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日本史で言うと、京都周辺の滋賀県、奈良県、大阪府の方がずっと古い都があったんですね?

滋賀県 近江大津宮
奈良県 平城京
大阪府 難波宮

でも、この三道府県はあまり古都という認識はされてないみたいだし、住人自身が自分が住んでいるところを「古都」と自称することもないみたい。

どうして関西エリアで、京都=古都のイメージなんでしょう?

京都に都があった期間が長かったと言うことかな?
それとも、
京都人の宣伝とイメージ戦略の大勝利ですか?

A 回答 (7件)

「古い都があった」のと、「ずーっと都だった」の違いではないかと。


京都以外は、都じゃなくなってからの期間の方がはるかに長いので、都という意識はもう無いでしょう。
特に大阪は、天皇様お公家様の街なんてものよりも、「天下の台所」「庶民の街」としての自負の方が大きいのでは。
一方で京都は、明治維新までは都だったので、まだその意識がしっかり残ってます。
未だに(もちろん半ば以上冗談でしょうけど)「東京は正式に首都なってない。都は京都のままだ。天皇陛下は東京に長期間出かけているだけ。」と言い張る人もいるくらいですし。
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京都に都が遷る前の日本は、今の領土じゃなかったからです。



日本が今の領域まで広がるには、平安京(京都)に都が遷り、天皇の権力が最大になる必要があったわけで、その結果、九州から東北地域までほぼ「日本」になったわけです。

そしてその後、鎌倉幕府が成立し武士の時代になるわけですが、戦国時代までは常に「天皇を後ろ盾にした権力争い」をしていたわけで、徳川幕府になって一応天皇の権力を抑えて「徳川の統治」ができたと思ったら、黒船などで「やっぱり天皇が日本の統治者」という事になり、結局大政奉還して明治政府になった、ということになります。

つまり「日本」という国が今の形になるまで「ずっと統治の要だったのは京都」なのです。

だから、日本人全体の意識として「今の日本の首都は東京、でも、日本国の今の形を作り上げるまでの首都は京都」です。これが『古都』という言葉の本質だと思います。

ちなみに他の国でもそういうのはあります。

たとえば中国のことは西安(大安)ですが、これは始皇帝がここにみやこを置いて治めた領域が「漢民族の領土」と認識されているからです。
 タイも同様にアユタヤを古都としていて、アユタヤ王朝時代の領域が「タイ民族固有の領土」と認識されています。
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奈良のほうがイメージ的には古臭いw

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京都の京と云う言葉自体、「ミヤコ」と古語発音で読みます。



大和・飛鳥・奈良・京都と皇室が遷都を重ねてきた。

今は東京ですが、あれは「アヅマのミヤコ」という意味ですね。

都はるみも「千年の古都」と唄いますね。

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平安京(794~1869)の都が1000年以上も長く続き、神社仏閣も多くあることから、「古都」と呼ばれるれるのに相応しいのではない

でしょうか?
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千年も都でいられた街はここだけ。

他の場所は糞を道に捨てて臭くなったから引っ越ししただけ。
ゴミ屋敷を都とは呼ばないでしょう
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天皇がいたから都です


東京も東京都でしょ
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