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じっさいどの程度強かったのでしょうか?
よくボクサーやレスラーに連勝したとか
聞きますがどの程度のレベルの相手だったのでしょうか?
なにか相対的な強さがわかるように教えて頂きたいのですが

空手を世間に広めたという事はわかるんですが
=強さと言う事では無いと思うんですが



今のレベルでは話しにならないとは思うのですが
当時のレベルでも大山倍達は本当に強かったのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

この質問を読んで連想したのは、昔文壇で盛んに「宮本武蔵は名人か否か」が論議された事です。


その回答として吉川英治がかの大傑作「宮本武蔵」を執筆したのはあまりにも有名ですね。
大山総帥の場合、吉川版武蔵に相当する伝記作品が「空手バカ一代」になりますが、逆に「空手バカ一代」こそが論争の的になっているのは皮肉としか言い様がありませんね。

で、回答しますと
大山総帥は確かに強かったと思います。
最盛期の身体能力を持ってして現代の戦法・戦術を身につければ充分に現代の総合格闘技でも通用するとは思います
ただし、当時でも現代でも「最強」ではないと思います。
日本あるいは世界で1番強い、とはいかないまでも充分に強いと呼べる実力
そんなところではないでしょうか
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

確かに弱くはなかったとは思います

ただあまりにも伝説的な事と神聖化されてることで
真実が表に出て来ない
出ないようになってるのが作為的だなぁと
感じる今日この頃です

お礼日時:2005/08/16 13:42

芦原英幸追悼の書籍の中に真樹先生がこういう一文残してました。


 「それはなぜかって言うと、大山先生みたいに、あの戦後の食うに精一杯の時に、あんなに稽古できたことは幸せだよ。どうやったら石が割れるのか、どうやったら牛を倒せるのか、そんなことばっかり考えてた人に勝てるわけねーだろ!(笑)」
 「あの時代にああゆうことを夢にもっいて、強くなることだけを考えられていたのも大山先生の人徳だろう。周りがバックアップしてくれたって言うのもあるだろうけど。それで、強い人がいると、すぐにその人に教えてもらったり。大山先生の偉いとこはすぐに教えてもらいにくだろ?入門っていうのかな。柔道も合気道もいいとこあると先生、先生って付いていくだろ。そうやってる人に苦労しても勝てないのは当たり前だよ。だから芦原も大山先生が弱いって言ったことは1度もないよ」
 だそうです。わたしはこの空手に入門してますが、皆さんそれぞれの「自分的の大山先生」があり色々捕らえ方が違うみたいです。
 相対的な強さで言ったら、大山先生が膝を壊す前の円熟期対今のロシアの選手(プレカノフ等の猛者)と闘ったら、大山先生得意の目突き(本当にやってた!!)で食らって悶絶する相手選手が一方的に打たれることが想像できます。
 大山先生は金的、目潰しが得意だったそうですよ。

 
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#5です


大山総帥が香港の陳老人に負けたという話は、作り話だと聞いております。
空手バカ一代にあるエピソード、特に決闘の話は作り話が多いそうです。
陳老人の話は空手バカ一代の他でも書かれてますが、それでも嘘らしいですね。
大山総帥の伝記は本当に「伝説」ですので、そこから対戦成績を導き出せないのが残念です。
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#7で回答したものです。


要するに大山師の対戦成績が知りたいということなんですね。残念ですが、それは無理だと思います。

それに大変失礼かも知れませんが、どういう相手との対戦成績を想像しておられるのかがちょっと…。
もしかして、現代の武道愛好家でも名前を聞いてわかるような、一流一派を興したような大武道家をイメージしてらっしゃるのでは。
そんな開祖、流祖、初代などと呼ばれるような武人相手に真剣勝負なんて、とてもあり得ないですよ。

あと武道の世界では、別に大山師だけが神格化されているわけではないんですよ。
流派の大小の差から知名度が違うだけで、昔の名手・達人の方々は皆、似たようなものです。どの師も自流内では絶対的な名人ですし、修業時代はともかく、流派を起こしてからは不敗伝説を持っている方が大多数でしょう。もちろん、それらも嘘というわけではないですし。

まず基本的な認識として持っていて欲しいのは、今のようにファイトマネーを貰って観客を呼んで試合をするならともかく、何の見返りもないのに自流派を背負って試合するなど、そんなに簡単に出来るものではないということです。

プロ格闘家だって、ただ強いか弱いかを決めるために戦っているわけではありません。職業だから、仕事として戦うのです。
格闘家が単なる「我こそは世界最強を信じる者達の集団」なら、ヒョードルとミルコはとっくに戦っていたでしょう。相手の家に行って「どっちが強いかハッキリさせたい。表に出ろ」と言えばすむ話ですから。
でもそんなことには絶対、絶っっ対ならないわけでして。

武道家だって同じですよ。自分の最強を主張する事を至上価値として武道やってませんから。
講道館の嘉納治五郎と、松涛館の船越義珍は同じ時代に同じ場所にいたはずですが、どっちが強いか決闘したことはないでしょう?
いうまでもなく、そんな事をする意味がないですからです。
彼らがチキンなのでもなく、特別品行方正なのでもなく、普通の人間の普通の行動ってそんなものです。

だって質問者さんがミルコやノゲイラなみの腕があったとしても、人通りの絶えた夜の川原でヒョードルとルール無しで決闘したいと思います?
あるいは月もない夜に立ち入り禁止の廃工場の中で、野獣のような目をした若き日の大山倍達と「ここから生きて出てきた方が勝ち。他にルールはなしってことで」なんて言われて受けてたちます?
そんなこと思わないでしょ、たぶん。その辺の感覚はみんな同じですよ。

ある街に、その街で一番強い喧嘩自慢のお兄さんがいたとしましょう。
ある日彼は思いました。「どうも俺は日本一喧嘩が強い気がする。よし、確かめてみよう!」
彼は各地の「あいつは喧嘩強えーよ」と評判の連中を訪ね歩いて、片っ端から喧嘩を売って歩きます。

ある人は「上等だ!」とばかり乗ってくるでしょう。
またある人は「…なんでお前と喧嘩せにゃならんの?自分が日本一強いことを証明したい?いや、お前が日本一でいいよ、別に。俺、そんなことで喧嘩してるほどヒマじゃねーし」と、取り合わないでしょう。

で、後からそんな彼の戦績がどうだと言っても、よく分かりませんよね。
まぁ各地を飛び回りながら喧嘩を売りまくって、五体満足でまた地元に帰ってきただけでも相当な修羅場を潜って勝ち残ってきたのだろうな、と想像できるくらいです。

また長くなってしまいましたが、結論として大山師の実力を具体的な戦績で示せというのは、ちょっと現代的プロ格闘技の価値観に染まりすぎなような気がします。

有名選手との対戦成績で相対的な力関係を評価するのは、現代プロ格闘家を評価する場合限定の方法論だと思うのですが、どうでしょうか。
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大山氏が誰と戦ったかということですが、ボクサー、プロレスラー、拳法修行者等です。

このうち中国の老人に負けましたが攻撃が当たらなかったそうです。
それと猛牛は何十頭も倒しています。
初めて猛牛と戦ったときは角が腹に刺さってしまい、もう少し深ければ腸に刺さるところだったそうです。
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大山倍達は極真を広めるため世界各地で試合をしましたが一度だけ負けたことがあり、その相手は中国の老人です。


K-1やPIDE等、ルールで守られた試合で勝つこととストリートファイトで勝つこととは別物です。
以前ジェロム・レ・バンナとシリル・アビディがストリートファイトで戦っていますがアビディがバンナを失神させました。
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この回答へのお礼

中国の老人に負けた事初めて知りました
何か拳法でもやってる人なんでしょうね

試合とストリートファイトが違うことはわかってるんですが
例えば誰とやったとかがわかればそれなりの
実力と言うものが推し量れるとおもって
質問しました
アビティーにしてもk-1で実績があるから
強さと言うのはわかるんですが


関係ないけどアビティーはルールを覚えるたびに
小さくまとまってきましたね!!


質問に回答の方ありがとうございます!!

お礼日時:2005/08/22 10:35

梶原一騎という作家が空手バカ一代で、


話をだいぶ誇張してあります。
K-1等で見ても分かるように、
同じ人間が他の格闘技の専門家に対して、
一方的、圧倒的に強いなんて事は
ないと思います。
プロボクシング名代の名チャンプが、
最後は王座を明け渡す時が来るのと同じです。
柔道の田村亮子や他の選手だって
一度位は負けていますし、
勝った試合だって楽勝の試合ばかり
じゃないはずです。
経験から一つだけお答えします。
試合(試し合い)では、大体強い人が
確率的に言って勝ちます!
しかし、本当の実戦(殺し合い)は
結果です!
勝った人が強いのです!
実戦においてはリベンジはできません!
過日イラクに於いて殺害された日本人傭兵が
いましたね!フランスの外人部隊の中でも
精鋭だった人物だそうですが・・・。
北辰一刀流の免許皆伝、坂本竜馬・・・。
自慢の6連発を使用する間なく、
刀抜くことすらできず惨殺されました。
ルールがあり、レフリーがいて、用意ドンで
する試合と護身術の違いですね!
実戦とはそう言うものです。
話がそれました。御免なさい!
現に大山が試合したビデオやなんか
見られるわけではないし、有無も不明。
大山倍達!一般人からみたら相当強い!
プロ同士(実際試合していれば)なら
勝ったり負けたり!
・・・だと思います。
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この回答へのお礼

確かにそうなんですよ

だからこそあまりにも強さが神格化されすぎてるのかな?

実際はどの程度だったんだろう?と
思って質問したわけです(笑

例えば漫画の話を鵜呑みにしている
戦って無いのに戦った事になってる試合

他の人の逸話が混ざってる

等々他にも色々考える事は可能なんですが…

逆に言うとなんでここまで神格化されて
ベールに隠されているのかも興味がわいてきました!!

回答の方ありがとうございます!!

お礼日時:2005/08/22 10:29

当然ながら大山先生の全盛期を見た事などありませんが、推測で書いて見ます。



質問者さんの「強い・弱い」の感覚でいえば、全然弱かったと思いますよ。例えばK-1などで活躍できるかと言えば、到底無理でしょう。
それ以前の話として、極真空手の中でも日本一には全く手の届かないレベルだろうと思います。

ただ、僕の「強い・弱い」の感覚で言えば強かったと思います。
地上最強とはいかないでしょうが、全盛期であれば日本では10指には入るくらいだったのではないかと。
そしてそれは、僕の感覚では現代日本において10指に入るレベルと何ら変わらない、あるいはむしろ上だろうと思っています。

武道空手家にとっての「(いわゆる)組手の公式試合」というのは、空手の中の一部でしかないですよね。
それは、昔の剣士にとって「竹刀で防具の上から叩き合う」のが剣の練習方法の1つでしかないのと似ているかも知れません。

時代の古い宮本武蔵はもちろん、竹刀稽古もかなりしていたと思われる新撰組の沖田総司、斉藤一などでも、仮に現代剣道の全日本選手権大会に出れば1回戦突破も危ないくらいのレベルだったでしょう。
現代剣道の達人からすれば、スピードでかき回せばいくらでも打ち込めるのではないでしょうか。

で、その1回戦であっさり負けるような武蔵や沖田を「弱い剣士だ」という考え方も当然ありますね。

しかし、全日本王者の剣道家と1回戦負けの武蔵や沖田が、ある日突然に真剣で殺し合いをしたなら、どうでしょう?全日本王者の方が斬殺されることも、かなりありそうだと思いませんか。
いくら現代剣道の達人でも、武蔵や沖田のように血に飽きるほど人を斬ってきた経験のある武芸者と、しかもいきなり始まった真剣の殺し合いで勝つのは、非常に難しいというか、殆んど無理だろうと僕は思っています。

この真剣で殺しあった時の強さから武蔵や沖田を「強い剣士だ」という考え方もありますね。
どちらが正しいということでなく、何の強さを「強い」の基準にするかで、見える景色は全然違ってくるという話です。

下手なたとえで恐縮ですが、たぶん質問者さんの考える「強い」と、僕の考える「強い」の違いは、上の例のように違うでしょうし、僕の考える強者トップ10と、質問者さんの考えるそれはきっとほとんどメンバーがかぶらないと思います。
大部分の著名プロ格闘家は、僕にとっては「格闘技の強い競技者」とは思いますが、別に「戦士として強い人」とは感じないので…。

話がくどくなりましたが、要するに大山師は彼の考える意味での「強さ」は日本屈指のレベルで備えていたでしょうし、その強さのレベルは、同じ価値観から見た時には現代でも日本屈指のものだと思います。

僕の考える強さと大山師の考える強さも同じではないでしょうが、少なくとも僕には大山師は「相当強い」に分類される武道家に見えます。

もちろん同時に、それはスポットライトの下でTV中継されるリング上の試合では大したものではないだろうな、とも思いますが。
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この回答へのお礼

実際の真剣試合では1時間以上双方動かなかったという
話し聞いた事があります


何となく求めてた物が違うなぁと言う事はわかってきました

個人的には大山氏の強さを否定したいわけではなく
どの程度の実力だったのか
わかりやすさの物差しとして
対戦成績だとかがしりたかったんですが

ただあまり昔の(武蔵などと比べて)時代ではなく
もう少しはっきりとした事がわかるかなと考えてたんですが
少し考えが甘かったかも知れません

思ったよりも本当の事はわからない物ですね!!

回答ありがとうございます!!

お礼日時:2005/08/22 10:21

 講道館柔道の嘉納治五郎氏は基本的に対外試合をやっていません。

もしかしたら、警察に採用されるための採用試験の結果なんかは資料室の奥なんかに戦績あるのかもしれませんが、一切表に出ていません。合気道や日本拳法なんかも戦績を出していないと思います。と言うかもしかしたら質問者さんは勘違いしてらっしゃるかもしれませんが、決闘自体が明治の昔から完全に違法です。もしあったとしても、完全に違法を証明する資料です。

 さらに、明治の武道(武術)に対外試合という発想自体がありませんでした。
 武道団体自体が誰が強いかと言うことを目的に作られた組織ではないのです。むしろ、教育や人間形成、体育なんかを目的として作られたものです。
 武術に関しても、一子相伝の技を伝えたり、軍を強くする為の目的でした。

 そのため、教育的観点や秘伝の流出防止と言うことで対外試合は絶対の禁止と言う団体がほぼ全てでした。だから、その対外試合の記録はどこも外に出していません。
 世界最強という観念はで団体では持ってはいけない時代ですし、それを個人で追求する為には破門されるか、海外に逃げるか・・・。日本そんな時代だったのです。そんな中で、柔道の対外試合や合気道で誰が誰に勝ったなんてしかも非合法の資料は、表に出ようはずもありません。

 ただ・・・海外での試合では別になります。海外では考え方が別になるのかもしくは国内で出来ない試合を海外でやるのか、木村政彦vsエリオグレーシーや力道山vs木村政彦なんかの試合が残っています。

 そんな試合を質問者さんは知りたいのかも知れませんが、大山倍達は知名度の無い貧乏格闘家(しかもアマチュア)アメリカ行ってもろくな相手も持ってきてくれず、仕方ないから日本で牛殺してビール瓶切って知名度を上げたということです。
 まあ、それでも力道山と木村政彦には挑戦状を送り続けていました。力道山も木村政彦もプロなので負けたら全て失うような挑戦状は一切受け付けませんでしたが・・・。それでも大山氏は「批判は結構。でも繋がれていてもいいから、せめて子ヤギの角でも素手で折ってから言って欲しい。」と生前言ってそうです。


 明治時代に警視庁で採用された柔道、800年の歴史がある合気道に比べて、空手は昭和に入ってようやく広まった最後の武道です。当時のどの格闘技よりも立場が弱かったと言うことで納得いけないでしょうか?

 後、国内戦で闇でやった試合では、本人の口から上る事はあったようです。ただ、立会人がいなかった試合も多く、公式には残らないことを承知の上で戦っていたようです。また、立会人を立てても、その立会人が口をつぐんでしまえばその試合は無かったと同じ事であるので、殺して殺人犯として捕まる以外は勝敗を確定させることは不可能のようであったようです。

 また、古武術は非常に勝敗の概念がわかりにくく、不意打ちはもちろんあり、武器だってその場にあるものならなんでもありと言うものがほとんどです。卑怯と言うものは美学に反するものであり、不意をつくのが美学と言うものであれば、それは気絶した振りだろうが闇討ちだろうがなんでもありです。そんな中では、勝敗は確定しません。客に見せない武術なんてそんなもんです。

 もし判り難ければ板垣恵介の「バキ」を今週号まで読んでみてください。日本武道の勝敗が結果として残らない理由、勝つと言う事の意味がもっとよく分かると思います。

 後、求道者であって相手の土俵で戦うと言うのは相反する理念です。例えば、もしムエタイの土俵でムエタイのルールで最強であっても、それは空手が最強と言う理論にはならずムエタイで最強ということにしかならないからです。ですから、例えば新聞記事に
「ムエタイ大会で日本人青年が出場、そして優勝!!」
なんて結果になるだけであり、当時の考え方としてそれは空手の看板を背負って戦ったことにはならないと言う事でした。さらに、また、看板を取りによその道場に殴りこみに行き、向こうのルールで戦うとと言うことはそれだけで死を意味しますし、例え勝ったとしても集団でボコにされ裸で表に放り出されます。全くのナンセンスです。

 さらに空手が世界最強と考えている者にムエタイの胸を借りて、ムエタイ戦士として戦えと言うこと自体が空手への冒涜です。ムエタイ戦士に空手ルールで戦ってもらって空手のすばらしさを教えるのが本当の目的なのに・・・。


 まあ、つまりは当時空手が最強と言う思想を植えつける為に国内で非合法で闘いあまり負けなかったので世界行脚を始めました。が、アメリカでは相手にされず、日本で牛を殺し続けました。そして極真空手を創設。その後過去の話が美談となり、現在の伝説が出来上がった。と言うことだと思います。

 おそらく現在でも、自分で考えた新武道を立ち上げて、さらにそれを強さで示して広めようと考えた場合K-1、PRIDEが無ければ同じ結果となると思いますよ。
 むしろ、非合法で古武術とやった形跡があるのに死んでいないという事実、大体の場合大山側が勝ったと言っているのに古武術側は否定していないと言う事実。その辺に目をやって考えて見て下さい。
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この回答へのお礼

講道館に関しては
警察に採用されるための採用試験の事を勘違いしていたのかも知れません

バキってマンガですよね
今週号まで確実に全部読んでます…
というより漫画を引き合いに出されても…
一応漫画を引き合いに出すのならば
修羅の門なんかもあるわけで主人公はボクシングルール
総合ルールにも順応した上で

どんなルールでも敗北は無いと…

まぁどちらも漫画なのでここでとやかく言う必要は無いですが

ムエタイで空手家が優勝すると
どんなルールでも空手が最強になると個人的には思いますが

その前に私的には空手最強プロレス最強相撲最強など競技単位での最強はナンセンスで全く無意味だと思ってまして
最強であればあくまでもその個人が最強だと思ってますが

大山氏は実際にどの程度の強さかと言うのは
現実問題として良くも悪くも未知何だなというのは
何となくわかってきました
ただストリートファイトの最強を追求していくと
現実問題ピストルには勝てないわけで
なんか違うのでは?と言うようにも思ってきました

度々の回答ありがとうございます

お礼日時:2005/08/22 10:12

 No1です。


 質問者さんの言うとおり、ストリートファイト最強=実際の強さと言う事か? と言うことに関しては確かに言い切れません。ただ、喧嘩最強ではあったとは思います。だって、ストリートファイト=喧嘩ですから。

 そして、当時空手どころかほとんどの立ち技系格闘技(ボクシング以外)にはしっかりとしたルールがありませんでした。ですから、他流試合の為のルール調整も無く、目潰し金的噛み付きまでありのなんでもありとしかやりようがありませんでした。
 さらに、それはSHOWの国アメリカだからマシな話であり、日本やアジアの場合、観客と金を集めて広い場所で衆人環視の中試合をするなんて習慣自体がありませんでした。立会人と試合人の3人でやったとしても、お互い自分の道場の看板が建前上かかっているため、試合結果がばれた時点でその道場はつぶれる為、お互いの名誉の為結果は伏せられたようです。ですから、闇では柔術、柔道、合気道(塩田剛三には負けたらしい)ともやっていたらしいです。後の人曰くそこでも負けなしだそうですが。
 また、ムエタイなんかは知名度が一切無い時代でしたし、アマレスはオリンピック競技であくまでスポーツ、中国拳法は本格的な人は他流試合禁止だったのでおそらくやっていません。

 もしかしたら、本当に最強を名乗る為には、ただ単純に力が強く、角があり、人が殺せる家畜の牛を殺すしか方法が無かったのかもしれませんね。

 その後、ほとんどの立ち技系の競技はしっかりとしたルールが出来始めました。空手もルールが出来ましたが、フルコン、型、伝統系、競技系と今でも統一は出来ていません。さらに、極真空手ルールも出来ましたが、これは大山総裁が作ったものです。この中で他流試合が行われるのも変な話ですし、逆に大山倍達自身が相手のルールで戦うのもおかしな話です。
 猪木がアリやウィリー・ウィリアムスと戦ったのはそれだけで意味のあることであったのです。

 現在のように他流派同士が統一ルールでお互いの道場の威信をかけて戦えるようになり、その結果が報道されるようになったのはK-1が出来たここ15年ぐらいの話です。大山倍達の時代でそれを考えると、さぞうらやましい時代なんでしょうね。

 おそらく、大山倍達は本当に強さを求めた求道者だと思います。そして、本当に強かったのだと思います。その強さを人に見せる方に進むと猪木に、自身を高め人を育成する方に進むと大山倍達になるのだろうなと思います。

 まあ、ようするに大山倍達はすでに歴史上の人物です。戦後であっても、格闘技の創設期で結果の報道もされていないのですから、少なくとも現代の話ではありません。ですから、宮本武蔵や沖田総司が強かったのか? と言う質問と同じようなことになってしまいます。
 ですから、言える事は唯一つ。文献や証言で強いと言っていたから強い!! 最強かどうかは結果が残っていないから分からないけど、現在もその道を進む人がいて大山総裁を尊敬する人がいる以上、極真の中では最強である!!

 それしか言い様がありません。
 納得いきましたでしょうか?
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この回答へのお礼

度々回答ありがとうございます

文献や証言で強いと言っていたから強い
と言われてしまえばそれまで何ですが…

極真における大山さんのポジションは
わかってるつもりです
ただ本当はどうだったのかなという興味が
わいて来てしまいまして…


疑問に思うのは戦歴が見事なほど
あやふやなんですよ

特に勝ったのであればある程度誰に勝ったというのは
わかると思うんですよ

たとえば「こうどうかん」の柔道なんか明治の話しですが
大山さんよりは具体的な対戦記録が残ってると思います

あえて記録を表に出さなかったとしか
思えなかったり
求道者にしてはあまりにも組織が大きくなってるのも
不思議です

求道者であれば相手の土俵ででも勝負してやるという
気持は無かったのでしょうか?
本当に一流の対戦相手を求めると言う意味で

ストリートファイトでは本当の意味でのボクサーなんか出て来ないと思うんですが

せいぜいボクサー崩れであったりプロレスラー崩れ
が対戦相手ではと思っています


その辺は個人としての強さよりも組織としての立場を考えていたのかもしれませんね

お礼日時:2005/08/16 13:38

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