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私はまったく日記などつけない人間です。
しかし、なんらか過去に自分の書いたものを読むと、そこには思いがけないことがあったりします。今思っている過去の姿(人もの自分社会)などが、実際とは違う妄想に入っている場合もかなりあるということです(これは心理学の分野です)
しかも、嫌いな人や物事はもっと嫌いになるようなことをでっち上げていたり、またあばたもえくぼもある。
そういう意味で、もっと客観的に周りのものを認識できるように、という意味で日記は貴重なものです。

なぜこういう効用について説明がなされないのでしょうか。
私の独断でしょうか。

A 回答 (2件)

質問文を読みながら、なるほど、と感心しました。


効用について説明する、という観点から自分の考えをお伝えしたいと思います。

質問者様はどの教育分野での説明をするべきだ、とお考えですか?
例えば心理学が挙げられていました。
「日記における心理分析」ということは考えられますね。
小学生や中学生では日記をつけることを奨励される先生がたくさん居ます。その人たちは、自分を見直すきっかけになるよ、と話します。
これは質問者様の意図にかなり近いと思いますが、アドバイスの領域をでません。
道徳として効用を説く、ということは出来るでしょうが、教育として行うならば実践も求められます。強制されて書く日記に、このような効果は求めにくいように思います。
つまり、教科教育の分野のどれに入るのか、入れられるのか、入れる必要性があるのかという問題があるのだと思います。

世の中にはこのように効果があっても、学校で教えたり効用を説明することになじまない分野があってもいいように思います。

以上、私見です。参考になればいいのですが。
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この回答へのお礼

やはり強要は続かないですからね。それをするのが楽しく有益だという一般認識にいたらせられるような理想の教育があればうれしいのです。

お礼日時:2007/04/19 14:15

生活つづり方教育という日記・作文指導を中心にした教育理論・教育運動があります。



事実をありのままに書きつづることで、自分を客観視し、流されるだけの日々を立ち止まって考えるきっかけにするという効用があります。

しかし、自分を客観視し、本質に迫る思考を始めると、時として、教師批判・学校批判・社会批判に至る場合があるものです。
逆に言えば、批判される弱点の多い教育システムは、そうした作文教育を敵視する傾向にあります。

戦前から現代に至るまで、質の高い作文指導を行う教員は少数ながら確実に存在しています。
けれども、そうした優秀な教員が、教育行政から攻撃されることが少なくないために、なかなか主流となり得ていないのです。
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この回答へのお礼

批判が怖くてというのは、人間的というか妥協的というか、うまくいかないものですね。効用をもっとうまく引き出してもらいたいものです。

お礼日時:2007/04/19 14:14

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