プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私は大学三年生のものですが今後の人生に全く希望が持てないんです。
本当です。

就職活動中で、それが上手く行かないと言うのもあるんですがそれだけじゃないんです。
正直ある程度の大学・外見ではあるので選り好みしなければまあ就職は出来ると思います。
でも就職しても絶対に周囲から浮いてしまうのは分かりきっています。

就活するにあたり自分がいかに空っぽな人間かということに気づいたのがきっかけです。

大学時代何もしてきませんでした。
友達も増えなければ、勉強もしていません。
出来る限り授業をサボり、アルバイトをしてお金を稼ぐことだけに精を出していました。アルバイト先でも浮いてしまいます。

相手から定期的に連絡をくれるような友達は一人もいません。

いい感じになる男の人は格好良くて人間できている感じの人が多いのですが、いつも最初は相手が積極的でも、結局何にもなく終わってしまいます。
私に中身のなさに呆れ(実際に言われたことあります)、そのような人たちには私なんかよりずっときれいで人間力のある人がいるのに気づいたからだと思います。

大抵の人(いい感じになる男性や、短気な関係でしかないであろう人、自分以上に可笑しい人以外)に対し、すごく壁を作ってしまう傾向がありつれない印象を与えてしまうようなんですがと思いますが、大抵のひとが本当は怖くてしょうがないから壁を作ってしまうのでどうしようもありません。

結婚は出来ないだろうし、職場でも辛い立場になりそうだし、今後全く幸せになれる気がしません。

現在は若いからまだ良くても、今後年をとったら全く誰も相手にして切れなくなりそうで怖いです。

本当に好きなのはペットの犬だけです。
それしか私にはいません
もうどうすればいいか分かりません。
本当なんです。
お願いします、励ましなど入らないので具体的な
アドバイスを下さい。

A 回答 (230件中1~10件)

こんばんは。

2年前に就職活動して自分も全く同じ心境をしたため
何かしら参考になる意見を。。と思いコメントしたいと思います。

>就活するにあたり自分がいかに空っぽな人間かということに気づいたのがきっかけです。

自分を掘り下げて、自分を分析すればするほど、こういった想いを抱くのは仕方がないことだと私自身思いますよ。「自分が空っぽ」という考え方を持つこと=「悪いこと、情けないこと」ではないと思います。
自分に対して謙虚であること,自分の悪い部分を見つめる人間性は
万人が持てる能力ではないと私は思います。

ただ、lovbeticoさんが就職活動という分岐点に立ち、自分を見つめる過程で「自分は空っぽで、将来的な幸せも考えれない」といった考えに苦しんでいるのはきっと自分の悪い面ばかりを分析してしまっているからでは。。と思います。(就活中は仕方ないことですが。)

自分に対して謙虚であること,自分の悪い部分を見つめられる人間性にフォーカスして将来のことを考えてどうでしょうか。自分の過去、今までを否定するような考え方をしながら将来を考えるのは、ブレーキをかけながら、アクセルを全開にするようなもので、いつか精神的にパンクしてしまうと思いますよ。

それでは、失礼します。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

御意見どうもありがとうございます。
本当にありがたい御意見だとは思っているのですが、私は本当に空っぽなんです。
あと、謙虚というよりはマイナス思考です。
極端なマイナス志向と極端な傲慢さが交互に現われてくるような感じです。

しかし、就職はしたいのでsaikawa15様のアドバイスのような視点から就活をしてみようとも思いました。

せっかくアドバイス頂いたのになんかすいません。
でも、本当にありがたいアドバイスだと思っています。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/04/06 18:24

まるで昔の僕のことみたいです。



外見は別として、それなりに名前の知られている大学に入学し、お遊び系のサークルに入会しました。
授業はできる限りさぼり、アルバイトばかりしていました。

人当たりが良いらしく、友人達からは「おまえは、有名な企業に就職するだろうな!」と言われてました。

しかし、結果的には周りの友人達が大企業に内定をもらう中、僕だけは内定をもらえませんでした。
大学時代に打ち込んだものだとなかったし、周りの友人達のように嘘をついて面接をやりすごすような
要領の良さも持ち合わせていませんでした。

結局、僕は大学卒業後、ワーキングホリデー制度を利用してオーストラリアへ渡りました。

オーストラリアで過ごした一年はとても充実していたけれど、帰国すると日本は景気が悪くなっており
就職もままならず、長くフリーターをしていました。

今は、とある大企業の子会社で海外営業をしています。

「大学時代何もしてこなかった」のなら、これから何かしてみてはいかがですか?
状況が許すなら、わざと留年して長期の旅に出てみるとか、ボランティアに打ち込んでみるとか・・・

もし僕が大学時代に戻れるなら、そうしますね。

“A journey of a thousand miles begins with a single step.”
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

私はサークルもしていませんし、良いのは本当に第一印象や凄い頑張って作っている少しだけ喋ったときの印象だけで、人と上手く喋れません。

私は浪人していて親と仲が悪いので留年は無理そうです。

アドバイスありがとうございました。
なんかマイナス思考で不快にしてしまったらごめんなさい。
でも、アドバイスいただけたことには本当に感謝しています。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/04/06 18:30

なぜ空っぽと感じるのでしょうか。



 それは自分が人に受け入れられないからでしょうか?

 でも、そうだとしたら、その理由は、あなたも書かれている通り”人が怖くてしょうがないから壁を作ってしまうから”ではないでしょうか。

 人は人の認知なしには生きられないものなのですよね・・・。

 あなたにはあなたの価値があると思う。でも、それが怖くてしょうがなくて壁を作ってしまうのでは、人が見ることは適わないとも言えるでしょう?そうであれば、男性に限らず、他の人とうまく絆を作れないのも、そこら辺に理由があると思えるでしょう。

 こういうことを考える場合、原因、理由を他の要素と混ぜ合わせないでひとつひとつをきちんとクリアーに整理して行くことなのですね。

 あなたの年齢では将来の不安が大きくあるのはしょうがなく、皆、そのよなものを抱えています。あなたの場合はそれが自分の心の安寧に関わっているから、大きいものと感じるのですよね。

 もちろん、年齢的に異性をきちんと求められないという心の辛さも大きいと思いますよ。

 でも、こうやって整理して行くと、やはり、一番その問題の初点となるもの、開始位置にある理由とは、”人が怖くて壁を作ってしまう”ではないでしょうか。

 不安は色々な事由と結びつけて拡大して行くものなのですが、その不安を構成した大本の理由を整理して探ることが必要なのですね。

 そして、その大元の理由をいくつか絞れてきたら、そこへ向けての対策を練っていくことになるのですね。

 あなたのその理由とは社会不安障害(SAD)とか、対人恐怖症と連なるものではないですか?

 今回の投稿にあるものから判断できるのは、それかなとなるのですが、そうであると思えるのなら、そこから対処を探って行くという筋道を持てばいいと思うのですがどうでしょうか?

 対策をどこに打てばいいのかが判れば、何をすればいいのかわからないという状態よりも楽になるでしょう?

 それとあなたの文章を見てある程度の”自負”があるのを感じます。その自負がいたずらに大きなプライドとなっている場合があり、”プライド”は”誇り”と違い自分を損ねることが多々あることに留意してみてはどうでしょうか。

 たとえば、対人恐怖症の人は、まま、そのプライドの高さゆえ、そういう状態に絡み取られるところがあります。現実に沿わない、身につりあわないプライドゆえとも言える場合も多々あります。

 または、対人恐怖症構造に導いてしまうものとして、”早熟”などもあります。

 ”プライド”と”誇り”の違い、それを意識しながら、社会に触れながら、色々を感じつつ、内省を深めて行くと、そういうものとの向き合い方が時間をかけて養われることがあります。

 これとまだ決まった訳ではありませんが、こういう方法もあるという事をお伝えしたいと思いましたゆえ、書かせて頂きました。

 まだ、若いし、まだ、やれることはたくさんありますよ。

 絶望を抱くにはまだ年齢的に早いし、もっと先にはもっと深い絶望があります。ですから、今の絶望ときちんと時間をかけて向き合えると良いのではないかと思います。

 ”べてるの家”の向谷地生良さんの言葉を借りれば、

 ”順調に苦労を積み重ねる”

 ”安心して絶望できる人生を”という感じなるでしょうか。


 大丈夫、というのも変ですが、あなたのようなことに苦しんでいる仲間はたくさんいますよ。

 私のようにさらにさらに深い絶望を抱えながらも、新たな希望を抱いて生きている、言わば、あなたの先輩格の人間もいるわけです。

 私が師匠と勝手に思っている方の体得に”運命は完全に決まっていながら、同時にその運命から完全に自由である”というものがあります。


 人生の矛盾と複雑さをもっと受け入れて、愉しめる、そんな世界を感じてもらえたらと思いますよ。

 あなたのような人を待っている人も、先々にはいるという事なのですね。

 辛いもあり、楽しいもありが人生です。それがちょっと普通の人と形が違うだけなのですよね。

 人生を存分に味わって生きて欲しいなって思いますよ。

 
               あなたの同胞からでした。

 お互い、困難多き人生を愉しみましょう。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
3回も投稿してくださったんですね。
どうもありがとうございました。

空っぽだと感じるのは人に受け入れられない以前に人と普通の話を続けられないからです。
それは私に話すネタがない(友達・恋人もいなくて経験が圧倒的に少ないから)、そして聞く側に回っても全く興味を持てず苦痛でしかなくそのうちそれが無意識に態度に出てしまうからだと思います。

人が怖い理由は私も色々考えてきた結果、感情的な母親に育てられたこと、小さい頃から周りになじめなかったこと、中高一貫校に行って友達に裏切られたり、完璧に一人になってしまったことや、ひどいことを知らない人から言われたりしたことなどだと思います。
そこまでは分かったのですがそこからどうすればいいのか全く分からないのです。

私は社会不安障害や対人恐怖症にはあまりあてはまりませんでした。
どちらかと言うと人格障害だと思います。当てはまる人格障害がいくつかありました。

そうですね、私は本当にプライドが高くて脆いプライドに支えられて生きている感じです。
例えば、中高時代少し太っていて容姿を不細工な有名人に似てると知らない同級生や先輩からも言われていましたが、高校時代に痩せ卒業してからはみんなにきれいと言われるようになりました。格好いい人にも良く誘われるし、知りあいづても良く聞くから本当だと思います。すると今度は自がきれいと言うことに自信を持ち、そればかりを絶対視し、自分よりきれいな子を見るとショックを受けたりします。

私は友達恋人もいなく親等家族も嫌いなので就職して早く家を出たいです。もう4年なので時間もありません。私は何が出来るでしょうか。

私は最近一日2,3回は死にたいと本気で考えています。
泣いたりしてそれが収まると普通に過ごせるのですが、毎日苦しいです。

もし、差し支えなければkumosuke32様はどのようにして深い絶望を抱えながらも、新たな希望を抱いて生きているのか教えていただけませんか?
差し支えるようでしたら無視してください。

長くなってしまってごめんなさい。
本当に回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/04/06 19:44

No.3です。



 何だかきついことばかり書いてしまったように思えて、気になってしまいました。気が弱いもので。

 なので、少しフォローしておきたいと思います。補足的なものでしょうか。

 うまく伝わるといいのですが・・・・、そうですね・・・・、あなたは歳若いし、まだ、世界が広いとは言えないと思うんですよ。

 簡単に言うと、世間には相手の短所も含めて好きになる男の人もいるし、相手の相手自身も知らない長所を見つけ出す男性もいるんです。そういう希望はまだ持っててもいいと思うんですよ。それに、あなたはいい感じにはなれる、つまり、お付き合いを始めること自体はできているのですよね。

 だから、自分にあるパターンを認識して、そこからどう抜けるかと言う部分ではないかと思うんですよ。

 あなたの異性との交友傾向は、あなた自身が書いている通りにひとつの傾向がありますよね。それってあなたの性格と言うか、精神的傾向を表しているものであり、そして、そこで中身が無いと呆れられ去られるという傾向もあるわけですよね。

 これはあなたの性格、或いは、精神性ゆえの異性交遊パターンなのですよね。構造であるわけです。

 先にも書きましたが、一つ一つの構造を理解し、その理由を知ることによって、対処法が見出せるのですよね。

 ですから、なぜ、あなたは、初期において積極的に、でも、後に飽きられて去られるかと言うと、あなたが異性に与えるファーストインプレッション(第一印象)と、あなたの実質、本質的な有り方がずれているからだと想像出来るのです。

 あなたも書いているように、傾向として、格好良くて、人間が出来ている感じの人(実質、本質は違うかもしれませんが)がいい感じになるわけですよね。その人たちもやはり相手に求めるパターン、構造というものを持っているのですよね。それがたぶん、あなたが相手に与える第一印象の形であるのでしょう。

 第一印象を構成する要素としては、ファッション、ヘアスタイル、メイク、そして、容姿(顔ですね)、スタイル、語り口調、後は仕事、学業の出来不出来とかでしょうか。だいたい、世の男性の大半がここから相性を判断して接近します。

 でも、複数の男性が同一傾向で離れていったということは、あなた自身がその第一印象とは違う質の人間性を有しているという事になると思われるのです。

 長期の恋愛、そして結婚となると、その人の本質というか、本質までは行かなくて、内実的な部分と合うかというところになるでしょう?

 つまり、普段のあなたはちょっと無理して本来の自分と違う自分を演じているか、出していることが想像できる訳です。と、これで落ち込んだら申し訳なく思います。

 大阪の精神科医に名越康文という方がいるのですが、この方の造語に”過剰適応”というものがあります。社会、周囲の適応強制力が今は強い時代ですよね。日本のムラ社会批判はそこら辺に起因するのですが、今の時代はさらに加速している部分があるわけです。その様な環境で生きる中で多くの方が自然と身に着けてしまうのが”過剰適応”というものになるのです。

 過剰適応を行い続ける中で、本来の自分をも見失って次第に精神を病んでいく人はとても今多いのですね。

 つまり、あなたが友人が犬しかいないという状態にあるのは、実はそこら辺なのではないかと私は思うのです。

 名越康文氏は自著がいくつかあるので、一読されてみるといいと思いますよ。

 
 何と言うか、あなたの心理は私などにはよくわかるもので、そこを抜けて来た私でもあるので、今のあなたにはやれること、可能性がたくさんあることを私は知るわけです。

 確かに一日や二日で何とかできるものではありませんが、確かに今は苦しいでしょうが、世の中は広いですし、あなたのような人が生きていく道も、自分の抱える困難と向き合う道もあったりするのです。そして、あなたのような人と時間をかけて付き合おうとする男性もいるのですね。それがあなたの世界が広いとは言えないと思うと私が言う理由でもあります。

 ええと、これぐらいで私の言を信頼できるものでもないとは思いますが、私が感じるにあなたには、その困難と向き合う上で、まだしていないことがたくさんあるのですよね。

 あなたの書かれたものからは、自身を見つめようとする謙虚さ、懸命さも感じるのです。

 そう感じるゆえに、あなたには可能性があるのではないかなぁと私などには思うのですよ。

 いや、一向に信頼に足る内容ではないと思いますが。

 私も幾つもの地獄を抜けて、今此処に有り、そして、新たな道を広げようとしているのです。まぁ、今ある困難を受け入れてね。

 まぁ、だから、あなたが頼れるような人たちも世の中には結構いるし、あなたがこれからまだ幾つも困難を受けるではあろうけども、人の生の困難が無いことは無いので、大なり小なりの問題であるので、後は、それとどのように向き合うかではないかと思うのですが、如何でしょうか。

 私から言えることは、頼れる人は割といるし、やれることもたくさんあるよ、ということなのですよ。

 今辛いのは、今、周りにあなたの力になれる人がいないからなんだよね。

 でも、世間にいるんだよ。

 諦めないで、探して行こうよ。

 まだ、若いんだしさ。て、偉そうでごめんなさい。

 私も色々新たな困難を受けながらも、やれることはやろうと励んでます。

 まぁ、一人で無理はし過ぎないことだよね。抱え込みすぎないことだよね。

 では。話し過ぎました。

 
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この回答へのお礼

度々どうもありがとうございます。
先ほどのご意見に傷ついたと言うことは全くないです。
むしろありがたかったです。

私はどちらかと言うと良く異性から誘われたり、好意をもたれるほうだと思います。
しかし、タイプの人ではないと食事に行こうとすら思えません。(友達ならOKです)
むしろ、悪意はないのですが、気持ち悪いとか迷惑と思ってしまいます。
そして、好きになる人もパターンがあり、それには私の様々なコンプレックスや不安が交差しているのだと分かってますが、それを変えることは不可能だと思います。

恋愛においては過剰適応してしまっているような気がします(その他の面ではそれすら出来ませんが)

確かに第一印象(きれいなおねえさん系とよく言われます)と本質(根暗、マイナス思考、自信過剰、破壊的で過激な考え)は全く違うと思います。
また、始めのうちは第一印象を守るのに必死で、明るくとかも振舞えますが、だんだんぼろが出てきてしまう感じです。
それは自分で理解できているで、kumosuke32様のアドバイスで傷ついたりはしません。
ありがとうございます。
しかし、それをやらずにいれたらと言う気持ちはいつもあります。

あの本当に分からないから教えていただきたいのですが、私が困難と向き合う上で、まだしていないことというのはなんなんでしょうか?
私は自分なりに問題の原因を考えては来たのですが、解決策が全く分からない状態なんです。

あと、私は今まで生きてきて友達が一人もいないような状況なのですが、どうすればそこから脱却できるんでしょうか。

なんか、ごめんなさい。
でもありがとうございます。
kumosuke32様のアドバイスを読むと本当にいろいろなことを考えさせられます。

お礼日時:2008/04/06 20:26

現在のあなたの悩みをすべて解決する道が一つだけあります。


しかし、この方法は多くの者が軽蔑し、また躊躇するものですが、
私は、これまで人生相当期間生きてきて、決してそうは思いません。
もちろん、この方法を採用するかどうかはあなた次第ですが。

その方法とは、
これからの人生において、徹底的に金儲けだけに邁進することです。
そして中途半端な金額ではなく、今後数十億円、数百億円の金を手にすることです。

もちろん、その目的を果たすには丸一生掛かるかも知れません。
いや、それがたとえ、あなたが70歳のお婆さんになった時に実現しても
一向に構わないのです。

その大金(と資産)を手にした時、あなたの人生はすべてが変わっているでしょう。
もちろん、あなたにとって望ましいように。

大金を手にしたあなたには(たとえ高齢であっても)、あらゆる幸せが近付いてきます。
たとえあなたの容貌がどのように醜悪でも(失礼)、
絶世の美男子と親しくなるチャンスがいくらでもやって来ます。
もちろん、老後の不安は何一つありません。

金で買われる幸せは、本当の幸せでない?
いや、その考えが、金の本当の意味を知らない多くの人間を不幸にしているのです。
今、ここで「金(カネ)」についての詳しい論議は避けますが、
カネの本当の意義は、その中に人間の感謝の念が詰まっていることだと思います。
この人生においては、カネの本当の価値を知っているものこそが、幸せを掴んでいます。
その実例は、言わずもがな腐るほどあるにもかかわらず、
「カネは感謝して受け取るものでなく奪い取るもの」と誤解してる人間にとって、真実を受け入れることが難しいのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
あと、お礼遅くなってしまい申し訳ないです。

お金ですか・・・。
私もお金は好きだし、大事だと思います。
また、卑劣(サギ等)でないやり方で大金を稼いでいる人を軽蔑どころか尊敬もしています。
正直、貧乏にだけは絶対になりたくもないとは思います。

でも、私は結構感じやすいほうで、極端なマイナス志向なので、お金によって人がよってきてくれても気付いてしまう(もしくは強く被害妄想をもってしまう)と思います。

私は今まで第一印象がいいせいか、始めは人がよってきてくれますがそのうち内面の空っぽさを見抜かれ呆れられると言うことをしばしば経験してきました。
だから、お金も欲しいですが、それ以上に何もなくても魅力のある人というものになりたいです。

なんかごめんなさい。
でも、bestbook様の言わんとしている事やアドバイスいただけたことに感謝しています。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/04/08 07:15

おはようございます。


初めに-具体的なアドバイスを、とのことで結局不眠症の私が夜明かしのままのテンションで書いては消してを
繰り返して、ようやく自分自身は納得の行く文章をまとめられたのでご返答と思いまして。
ただ、長くなってしまって随分省いたのですが、それでもまとめきれなかった未熟な文章、
それも自分自身の中で流れを作らないとまとめられず結局、小学校で習う国語の起承転結方式を採用して。
学力の無い稚拙な文なので、お時間が無いのでしたらご遠慮無く省いて下さい。
私はこの文章を書いたことによって私自身の考えをまとめることが出来たことを満足して、
それが少しでもあなたの悩みを解決出来るヒントに、と図々しくも思ったので、ただ、載せるのに罪悪感が襲います。

大学3年生と言ってもお幾つになられるのか分かりませんが22歳と仮定した上で、
具体的なアドバイスをご所望とのことなので具体的にお話します。


本題-
悩みの解決の第一項目は「悩みがある。さて、何が悩みなのか」と私は考えます。
出来るだけ簡素にご自身の悩みをピックアップして個々に対処していけば
現時点で何を悩んでいるのか、又は何を悩んでいるのかがわからない
といった状況回避が出来ると思います。

ご自分が空っぽで魅力が無い、という所が引っかかっていて壁を作ってしまうのか、
もともとが壁を作る性質だったのか、そこをまず見てみてはいかがですか?

例えば前者の場合、今回の就活が初めて自分の内面と向き合った最初の出来事だとして、
周りの知人も同じような状況の中、他人と比較して「あの人はあんな凄いことをやった、
あの人は今までこんな凄いことを長年努力して来た。」等、
又は「あっちの人は自分よりレベルの低い大学なのにもう内定をもらった、
低いにも関わらず凄い内定もらってきた」
他にも「あの人はあんな見かけなのに素敵な人と付き合ってる、きっと中身が良いからに違いない」等。

他者と比較して自分を見る→自分を見るポイントが直ぐに社会で評価されること(ステータス、実績等)が多い
→自信の喪失

上のような心のフローチャートがある場合はその対処をすれば良いと私は考えます。
この場合は自信を喪失する訳ですからどうやって失った自信を復活させるか、です。

自信を失うと言っても補足させてもらえば、一時的にです。
噛み砕いて言えば、読んで字の如く、自分を信じる力、略して自信ですよね。
この言い方なら、あなたが自らを信じられずにいて他の誰があなたを信じてくれますか?とも言えます。
確かに多くの人は率直に信じていると言ってくれますし、成功したらしたで、信じていた、とも。
(ここからは私の経験からの考え方、人生観なので同意はしなくても良いですし、
こういう考え方もあるんだ、と心に留めて頂ければ感謝します。)
「信じているよ。」口で言うのは簡単です。実際に本当に信じていてくれるかも知れません。
それでも私はこう思います。
私は私の人生を生きて、私という人間を乗せた船の舵を取っている。
彼女等、彼等は個人個人の人生の舵取りに忙しい、と。
信じていたから結果私のためになりえるのか?→多くの人は口先だけです。
大抵は環境が変わればそれが節目。
まあ、そんなものですが、言霊を信じる私です。
だから支えとして、なりえれば一番良いですよね。
故に私も支えに加わるために至極稀に使います。
稀というのは、信じるという行為は、あくまで私個人にとってですよ、
どんな手段を使おうとも絶対に見捨てない、結果、相手に嫌悪されようともその人の生きる道の邪魔をせず、
踏み台になる覚悟を己の誇りに誓って使うものと心に決めているからです。
私の母親がその誉れ高い行為を体現して教えてくれました。
簡単に言えば『親の無償の愛』です。
尽くし終わっても構わない相手にしか言いませんし、
だからこそ尽くすだけで終わる甲斐もあると思って。


私の経験談-
宗教自体を懐疑的に見る私ですが、考え方で参考になるものは取り入れています。
何よりも宗教学自体勉強不足で申し訳ないのですが、最近体験した目からウロコの説法を紹介します。
仏教は多くの日本人が帰依するところですが、経典を読んだ、というと稀有だと思います。
私自身も、無論読んでいません。だから仏教の教え自体知らないです。
それでも勉強と関係無く、思うところあってお遍路を歩きながら集めた知識と
その後狭いながらも知り得た仏教の教えがあります。

お遍路体験記-大体、寺と寺の間が異様に長いのがお遍路です。
寺に着くとその後歩く気がしないので休憩も長いです。
小汚い見た目いわゆる浮浪者の格好をしていても許されるのが四国の興味深い所であり、
まさに自分は心も浮浪していたのですが(誰が上手いことを言えと?)
毎回ぼけーっと寺の境内で座っているとそれぞれのお寺の坊主さんが色々とお話を下さりました。
(88箇所を言い始めると終わらないので興味を持ったのならネットで
「お遍路」と検索すればそれこそ専門の人がいます。)

ある場所でいつものように休憩をしていたら、坊主さんがやってきて
「お参りはね、お釈迦様にしているのではなくて、あなたの心に参っているのですよ」
と仰られたのが感慨深かったです。
別の場所でもやはり
「88箇所で(お四国を廻りながら)、ゆ~っくり自分の心を見つめて下さい」と。

果たして私は言われるように己の内をそれこそ本当にゆ~っくりと見つめました。
私は88箇所廻りきってもそれでも廻る前となんら変わっていないと感じました。
特に自分の病気が良くなった訳でもないし、病状のため人よりも困難な道のりでした。
(不眠症なので、日の出と共に歩き始めて日の入りまで、その上薬を飲んでも寝られなかったからです。)
他の人にとっては修行だったと感想を聞いても私には苦行でしかありませんでした。
私にとってはただ単に変な思い出が増えただけで、意味はありませんでしたので人にも言いませんでした。

3年後、つい最近です。そこで全てが繋がったのです。
春が近づく陽気な天気に吊られて、私はバイクに乗ってツーリングにひとりでふら~っと出かけました。
山奥の集落を超えたあたりでバイクが故障。エンジンがかからなくなったので、まあ困っていましたが、
幸い携帯が通じて迎えを呼べたので、集落までバイクを押して歩いてそこで休憩していました。
暇だったので集落の散策に出かけた所、お寺があったのでこれもご縁と思いお茶の一杯でも
もらいながら説法をお聞かせ頂けないか、とあくまで暇つぶしに尋ねました。
(失礼ですね~、でも四国を廻ってからこんな風に考えるようになったのですが。)
坊主さんは突然の来客にも快く応じてくれて、先に『お参り』をしたあとに
お話を色々と下さったそのうちのひとつ、私が目からウロコの知識です。

「仏教を信じるとか、そういうのはどうでもいいわな。ただ、わしは神さんがいる、
と思っている方が好きなんだ。おまえさん、仏教の経典、読んだことあるか?無いだろ。
あれな、長いけど別に全部覚えんくても良いっ。ただ、最後だけは知っていて欲しい。
あれな、最後に『自らを信じなさい』で終わるんだ。
あれ、普通に聞くとお釈迦様の教えだからお釈迦様を信じろって言ってると思うだろ、
それがフツーみんな思うこと。あれな、己自身を信じろっつーことだ。」
話の流れで先に何を言おうとしているのか分かってしまったかも知れませんが
この時の自分の感覚を再現するのならまさに
'’いかづちに打たれた''
と言っても過言ではありません。
そのときに同時に思い出したのが(何番だったか忘れてしまいましたが)そこの坊主さんが、
「お釈迦様は、人それぞれの心のうちに居るのですよ。」と仰っていたことです。
私は(88箇所で私の中のお釈迦様と語り合っていたのかぁ)と柄にも無く宗教ロマンに暫く浸っていました。

お遍路体験談結び-私は88箇所という長い道程の中で自らの心を磨いていたのだ、
と悟りをまたひとつ開き、その時に、それこそ結局3年という月日を経て偶然な幸運に導かれたて
ようやく私の中ではじめて四国が意味を持ったと言えるのです。
そしてそれ故に私のお遍路が私の自信のひとつに昇華されたと言っても過言ではありません。
結局何を言いたかったかというと、私はその後、人生の意味すらも最後の瞬間まで分からないかもしれない、
それでもお遍路を凌駕する人生という道程を歩ききった最後の瞬間の悟りを開くのが楽しみになった、ということです。


転-
さて私事から一転してあなたへのアドバイスと話を戻します。
お遍路は確かに大変です。それでも人が生きる上でのあくまでの一本の道筋でしかありません。
そして、それが生きるというもっとも過酷な道程を超えることは決してありません。
あなたは既に他の人が歩き得ない22年という歳月を歩んできたのです。
私はそれこそが、あなたがあなたという価値を生み出す元だと思います。
その歩んだ道のりが正しいと世界に叫ぶことが許されるのもあなたです。
誰かが、誰であろうと、例えそれがどんなに人々に尊敬される偉人だとしても、
その人が「あなたは空っぽだ」とあなたに言ったとしてもそれは許される行為ですか?
その人はその人の道があって、あなたの歩んできた道のりを一緒に歩いた人ではないですよね。
体験したことの無い人が体験者を否定することを許してはいけません。
一人の人間の誇りを傷つける行為ですから、私はそれを国連が定める人権の侵害だと大げさに考えています。
例え似たような境遇であろうとも心身ともに全く一緒、環境も一致、という状況は
双子ですら奇跡のような状況なので似たような体験談は参考になってもその人の考えが正しいということは
ありえないですし、その人に否定される謂れも無いのです。
そのため結局私の言葉も所詮はアドバイスなのです。似たような境遇を体験したことがあるというだけです。

色々な人から、それこそ多様なアドバイスをもらうと思います。全く逆の意見もあって、両方正しい時もあります。
情報を正しく取捨選択する、これは一般通念上の社会人にとって必要不可欠な能力です。
道徳的に間違っていてもそれが正しい場合がある、その逆もある。
例を挙げれば、『上司が言えば黒も白』、まだ未経験と思いますが聞いて知っていると思うので。
他に簡単な例は、親の仇、子供の仇討ち、江戸までは無罪でしたが今は殺人罪ですね。道徳的には?と突っ込みが。
私が人と衝突する理由が大抵そういう関係だったので、経験からです。更に追い討ちがかかりました。
情報社会です。嫌でも情報が入ってきます。最初は自分が何の病気なのか分かりませんでした。
足りない頭で入ってくる情報を処理して出した結果、神経が参ってしまって病気が悪化しました。
段々と自分が楽になる情報のみを選択していって七方塞りの崖っぷちです。崖を落ちる覚悟の
四国も前述したとおり、それでも痛くても自分を生かす情報(私の場合は、上手く言えないので
いわゆる『人事を尽くして天命を待つ、例え結果が地獄でも』とでも、ですか。)を受け入れてから
ようやく得た、ちょっとだけ育った能力、
それが情報処理において自分の人生に要るかどうかを正しく取捨選択することです。
環境適応能力が大幅に上がるのでぜひその能力を自分で育てて花を咲かせて下さい。
環境が自分好みと感じられればそれだけで気分が良くなりますよ。
環境は自分で作るもの、と言う人もいますよね。
確かに放り込まれる環境は選べないですがそれを自分好みに仕立てる
そういうことに人生の妙を見出している人も居る訳で、
賛同して私が実践したのは以下です。
-嫌悪する人は選んで捨てる、たったそれだけでもずいぶんと!
(部屋掃除と一緒です。自分がいるところは綺麗にしたい。)
-嫌な思いをする状況を極力減らす、もしくは状況に陥って逃げることが可能なら必死で逃げる。
-会いたくない人と仕事以外で接触しないようにする。→会いたい人に会う。
-プライベートで仕事の話を持ち込まれたら適当に言って逃げ帰る。(三十六計ですね。)
-楽しいと感じるときに自分に楽しいか聞いてみる→心から楽しいと言っているときは幸せと感じる。
-勉強する。(これは心底思います。生きるという学問は一生かかって最後に答えを出す学問ですね。)
それだけで、ずいぶん心持ちが変わりましたよ。
今は嫌な思い(例えば就職活動ですね)は避けられることでは無いとお考えだと思いますが、
死以外は逃げられないことって無いのではないでしょうか?(それが良いとか悪いとかは置いておいて。)

一般社会でも凄い、内面でも凄い、そんな人を私は一人知っています。
彼は大学受験で失敗して期日が期日で、その年に入ったとしても1学年既に同級生とずれていたため
3流大学に入ったのですが、前人未到、奇跡のホンダ本社の内定を取りました。それも大学4年の夏休み前です。
彼は、本田宗一郎のことを調べて共感したのでホンダで働きたいと言っていました。正直それ一本だったと思います。
周りはもちろん最初から「絶対無理」今まで私たちが通った大学から世間が言う一流企業に入った人が創設から
ひとりもいなかったからです。就職課も「考え直せ。協力出来ない。」それだけだったので、
彼は個人で動いていました。3年ともなると早い人は内定をもらって遊び始め、まだ内定をもらっていない人を
からかう時期です。(プライドがどうのこうのだの、選り好みし過ぎだの、と。)精神面でも追い込まれていく中、
彼はたった一人で戦っていました。自らの意思で孤独を選んだとも言えます。
後に彼は「背水の陣だ。」と教えてくれました。「失敗したときはどうするつもりだったの?」と聞いたところ、
「オレはやり遂げるまで失敗は考えない。それでも失敗したらコスタリカへ行って遊んで暮らすさ。」と。
彼に言わせると、成功してホンダに入ろうとも、失敗してコスタリカへ逃げても、どっちも苦労するだろうし、
どっちも楽しそうだ、と笑って言っていました。そんな彼がこの間結婚したのですが、
3次会で(彼と、彼の幼馴染と、私の三人だけだったので)幸せの席の筈なのに、
こっそりと「今でもたまにコスタリカに行けば良かった。そうしていたらオレの人生は全く違っていただろう」と
楽しそうにそんな自分を想像しながら言っていましたよ。万事塞翁が馬ですね。
彼はもともと凄いのか?と聞かれると「違います。」と私は言います。
彼とは高校時代に知り合いました。お互い遠距離にいて、繋ぐものは一本の電話、留学先で偶然知り合ったのですが
境遇は一緒でした。同い年だったのでお互いに高校一年生から始めました。他の人はどうかは知らないのですが、
私は英語がまったく喋れなかったので、彼はその土地の宗教の問題も抱えて本当に一年間一人も友達が出来ませんでした。
ただでさえ異文化、襲う孤独に際悩まされて(他にも日本人留学生はいましたが帰ってしまいました。)
そんな境遇にも関わらず、毎日!明るい声で「今日はマイナス30℃の中、一人でサッカーやって楽しかったよ~」と
「帰りに転んで気を失って凍死しかけたよ~」と心底その境遇を楽しんで言ってきたのです。毎日です。
彼からのレポートだけが心の支え、同じ境遇に陥っても彼は楽しんでいる、私だってっ!と奮い立たせて
戦い抜いた高校生活でした。レポートは平均6時間、時に朝まで続き、徹夜で登校もちょくちょくありました。
彼を表現するのでしたら、『友情』や『愛情』とかでもなく、もっと強い感情『戦友』としか言えません。
彼を凄い人間が同い年でいるんだなぁとしか認識していなかった私ですが、後に彼に告白したことがあります。
「あの頃、毎日電話くれて、本当にそれだけが支えで何とか高校を卒業できた。ありがとう。」と。
お互いに強がりでしたからそう言うのは恥ずかしかったのですが、恥ずかしい以上に感謝していたので。
てっきりそう聞いたら彼は喜ぶと思っていたのに、突然彼は押し黙ってそのまま返事も無しに別れました。
また3次会に戻りますがその席でようやくそのときの告白に対する返事をもらいました。
「オレは、オマエが居たから逃げずに頑張れたんだ。オレのほうこそ感謝しても感謝したりない。」
瞬間、涙が止まらなくなってしまいました。魂でこの人と繋がっている、その証しを見せてくれたんだ、と感じて。
男気溢れる彼と結婚出来た彼女は、私の知る限り世界でNO.2の幸せものでしょう。NO.1は譲りません。
彼も私と何ら変わることの無い、小さな16歳だったのです。私たちが卒業出来たのは綺麗な言葉で言えませんが、
もう意地、それだけです。日本に逃げ帰るのはいつでも出来ましたが、それをやったらカッコ悪いだろ?と彼が
いつも言っていました。彼が好きだった私は彼にカッコ悪いところは見せられない、彼は私を同年代のライバルとして、
お互いにカッコ悪いところを見せられないという意地、たったそれだけに尽きるのです。
えぇ、意地っ張りですよ、私たち。生きるためなら泥水啜って誇りを掲げて生き抜く『約束』をしましたから。

現在、長年闘病中で、心の柱がこなごなに砕け散った時を越えてなお私が生きて来られた理由が
彼と交わした、たった一つの『約束』を守るためです。

さて、奇跡と言えば簡単でしたが、彼の努力を知る私としては彼は受かるべくして受かったと思っています。
仮にホンダが落としていたら「世界のホンダは人を見る目が無い。ホンダの落日を見た。」と思っていたでしょう。
まさに命を燃やして常に努力して来たからです。そして今後も命を情熱に換えて燃やし続けるでしょう。
見事、絶対が無いことを彼は証明してくれました。

私はあなたと同じでした。私自身、自分に自信が常に無く、中身も無いと思っていました。
ある時期を境に絶望に襲われてから不眠症になり、命を投げ出したくなる衝動を抑えるためだけに投薬をはじめても
根本的な解決に至る訳でも無いので、手を尽くして誇りも折れ、必死で積み上げたものが全て崩された音がした時に
彼にはじめてそう伝えました。彼は一言、「オレが中身の無い奴と付き合うと思うのか?」と。
それが全てで、そこではじめて人を心から信じられる感覚を知りました。
常に逆風が吹いていても彼が倒れないなら私が倒れるはずが無い、というのが何よりも心強かったです。
カナダの高校生のことわざです。くだらない話をしながらふと言った言葉で印象が何よりも深かった一言:

Life sucks, that's life, eh?

これ、スラングなので辞書で調べても載っているかどうかわかりません。会話の流れで言うと、
その時の流れはそのカナダ人の友人が毎回のように父親=大麻ネタを愚痴るのですが、その日
「とうとう昨日父親が大麻をやって錯乱して包丁持って追っかけて来た。殺されるかと思ったぜ。」と言ったことに
対して私が、「そんな父親、最悪だね」とたどたどしい英語で返答したことに対する一言です。
「Life sucks, that's life, eh? = クソッタレな人生だ!でもそれが人生。だろ?」
今、考えると17歳で妙に達観している(いわゆるスレている)高校生なのですが、
クソッタレな人生を受け止めつつも、そこからどう楽しむか、というカナダ人の気質が見えた一言でした。
私がその後、大いにその言葉を使ったことは想像に容易いと思います。


結論-
話が大幅にそれて何か励ましとも取れることを書いてすみません。正直、私自身を励ましていましたね、、、
前述したフローチャートに戻って具体的なアドバイスの続きに戻ります。

フローチャート、これが私の問題への取り組み方です。
(ここからは私自身の問題対処法をあくまでもアドバイスとして聞いて下さい。)
前述のフローチャートは参考です。
ぜひご自身の心のフローチャートを作ってみて下さい。
最初は不満からスタートしても良いんです。
その不満を掘り下げていって根本にある自分の悩みを解きほぐして考えられると尚更良いです。

例えば、では「自分は空っぽだ」からはじめても良いですし、
「自分は空っぽだ、と見られることが多い。」からでももちろん良いです。
この2つのスタート地点は似ていても全く違いますよ。
誰かに言うわけでもないのでご自身に正直にスタートして下さい。
きっと見えていなかったものが見えると思います。

残念ながら私はその続きを知るよしもないので無責任なアドバイスになってしまいますが、
その時点でご自身で解決できる問題でしたらもうとびっきりに最高です。
おそらくは結果を見ても、ご自身で解決が困難だったり、解決法がわからない、
結局何が問題か把握できない、なんてこともある訳です。
そんなときはアドバイスを聞きに行くだけだから、と心に言い聞かせて
お互い顔が分かる友人知人にも言わず、家族に相談するのも言わない方が良い場合もありますので内緒で、
こっそり心理カウンセラーを尋ねて見て下さい。
彼女等彼等は心の問題の解決法を専門に長年勉強し、人助けのためを誓い、お金にならずに過酷な職業を
自らの意思で、そういう問題を抱える人に、一緒に乗り越える知識を与えるプロフェッショナルですから。

終わりに-書き終わって実感したのは、結局私自身にも言い聞かせるために書いていたんだなぁ、と。
余計な感想ですみません。ただ、私はあなたにアドバイスをしながらそれが全て自分に跳ね返っていると
自覚したので。私自身も新しいカウンセラーを探しに行きます。補足しておくと、心理カウンセラーは
大抵は精神科のお医者さんとセットになっているところが多いです。精神科は、別名心療内科とも言います。
どちらも同じで、単に語感のイメージで決めています。
ただでさえ精神病というと常人社会でも差別、偏見の目で今でも見られますから
最近ではメンタルクリニックと好んで使っているお医者さんが多いです。
カウンセリングは一回では終わりません。もちろん職種のひとつで、カウンセラーといえど、
食べていかなければいけないのでお金はかかります。
それでも大学の講義にお金を払っている以上に自分のためになると私は思います。
何回いけば良くなるのか?とわからなかったり、何回も来ているのに、と途中で自信を失くす場合が多いです。
追い討ちになってしまいますが、カウンセラーもやはり人間ですので相性があります。
最初は色々なカウンセラーと会って、一番自分が信じられる人を探すのが結局は時間とお金の節約だ、
とようやく実感しました。尋ねられるのでしたらぜひ参考にして下さい。
私は未だに自分が信頼のおける人にめぐり会えていないので。
それと、カウンセラーは結局補助役でしかないです。
自分の人生は自ら歩かないと誰も代わりに歩いてくれる人はいないんだ、とやっと実感した今日この頃です。
私が遠回りをした道を通って欲しくないので、先に人生を歩き出した者の立場で
(偉そうに言ってるなぁ)と思って頂いてもOKですよ。
こんな考え方もあるんだ、と知って頂いただけでも嬉しいですし、
それがヒントにさえなればそれだけが全てです。

きっとこうやって思いを託しながら人々は次の世代へバトンタッチをしていったんだなぁ、と。
おばあちゃんがうるさく言っていたのも今となっては何を言わんとしていたか、わかります。
『親心、子知らず』にならないよう、私も尊敬する人の言葉はせめて聞くように、謙虚でいたいと痛切に。

心理カウンセラーだけの事務所があるのでしたら未だしも、
精神科に通っているということは打ち明ける人は必要最小限にとどめておいて下さい。
言っただけで離れていった知人が沢山いたので。
それでも人間性を見極める良いひとつのふるいにはなりましたが。

これからあなたがどんな道を歩むのか想像出来ません。
ほんの一瞬、ネットという仮想空間でありながらも、
私の道と、あなたの道が交差したご縁を嬉しく思います。
考えをまとめる機会を頂けた事、感謝しています。
最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。
失礼致しました。

P.S. 困ったときは、ナンクルナイサ~、ですよ。
(どうにかするさ~、どうにかなるさ~、なんとかなるさ~♪)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
とても長い文章を丁寧に書いていただいたのに、御礼遅くなりもうしわけありません。

私なりには少し考えているんですよね。
例えば壁を作ってしまうのは中高くらいからで、その頃人間関係で辛い思いをしたからで、そのあとの様々な出来事や他人と比較しつづけた結果自分に魅力がないと感じ、その壁が高く暑くなってしまった感じだ、とか、も考えています。
しかし考えても対策が見つからないんです;

quicklunch様は様々な経験をしているんですね。
そして、そのなかで悟ったこと教えていただきありがとうございます。

不眠症ですか・・・私は眠ることは出来ますが、1日に2,3回なぜか凄く気分が落ち込んで、生きてても無意味だから死にたいとばかり思います。
quicklunch様が絶望的だったときの気分にとても共感しました。

私は友達もいないし、家族も嫌いなので相談する相手はいません。
現在は就活中でアルバイトもしていなくお金がないし、親と仲が悪いのでお金の工面ができなくカウンセラーにはいっていませんが、心の医者さんに行こうか真剣に悩んでいます。
そして、いきたいと思っていたところに連絡していましたが予約の関係で無理でした。
しかし行こうとは考えています。

心のフローチャートはすぐにでも出来そうなのでやってみます。

アドバイス、そして、経験談ありがとうございます。
自らを信じる・・・わたしもそううなりたいです。
ほんとうにどうもありがとうございました。

お礼日時:2008/04/08 23:00

No.4です。



 コメントしてしまったのも縁が出来たんだと思って、もう少しだけ伝わり易いかもという表現で書いてみようかなと思いました。余計なおせっかいだったら、ごめんなさい。

 ある科学者が統合失調症を発病するのですが、その人生の混乱の中で、ある日、自分を振り回しているものが幻覚、妄想であると気が付いて、それらと如何に付き合うかという部分で工夫をし始め、何とか付き合えるようになり、壊れかけていた妻との関係も修復して行き、科学者としても成功を得るという話があります。”ビューティフル・マインド”という映画になっているのですが。

 これの、”自分を振り回しているものが幻覚、妄想であると気が付いて、それらと如何に付き合うかという部分で工夫をし始め”という部分が、私が書いて来た事なんですよね。

 ええと、孫子の兵法にもあるでしょう?”敵を知り、己を知れば、百戦危うからず”って言うのが。それと同じことなんですよね。

 つまり、なぜあなたは人と関係を繋いでいけないのか?という構造を出来るだけクリアーにあなた自身が理解することによって、それとどのように向き合い、付き合えば良いかというのが見えてくるんです。

 精神病などのカウンセリングでも、カウンセリングが有効に機能する患者と言うのは、”自分で考えて行ける人”なんだそうです。カウンセラーとの対話をヒントに、契機に、自分で考えて行ける人なのだそうです。でないと、効果が無いのだそうです。

 私の通院経験からも、通所経験からも、頷ける話なんですよね。

 まぁね、私以外にもこれだけ色々な考え方が一気に載りましたので、あなたとしてもどう受け止めていいか判然としないか、混乱するか、そう言われて欲しくないというものが出てきて忌避感が強まったりとか色々があると思うんですよね。

 だから、私のコメントも経験者からのいち参考意見として扱ってくれればと思うんですよ。

 人間の歴史の中で、あなたのような辛い想いを抱いてきた人は、それなりにたくさんいるんですね。今の絶望と向き合うのに、過去の資産を探って、生かしてみるというのも手ですよね。

 あなたなりの方法論が見つかると良いですよね。


 人間の生に絶望は付き物であるんですよね。上手く付き合えると良いですね。


 では、私のコメントはこれで終わります。

 お騒がせしました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

自分の抱える問題といかに向き合うかが大事と言うのはとても共感しました。
あと、精神的に問題あるときには自分が考えていかなければいけないというのは、私の好きな臨床心理学の専門家の方も著書で言っていたのでkumosuke32様はそういうことを経験されて向き合っている方なのと感じ、そのような方からのアドバイスということで、より一層力強く感じました。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/04/08 23:12

 私のようなものの言葉があなたに響くとはつゆとも思わず驚いています。



 しかし、私は似たような現象を過去に幾度も経験しております。

 その経験から思うことは”やはりな・・・”という事でしょうか。まぁ、これについては触れないでおこうと思います。長くなり過ぎるのです。




 あなたの言う、”対人恐怖症とか、社会不安障害は当てはまらず、どちらかと言うと人格障害系がいくつかあてはまる”というのも、私自身、前回コメントを返しながら、その方向性が強いと思われているのであろうなぁと思いました。

 それを示す今回のコメントは、交遊を語る部分でしょう。

 つまり、引用して申し訳ないですが、
> 私はどちらかと言うと良く異性から誘われたり、好意をもたれるほうだと思います。
> しかし、タイプの人ではないと食事に行こうとすら思えません。(友達ならOKです)
> むしろ、悪意はないのですが、気持ち悪いとか迷惑と思ってしまいます。

 とか、

> 空っぽだと感じるのは人に受け入れられない以前に人と普通の話を続けられないからです。
> それは私に話すネタがない(友達・恋人もいなくて経験が圧倒的に少ないから)、そして聞く側に回っても全く興味を持てず苦痛でしかなくそのうちそれが無意識に態度に出てしまうからだと思います。

という部分ですよね。


 これは一般に言われる対人恐怖症とか、社会不安障害とは違うと思われている部分だと思いました。

 そして、人格障害と当てはめるのに導かれた部分のひとつだと思うのです。

 そして、対人恐怖症よりも人格障害と思われているであろうと思えた部分も、主題の質問に現れていることに返答を書きながら気付いたのですね。


 ・・・・・と、ここまで私が書いたあなたの文章への洞察のようなものが、あなたがまだ行っていない事のひとつではないでしょうか。つまり、人間理解への一歩として、人の書いた文章から人を読むということですよね。行えていないとも言える。

 これはつまり、失礼な言い方に当たるかもしれませんが、あなたの世界より私の世界の方が広いという事のひとつを意味しているとは思いませんか。

 私とて最初からこれを行えた訳ではありません。

 ですから、あなたにやれることはまだまだある、というのは、この事からも少し察せられたのではないでしょうか。ちょっと驕っているでしょうか。





 私は以前、まごうことなき、と言って良いと思うのですが、対人恐怖症でした。でも、あなたと同じような側面も持っていたのですよ。先に引用した、あなたの交友における形と同じようなものを持っていたのです。つまり、話すネタが無いとか、相手を選ぶという部分ですね。

 そこから思うのは、あなたの持っている対人恐怖症とか、人格障害というフレームはそれをそのまま用いて良いのか、という事ではないでしょうか。そして、それは、あなただけでなく、精神医療用語として用いられるそれらのフレームも、それをそのまま用いて良いのか、という事も問わねばならぬのではないでしょうか。

 ここにおいても、あなたは、ただこれくらいの私よりも、していないこと多いと思いませんか。そして私には私の先にいる人々が多数見えています。ということは、私より先にももっともっと、あなたにはしていないこと多いものがある、ということではないでしょうか。


 たとえば、ひとつ有るものとして、自分の頭にある(限られた)情報だけでいくら考えても出てくるものはループしたものである、という現象が有るでしょう。論理回路も、感情理解も、人間理解も、社会理解も、あなたの中にあるものは、あなたの思考のパターンに従属し、支配下、にあるものでしかないのです。そういう意味では、まだまだ人の知見を募る必要があなたにはあるとは思えないでしょうか。現在と過去の人々において。

 たとえばあなたは私の語を受けて、過剰適応という言葉を用いました。しかし、その過剰適応という言葉において、あなたにどれほどの理解があるでしょう。その言葉の文脈にはあなたの知らない”過剰適応”が多々あるとは思われないでしょうか。

 そして、そこを繋いで語れば、あなたの年齢と、社会的位置と、生活空間で、どれほどの社会資産、社会資源を知るでしょうか。私は今や一般社会では驚愕されるほど色々な事物、色々な世界、色々な価値観を知っています。私程度は世に捨てるほどいますが、それと比してもどれほどあなたが”行い尽くした”と言えるだけの”知る”を持つでしょうか。


 抽象的な話ばかりで申し訳ないですが、あなたにはたくさんやれることがあると私が言わんとするところは察せられるのではないでしょうか。




 私はあなたと、ちょっと遠いけども、近いタイプの女性と話したことがあります。

 だから、様々な面で近似値を取る部分があると思います。

 そして、もちろん、あなたは私とも遠いけども近いので、近似値を取る部分があると思います。ただ、私とあなたでは男と女という部分での違いが大きく出るでしょう。

 そういう意味では私にはあなたがわかる部分多くあると思いますが、私がわからない、わかりにくい部分があると思いますし、あなたに私の方法論が適さぬ部分も多少あると思うのです。


 たとえば、前段の女性もあなたと苦しんでいる部分が重なるところがありました。でも、彼女は辛いとは言って、事実苦しむのですが、そこから変わろうというベクトルを自ら持つことはしませんでした。受身で変わるのであれば変わろう、であり、あとは、気持ち任せという感じがありました。まぁ、人には色々な形があるということでもあるのですが。

 それはある意味あなたの中にも形は違えどもあると思うのです。

 たとえば、変えることは不可能と言っていますよね。

 でも、自分で不可能としてしまえば、それはそれ以後動かぬものであり、しかし、可能かも知れぬと思えば、いずれ動くものかも知れぬものであるのですよね。言霊とも言いますが。

 たとえば、4年なので時間が無い、家を出ないとならない、というのも有りましたが、それも他に方法があるとも思えるし、時間が無いと決めなくても良いとも思えたりします。その制限を決めてしまったがゆえに、いまさらに追い詰められる面があると思います。強迫性が高まっていると思います。他の選択肢を探すという道もあるのではないかと思えるのです。

 そういう意味では”探求”を自らに課せ続けられるかという部分があなたの宿題としてあるとは思えないでしょうか。ただ、これに向かえるかは、私は向かえましたし、向かい続けていますが、あなたにそれが適うかはわからぬところなのです。





 あなたは私の予想通りに”ある程度聡明な人”でした。それも文章から察せられました。そしてその姿は過去の私とも重なると思うのです。”ある程度聡明”とは、聡明と比してはたいしたことはなく、でも、聡明でない一般の人と比べると知に傾くという意味で用いてます。


 そこから、もしかしたらこれに当たるのかなと思うのを書いておきます。

 そういう人にはある種、人の話がつまらないという感覚があるんですよね。何となく先が読めてしまう部分があるのです。それゆえに、話しても話すことが無くなるともなるのです。でも、自分が求める”知”と思えるものと出会うと、自分の知がたいしたものではないと、その”知”に対されること、処されることが多かったりするのです。

 これがひょっとしたら、あなたにある交友関係の一側面ではないでしょうか。

 つまり、もしこれが適応されるのなら、求めるものが高い位置にあるということではないでしょうか。

 一応、これの先にあるものを伝えておくと、高い位置にあるものを求めるというスタンスはある程度の変化に止まるものの、他の要素を求められるようになったり、唯一の異性以外によっても、また、望んでいないもの、望んでいなかったものにも、ある程度満たされる感覚を持つようになれたりするのですよね。





 また、自分が”人が振り向くほどに綺麗である”という価値が付与されてから、その価値に、執着と言うか、しがみついていると言えると思います。

 そこから察せられるのは、あなたは自分の価値を過去においても見出せずに来たのではないでしょうか。それは他人が絡んだ自分の価値。異性が絡んだ自分の価値。そういう事ではないでしょうか。

 でも、それはあなた自身と周りが、あなたにある幾つもの価値を見つけられていないだけだと私などには思われるのです。そういうものを探す旅を続けることも必要ではないかと思うのです。

 私は幾人も、”私は普通”とか、”私に価値は無い”という人々と接して来て、彼ら彼女らに幾つもの個性、特徴やら、価値を見つけて来ました。だから、他認も出来てなくて、自認も出来ていない価値が幾つもあなたにはあると思うんですよ。

 それがひとつ見つかるだけでも、世界が違って見えるとは思いませんか?




 あまり具体的な事は伝えられないのですよね。それはそんなに簡単に表せるものではないからでもあるのですが・・・・。

 私の絶望を語ると、仔細には語れないし、とても長くなるので具体的には語れないのですが、比喩的に語ると、

 たとえば、今あなたが苦しんでいる位置からさらに苦しい局面に落ち、それがさらに深刻化し、長期化し、将来が絶たれながらも生きる事を課され、その地獄のような世界でさらに鞭打たれ続けて来ました。そして、ようやっと近年において長い地獄から抜け出したと思ったら、新たな地獄に落とされ、そして、さらに鞭打たれたとなるでしょうか。
 そして、その中でも大きく新たな世界を開いたのですが、それでも新たな闇と変わらぬ闇が降りてきているのです。

 私は小学校2年生の時に自分の人生がこれから壊れていくと予感したものです。それはその通りになったというわけです。

 そして、私は今でもいつ死んでも良いと思っていて、十分生きたと思っているのです。だから、”いつ何時死ぬことがあっても、恥ずかしくない人生を”というのが私の胸にある訓示であります。出来れば、早く死が訪れて欲しいと願っているのです。それほどの今も生きるのが苦しい想いがあるのです。積み重なったがゆえの。


 でも、その中でも、”朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり”という論語の一説のような想いもあるのです。

 つまり、私の生はもう定まっていると言って良いほどの、生涯追いかけて行こうと決めた道があるのです。

 つまり、それが私の新たな希望でしょうか。そして、意外にもこの希望が私に新たな世界を見せているのです。






 と、このような内容で良いのか判りませんが、また、期待外れになると思われるのですが書いてみました。

 ここに書いたことがあなたに伝えられる私の中にある全てではないことからも、あなたの知らない世界、あなたにやれることがたくさんあるとは思えないでしょうか。

 私は、でも、世に捨てるほどいる人間の類の内の一人に過ぎないのですよね。


 さらに上の世界もあるし、さらに知らぬ世界もいくらでもあるのです。


 私から伝えられることは、まず、これぐらいでしょうかね。



 こんなものからでも、何かを思って、想ってもらえれば幸いです。





 本当はこのメンタルヘルスのカテゴリーでアクションを起こすのは止めなければと、ずっと止めていたのです。それも理由あってですが。周りを見渡せば少しは察せられる部分が出てくるかと思いますし、また、察せられない部分も多々あると思います。

 何かを感じてまた書き始めてしまいました。

 これが良いのか悪いのか、今は判らずにいます。

 そして、こんなもので良いのかも、判らないでいます。
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この回答へのお礼

またまたありがとうございます。

前から自分に精神的な欠陥があることには気づいていて、そのような分野の本はよくよんでいたし、パーソナリティー障害というほんも買ったので、自分が人格障害かもしれない(医者に通っておらず正確な診断を受けていないので分かりませんが)ということには気づいていました。
しかし、当てはまる人格障害が余りに多く(回避性、妄想性、境界性、自己愛性、演技性)悩んでいるところです。
色々な書物やネットを使い調べてみて、根本に近いところが見えてきても、その解決策には全く出会えません。

確かに言葉をそれに限定して捕らえるのはダメですね。

探求を自らに課せ続けると言うことも大事なのは分かりますが、私は問題を解決したいです。
普段から悩んではいますが、今は本当に苦しいんです。

私はどちらかと言うと私が普通から外れすぎていることに悩んでいます。

私はやってきたと思っていることはたくさんありますが、ご指摘の通りできていないことというのもたくさんありそうです。

今回もありがとうございました。
いつもとても考えさせられます。

お礼日時:2008/04/08 23:39

#2です。



そうですか、留年はできないんですね?!

「今後の人生に全く希望が持てないんです」ということですが、それは「認知の歪み」とは思いませんか?
(『認知の歪み』についてわからなければ、ググってみてください。きっとたくさんヒットします。)

>相手から定期的に連絡をくれるような友達は一人もいません。

それなら、自分から友人に定期的に連絡をすれば良いんですよ。

>結婚は出来ないだろうし、職場でも辛い立場になりそうだし、今後全く幸せになれる気がしません。

これも「認知の歪み」のように思われるのですが・・・

私も20代の頃「一生、結婚する事はないだろう」と本気で思っていましたが
今では「この人と結婚するのだろうな」という人が現れました。

>本当に好きなのはペットの犬だけです。
>それしか私にはいません

裏を返せば大好きな物が一つはある(いる)というわけですね。
何にもない人も世の中にはたくさんいますよ。

犬が好きなのであれば、例えばSNS(Mixi等)に入会して、同じように「犬が好きな人」の
コミュニティに参加してみてはいかがですか?

そこで価値観の合う人と出逢える可能性だってあります。
インターネットを通じて知り合い、結婚した人なんてザラにいる時代です。

他人と過去は変えられませんが、自分と未来は変えられます。

>現在は若いからまだ良くても、今後年をとったら全く誰も相手にして切れなくなりそうで怖いです。

これは若いからゆえの悩みとも言えます。年を重ねるとそういった不安もなくなっていきます。

本当です。作家、村上春樹も自己のエッセーにおいてそのような趣旨の事を述べています。

Tomorrow is another day.
Don't worry, you can make it!

ここでやりとりしたのも何かの縁、応援していますよ。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5% …
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この回答へのお礼

再び回答いただきありがとうございます。

認知の歪み・・かなり当てはまります。
でも、yumtimtam様が認知の歪みから生じてしまったと指摘いただいた私の考えなんですが、わたしはかなり真剣にそう本気で考えています。
それが歪んだ考えのもと産み出されたものであればいいんですが、私にはかなりの割合で事実であると思うことばかりなんです。

しかし、yumtimtam様からのアドバイスや御意見参考になるものや励みになるものばかりでした。
何度も本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2008/04/09 16:24

 No.8です。

もう少しわかりやすく書いてみようと思います。あなたの必死に期待して。


 ”得る”ために必要なことは、歩み寄ることであります。

 それは異性に限らず、友人に限らず、学問もそうですし、仕事の技術もそうですし、そういう意味では金銭もそうとなります。それが理(ことわり)となれば、なおそうでしょう。ありとあやゆるものが本質的に”得る”を成すためにはそれが必要となるのですよね。

 そして、歩み寄ることに必要なのは、更なる理解でしょう。


 人生に絶望を感じるほど欲しているものが得られないというほどのものであるのならば、得たいと思うものに身や心を削って歩み寄ることも可能なはず。

 そして、理解という意味では、今、話をしていて、その対象たちに、私ぐらいの者よりもあなたにその”理解”がどれほどあると言えるでしょうか。


 たとえば、愛犬は本当に好きと言える。ということは、あなたは愛したいと思っているし、愛されたいと思っている。そういう欲求がきちんとあるということでしょうし、それがきちんと愛犬においては成立しているという事を意味するでしょう。では、それはなぜ成立するのでしょうか。それがわかれば、人にもその成立要因をどのように組み込んで、その構造を成立させることが出来るかという模索も出来るはず。


 薬や医療に安直に頼ったり、人を刹那に求める人たち多いですが、それらが生かせる、あるいは、それらをそれらが持つ機能以上に確かなものとして自分に何かを導けるものとなるのは、自分が自分自身で可能性を思考していける姿勢を持てるかということと、それを思考するだけでなくその思考の取得物を自分で試していける姿勢を持てるかということが最も必要とされるものであるのは必定でしょう。




 私は仕事がきついという人にそのきつさから逃れられる方法を幾つも授けました。でも、その人はそれらのひとつも実行することなく未だにきついと愚痴をもらしています。

 商売が上手く行かないと嘆いている人に幾つ者売りあげを地道に伸ばす方法を示しました。しかし、それらのほんのごくごく一部しか用いることありませんでした。私が実行して確かな成果を出し始めていたそれらを目の前で見ていても、です。

 生きることが苦しい、死にたい、という人に、その苦しい要因と向き合う方法を幾つも授けました。しかし、ひとつも試すことすらしませんでした。

 人生に意味を知りたいという人に、色々な意味を模索する方法を授けましたが、ある宗教の走狗として、その宗教に疑問の言葉を漏らし続けながらも、走り続けるのみの人もいました。

 人の多くは、大きな声で変わりたいと言いながらも、頑なに変わりたくないと行動し続ける面があるのです。いや、それは本当に、私が方法を幾つも持っているだけに、たくさんの人が頑なに変わろうとしない姿を見てきました。

 まぁ、私が人の心を誘導する方法を嫌うために、私の言葉が相手を誘導的に動かさないという面も有りなのですが。

 ”ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまるためしなし”
 
 これは方丈記の書き出しであり、そこにあるのは当時の人たちの人間観と言えます。つまり、朝と夕においても人間は変化しているものである、毎時において変化し続けるのが人間であり自己であるという価値観を持っていた訳です。しかし、今の人たちはその価値観を持ってはいません。

 私は精神の病の回復経過において、自分と言うものが気が付かないほど、わからないほどに少しづつ変化し続けていたことを感じました。そして、ある中期の回復を得た時に、その方丈記の書き出しが2日間私の頭の中で連呼され続けるのを私は聴いてました。

 私は自分を変化させようと必死に努め、その成果は一時期支援してくれた保健師さんも目を見張るほどでした。が、その保健師さんが顔色を失うほどの過酷な責め苦を、更にその後に受けさせられ、そして、今においては、異動により去ったその保健師さんも知らぬ更に新たな責め苦を負っています。

 私は自殺未遂を繰り返し、ここまでやって死ねぬのならば、もう死ぬはちょっと難しいとなり、仕方無しに生きている面があります。が、それも生きる原動力ともなっていることは皮肉ですが間違いなく、それら受難をも負って生き続けています。

 でも、人は本来、絶望を持つことなく生を終えることも無い訳で、大きな絶望と多少の希望を交互に入れ替わり心に中に抱かされながら、それらが転がるように有り続けるのが生とも言えるものではないでしょうか。

 現代の価値観を構成しているのは、現代の情報であり、メディアであります。それらが見失っているもの、捨ててきたものの中のひとつ幸福観というものがあるのではないかと思うのです。
 つまり、今の人たちが抱いている幸福観は”幸”の存在しか許さぬものであるのではないだろうかと言うことです。

 人の生に本来あるべき絶望や苦るしみ、そういったものを無視せず、受け入れ、どのように人生に溶かし込んで行けるかということが、元々それぞれの人に求められて来ていた、今は失われている力量であるのではないかという事になります。

 そして、過去においては、それらと向き合う方法は幾つも存在した訳です。現代のように医療一辺倒ではなしに。


 さて、これらの私が記述したものが、あなたには無かったものであると言うのならば、それはやはり、あなたの世界はまだ小さくて、やれることも、知るべきこともたくさんあるということではないでしょうか。

 たとえば、2ちゃんねるで誹謗中傷されて自殺する少年少女たち、彼らがなぜそれぐらいで自殺してしまうかと言ったら、世界の広さを知らないからでしょう。2ちゃんねるなどパソコンのスイッチを消してしまえば個人の前からは消えてしまうものであり、世界の何人がそれをまともに見ているものでしょうか。

 たとえば、若くして自殺してしまった子の日記には、いじめられたり、虐げられたりの記述しかなかったのです。花鳥風月すらない。ということは、その子の世界がとても小さく、他のものが目に入らない状態になっていたからと言えるのではないでしょうか。自殺要因しか見えない世界に生きれば、自殺するしかないのは必定でしょう。

 どうでしょう。あなたにある可能性は、私はたくさんあると思いますが、それらを探ってみる気にはなれたでしょうか。それとも、前述の人たちと同じように、変わりたいと言いながらも頑なに変わらないことを選択し続けるのでしょうか。

 あなたは私と比べても10歳近く若い。ええと、8歳ぐらいかも。ということは、その10年なり、8年なりで、得られるものがどれほど有るか、それを得ないでみないと判らないのではないでしょうか。それが得られると、その今ある苦しみがどのように変化するかも判らないのではないでしょうか。

 そして、現代人の平均寿命、あなたは女性ですから、80歳である訳ですが、その年数を思えば・・・・・、となるのですが、如何でしょうか。

 私が思うに、あなたはまだ人間と言うものすら知らない、となるのですよ。

 可能性、あるじゃないですか。
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この回答へのお礼

何度も本当にどうもありがとうございます。

絶望するほど欲しいものに歩みよるですか・・・とても勇気が必要そうですね。
でも、私は私なりに1歩ずつそれを実行しているつもりですが、それはかなり自分を殺してしています。
本当の自分が何なのか全く分からないからつい相手の自分に対するイメージをもとに振舞ってしまいます。
それも悩みなんです。本当に自分がわからないのです。

しかし、私は変わりたいと言いつつ変わるのを恐れていると言う面があるみたいです。
kumosuke32様の回答を読んでいて気づきました。
また、私の世界は狭いと言うことも納得です。
まだまだやっていなことがあると思います。
ただ本当に凄く苦しくなるときがあるんです。
だから自分の外(例えばまだ借りてはいませんが医療にでも)に力を借りたくはなってしまいます
私はkumosuke32様が羨ましいです。

ほんとうにありがとうございます。

お礼日時:2008/04/09 16:50
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