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本人は悩んでる様子はありません。むしろ【買う・増やす】という行為を自分の家だけでは飽き足らず、他人の家庭にまで拡大してきます。
●福袋、お店の福引、販促キャンペーン、箱売り、バーゲン・・・
→買わないと損だから買わずにいられない。粗品が貰えるとなると尚更。欲しい粗品でもないのに貰える物は貰わないと損だと思って買い物する。
●過去に使っていた電化製品や家具や衣類やその他すべて、いつか使うかもしれないと思い捨てられない。
●普段から目的も無く買い物に出掛け、現在必要が無くてもいつか使うかもしれないとか、誰々が使うかもしれないからと買ってしまう。
●販促などは店員のノルマを達成させてあげたくなる。店員にも喜んでもらえて、自分も買い物が楽しめて、いらない物は人にあげれば喜ばれる(勝手な思込み)などと、買う行為を正当化。自分の物では飽き足らず、わざわざ他人の物まで買います。
 以上のように買い続けると家に物がどんどん増え、管理できなくなります。捨てられないのでいらない物を無理やり誰かにあげる事で解消します。そして反省せず、またすぐに買い物を続けます(人にあげればいいやと開き直ってる)人の家の収納空間までチェックしてまだ買い物が出来るか考えています。買う楽しみだけ味わって後始末を他人に押し付けるのは困ります。押し付けられた方もたまったものではないです(こちらも家に物が増え続けて管理が非常に大変です。夢までゴミ処理に追われます。)こちらも何度も失礼にならぬよう丁寧に断ったり意見を伝えていますが、まったく聞く耳を持ちません。何か夢中になれる事を探してあげるのも無理そうです(何かを始めてもすぐに辞めてしまう。)
こういう人は依存症なのでしょうか。性格異常でしょうか。何が原因でこうなってしまうのでしょうか。解決方法はありますか。可哀想な人だと思いますが周囲が精神を病みそうです。

A 回答 (12件中1~10件)

買ったものをそのまま横流ししてくれるのですか?


ものにもよりますが、私だったらオークションに出品します。
ただで仕入れてお金が入るなんて最高じゃないですか。

その人は異常かどうかは知りませんが、そういう性格なのでしょう。
今度もらうときは、欲しくなければ断りましょう。無理矢理押しつけてくるなら、「もらってあげるけどすぐにお金にするよ」とでも言ってみましょう。どんな反応を示すか楽しみです。

無責任な解答ですいません。

この回答への補足

>買ったものをそのまま横流ししてくれるのですか?

新しく買ったものが半分くらいでと、長年しまいこんでいた古い不用品が半分くらいです。丁寧にお断りするのですが、断る方がおかしいように言われたり、冷たいとか、利己主義のように言われたりして、別のトラブルに発展しかねないので、半分位は断れないんですよね。(断らせてくれないというか)
自分は反省もせずにパッパ、パッパと衝動買いして、いらなくなれば人に押し付けて、断られれば非難する・・・。なんだかストレスです。

>ものにもよりますが、私だったらオークションに出品します。
>ただで仕入れてお金が入るなんて最高じゃないですか。

励ましてくださってありがとう。
日用品と食品がほとんどなので二束三文です。食品は売れないです。食品は見るのも食べるのも嫌になるくらい大量買いです。
日用品はとっておけば、いつかは使いますがいつ使うかもわからない物をずーっと収納しなければなりません。収納の限度を超えるので、新品の物はリサイクルショップに何度も売りに行きました。
お金が入って良いというより、時間の消費の方が上回ってストレスになっています。
日用品がどんどんたまる→収納の限度を超える→売りに出す→また押し付けられる。このような無駄な流通を繰り返す事が不快に感じます。
それで「日用品は必要な時に必要なだけ自分で買ってきますから、勝手に買ってこないで下さい。」とお願いしましたが、右から左なのです。

>今度もらうときは、欲しくなければ断りましょう。無理矢理押しつけてくるなら、「もらってあげるけどすぐにお金にするよ」とでも言ってみましょう。どんな反応を示すか楽しみです。

断る事は出来ますし、何度も断っています。あまり断ってばかりいると不機嫌になるので仕方なく5割5割で断るようにしています。その5割に恩を着せてきます。普段から良くしてやってるんだから、これくらいいいだろうとあつかましくしてきます。
只でくれるだけならストレスになりませんが、見返りを期待されますし、期待に添わないと不機嫌になり、いつもいつも新たなトラブルと背中あわせという感じです。

>無責任な解答ですいません。

いえいえ、あなたに責任はありません。長いのに読んで頂いてコメントを下さってありがとうございます。それだけでも、とっても嬉しいです!

補足日時:2006/11/08 17:25
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/08 17:28

家の収納には限度があるから、モノが増えないように生活するのは当然のことですよね。


わたしも普段から心掛けてます。

推測するにお姑さんですね?

善意でモノをくれるならまだしも、それで恩を売ったようにされたらたまりませんよね。迷惑キワマリナイって感じ。

やっぱり軽い依存症なんだと思いますよ。
わたしも仕事のストレスは買い物でバンバン発散させてました。
「ストレス解消になるし、買ったものを配れば恩も売れるしで一石二鳥」ってとこなんじゃないかな。

いらないものはどんどん捨てましょうよ。
にっこり受け取っておいて、いなくなったら即効ゴミ箱へ。
にやりとほくそ笑みながら。
そんで「普段からよくしてやってるのに」と言われても無視無視。
だってこっちは迷惑してるんだから。

おかしいのは相手の方なんだから、負けないで!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

そうですね。私も収納の限度を考えながら物を増やさないように心掛けたいです。問題の人は姑も含め5人いまして、私が一番弱い立場なので5人の衝動買いの後始末が一挙に私の所に来ている状態です。廊下、玄関、部屋など空間があればあっただけ物を置く人達です。私から見ればゴミ屋敷に見えます。「ご自由にお持ち帰り下さい」と書いてあったら、すべてを沢山持ち帰るという癖もあるので、もしお金持ちでなかったら本当のゴミ屋敷になっていたかもしれません。

>わたしも仕事のストレスは買い物でバンバン発散させてました。

miki0723さんの様にストレス発散の為と自覚して、買った後も責任を持つのでしたら良いと思います。あの方たちは無自覚で、どうしたら気付いてもらえるのか今の私にはわかりません。

>「ストレス解消になるし、買ったものを配れば恩も売れるしで一石二鳥」

親切の押し売りをされる事がこんなに嫌な事だとは思いませんでした。

>にっこり受け取っておいて、いなくなったら即効ゴミ箱へ。
>にやりとほくそ笑みながら。
>そんで「普段からよくしてやってるのに」と言われても無視無視。

そうですね。おっしゃるとおりだと思います。そういう問題を持った義家族をもつ日本のお嫁さんはそうやって上手くやっているんですよね。
でも、我慢と言うのは期限があるから出来るものなのだなあと実感しています。相手が存在する限りこんな事が繰り返されるのかもしれないと思うと不安です。
心では「いらないのになぁ」と思ってもにこやかに「ありがとう」と受け取って穏便にやり過ごす事もひとつの知恵ですよね。
自分は栄養や資源に興味があります。だしは自然だしにしたいですし、資源の無駄遣いをしないように心掛けるようにしてます。それらは私が普段の生活の積み重ねによって出来た自我?の一部でもあり、もらった化学調味料を使いたくないのに使ったり、資源を大切にしたいのにゴミに捨てたりする事は自分で自分を否定する行為であり、耐えがたいのです。
相手の欲求を満足させてトラブルを回避するか、自我を殺すか、死ぬまでこのような事が繰り返されると思うと絶望に近くなってきて、わずかな希望でも見出せないかと思っています。

お礼日時:2006/11/10 11:24

これは依存症なんです。


所有することだけを目的の場合は捨てられない症状が強いのですが、その人は人にあげたりはできるのですね。
だから買い物依存症に近いかな。買い物依存症はお金を払うところまでが目的である場合が多いようです。
お金を払って買ってしまうと、もうその物に興味もなくなります。
依存症の場合は、根本的な内面の原因が必ずあります。
寂しさとかストレスとかです。
それが解決しないと、買い物依存症や捨てられない症候群が治ったとして、また新たな標的を見つけてそれに依存します。
「何かを始めてもすぐに辞めてしまう」というのがそれを物語っています。
寂しさを埋めることが第一の目的ですから、何をやってもそれ自体に意味を見出せず、飽きっぽいのです。
こういった病気(といっていいのかわかりませんが)は、本人が自覚がないと改善することはまず不可能です。
依存症というのは強迫の一種で、強迫というのは恐怖から逃れるための代替行動が習慣づいてくると、ますます治りにくくなるという性質があります。
つまりその人の場合、寂しさという恐怖から逃れるために、買い物をすると、とりあえずその瞬間は満たされるわけですから、どんどんその快楽を追い求めて症状が悪化するのです。
麻薬中毒と同じです。本人はとりあえず一瞬でも満たされるので、それが病気だとか間違っているだとか自覚することはほとんどありません。
何の回答にもなってませんが、参考にしていただけたらと思い書かせていただきました。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。お礼が遅くなってしまいました。
買い物依存に近いのですね。お金が有るので湯水のように使っても本人達は危機感も無いようです。誰にも迷惑を掛けず自己責任で買い物してくれれば問題はないのですが、買った後の管理が出来ず人に押し付けてきたり、こちらが頼んでもいないのに勝手に人の物を限度が超える程あれこれと買ってきて「あげる」と言われるのが困りものです。
こういう人たちは寂しいのですね。本人達は寂しさを自覚していないようですが、根本的に無意識に寂しいのでしょうかね。何か始めて友達でも作ってエネルギーをそちらに割いてくれればと思うのですが。本人曰く自分は格式高い人間なので普通の連中と一緒に物事をしたくないというような事を言ってすぐ辞めてしまいます。これは良い訳で、本当は何をやっていても寂しさが埋まらないのですね。

>本人が自覚がないと改善することはまず不可能です。

そうなんですか、自覚無しのようです。とほほ(汗)
強迫観念っていうのありますよね。よく石鹸で手を洗わないと気がすまないとか。依存症というのも強迫の一種なんですね。なるほどです。

>つまりその人の場合、寂しさという恐怖から逃れるために、買い物をすると、とりあえずその瞬間は満たされるわけですから、どんどんその快楽を追い求めて症状が悪化するのです。

はい。悪化してるように思います(汗)
こんなによくしてやってるのに辞めて欲しいと言う方が悪いと言われてしまい、迷惑なそぶりを小出しに見せているのに遠慮どころか、まだ行けるまだ行けると、一線を超えてこちらが爆発するまでとどまる事を知りません。こんなことをしていては人は離れていくので益々寂しくなって悪循環だと思うのですが。

>何の回答にもなってませんが、参考にしていただけたらと思い書かせていただきました。

こういう人たちをどう理解したら良いのかという参考になりました。どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/11/14 10:01

すごく大変ですね。


自分がその立場だったらと考えるととても怖くなります。
あまり改善策が浮かばないのですが…。
1.誰か、その人より強い人に注意してもらう。
2.もっとハッキリと「欲しくないものをもらうと心の底から迷惑」といった風に言い切る。
3.逆に、迷惑になりそうなもの(もしくは以前にもらった日用品)を、「いつも頂いているので」と何度か押し付けて恩を売ってみる。

たぶんその方は口でいくら断っても、本心は喜んでいるはず、と考えていると思います。
だからいつか、その方がお金に困ったりしたら「あれだけ良くしてやったのだから」と言い寄られるかもしれません。
その方をどうにかして変える事ができればよいですね。
もしくは、なるべく苦労せず、あなたがその人に恩を売ることによって
あなたの精神的疲れが緩和されるのではないかと、感じました。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまいました。ご回答ありがとうございます。
状況を理解していただきありがとうございます。暴力や苛めなら世間から理解されますが、こういう事はなかなか理解されないんです。日常で物をあげたり貰ったりする事は誰でも経験あると思うのですが、それは回数も量も少ないから不快に感じないのだと思うのです。限度を守れば良いと思うのですが、この場合は量も回数もすごいのです。
親に保護されている子供時代は全て親に与えられた物で生活しますが、大きくなるにつれて、中学生くらい(もっと早い人もいるでしょう)から、親が選んだ服なんて嫌だとか、こういうボールペンを使いたいなど、自分で選んで決めたくなります。それが自立した大人でありながら小学生以下の扱いを受けるわけです。貰ったシャンプーで髪を洗い、貰った化粧品を使い、貰った服を着て、貰った調味料、食材、鍋で料理して、貰ったスポンジ・ゴム手袋で、貰った食器を洗う・・・こういう生活を続けてると屈辱的な気持ちになってきます。感謝しないと「可愛がってやってるのに。こんなに良くしてやってるのに。」と言われて、なんだか飼われているペットにでもなったような屈辱的な気持ちになるんです。

>1.誰か、その人より強い人に注意してもらう。
そうですね。考えてみます。
>2.もっとハッキリと「欲しくないものをもらうと心の底から迷惑」といった風に言い切る。
迷惑な気持ちは小出しにしてるので、普通でしたらトラブルに発展する前に気付いて遠慮すると思うのですが、「迷惑です!」とハッキリ言わないと駄目なんでしょうかね。あまり言いたくないのですが、考えてみます。
>3.逆に、迷惑になりそうなもの(もしくは以前にもらった日用品)を、「いつも頂いているので」と何度か押し付けて恩を売ってみる。
これは一度やってみました。下着を買ってこられたので、下着をお返しに買ってあげたのですが、また下着を買ってきました(涙)
>たぶんその方は口でいくら断っても、本心は喜んでいるはず、と考えていると思います。
そのとおりです。
困った時は助けて合いたいと思っているのに、先に親切の押し売りをされて迷惑かけられては、この先困った事があっても助ける気持ちが起きないのでは無いかと自分を疑ってしまいます。
恩着せには恩着せで返すという対処ですね。いろいろ考えてくださってありがとうございました。

お礼日時:2006/11/14 11:03

お金が有り余っていらっしゃるようで羨ましいです。



こっちは万年財布の中身とにらみ合いで、欲しくても全然買えないものの方が多いのに・・・。

この回答への補足

ありがとうございます。
問題のある相手の心理状態がわかれば、ものの見方を変えることが出来て、何か良い方向に変えることが出来るかもしれないと思い質問させて頂きました。

>欲しくても全然買えないものの方が多いのに・・・。

“・・・”点々で省略されていますが、その中に入る言葉は大体想像が付きます。私の質問は、このような方がいらっしゃるという事を考えない軽率な質問だったのかもしれません。申し訳ありませんでした。

補足日時:2006/11/10 11:25
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/10 11:34

「買う」という行為は、本来「物を手に入れる」のが目的ではありますが、心理的な側面も大いにあるだろうと思います。



お金に限らず「持っている」ということは「保存エネルギー」を消費することになります。
一個の茶碗が形を為しているのは、物質の元素が保存エネルギーによって茶碗の形を維持しようとしているから、と考えることが可能です。
気分がむしゃくしゃしている時に、この茶碗を壁などに投げつけると割れますが(物凄く丈夫な茶碗もあるかもしれませんが、そういう可愛げのないものは茶碗とは呼ばないでしょうね)、
これは保存エネルギーよりも安定を求める力が強くなったためです。
表面的には茶碗の「破壊」という行為になるわけですが、茶碗を構成する元素自身にとってみれば保存エネルギーを使う必要性から解放されて「安定した」と言えるわけです。
これが、茶碗を割ると気分がスカッとする理由でしょう。
物質を安定させてあげたのですから良いことをしたわけで、実際的にもその茶碗を洗ったり拭いたり戸棚にしまったりなどの余計な手間が省けます。
逆に言うと、茶碗の形のまま保存されているうちは、茶碗が保存エネルギーによって維持されているという緊張感を常に引き受けることになります。
物を捨てると気が楽になるのはこのためです。

ところで、お金というのもある目的を持った「物」に変わりありません。
茶碗の場合はお茶を飲むとか、たまには熱燗が注がれたり、ご高齢の方であれば時には入れ歯を入れてみたり、などといったぐらいの使用目的しか見出せないでしょうが、お金の場合はちょっと(お金持ちであれば「ちょっと」とは言えないでしょうが)違います。
「(何かを)欲しい」という【欲求を満たすことができる】というのが最大の特徴でしょう。
特に必要とは思えなくても「何か買ってしまう」のは、お金というものを安定的な状態にしようとする心理が働いていると考えるのが妥当なように思われます。
「お金を使う」=「お金を無くする」という行為は、「茶碗を割る」という行為と通底する意味があるわけです。

欲しいという欲求は欲しいものがあるから発現するわけですが、これは精神的にバランスのとれた人の話です。
精神的バランスが崩れるというのは、本能(快・不快)、自我(損・得)、超自我(善・悪)のどこかが過剰か過少になると考えても良いと思います。
ただ、完璧なバランスを保っている人間はおそらくいないでしょうから、必ずしも精神的な疾患という意味で申し上げているわけではないのでその点は誤解されないようお願いいたします。
上に挙げた3つの要素の総合は個人の中では1と考えるべきですから、この1に対してそれぞれが、例えば「0.35:0.4:0.25」などのような割合を受け持っていると考えることができると思います。
当然、ある要素が減ると他の要素は増えます。(無論、逆もあります)

その方は、お金を使う(安定させる)ことによって「快」を得ているわけでしょう。
ある意味で言えば、ご本人は非常に超自我的に寂しい(他人からすれば倫理観の無い)方なのでしょう。
その方の超自我を目覚めさせてあげるのが最も有効な方法のように感じます。
ユネスコなんかに対する寄付などを勧めてみてはいかがでしょうか。
外国の子供たちからのお礼の手紙などはこの方面の満足感を与えることができるかもしれません。
勧め方は難しそうですけれども、周囲がその行為に注目して誉めることが必要でしょうね。

現在は、「お金を使うという欲求」を満たしつつ(快)、「自分というものの存在」をアピールしながら(得)、「他者による感謝」まで得ようとしている(善)、非常に厚かましい方だという判断が可能かもしれません。
うまく行かなかった場合は、ご自分がユネスコの子供になったつもりで、感謝してもらっておくしかないかも・・・。
きっちりお返しを求めてくるでしょうが、「持ち上げる・おだてる」というのはお嫌いでしたよね・・・。
一番手軽でお勧めなんですけれどもねえ・・・。
考え直してみませんか?
ある日相手の気持ちが氷解する可能性もあるように思うんですけれども。
(精神的な)寂しさが埋められていることに気がつけば。

いずれにしても、相手を撥ね付けるつもりでいると良い解決にはつながらないでしょう。
相手のエネルギーをうまく逸らすことが肝心ですが、一筋縄ではいきそうにないですね。
無責任なようですが、「行為を恨んで、人を恨まず」という気持ちで雪解けを待ちますか・・・。
すっぽり殻をかぶってしまうのも最終手段としては残されていますけどもねえ・・・。

この回答への補足

ありがとうございます。

>ご自分がユネスコの子供になったつもりで、感謝してもらっておくしかないかも・・・。

ユネスコの子になったつもりで受け取り、ユネスコの子の代わりに感謝するという意味でしょうか?
 あるいは、ユネスコの貧しい子の状況を考えたら、恵まれているのだから感謝すべきだということでしょうか?

>、「持ち上げる・おだてる」というのはお嫌いでしたよね・・・。

の“・・・”点々には、どんな言葉が続いているのでしょうか?

>一番手軽でお勧めなんですけれどもねえ・・・。

の“・・・”点々には、どんな言葉が続いているのでしょうか?

> という気持ちで雪解けを待ちますか・・・。

の“・・・”点々には、どんな言葉が続いているのでしょうか?

> 最終手段としては残されていますけどもねえ・・・。

の“・・・”点々には、どんな言葉が続いているのでしょうか?

“・・・”点々に、意味は無いのでしたらすみません。
それか、私は鈍感なのかもしれません。

急ぎませんので、もしよければ補足回答いただけますでしょうか。申し訳ありません。

補足日時:2006/11/10 09:44
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまいました。ご回答ありがとうございます。
物をためこむのは保存エネルギーを消費する、そして耐えられなくなって「安定」したくなるのですね。納得です。例えばうちではYシャツが数えてみたら60枚以上あったのですが(私が買ったんじゃないです)使うのは結局5枚程で後は年中洋服掛けの端から端まで占領されて管理(押入れがビチビチで通気性が無くカビも発生しました。)が非常に大変です。そういうのはYシャツだけではないので本当に年中気が重いです。
お金というのもそうなのですか。私から見ましたら問題の方々は裕福ですが日常的にいかに人の目をごまかしてお金を搾取するかで動いているので(入場料、乗車料、等等)。どうもお金が余っている(例えば税金対策など)から手放したいという様には見えないのですよね。物やお金が余っているなら募金や寄付の情報に当然目が行くと思うのですが考えていない様です。
>当然、ある要素が減ると他の要素は増えます。(無論、逆もあります)
という事は、ある要素(超自我)を増やしてあげるという事ですね。
ユネスコ。私も考えたんですけど、「TVで世界が百人の村だったらをやっていたのですけど・・・。」と話題をふったところ「・・・(まったく別の話題をしだす)。」(へ?!)という感じで至近距離での会話だったのですけど話題を変えられて無視(またはボケてる?)されたので、あきらめていましたが考え直してみます。
>「持ち上げる・おだてる」確かに嫌いですね(^^;)子供だましみたいで。でも私よりは人生経験が長いであろうhakobuluさんが【一番手軽で有効】とおっしゃるので信じてみます。
>ある日相手の気持ちが氷解する可能性もあるように思うんですけれども。
(精神的な)寂しさが埋められていることに気がつけば。
そうなんですか。そうだと良いのですが。
>「行為を恨んで、人を恨まず」←その行為をしてる人がその人だから難しいですね(汗)
>すっぽり殻をかぶってしまうのも最終手段としては残されていますけどもねえ・・・。
殻をかぶるとは、接触しないということですか?すみません、また聞いてしまいました。

お礼日時:2006/11/14 14:33

#6です。

補足拝見しました。

1、>ご自分がユネスコの子供になったつもりで、感謝してもらっておくしかないかも・・・。
ユネスコの子になったつもりで受け取り、ユネスコの子の代わりに感謝するという意味でしょうか?
 あるいは、ユネスコの貧しい子の状況を考えたら、恵まれているのだから感謝すべきだということでしょうか?
:そういうつもりではありませんでした。
『気まぐれにせよ、その方は他人に何かを与えることによって満足感を得ようとしていると思われるので、ユネスコなどへの寄付が実現できれば両者にとって有効なわけですが、それができない場合はあなたが代わりにその愛を受け取り、形だけにしろ感謝の念を表わしてその方の気持ちを満足させてあげるしかないかもしれませんね。』
という意味です。
因みに、この場合の「・・・」は「お嫌でしょうけれども」というニュアンスです。

2、>「持ち上げる・おだてる」というのはお嫌いでしたよね・・・、
:「でも、嫌いとわかっていて勧めるのも何なんですが、良い方法なんですけどもねえ」
といったような言葉が続くことになります。

3、>一番手軽でお勧めなんですけれどもねえ・・・。
:「どうしても嫌でやってみる気にはなれませんか」
などという言葉が続くことになるでしょう。

4、>という気持ちで雪解けを待ちますか・・・。
:「どうしても解決に至らない場合はそういう気持ちで耐えるのもひとつの方法です。
そんなことは無理だとおっしゃるかもしれませんが。」
といったようなニュアンスが込めらていることになります。

hontyanさんはどうもその方との対立意識が非常に強そうなので、「こうすべきだ」という断定口調よりも、ご自身の自主性を尊重した表現の方が適切ではないか、という感覚が私にあったようです。
婉曲表現のつもりでしたが、結果として歯に衣着せたような表現になってしまったわけで、ご不快に感じられたようでしたら申し訳ないことをしたと思います。
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この回答へのお礼

補足のご回答、早速ありがとうございました。それなのにお礼が遅くなり申し訳ありません。
わかりやすくご説明していただいて十分わかりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/13 17:11

性格異常と言ってしまうのは極端な気がしますが、その方はきっと心が満たされていない方なのでしょう(月並みな言い方ですが)。


買い物依存やゴミ屋敷にしてしまう人というのは、空間にモノが充満していると完璧に思え、少しでも減る(スペースができる)と不安になり、不安になると不安を埋めてくれる次のモノを補填してしまうのだと思います。悪循環ですね。
また、他人にもモノを押し付けるというのであれば、モノを介しての人間関係の構築しかできない方なのかもしれません。店員のノルマを達成させるとか、モノをあげることで充足感を得るというのは、それで自分の存在価値をはかっているし、それしか自分の価値がないと思い込んでしまっているのかもしれません。モノをあげなければ自分は誰にも必要とされない、という心境なのかも。

もし機会があれば、その方の「モノとは関係ない部分」で褒めるとか話題を出すとか、その方の自己評価を高めていく方向で接していけばいいかもしれません。もちろんこれは相談者様だけがするのではなく近所の方や自治会などで協力する必要がありますが…。「そこまでその人の面倒は見たくない」という場合も、決してその行為をあからさまに非難しないほうがいいと思われます(後々近所トラブルに発展しかねないので)もらってしまった物は見つからないよう廃棄するか、オークションやリサイクルショップ、学校のバザーや地域のフリマ等でこっそり処分してはいかがでしょう?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
そういう人は空間に物を充満させて心を満たしているんですね。物が少なくてシンプルに生活した方が豊かな心でいられると思うのですが、感性が違うのでしょうか。やりすぎると人から避けられるから益々寂しくなって悪循環ですよね。
>それしか自分の価値がないと思い込んでしまっているのかもしれません
物を介す事で必要とされようとしているんですか。ということは他人に対しては「物をくれる人は良い人」だと逆に思ってるのでしょうか。
>その方の自己評価を高めていく方向で接していけばいいかもしれません。
そうですね。くやしいけど、それが有効そうですね。
物を捨てるのは勿論気が重いので、リサイクルなどで物はこっそり処分してはいるのですが、時々「あの時あげたアレ返して。」とか「あげたアレどうしてる?」「使ってないみたいだけど、使ってね。」と、あげた先の事まで心配される時がたまにあって処分するにも気が重いんですよね(汗)。
いろいろ考えてくださってありがとうございました。

お礼日時:2006/11/14 14:49

#6です。

ご返事ありがとうございました。
>殻をかぶるとは、接触しないということですか?
:はい。諸般の事情が許されればそういう手段も残されているということです。
しかし、なるべく強引にならないような解決方法を模索するほうが、多面的な要素を考慮した場合(あるいは長い目で見た場合)、結局は得になるでしょう。

話は少しずれますが、
hontyanさんは人に好かれる(可愛がられる)タイプのような気がします。
文面から純粋性を感じますね。
ひょっとして末っ子さんでしょうか?
あるいはお兄さんかお姉さんがいらっしゃる?

それはさておき、
色々と押し付けられて確かにえらい迷惑でしょうが、そういった人たちにしても物を上げる相手は選ぶでしょうしね。
相手が喜ぶことが(たとえ無意識にせよ)自分の喜びにならないような人には決して上げたりしないでしょう。

この回答への補足

少し言い訳させてください。
人が人に何かを働きかけた場合、必ず何かしら反応(例えば“YES”“NO”“わからない”等)が返ってくると思います。
ここで言うYES・NOの解釈は【頼まれごとにOKした(YES)】や【好意的な表情(YES)】や【嫌がって悲鳴をあげた(NO)】あるいは【言葉ではハイと言ったが迷惑そうな顔をした(NO)】など色々な意味を含みます。
相手の反応というのは相手のものです。反応に対してどう感じるかは自分のものです。これを踏まえたうえで次のやり取りを当てはめていくと、
向こうのお節介に対して「NO」と返した場合「あなたはNOなのね、わかった。」となると思うのです。それで残念という気持ちが湧く人もいると思いますが、残念な気持になった側が自分で起こした感情であって、NOと言った側がその人にそのような感情にさせたわけではない。だから人に対して何らかの働きかけをする時は自分に好ましくない反応も返ってくるかもしれないということと、相手の返答によって起こる気持ちは自分で処理しなければいけないということを踏まえなければいけないと思います。
ところが、問題になっている人達の場合は
◇(相手が自由にYES/NOと言う事を否定する・自分に都合の良い返事しか認めない)→ 断る方が間違ってる、可愛がってやってるのに!、YESと言うべきだ、などという。
◇(相手の率直さを尊重しない)→ 困らせてやろうと思ってわざわざNOと言ったわけではないのに、人の好意を踏みにじったなどと非難する。
◇(思い通りにならなくて嫌な気持ちになった事を相手のせいにする)→ 利己主義だ!冷たい人間だ!(私を嫌な気持ちに“させた”どうしてくれよう!冷たい・利己主義だと言われたくなければ私を嫌な気持ちに“させるな”)
と、長くなりましたが、こんな感じです。

だんだんわかってきました、何が問題なのかが。
相手が人のものまで沢山買ってくる、管理できなくて人に押し付ける、というのも迷惑極まりないですが、何が一番問題かと、それは【自由にYES・NOを言ってはいけない】【相手の思い通りの返答しか許されない】という事が問題という気がしてきました。支配的というのでしょうか。
>hontyanさんは人に好かれる(可愛がられる)タイプのような気がします。
>自分の喜びにならないような人には決して上げたりしないでしょう。
ありがとうございます。しかし可愛がられるタイプだから物をくれるとは思えないのです。自分の思い通りにならないから「可愛がってやろうと思ったのに!」と言いがかりをつけてるだけなのだと思います。
でもhakobuluさんは「相手も可愛くない人にはあげないでしょうから、ものは考えようですよ。」と、気持ちを楽にしてくれようとしてくださったのですね。ありがとうございます。しかし私は利害関係(職場や学校や契約上の関係)ではない相互関係(友達や家族など)で「可愛がる=可愛がられる」という関係は成り立たないと思うのです。「支配する>支配される」を意味すると思うのです。「可愛がる=可愛がられる」が成立しているうちは良いと思うのですが、『可愛がられる側』が「可愛がる側」の期待に添わなかった時に「可愛くない!」あるいは「飼い犬に噛まれた」という感情になると思うのです。期待に添わない事が多くなってくると関係はいずれ破綻すると思うのです。
買い物しすぎて人に押し付けてくる人はどういう心理状態なのかというのが勿論質問したかった内容ですが、「自分は自分、相手は相手」と線引きできない人に対してどう対応したらよいのか?という疑問も改めて湧いてきました。時間があったらまた人間関係か心理学かで質問してみたいと思います。
すみません、また長くなってしまいました(^^;)

補足日時:2006/11/16 16:45
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この回答へのお礼

何度もお時間を割かせてしまい申し訳なく思います。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/16 16:50

大きな話になります。


人間社会というのは、欲望の追求で成り立っています。特に20世紀に飛躍的な生産増大と人口増加、産業構造革命などありました。19世紀的な、ものがない時代、人が増えられない時代、そういう時代からはなれてしまったのです。いまの社会問題が時としてこういう形で噴出します。これは、全人類的問題です。

考えてみてください。われわれ正常人?だって無駄なもの買い込みますよね。商品が巷にあふれて、それがまっとうな値段ですからね。欲望におぼれるとものにおぼれることがいとも簡単にできる社会です。

これをどうするか。結局内面を重視できるような意識革命しかないでしょうね。でも、物の価値観に支配されている状態から、そんな転換を起こすのは、まったく難しいことです。今その方のためにできることは、経済封鎖、といいますか、支出を抑えるような人工的な強制をさせるしかないでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>人間社会というのは、欲望の追求で成り立っています。
>いまの社会問題が時としてこういう形で噴出します。
そうですね。もっと楽したいもっともっと・・・その追求のおかげで今の便利な生活が送れていると思います。
それを『正』と言うならば、『正』だけ増えれば良いのですけど(今から全自動洗濯機をやめて洗濯板で手洗いしなさいと言われたら、絶対出来ませんから。いえ二層式洗濯機にさえ戻れません^^;)
『正』が増えれば、それに対する『負』も形を変えて出てきますね。モノあまり時代、このような問題は多いでしょうね。
うちのカレンダーの30日に「ありがとう ご苦労様 豊かになった 社会から感謝が消えた」と書いてあります。モノが無くて隣人と助け合わなければならなかった時代は、ひもじさはあっても寂しさはあまり感じなかったのかもしれませんね。だから買い物依存症なんていうのは無かったでしょうね。
>支出を抑えるような人工的な強制を
出来れば良いのですけど。
いろいろ考えてくださってありがとうございます。

お礼日時:2006/11/17 11:20

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