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【※長文駄文で失礼します(-_-;)】
自信がないと決めつける人がよくいる印象がありますが、「自信がない」とわざわざ相手に決めつける人はたくさんいるのに「自信の有無にとらわれるのはやめませんか?」みたいなことを言ったりとか、なんだか人って無理難題だと思いませんか…?それに根拠のない自信も嫌われるし…
わたしはよく一見すると矛盾?してそうなことがどうして存在するのかとか気になることがたくさんあります。

例えば、「自分の感情には人一倍に過敏だけど人の感情には鈍感で傷つける人」について議論されていたときに、その人はそのことで誰かを指名してるわけでもなく一つの例題として出してるだけだし、それに該当している人に言った場合だとしてもそれは事実に変わりないことなのに、別の人が「それは不適切な表現だと思わないの?」と言ったりしていて、これもよくわかりませんでした。
それに「自分の感情には人一倍に過敏だけど〜」というのに該当している人がいたときは「自分は傷つくのに人には言うの?」と指摘していたのに、正論のように冷静に言っていたけど、わたしはなんだか支離滅裂だと思ってしまいました。

いずれもまったくシチュエーションや場所も違いますが、どうしてこういう無茶苦茶な世の中なんでしょうか…筋を通そうとしたり真理にこだわるほうが野暮な世界なんでしょうか(¯―¯٥)
ちなみに冒頭で書いてる内容はこういう感じのことを言う人達のことです…一見、多分だけど〜のように「あくまでも自分は断定してはない」という予防線を不利にならないように貼ってるのかわからないですが、遠回しに勝手な憶測で、しかもほかにもいろいろあるはずなのに皆すぐに「自信がない」や「自己肯定感」などの言葉を流行り言葉のように使用することにかなり懐疑心を持ってしまっています。

こう言うと卑屈な考えになるかもしれないけどなんだか傷つきやすいとか自信や自己肯定感がないって決めつけるのってバカにしてる心理というか軽い侮辱にも聞こえるから余計に見ていて不快感を示してしまうのだと思います。
前向きな決めつけならまだしも、大抵の人は後ろ向きな決めつけを、それもおんなじようなワードを揃って使用している人がよくいるので、その人たちもそれこそネガティブ思考のように見えてしまい…(自分が相手に決めつけることって「自分ならそうする」「‘自分が相手の立場ならそう思うであろう」という心理の現れならしいので、人のことをネガティブに決めつける(あんまり気にしないほうがいいよなどの声かけとは別の)のはその人たちももしかしたら自信がないということなのでは?と思ったこともあります…)

「【※長文駄文で失礼します(-_-;)】 」の質問画像

A 回答 (3件)

人は矛盾の塊。

視点を変えれば真逆の結論になったり、あれこれ考え悩む生き物なのだから当然のこと。自信満々が次の瞬間には強い不安に襲われる。そんなことはザラにある。
結論の出ない堂々巡りは疲れる。だから自分で考えるのを止めて他人の考え、例えば宗教に縋る人が多くなる。
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質問文が長く支離滅裂。

他人に何かを伝えたい文章ではない
先ずは貴方個人の問題なのか概念的な問題なのか
日常会話の話なのか討論の場での話なのか
問題点を箇条書きにするなり絞るなりしましょう

自信とは決断、捨てる事です
物事に白黒つけ、はっきり簡潔に相手に伝え、行動しましょう
それが出来てない人が「自身が無い人」と
揶揄されてるだけの話です
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> わたしはよく一見すると矛盾?してそうなことがどうして存在するのかとか気になることがたくさんあります。



この上の部分は、『[一見すると矛盾しているように見える主張や意見、感想などが、この世の中で、沢山混在したままの状況が続いていて、一つの方向にまとならない]ことが釈然としない、不思議である』というような理解でイイでしょうか。
古くからある表現で「十人十色」「人それぞれ」も日常的に使われているように思います。 ファッションでも、食事・料理でも、戸建て住宅でも、音楽やスポーツなどでも、人の好みや嗜好は異なるのは、日常ごく普通に経験することです。 アイドルなどで人気急上昇しファンが増えたところで、同年代の30%が似た状況になったりしません。大谷翔平のような場合でも、無関心というか、仕事や勉強や自分が関心を持っている方を優先する人数の方が人数的には多いでしょう。
他人の感情には気をさほど払わないというか、自分の欲や自分が求めている価値の方をより優先するので、泥棒も暴力沙汰も詐欺も浮気も心移りも起きるのでしょう。 
理というか論理というか、一般原則のような観点で事物や現象を理解して対処することを優先してからこそ、集会や会議・行事・面接試験などの最中には、自分の感情・情動を抑えるという人も多いでしょう。 どのような状況でも時・場所・同席者の状況をさほど考慮せずに、自分本位で行動発言するような人は少ないです。 多くの人は、「十人十色・人それぞれ」であっても、その社会・そこにいる人々の現在の状況を無意識のうちに判断して、自分をコントロールします。 例えば、家族だけのとき、いわゆる仲間内のとき、商談や仕事で接しているときで、対応のスタンスが異なるのは普通です。

質問文にある画像の貼付から推定すると、質問者さんは、教えて!gooのような[匿名者同士が、自分の都合で関与・離脱するワンタイム・その場限り]のケースを心に描いているようです。 このようなワンタイム・その場限りの匿名者間の場合には、その人の普段の社会生活適応のための枷が弱くなるので、参加者の気分が現れやすくなります。 {「十人十色・人それぞれ」であっても、その社会・そこにいる人々の現在の状況を無意識のうちに判断して、自分をコントロール}という傾向が薄れて、「十人十色・人それぞれ」が色濃くなるのです。 その結果、沢山混在したままの状況が続いていて、一つの方向にまとならない傾向が強まります。
このような会話応答が、医療機関や相談所で医師・相談員と患者・来訪者との間でなされる場合には、医師・相談員は個人的感想や意見を述べることは減って、無難な対応とか思いやりをメインにした対応、公式見解のようなものに集約されることが多いです。 患者や来訪者が去れば、スタッフ同士では別のことを言うことさえあります。

> 前向きな決めつけならまだしも、大抵の人は後ろ向きな決めつけを、それもおんなじようなワードを揃って使用している人がよくいるので、その人たちもそれこそネガティブ思考のように見えてしまい…

「前向きな決めつけならまだしも」とお考えなのは、「ネガティブ思考はよくない。避けるべきだ」と思い込みが強いのだからでしょう。 ところで次のようなことを書いている人もいます。
 ~~~~  ネガティブシンキングこそ最強思考  ~~~~~~
僕はむしろ、ポジティブシンキングは怖いもので、ネガティブシンキングこそが最強だと考えています。 ポジティブシンキングは、問題点が起きると、そこにフタをしてしまうタイプの考え方ですから、また同じトラブルに巻き込まれがちです。 一方、ネガティブシンキングは、問題点を見ることのできる思考力ともいえます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

> 筋を通そうとしたり真理にこだわるほうが野暮な世界なんでしょうか

野暮かどうかは、なんとも、難しいですが、「スジを通す・真理に拘る」のも難しい判断です。 
脳科学、生理学、心理学、病理学、世知、交際世渡り法など見方・立ち位置によって、「筋も真理も変わる」とはお考えにならないでしょうか。
この教えて!gooの「社会科学>心理学」のところの投稿の多くは、「社会科学>心理学」の問いではなく、生き方相談やストレス解消・悩み相談のようなものが多いように見受けます。 それを読む者も、質問者の属性も不明で爾後の接触もないと感じれば、自分の人生観?や経験知のようなものを世知、交際世渡り法として投稿する人が多くなるのは、自然な流れでしょう。
もちろん、演技とかがメインになる人や寄り添うよなスタンスが何事に付けても良いのだと思い込んで投稿する人もいるので、回答の種類が多彩になるのは、あたりまえでしょう。

このようなサイトで、「~~は野暮なのか」を問うて、自分が期待する投稿が多く得られると考えていたのであれば、冷静な判断や状況認識が充分ではなく、気分的・情動的に反応・行動しがちであることを示していると思えます。
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