。

人のみっちゃんは、外国人崇拝者のようだけど、明治以前の日本の偉人たちの作品にどれだけ触れたことがあるんだか、人のみっちゃんの話を聞いていると、こやつ日本のこと全くわかってないなって考えちまう。

あんた、日本人だろ?なのにあんたの先人たちが石に齧り付き、血の涙を流して手に入れ、残してきたもののどれだけを自分のものにしてきたんだ。これだけすごいあんたの先輩たちの努力の賜物に触れようとしないのか、あるいは理解できない輩は救いようがないかもしれんな。人のみっちゃんはきっと、「今が大切、今を生きよう」なんて、どんな動物でもやっている程度の生きざまで今まで来てしまったんだろうね。人間だけができる、「自分たちの先人の努力の上に自分がいる」ということを理解しないで。

頼山陽の『日本外史』読んだか?新井白石の『読史余論』、『藩翰譜』、『折たく柴の記』読んだか?
鈴木牧之の『北越雪譜』読んだか?北畠親房の『神皇正統記』読んだか?慈円の『愚管抄』読んだか?唯円の『歎異抄』読んだか?源信の『往生要集』読んだか?まだまだ、日本人は日本の凄さがわかる書物をいっぱ、数え切れないぐらい残しているんだ。毛唐どもよりはるか以前、鎌倉時代に書かれた『貞永式目』の法理念の先進性を理解したことあるか?鴨長明が「ゆく河の流れは絶えずして」と書き残して毛唐どもよりはるかに先進性のある世界観に触れたことの意味がわかってんのか?

解説本なんかじゃなくて、本物読みな。
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内勤


川柳とか泉とか
ないやら商業的な状況になってるのでしょうか。

おおsか直美は活躍してるようですね。
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この回答へのお礼

あのなー、会話ってーのは人にわかるよーに話すもんだぞ。

お礼日時:2019/01/24 23:13

万葉の昔も「美しい国だ日本は」って詠っちゃってるけどね。

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昭和40年代の川の汚染


昭和50年代の瀬戸内海の赤潮
現代自殺約25000人毎年、幽霊限界集落
高層ビルだらけの醜い東京
日本に50m以上の建物は要らない。
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そうですねぇ…そういった部分はあるかも?。



こういうことなのでしょう?。
「自分の家は、家族関係も良くて、みな明るい人ばかりなんだけど、あまり裕福じゃないんですよね」
…という人に「でも、一度いらしてみませんか?」と言われても悪い気はしない。
そして行ってみて好印象だったし、また来たいなと思った、というならば、これは素晴らしいことです。
めでたしめでたし。

だけど「どうだ!素晴らしいだろう!?」と後で聞かれて「うーん、飯はまずいし、汚いしねぇ」と言われたら、その家の人は「激怒」するかもしれない。
謙譲で「どうですか?」というのであれば、問題なかったことが「どうだ!」と言われるから、ハッキリと答えたくもなる。
つまり「美しい国です!」と「威張って」しまったら、元も子もないんですよね。
あのシュショーさんが仰っているのは、そういうことです。

疑いなく、人もいいという、そういう日本人にとっては、A部さんの言葉は「単純に」嬉しいし、誇らしいのでしょう。
「良いことを良いといって何が悪いかっ!」という。
率直で良いのだけど…見る人それぞれ価値観は異なるもので、その「価値観の違い」というものを、いかに理解し、溝を均していくか?ということは、世界中の人にとっての「永遠の課題」です。
それが世界平和にもつながっていくんですがねぇ…。

日本は、近代化を進めていくうえで、その「能力」を失ってしまった民族です。
明治以前、共通語というものが無かった時代でも物流はあったし、どうにかなったわけですが…それを「不便である」という理由で強制的に改変していきます。
結果として、それは文明を高度化する(西洋化していくともいえるけど)うえで大きく役立ちました。
一方で、それは「相手を理解すること」という意味で、個々からその能力を「奪う」ことにもつながりました。
日本人は、文明化と引き換えにして「人情」というものを捨ててきた民族なのです。

それをまあ!…まあ…これ以上は言うまい。
つまりがその「成れの果て」が、そーり大臣さんの「言葉」に集約されているのです。
「美しい」というのは「合理化」とイコールじゃないんですけどねー。
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>「歌舞伎座は銭湯みたい」「東京にもブロードウェイを」「京都にもポン・ヌフを」発言も併せて、おそらく猪突さんの目には見えないであろう、日本人の常軌を逸した白人崇拝をどう思うかとお聞きしています。



外国かぶれは日本にはいつの時代でもおりましたね。本来太陰暦の満月が縄文時代から続いていた正月だったのに、それを外国かぶれのいわゆる教養人連中はあちらさんがなんでも優れているんだって言って、新月の月立ち(朔日)の日に移してしまった。でも日本て不思議な国で、それから千五百年たっても、まだ縄文の正月を小正月といって祝っている。どういうわけか日本の庶民は歴史的連続性を大切にして、あちらさんの風習を受け入れても、決して日本人の独自性を捨ててきませんでした。白人崇拝って言うけど、私に言わせると外国物崇拝というのが適切な表現なんじゃないかな。そして斬新と思えたものはなんでも受け入れてしまう。ただし、全て自己流に変えてしまって。

そんな芸当ができる理由の重要な根拠が、日本人が育ててきた言葉の操り方と日本語の多重な構造にあると私は思っています。日本人は漢字を受け入れてすぐに、万葉仮名を案出した。漢字が入ってくる前に膨大な和歌が蓄積されていたので、それを書き残す手段として、漢や唐の国の漢字の使い方を超えた表意文字にこだわったのだと思います。その流れが仮名文字に発展した。これは決定的だったと思います。この流れと、漢字に音読みならず訓読みを当てたと言う途轍もない言語構造が手に入ったことには強い相関があったのではないか。

「てにをは」で語順を自在に入れ替えて表現できる自由度と、漢字と仮名、さらに音読みと訓読み、この多重な言語構造が、他文化にはない多様性を言語の世界にもたらした。そこまできたら、近年でも日本人が面白いと思った斬新な概念をカタカナ語という純日本語に取り込んでしまうのは、単なる歴史的連続性の一表現でしかない。外国かぶれの連中の心配をよそに、日本の庶民たちは、あちらさんの本来の意味なんか全く無視して、日本人の言語空間や世界観を日本独特な形でどんどん広げてきた。これからも、日本人の独自性を失うことなく、いろんなものを日本流に直しながら外の文化を取り入れて、日本人の言語空間を広げて行くと思います。

この言語空間の多様性には、文語あり口語あり、文語にも文語体あり、口語体あり、口語に男言葉あり女言葉あり、丁寧語ありべらんめえ調あり、江戸の落語調あり上方落語調あり、平安の京童以来今の若者に至るまで浮かんでは消えて行く流行り言葉あり、、、このすべたが日本語独特の文化を形作ってきた。

私は、江戸初期の口語体で書かれた、『雑兵物語』の男言葉の口調や、『おあむ物語』の女言葉の口調や、江戸落語の語り口が大好きです。だから、お遊びの時はそんな口語体で文章を書くことを楽しんでいる。その言葉遣いに、丁寧語にも引けを取らない品と表現力の豊かさを感じるからです。 Fragmentsさんは日本語独特の口語体に私が感じているその品を感じられないようですね。

日本人は常に外国の良いものを受け入れてきた。ただし皆日本流に変えながら。日本人がこの千五百年間やってきたように、これからも、外国の文化を元の外国人にも通じないような日本流に変えられながら取り入れ続けて行って、日本独自の文化を豊富にして行くと思います。でも、そんなことで、日本の文化が希薄になってきたことは今まで一度もなかった。「歌舞伎座は銭湯みたい」「東京にもブロードウェイを」「京都にもポン・ヌフを」なんて言っている外国かぶれの連中の意に反して、ブロードウェイやポン・ヌフを銭湯や朱塗りの橋なんかにしながら受け入れて行くのが日本人なんだと思います。

ただ私が心配しているのは、白人言葉を日本流のカタカナ言葉に音訳して、表音文字だけで書いていることです。日本人の一般庶民が世界的に見てだんとつに知的なのは、意味の透明な漢字を使い、ただし同時にそれを訓読みできるところにあったのです。日本人が漢字という表意文字を捨てカタカナという日本流の表意文字を多用しだすと、欧米人並の知的貴族とその他大勢の一般庶民との乖離が起こり、日本人を欧米の庶民並に知的にレベルの低いところまで落としかねないと危惧しています。


カタカナ語の危険に関して、私のブログ、

https://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-118953 …



https://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-120884 …

を参考にしていただけるとありがたいです。また、日本人の言語能力の高さについて触れたブログ、

https://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-124083 …

も参考にしてくださるとありがたいです。
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この回答へのお礼

歌舞伎座なんてクソくらえでどーでもええんじゃよ。
所詮は身内で固めてやってるだけで、そんなもんは芸でも何でもありません。
ちょとっちゃんよ、一つ単刀直入に言わしてもらうがえーか。
ニュートンやライプニッツ、
リーマンやアインシュタイン、
ガウスやガロア、
ラプラスやラグランジュ、
オイラーやコーシー、
ベートーベンやバッハ、
モーツアルトやビゼー、
・・・・・
・・・・・
彼らはみな外国人だけど、そんな彼らから学ぶことは外国人かぶれなんかね。
それに実はアルケーの元はターレスで、わしはターレスからアルケーを学んだんだけどね。
これも外国人かぶれなんかね?

お礼日時:2019/01/24 23:00

人の道さん、度々すみません。



猪突さん、変な言い方かもしれませんが、わたしは猪突さんと話すのは嫌いじゃないし、他の人の質問に寄せられた回答で肯くところも少なくありません。

やはり2年ほど前、Okwaveで、比較的話しやすかったのは、皮肉なことに「右より」の人たちでした。
では猪突さんと、Okwaveの彼らの共通点は何か?おそらく「言葉遣い」でしょう。
真っ当な日本語を話せる。これがなければ、主義がいくら立派でもわたしとは合いません。
わたしは言葉を、この場合母語である日本語を大事にしたいと思います。


ラ・マルセイエーズが血なまぐさいというなら、「海ゆかば」はどうですか?

「海ゆかば水漬く(みづく)屍(かばね) 山ゆかば草生す屍 大君(おおきみ)の辺(へ)にこそ死なめ かえりみはせじ」── 「血」でなはい。「水に浮かぶ屍(しかばね)」「草に覆われた屍」です。それでも「かえりみはせじ」=悔やむことはない、と。

血なまぐさくはないが、それ以上に何とも言えず陰惨です。

ラ・マルセイエーズは、ダントンーロベスピエールーナポレオンの独裁以前に、民衆によって惹き起こされた革命の歌であって、まさにグラス・ルーツ。草の根の民主化です。文革のような上からの改革(と称するもの)とはまるで別物です。

なるほどフランスでは恐怖政治があり、ソ連ではスターリンの大粛清がありました。
しかしそれを以て革命の意義、ひいては国家権力への反抗の意義を全否定することはできません。

他の質問(「自殺は悪いことか」)で、チャオポルポさんが言っていました。
「例外として、命を賭けて敵と戦うことは尊いこと」だと。
では「敵」って誰でしょう?命を賭けて戦う相手って誰でしょう?

そこで、「愛国者の責務は、祖国を、その政府から守ること」という地点に戻ります。
つまり敵とは第一義的には「外部のもの」ではないということ。

猪突さんはアメリカにおられて、ヨーロッパにも住んだことがあると言われる。
では再度お聞きします。

日本の雑誌、新聞の折り込み、ネットの広告には「白人のモデル」が溢れています。靴下の広告でも!

ヨーロッパ、ロシア、またアジアのどこの国の広告に、自国民ではなく、外国人をこれだけ大量に使う国が他にあるのでしょうか?
また、これだけ街中に他国の言葉が氾濫している国ってあるのでしょうか?
日本にある日本人のための住宅が何故「シャトー」であり「メゾン」とよばれるのでしょう?
何故「八百屋」と呼ばずにベジタブル・スタッフと?

数年前に、ある年配男性が、NHKに対して、「放送で横文字ばかりを使うこと」に苦痛を感じ、慰謝料請求の訴訟を起こしました。その結果はどうなったかわかりませんが、わたしもその男性の気持ちがよくわかります。

失礼だが猪突さんはわたしの問いかけをはぐらかしているように感じられます。

「歌舞伎座は銭湯みたい」「東京にもブロードウェイを」「京都にもポン・ヌフを」発言も併せて、おそらく猪突さんの目には見えないであろう、日本人の常軌を逸した白人崇拝をどう思うかとお聞きしています。

>彼らの何を学べば良いの?

それはこちらのセリフです。
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