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ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

作者はみやこにいるのですか?ふるさとにいるのですか?
「遠きみやこ」はふるさとのことですか?都会のことですか?
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

NO1です。

追記をさせていただきます。

「遠きみやこにかへらばや」は「抒情小曲集」に収録されている詩で、一部から三部まである「抒情小曲集」の「一部」の中の最初の「小景異情」の「その二(六まである)」です。

『「遠きみやこにかへらばや」のみやこ』は、東京であり、作者は現在故郷の金沢にいると考えられる根拠について次の三点を上げてみます。


筑摩書房の文学全集の「抒情小曲集」には、「『抒情小曲集』覚書」なる文が冒頭文中のいくつかの文章の最後にあり、その中に次のような記述があります。
「創作地」の小題名の中に、
  郷里金沢市千日町雨宝院といへる金比羅神社、(以下略)
「野及び散歩の地として」の小題名の中に、
  最も好みしは犀川べりなる蛤坂新道、(以下略)
「旅行」の小題名の中に、
  京都、上州前橋市近郊に旅せし時の作、及び「足羽川」の一篇等な  り。(以下略)
「暗黒時代」の小題名の中に、
  小曲集第三部は主として東京に於て作らる。(以下略)

以上のように創作地については、一部・2部が金沢・京都・前橋・足羽川(福井市)となり、三部が東京と考えられます。


三部の冒頭の詩が「都に帰り来て」で、その中に、
  みやこの海をわたり行け
さらに、「上野ステエション」の詩の中に
  北国の雪をつもらせ
  つかれて熱い息をつく汽車である
  みやこやちまたに
  遠い雪国の心をうつす

以上のように「みやこ」が東京を表す例が三部を中心に多数あること等からみやこが東京を表すと考えられること。


「かへらばや」の部分を文法的に考えると(詩で文法的に考えるのもあまり良くはないのですが)、
  「かえら」は四段の自動詞「かえる(帰る)」の未然形
  「ば」は接続助詞
  「や」は間投助詞と終助詞の二通りの見方ができる
  「ばや」はいづれにしても強い願望を表す。
 問題は未然形プラス接続助詞の「ば」が仮定条件を表すことです。仮定条件は現実に無いこと、行われていないことを仮に表現するという性質があます。つまり、作者はみやこには帰っていないが、帰りたいとの強い願望を持っていることを示していることになります。

三点の根拠から、『「遠きみやこにかへらばや」のみやこ』は、東京であり、作者は現在故郷の金沢にいると考えられます。

以上が一般的な解釈ですが、異説として作者が東京にいるとの考えがあることを付記します。
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当該作品中の作者現在形としては、ふるさとにいると思われます。



どちらともとれるようで、実際、説が分かれるようですが
ここで、もう一度、ゆっくりとジックリと読み味わってみましょう。そうすれば見当がついてくるでしょう。


「ふるさとなんてものはサ、遠くにいて思うべきものなんだよ。
どんな境遇になったって
帰って来るべきところなんかじゃないんだよ。」

そして
「ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ」
   ↓
「そのこころもて」
遠いみやこに帰ろうよ戻ろうよ。
と言っているのです。(寂しい侘しい吐息までが感じられます)


よほど作者の故郷滞在中、現実の故郷に幻滅させられたもののように思われます。
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「ひとり都のゆふぐれに」というのは作者がいる場所を示しているはずですから当然都にいるわけです。

ふつう「都(みやこ)」と言えば、首都のこと、明治以前であれば、京都、明治以後であれば東京です。人口が多少を多くても地方の市を「都(みやこ)」とはふつう呼びません。「~地方の小京都」といった言い方ならしますが。それと、昔の金沢の人口って少なかったのですよ。
次のサイトによればこの詩集が出た頃の金沢の人口は13万足らずでした。
http://uub.jp/arc/arc.cgi?N=59
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作者は故郷の金沢にいて、故郷や家族に受け入れられない自分を歌っており、「遠きみやこ」は東京のことというのが一般的な解釈です。

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