プロが教えるわが家の防犯対策術!

コレ↓ですが、
https://oshiete.xgoo.jp/_/bucket/oshietegoo/imag …
脱構築は芸術ですか?
そもそも芸術とは何かという問題がありますが。
芸術に破壊が必要なのですか?

A 回答 (3件)

おお、面白いですね。

情報ありがとうございます。感謝です。

アートと言うのは元々は技術という意味だったそうです。西洋の歴史的な発想なので日本人には理解しづらいのだと思います。簡単に言えば日常に使用する物を作る中で職人が作り込みを競う。その成果を美しいとして楽しむ嗜好です。絵画であっても元々は肖像画とか(写真が無かったので)そういう日用品でした。私たち日本人は普通の感覚で遊び心を日用品に加えて作り込みを行っています。つまり西洋的な文化を持つ国の人にとっては日本はアートで溢れている事に成ります。

脱構築として例示された建物を見る限り、技術の粋を集めて遊び心を加えていますからアートではありますが、受けるかどうかは別の話です。芸術に破壊は必要なのかと言うと「何言ってんの?」と言うくらい逆の話です。そこに鍛え抜かれた職人の技術があり、その技術を使用しないと出来ないものであり、それらが日常で役に立つ事が前提です。なので投機的な物件として扱われるとアートの意味がなくなるわけです。

「見せたい。驚かせたい。感心させたい。印象に越したい」

こういう純粋な我欲がアーティストの本性です。なので意外と子供っぽい物なんですよね。うちの父(絵を描く人)がTVのアニメを見ては「光を通すと何でも綺麗に見えるからいいよなあ」と羨ましがっていました。絵と言うのは絵を見るときの光の当たり具合で印象が変わってしまいます。そういう技術的な事で悩んでいるのがアーティストなんです。なので偶然に頼って作品を作ろうとする志向は歓迎されていません。

私たち一般人も、

「俺。芸術分らん。恥ずかしい。
 何かで尖ってる人がアーティスト?
 分からんから、尖っている人を褒めておけばいいかな?」

こういう逆張りをしてはいけませんよ。

現代ではジェット戦闘機がもっとも美しい芸術作品だそうです。用途は日用品でありませんが、性能を追求した結果、その造形が美しいというのは喜ばしい事らしいです。

脱構築であっても、その部分部分に美しい造形(ジェット戦闘機を見て美しいと思う場所があったら、その造形部分が美的感覚。そういう箇所が埋め込まれているか否かが判定要素)が入っていればアートです。そういうのが全くなく、単に面白いだけですとアートとして評価はされないと思います。なので作品ごとに違うという事です。

例えば絵画の分野でピカソの晩年の作品が取り上げられます。人物の顔として描かれているのですが誰が見ても可笑しな形です。しかし、芸術的な感覚がある人は直ぐに気が付いて、作品の中に見えない線があると気づきます。違和感を感じる繋がり部分に線を引いてみます(簡単に言えば漫画のコマ割りをします)。すると一人の人物をいろんな角度でクローズアップしたのだと分る訳です。しかもそのコマ一つ一つから想像できる人物の全体像は大変な美人です。日本のアニメーターでも唸るようなキャラクターでしょう。

「マンガのコマ割りをしたあと線を取っ払って繋げる遊び。
 一つの絵では調和を前提にして限られた情報にしかできない。
 しかし全体のメタ情報を含んだ表現があってもいい。
 絵の限界を感じて仕方なくそうした」

光の話もそうですが。絵画では物その物を切り取れません。昔のアーティストが現在ある3Dポリゴンなどのダンス動画を見たら激しく嫉妬すると思いますよ。

芸術について深い理解をする必要はありません。何せ、私たち個人が技術を学べば誰であっても作品を作る事が出来るんです。受けるかどうかは知りませんが。

「自分が作れるものである。普段使うモノである。
 気軽に楽しめるものである」

アートを理解するには上の前提が必要です。

そうじゃない場合は、

「不便」

の一言で充分でしょう。

貴方が技術を学んで作品を作ったとしましょう。不便と言われたとき謝りたくなるでしょうし、改善点を聞きたくなるでしょう。その上で改善後も使って欲しいと思うはずです。アーティストの殆どはそういう気持ちでやっていますよ。誰かに高値で買われて誰にも見て貰えないとなったとき、とても悲しいでしょうし、不満があるのに何も言ってもらえないのも苦しいでしょう。賛同していない人に褒められれば、同情されていると感じて傷つくでしょう。

「ああ、俺を傷つけたくなくて気を使わせたよなあ」

これはキツイ。

なので貴方がもっと違う建造物を見たいと思ったら、その様に伝えるのが良いですし、どうして賛同できないのか述べれば良いと思います。好きな部分嫌いな部分。その上で単に嫌うだけでは勿体ないと感じてしぶしぶ楽しむ。

「金と時間かけてこんなの作ったのかよ。
 もったいねえ。仕方ないから。俺だけでも見るわ。
 じゃねえと勿体なさすぎて苦しい」

芸術を楽しむ人は少なからず上の様な感覚でしぶしぶ作品を見るんです。

「ああ、いいです。ごめんなさい。次頑張りますから」

「うるせえ。勿体ないだろ。みせろ。
 色々不満はある。とはいえ無いより全然マシ。
 楽しかった。次も宜しく」

私は音痴だったんですけど。治しました。その後は他の人の音程ハズレが気になって仕方ないんですよね。

その時、思ったのは、

「ひでえ。聞くにたえない。
 え? じゃあ歌い辞める?
 なんで? 続けろよ。
 歌が無いよりましだよ」

こういう感覚です。

アートの本質は「無いよりマシ」です。不満を抱きつつ、堪能することです。良いか悪いかの話ではなく、せっかくあるんだから見る・聞くという勿体ない感覚ですね。なので作品を作った人は全てアーティストと言う訳です。

「人の労力により出来上がったモノ。
 それを消化しないのは罪である」

音痴も音感を得て、技術を磨いて歌えば、感心はされなくとも、聞くに堪えない状態から脱して「それいい歌だよね」程度にはなりますよね。絵だって同じです。

第一に労力を尊ぶ。次に技術を確認する。最後に遊び心に共感する。これらが揃ってアートであると思います。

そして製作者に注文(交流)できないものは、どんな美しい物であってもアートでは無いのです(工業製品などはそうなる)。そのあたりを間違っている(歴史的な価値ばかりが先行してしまい)人が多いと思います。

Youtube等で動画を作り、それに対してコメントがあれば、それはアートなんです。ですので手間を惜しんだり技術を惜しんだりすると飽きられます。

「情報を伝えるという日常的な用途。
 しかし最新の技術を磨いて作り込んでいるか?
 技術の果てにある革新的な遊び心は入れているのか?
 アートであると分かってやっているのか?」

この辺り、馴れ合いをし過ぎると分からなくなりますよね。パターンがつかめればそれなりのモノを作れます。しかしアートの一つであるのだと、今一度思い直した人は自分が何をやっているのか? 新たな気持ちに成れるのだと思います。情報はモチーフでしかありません。自分は動画と言うアートを極めているのだと。クラシック音楽などはネタは同じままです。しかし何度も聞きたくなります。そういうモノを作ろうとしていなければジリ貧に成るという事です。

ネタを探して色んな馬鹿げたことをするようになるでしょう。現代では音楽も映像加工技術も色んなツールがあるのに。ネタの方が大事だと思って右往左往としてしまう。

色々脱線しましたが・・・

以上、ご参考になれば。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

久々に素晴らしい回答を頂きました。
つまりアートは遊び心であり、人間精神の余裕ってことですね。
私も一つ作品を作りましたよ。
自らは哲学でもあり、アートでもあると思っています。

https://www.youtube.com/watch?v=O40j4PqRJWk

お礼日時:2023/03/11 17:12

脱構築は芸術ですか?


 ↑
脱構築は、構築の対照みたいなモノです。
家を作るのが構築です。

脱構築は、家を構築している屋根とは何か
雨風が防げれば、別に平らでなくても
瓦でなくても良いだろう、
柱にしても同じです。
家を支えれば良いのだから、まっすぐの必要も
無い。



そもそも芸術とは何かという問題がありますが。
  ↑
異化説、つまり鈍磨した感覚を刷新する
のが芸術だ、という説を採れば
脱構築の結果、異化が生じることもあります。
写真を見ると、その感を強くします。



芸術に破壊が必要なのですか?
 ↑
破壊によって異化が生じれば
それは芸術になります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>破壊によって異化が生じれば
それは芸術になります。

脱構築はポスト構築になりうるか?
あなたはこんなことを考えていますね。
あなたは哲学者に違いない。

お礼日時:2023/03/12 15:36

芸術と云う程の事では有りません。



固定観念を揺さぶろうと、しているのだろうけれど、さしたるインパクトは無いですね。
これを日本人にさせたら、もっと深みのある表現をしているでしょう。

彼らは西洋独特の“縛り”から、解放されたくて苛ついています。
それで、こうした単純な表現になるのです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す