アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

●口紅、パンティ、スカート、そして、わたしの身体、性器。
 すべてが、わたしを陶酔させているように感じてなりません。
 いくら、男を知っても、いくら自分で自分の女をなぐさめて、
 日に何度イコうとも、この胸のドキドキは止んでくれません。
 これは、陶酔なのでしょうか?それとも、はずかしいのですが、
 わたしの本質なのでしょうか・・・?

 みなさんのご経験とアドバイスを教えてください。

A 回答 (11件中1~10件)

>昇華と浄化とは 具体的にはどのような事を指し どのようにすれば よろしいのでしょか?


chihokoさんの崇高なる哲学的欲求を充足するためにURLをプレゼントします。

>この陶酔を なんとか利用できませんでしょうか?
>この陶酔におけるこころの安定は イッているときの20秒くらいだけです。
その陶酔を有効利用すれば、魂の成長の機縁となるでしょう。

参考URL:http://www3.justnet.ne.jp/~ekorange2001/zuisou.h …
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この回答へのお礼

●こんなレアなHPをどうやって見つけられたのでしょう・・・。
 貴重なURLを ありがとうございました。

 ただ この方が忘備録に 書かれていることはすでにわたしは 通過している
 ことばかりで むしろ助言したくなります。

 ■忘備録をつくっては ならないこと。忘備録は ことばに縛られてしまう
 状況をつくりだすこと。常に今を生きることが大切です。
 ■いやな事を乗り越えるために 感情をコントロールすることを止めること。
 感情は 大切なもので たとえマイナスの面を感じてもその感情にとりあえず
 添うのが人生を豊かにする事実に気づかなければなりません。
 感情がたかぶって眠れなくて こまるのは 外科医のような人の命にかかわる
 仕事を抱える人たちです。そのような方方もいずれは その仕事をロボットに
 かわってもらうべきでしょう。人間はきのう眠れなかったことを ミスの原因として
 すなおに話せる状況が 程よい状況なのです。
 ■性について まったく触れられていないのは 手落ちです。
 これが いちばん大切なことなのです。ほかは 余興であることに気付くべきです。

●自分の魂の成長とともに 性器のもつ魂を解き放ってあげたいのです。
 分別とは そのためにあるといっても過言ではありません。
 これは 永遠のテーマです。たとえ60を過ぎようとも わたしは擬似ペニスを
 股を大きく開いて 激しく出し入れする女でありたいとおもいます。
 そんな女は nyozegamonさんは お嫌いですか?

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/28 15:28

  


 この問題は、哲学者のchihokoさんとしては、避けては通れない道なのでしょう。 ご自分の立場などを全く問題とせず、真理を追求するために、女性としての恥じらいをもろともしない、その気高い姿勢に、唯々感嘆するばかりです。 そして、架空の物語まで作り上げた上で、積極的に論証を求めようとする姿勢、知への欲求の貪欲さに頭が下がります。

 私が常々感じている事は、その感受性の鋭さです。その鋭さの本質には、幼児の如き純白な心があるためなのでしょう。大人であるにもかかわらず、そのような境地に達しているということは、私にはまだ到底知りえない、或る1つのステージを越えてしまったからなのかも知れません。 そして、それはおそらく宇宙の法則(真理)に同化して、自分の思うがままに思考・行動しているということなのでしょう。

 人として生きるからには、社会的立場を考えた最低限の理性に無意識的に縛られてしまうことが普通です。何度も申しますが、目的のためには手段を選ばないその気高い姿勢に敬意を表します。

 今回は、回答でもアドバイスでもなく、単なる私の雑感にとどめさせていただきます。
 
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この回答へのお礼

●感受性の鋭さのおいては aoihoshiさんも抜きん出た才をかんじますよ。
 句読点の使い方から 洞察されるその鋭さは啓示コロンボを連想させます。
 実は恥じらいをもろともしないのではなく 恥をさらすことでさらなる陶酔に
 入ろうとしているのです。わたしにもうすこし恥をさらさせてください。
 そうして もっともっと深い陶酔の世界に 堕ちる快楽をください。
 きょうも わたしは陰唇を開いてパンティをはきます。
 生地の感触を直にたのしむために・・・。 その楽しみが 
 してはならない行為によりのみ
 実現している不思議に胸を高鳴らせているのです。
 生地の快感は生地から来るのではなく たぶん見られたら恥ずかしいという
 性器の人格としての 交接に対する期待のようなものではないのでしょうか・・・。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/28 11:14

いくら食べても飽き足らず、また消化不良も起こさない胃袋のごとく実に素晴らしいです。


では、そのエネルギーをどう処理するかという事ですが、よく言われるのが「昇華」と「浄化」だと思われます。

下記URLが、哲学的思惟の参考になれば幸いです。

参考URL:http://www.de-lune.com/c08.html
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この回答へのお礼

●参考URLを 読ませていただきました。
 昇華と浄化とは 具体的にはどのような事を指し どのようにすれば
 よろしいのでしょか?わたしは この陶酔から抜け出したいわけではなく。
 なんらかの言葉と出会い つぎにいきたいとのぞんでいるのです。
 この陶酔からぬけているときは性器を 普通に三回くらいイカせてあげれば
 だいたい落ち着きをとりもどせるのです。また その状態にもどるのは
 いつもきまって 世の男性たちのふがいなさに失望することで始まります。
 ただこの陶酔は 自分の意思では終わらせられないし その方向にもっていく
 てだてもみつからないのが いままでです。探してもいませんけど・・・。
 だいぶ前になりますが やはり陶酔に襲われているときテレクラにはまってしまい
 主人に内緒で三ヶ月で百人以上の男性とSEXした経験があります。
 そのときは毛じらみをもらってしまい。また 主人がクラミジアに感染しました。
 どういうわけか、わたしは陰性でしたけれども そんなことで醒めました。
 テレクラはそれ以来していません。リスクの割りに たいした男と出会えない
 からです。今回の陶酔もいずれおわることはわかっています。
 終わってしまえば なかったも同じで もう普通です。
 この陶酔を なんとか利用できませんでしょうか?
 この陶酔におけるこころの安定は イッているときの20秒くらいだけです。
 ほんとうに罪深いわたしの性器をお救いください・・・。

 ご回答ありがとうございました。
 

お礼日時:2002/05/26 10:44

一度の行為では満足させることは出来ない、と覚悟していましたので再度のカキコミです。


例によって皮肉っぽい表現も含まれていますが、今の貴方に水を差す意図はありませんので安心して先に進んで下さい。

誰が何時何処を歩いてそう言ったのか「全ての道はローマに通ず」という言葉を聞いたことがあります。それだけローマが重みや影響力をを持っていたことを誇張した表現ですが、今の貴方は「全ての着衣は性器に通ず」状態です。
アッピア街道を西に逸れ畦道を1kmほど行った所にある畑を耕す農夫が、兵士の凱旋騒ぎを横目に何を思ったかは知る由もありませんが、chihokoさんの卵巣って腫れていませんか?

イクは空に近い原初的な領域の振るえで普遍性のある現象でしょう。ヒンドゥー教のミトゥナ像(交歓の姿)に見られるように、性の快楽は生への至福の象徴でもあります。現在の貴方は、生ける日常ミトゥナ像状態に近いと見ることも出来ます。
制約の多い現代日本でよくぞそのステージまで昇ることができたと、皆さんが手を合わせ拝んでもなんの不思議は無い位に思います。
ですからその時は哲学など気にせずに、快楽は快楽それとして浸るべきです。

僕が心配するのは、相方や日常とのバランス、卵巣と性器の腫れ具合だけです。
それさえクリア出来るなら、私のことは忘れてお似合いの人と、真のミトゥナ像状態を形成してみてください。
今回は、おまけとしてURLをプレゼントします。

参考URL:http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/photo-india/p-30.htm
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この回答へのお礼

●たのしい そして さらにむらむらしちゃう「おまけ」を
 ありがとうございました。(笑。)
 卵巣は腫れているかわかりませんが 性器の外見がはれることってあるのですか?
 いじりすぎて 血がティシュに滲むことはあっても ひと寝するともう普通。
 この脅威的な回復力も また陶酔の要因のひとつです。
 性器の外見のことがでましたので お話いたしますが。
 実は自己陶酔のいちばんの引き金が外見なんです。五年くらい前でしたでしょうか
 やっぱりそのときもムラムラが取れなくて 特に激しくいじったんです。何度も
 いったあとで さわってみると なんか膣の入り口のひだひだがそとに出てきた
 ように感じたんです。鏡で観察してびっくりでした。尿道もすずめのくちばしの
 ように5ミリくらい開いてるし、尿道の周りやすこし上の方までひだが
 出来ていたのです。膣はすこしだらしなくひらいていましたが外には出てきては
 いなかったのです。また 膣の入り口のひだひだもわたしの記憶とちがってて
 その溝が深くなっていることに その時気が付いたのです。二人目の子供を
 産んでから七、八年です。性器はもっと子供を作りたがって 男を喜ばせるように
 進化したように感じました。それでも子供を作りませんから どんどんどんどん
 卑猥になります。わたしのこころもその影響で どんどん卑猥にならざるをえない
 わけです。口腔を舌でいろいろさわってみてください。
 やはり細かいですがひだひだが あります。のどの奥まであります。
 食感を楽しむためのしくみだとおもいます。でも どれほど食べてもひだひだは
 深くはなりません。いかに性器が罪深いものであるかの証明です。
 その罪深い性器を誰にも見せてはいけない身体の中心に わたしは抱えているのです。
 ひとりになって その性器に語りかけ 慰めてあげるわたしが陶酔してしまうのも
 無理のないことだとおもわれませんか?

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/25 22:51

その現象は、肉体と精神の二元論の本質ではないでしょうか?



仕事・抗争等、対外的に危機的状況がある時は精神が(肉体の)外を向き、
概して肉体は精神に振り回されます。(肉体の存在を意識しない)

それがない場合、概して精神は己の肉体に振り回されます。
しかし、落ちるところまで堕ちないのは精神の力が止まないからでしょうね。

~人間に課せられた宇宙創造神からの賜物だと思います~

この回答への補足

●身もこころも快楽に浸っている時 そのままイッたら死。
 途中でやめれば 生きれる。その選択を迫られたとき
 わたしは 必ず止めれる自信は ありません。
 陶酔とは ときにそれほどまで 深まる危険をはらんでいると思います。

補足日時:2002/05/26 00:13
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この回答へのお礼

●スターリングラードという映画をご存知ですか?
 この映画では 戦場でのSEXが描かれます。
 ごろ寝しているなかで ほかの人に気づかれないように挿入するのです。
 また アカデミー賞をとったシンドラーのリストでは
 収容所での監視のない少しの間にSEXをします。
 しかも こどものいる前でです。こどもは 後ろを向かされて
 こどもの背中を見ながらでも 挿入するのです。
 立場を変えて いいかえれば そのような危機的状態でも
 女は 挿入されたいものなのです。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/25 22:24

 


 いつになく、読点を使っている文章を拝見すると、刹那的な心の叫びを感じてしまいます。
 (・・な~んて、そんな事はありませんよね。)

 私見ですが、飽くなき欲望は、「輝き」を保つための必須アイテムだと思います。常に円滑な社会生活を営んでいるからこそ、潜在意識が均衡を保とうとして、意識に訴えかけているのでしょう。

 トキメキを感じなくなったとしたら、それは心の老化であり、延いてはその人のファッション性が失われます。 そうなれば、当然その人の交際範囲も縮小されてしまう事でしょう。 年齢にかかわらず、常に美を意識する事は、限りある人生を有意義なものにするためにも重要であると考えます。
 
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この回答へのお礼

●ああ aoihoshiさんのお言葉は わたしの不安をすこし和らげてくれました。
 でも この胸のドキドキと 性器のむらむらは どうして取れないんでしょう?
 むしろ 増しちゃいました・・・。本当に二児を産んだ性器なのに、いけないことです。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/25 10:00

>ここで、わたしがいうところの陶酔とは、自分を取り巻くすべてが


>同じ方向を向いていて 抜け出せなくなるような すこしの不安のことなんです。

これは、私たち以外の人たちが昔から経験していることだと思います。
いままでそういうもの、人たちがchihokoさんのまわりにいなかっただけではないでしょうか。
抜け出したいと思ったら、このサイトで自分とまったく意見の違う回答者の回答履歴を見てみるといいと思います。
わたしは最近これをやるようになりました。
学ぶところがあるのかないのか、見極めることができます。
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この回答へのお礼

●問題なのが 意識のファッションなのであれば わたしなら簡単に抜け出せます。
 でも いまわたしが提起している問題は わたしの性器から漏れ出す本能レベルの
 難題なのです。人間には あらゆる欲求が存在しますが わたしはプライドすら
 簡単にすてることのできる柔軟性を持っていると自覚しています。
 でも わたしの性器は 他の欲望ほど弱くはないのです。
 そこが わたしの性器のいけないところなのかもしれません。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/25 09:55

はじめに、以下の文章が哲学的かどうか判らないということと、的外れになっているかもしれないことをお断りしておきます。



もしかすると、過度に思えるその行為や感覚は心理的な代償行為なのでしょうか?
トラウマや精神的な欠落感を穴埋めするために、何事かにのめり込むということも多いようです。そのとき貴方が積極的な性格で、強い愛情や性的魅力を兼ね備えていれば、言われるようなことが起きても不思議はない気がします。
このことが当てはまっているとするならば、、アドバイスを求めているのが何処までの範囲か分からないのですが、もし現状を変えることまでを含むのであれば、カウンセリング的な方法もあるかと思います。
それを個人で行う場合は、まず原因となる記憶を努めて客観的に呼び起こし、何が起きたのか、その原因、そのとき自分に出来たこと、出来なかったこと、それからどうしたか、そのことで自分や人を責めすぎてはいないか、今の自分に出来ること、等を記すなどして考え、その出来事を理性的に受入れ解決を図るのがよいと思います。

また「 SEX は癖のようなものだ」と言った人がいて、成る程と感心したことがあります。
脳内快感物質が関与するという点では、タバコ呑みがタバコをやめられないのに似ています。
誇れるほどの経験は持ち合わせていませんが、この点では自分にも思い当たる節はあります。
快楽を求める行為を意図的に主義にまで高めてしまうと、ことが昂じて今のような事態も起こり得るかもしれません。
その場合貴方が置かれている状態は、#1の方の言い方をお借りしますと(URL読ませていただきました)、他者を媒介したりしなかったりして、自己の確認や実現をしていることになるのでしょうか?

お尋ねの件ですが、貴方の本質は性(さが)よりも、陶酔を見つめつつこの問を投げ掛け答を求める、極めて率直な chihoko さん自身にあると思います。

それにしても大胆ですね、ギリシャ神話の人生相談いや神性相談のようです。
お役に立ちましたでしょうか?
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この回答へのお礼

●たぶんカウンセリングを受けたとしても、逆にカウンセラーをカウンセリングして
 しまいそうです。すこし具体的にお話しましょう。
 どうでしょう?性的快楽とは、規範やモラルや既存の概念を飛び越えたところに
 あるとおもいませんか?わたしの場合その快楽の行く先を性器が教えてくれます。
 スカートもガーターベルトもいつでもどこでもSEXできるように考案されて
 いるところに気が付きます。暗にその機能が見えるから 魅力となる一面を
 持っていると思うのです。そのように考察をすすめると あらゆるものが
 性の快楽に向かっているように思うことも可能です。つまり、わたしが言う
 陶酔とは、わたしの場合全てを性の快楽に方向付けてしまう力を指して言って
 います。それが スポーツだったり 仕事だったり 陶酔の度合いもひとそれ
 ぞれだと思います。
 いまのような状態はながくは つづきません。ホルモンのバランスというよりも
 わたしの場合 言葉のちからだと感じています。いままで 幾度となく繰り返しました。
 このドキドキは恋と同じなのです。ただわたしの場合いは 性器が快楽を
 欲しがる感覚が取れない状態なのです。悪いことだとは思いません。
 ただ できれば哲学して 有効に活用できないものかと思ったのです。

 ご回答あいがとうございました。

お礼日時:2002/05/25 02:45

自己陶酔しないと、生きていけません。


世の中いろんな人がいて、自分がしっかりしていないと
影響を受けてしまいます。
いい影響ならいくら受けてもかまいません。
でも、悪い影響だとしたら?

陶酔の逆の状態であるところの自己否定をしていると、
他人の意見を安易に受け入れてしまい、
それが自分のやり方とは合致していない為
消化不良をおこし病気に陥ります。

しかし、悪い影響もあとから思えばいい影響なのかもしれません。

政治家とか、企業の重役とか愛人つくりまくってますよね。
それだけchihokoさんは能力のある人、ということでは?
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この回答へのお礼

>自己陶酔しないと、生きていけません。
●これは強烈ですね。
 愛人をつくる方々は おおかた人生の楽しみの一つなんでしょうけれども
 ここで、わたしがいうところの陶酔とは、自分を取り巻くすべてが
 同じ方向を向いていて 抜け出せなくなるような すこしの不安のことなんです。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/25 02:26

「自分のツボにハマった」のが現時点でご自分自身を構成する要素だった、ということではないでしょうか。


ナルシズムというより、単に「自分にとって刺激的なもの」が他にない、というか。

chihokoさんが完璧主義だとは申しませんが、譬えて言うなら完璧主義者が理想通りに事を運べたときに得られる充足感と似たようなものを得ているのではないでしょうか。

ですから「本質」か「陶酔」かと言われれば「陶酔」に近いかもしれませんが「達成感」や「美的(視覚的)充足感」というようなものではないでしょうか。

ちょっと哲学的ではないかもしれませんが。
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この回答へのお礼

>完璧主義者が理想通りに事を運べたときに得られる充足感
●このお言葉は とても説得力があります。
 斬新な解釈だと感じ、うれしいです。ひとつ言葉が増えた感じです。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/25 02:17

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