アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

どうしておりひめとひこぼしはひきはなされてしまったのでしょうか?
私は、日本昔話(テレビ)にあったように、
天女の羽衣だと思っていました。
しかし、他の友達と話をしていくうちに、
ひこぼしが働かなかったから引き離されたんだよ!ってことを生まれて初めて聞きました。
色々な説があるのでしょうか?
子どもに、たなばたの起こりは?って聞かれたとき、どのように答えるのがベストですか?

ちなみに保育園でも働かなかったから・・・と聞いてきて、
昔話のビデオをみているうちの子は、違う!と泣いていました。

A 回答 (4件)

牽牛は耕作、織女は紡織という古代農耕社会における典型的な男女の労働のシンボルです


もともとは、怠け者には罰が当たる、といった教訓話だったのではないでしょうか
なお、牽牛『だけ』が怠けた、という話は初めて聞きました
一般的には、二人で仕事を忘れていちゃついていた、という話ではなかったかと思います
    • good
    • 0

元々は中国のお話で、


彦星(牽牛星・アルタイル)と織姫(織女星・ベガ)の働き者どおしが結婚したのですが、
次第に怠け始めたため天帝が怒って、2人を天の川を境に引き離しました。
しかし、年に7月7日だけは会うことが許されました。
ただし、雨が降ると天の川の水が増えて川を渡れない。
私が子供の頃に聞いたのは、この話なのですが...

ちなみに、七夕は新暦では梅雨の時期と重なっていますが、旧暦では8月頃で秋の季節になります。
    • good
    • 0

面白そうな質問だと思って検索してみたら以下のサイトが見つかりました。

すでにご存知でしたらごめんなさい。

以下のサイトにもありますが、牽牛と織女の間には子供がいるんですよね。中国では「子供を抱えた牽牛が天の川を越えて織女に会いに行く」という形式の絵が多いと聞いたことがあります。結構切ないシーンです。

参考URL:http://www.aiainet.jp/~mz/nishimoto/nishi06_2.html
    • good
    • 0

七夕は、万葉集から歌われています。



★天漢(あまのがわ)梶音聞(かじおときこゆ)孫星(ひこぼしと)
与織女(たなばたつめと)今夕相霜(こよいあふらしも) 2029

★天の川、水影草の秋風になびくを見れば、時は気にけり 2013


 由来は、中国の蓬髪の女神、西王母伝説(織姫は西王母の娘)にあります。(前の方が答えておられる通りです。)
 歴史的には弥生時代の銅鐸(どうたく)に西王母が彫られていたことから、
この頃に既に原形の話が中国大陸から伝わっていたのではないかと考えられています。

そして・・・
七夕は日本の棚機つ女信仰と融合し、日本独自に形を変え、世界でも珍しい宇宙の星々を見上げる行事として、現在まで伝承されました。
(ウエブを参照して下さい。)

いつの頃から・・・?
 冒頭で万葉集から2首紹介しましたが、この巻十には、百種あまりの七夕に関する歌が収められているそうです。そして、文学的に価値の少ない歌がほとんどだそうです。

★よって一つの仮説として
 少なくとも奈良・平安時代には日本独自の七夕伝承が出来上がっており、貴族の間で習慣として伝承されていた。
 万葉集に収められた歌の質の低さから、珍しい行事であった可能性が高い。(同様の理由で仏教を歌ったものは、ロクなものがないそうです。)

こんな風に考察出来るかもしれません。
まぁ、この手の行事は、全部わからないほうが楽しい気もします。
8月(旧暦の七夕)に子供さんとゆっくりベガとアルタイルを探しながら、考えてください。(^^

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/tn00j1.htm
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す