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唄を忘れたかなりやは象牙の船に銀の櫂月夜の海に浮かべれば・・・の意味を教えて下さい。
もう少し、詩らしく書きますと

唄を忘れた 金糸雀は
象牙の船に 銀の櫂
月夜の海に 浮かべれば
忘れた唄を おもいだす

こうなりますが、これは西條八十の詩「かなりや」に成田為三が曲をつけて有名になった歌の4番です。
よく歌う割にはこのところの意味が今ひとつ分かりません。
どういう意味なんでしょうか。

A 回答 (4件)

詩心は遊び心ですから、回答もお遊びでさせてもらいます。



>このところの意味が今ひとつ分かりません。

「今ひとつ」ということは、ほとんど分かっているということですね。そうなんです。貴方が何となく分かっている通りなのです。要するに、特別に綺麗に鳴くカナリヤは普通の鳥とは違うのだ、特別なんだ、ということを雰囲気として伝えるために、くだくだといろいろ奇抜なことを並べ立てて、その雰囲気を味わってもらおうという、今様にいうとコマーシャルのコピーライト的な雰囲気優先型の詩なのでしょう。こう手法は、他にもあります。古典的な例は、次のがまの油売りの口上です。以下に少し長い引用をしますが、その中でも特に、

四面鏡張りの箱の中にがまを放り込む。
己のみにくい姿を見て、びっくり仰天、
巨体より油汗をばタラーリ、タラリと流す。
これを下の金網、鉄板に漉き取りまして、
柳の小枝をもって三七は二十一日の間、
トローリトローリと煮たきしめ、
赤い辰砂にヤシ油、テレメンテーナ、マンテイカ、
かかる油をば、ぐっと混ぜ合わせてこしらえたのが、
お立会い、これ陣中膏はがまの油だ。

の部分は、何だかカナリヤに歌を思い出させる西条八十の発想と良く似ていませんか。要するに、カナリヤはこの「がまの油」ぐらい特別に手間が掛かると言っているようです。

さて、西条八十並みの以下の詩の世界を楽しんで下さい。

サテお立会い。手前ここに取りい出したる陣中膏は、これ「がまの油」、がまと言ったって其処にもいる此処にもいると言う物とは物が違う。手前のはこれ「四六のがま」前足の指が四本で、後ろ足の指が六本これを名付けてヒキ面相は「四六のがま」だ。このがま何処に住むかと言うと、ご当地より遥か北、北は常陸の国に筑波の郡、古事記、万葉の古より関東の名山として詠われておりまする筑波山の麓、おんばこという露草・薬草を喰らって育ちます。

サテお立会い。このがまからこの油を取るには、山中深く分け入って捕らえ来ましたるこのがまをば、四面鏡張りの箱の中にがまを放り込む。サァーがんま先生、己のみにくい姿が四方の鏡に映るからたまらない。ハハァー俺は何とみにくい奴なんだろうと、己のみにくい姿を見て、びっくり仰天、巨体より油汗をばタラーリ、タラリと流す。これを下の金網・鉄板に漉き取りまして、柳の小枝をもって 三七は二十一日の間、トローリトローリと煮たきしめ、赤い辰砂にヤシ油、テレメンテーナ、マンテイカ、かかる油をば、ぐっと混ぜ合わせてこしらえたのが、お立会い、これ陣中膏はがまの油だ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
お蔭様で、もやーとしていたものがはっきり姿を現しました。
象牙の船とか銀の櫂なんて言葉、
恐らく誰も思いついたことのない言葉、
それこそが意味があるのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/04 03:26

 cch92260さんも何かを重ね合わせていてご質問を起こしたのでしょうね。


 論文や法律関係のものではなく、特に西條八十は抽象詩をなさるそうですね。
 何を重ねてもいいのかもしれませんが、普通はだれでも曽っての失った自分、捨てた心や生き方でしょうか。
 そうすると象牙の舟や銀の櫂ってなんでしょうね。月夜の海とは。
 他人という異文化との接触から別の異界に入っての所作となりますでしょうか?
 長い長い時間をかけて、傷だらけになりながらたどり着こうとする異界。
 癒しという語は好きません。自己を回復するには幾十年も掛かりますね。
 でもやはり舟は流れ、周びとのごとく舟べりの標しの河底を探っても、空しい。
 落ち葉を掻き分けても、あの落ち葉はもう土に化したか。
 なれば、月の夜に全てを引き上げて、懐かしい自己の出てきた水源から天上にのぼることですね。
 私は今はSelf-Realization Fellowshipという団体の思想によりヒンドゥ的精進をしてきております。(リンクは削除しておりますが、貼り付けると検索ができます)
 しかし、途切れた時間はもう河水が大洋の中に運び込んでしまいました。
 黄泉ではなく、そっと舟を浮かべて海上をホダラに向けています。
 幼児や少年の私には逢っても、もう私の造影操作がなされているようですが、全てが出てきている源泉たる、創造神と超越神に対面するのです。
 銀の櫂はその瞑想技法です。

この回答への補足

西條八十が膨らませたイメージ、象牙の船に銀の櫂。
この言葉そのものからもまたいろんなイメージが膨らむ。
詩人の生み出す言葉の力に、今更の様に驚いてしまいます。
ご回答ありがとうございます。

補足日時:2010/04/04 03:22
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カナリヤはきっと月夜の海に浮かぶ銀の櫂の象牙の船で生まれ育ったのでしょう、旅立つまで。

この回答への補足

その生まれ育った環境に戻してやれば唄を思い出す、ということでしょうか。
ご回答ありがとうございます。

補足日時:2010/04/03 03:10
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こんにちは。


ピアノの鍵盤は昔は象牙を使っていました。
私も象牙の鍵盤を弾いたことありますけど、プラスチックの鍵盤より指にフィットして非常に弾きやすかったのを覚えています。

管楽器は木で出来てるモノを別にすると、ある程度以上のレベルのモノは銀で出来ています。
また食器関係でも、銀のモノは結構ありますね。

月夜といえばショパンの「月光」ですが、セレナーデは「小夜曲」と訳されます。

海には常に波がありますね。
音楽は空気の波(音波)です。

すなわち!ピアノの鍵盤と銀の楽器と共に月の光の中に置き、波の波動の中に置けば、カナリアの脳の中の波動関数が共鳴して…(爆)

恐らくは、詩的なモノを列記しただけではないでしょうか。

この回答への補足

ふふ・・・、なるほど。
象牙で作られた船に銀で作った櫂・・・。
詩人の頭に浮かんだイメージなのだから、
凡人の私には理解しがたいのも無理はないということなんでしょうね。
ご回答ありがとうございます。

補足日時:2010/04/03 03:17
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