プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

公務員はどの職種も、倍率が高く非常に人気があります。
倍率の低い職種でも、受験者は高学歴でレベルが高いです。
ですが、昔は給料が安く公務員は人気がなかったと聞きました。
これって本当なんでしょうか?
公務員が安定していたのは昔も同じはずですし、仕事もそんなに大変じゃないと思います。歴史の本などでは、農家や工場でボロボロになるまで働かされていた人の話を見たことがあります。
給料が安くても、安定して楽なら公務員になった方が良いと思うのですが、なぜ昔の人は公務員になりたがらなかったのでしょうか?
その辺の、小さな会社に入ったりするよりは、市役所や警察官になるほうがずっと良いと思うのですが。
本当に、人気がなかったんですか?

A 回答 (9件)

ある意味で、今でもおなじことが言えるのは、


頑張って、サービス残業でも深夜勤でも
バリバリこなして、立派な功績を残しても、
定時に出勤、そこそこに仕事こなして
定時に退勤する人でも、同じ公務員なら
みんな仲良く同じ給料。
景気の悪い今の世なら、それでも
給料だけは安定している公務員は憧れでしょうけど、
頑張れば頑張っただけ評価されて、高い給料、
高い実績を追い求められる民間は、
好景気だった昔だったらずっと魅力的だったと
思いますよ。
仕事に対して、給料やキャリアといった
高い理想を追い求める人にとっては、
「公務員なんて、つまらない仕事に就きたくない。」
と、考える気持ちもわかる気がします。

仕事も楽だし。と、考えられているところが、そもそも
少し公務員を見誤っているのではないかと思います。
楽をして、仕事もしない公務員は確かにいます。
でも、そんな人がいても仕事の量が減るわけではありません。
怠けている職員の分、誰かが二人分以上の仕事をこなすんです。
だから、公務員はサービス残業の温床なんですよ。
それでも、怠け職員も残業組も級が同じならみんな同じ給料。
見返りにこだわらない、高い理想を持たないと、
こんな評価もされない仕事は、ある意味キツイですよ。
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 好景気の時代は人気がなかったですねぇ。


 私が大学を出る頃,民間企業の平均初任給と国家公務員初任給では4万円ぐらいの差がありました。つまり,民間企業に就職した者が,税金やら年金やら社会保険料を差し引かれた受取額の方が,公務員の額面給料の方が低かったのです。年収に直すと60万円ぐらい公務員の方が安かったのです。バブル期ですと100万以上の差がありました。
 人気はなかったのですが,そんな時代でも,好景気やインフレ,オイルショックなどの景気変動を経験してきた親が望む子どもの職業のナンバーワンは公務員でした。
 ですので,その頃でもそこそこの倍率がありました。公務員になりたければなれるという時代はなかったということです。
 
>仕事もそんなに大変じゃないと思います。
 
 これは質問者の思い込みですよね。部署によっては大変な激務をこなさなければなりません。
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近所の大学の教育陣。


高校の教師よりも給料が安いので、ほとんどの人が高校教師を目指しました。それを拝み倒して、引きぬいてきたのが開校時の教育陣です。
名誉職として就職した人もいます。就職先がないので、田舎に飛ばされてきた人もいます。
私の小学校時代の教師も、「北大に飛ばされる(中央の役人ですらも冬の寒さで死亡する人がいるので北海道への出張は夏に限られた)くらいならば、都内の小学校で」教鞭をとっていました。

近所の「高卒以上」の学歴が必要な職場。求人してもだれも来ないのです。下かなく、管理職クラスと給与水準を上げましたが求人がない。仕方なくさらに「中卒以上」に代えました。ただ、大型車の免許が必要なので、当時は少なかったです。
し尿運送を担当する部署への就職は極端に少なかった時期があります。

昭和40年代。教職員(大卒・勤務年数20年ぐらい)の給与と教え子の中卒者(食堂の店員)の給与が同額であった時期があります。昭和30年代以前は農村部では「苦しみ出したので町につれて行った。次第に声が小さくなり、町が見えたときには声が聞こえなくなった。町で死亡診断書を書いてもらって連れ帰った」単身赴任の小中学校教師が結構いました。
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今でも市町村役場の職員は、そこの市町村議員に口利きしてもらえば、なれるらしいです。


使い込み、業務上横領で懲戒免職された職員も、職場復帰できたそうですから。
ちなみに関東・埼玉の某市でのことで、発覚して非難された京都のことではありません。
今でも自衛隊等、比較的簡単に公務員になれる3K職場もありますよ。
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地方では跡取り息子が都会にあこがれて就職をし、都会生活に慣れればUターンすることがなくなるので、地方で公務員になれば転出もなく自宅から通えるし、生活範囲内で結婚をすれば結婚後も転出しなくなり、万々歳でした・・・・・


給料が安いといっても極度に安かったわけでもなく、自宅から通ったり、また自宅があれば出費も少なくてすみ、生活水準は充分保てましたので生活苦はありませんでした。
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 社会保険庁絡みで伝聞として聞いた話です。

ですので、ウラが十分にとれていないことを前提で。

 確かに、過去には人気が無く実質的に無試験に近い状態で新規/中途とも採用されたことがあったようです。
 社会保険庁絡みで、なんでこんなに年金記録がいい加減かを聞いた際、原因の一つとして、昔は能力が無い人を採用(=実質無試験)せざるを得なかった時期があり、そのときの記録が不完全なケースが少なからずあるというものがありました。(ところてんで昇進する社会保険事務局(所)では、そういった者も重職についていたとのことです。)

 部署等により異なりますが、一般にイメージされているよりはるかに忙しくサービス残業ばかりといったところも珍しくありません。そういった忙しさやインフレ等を考えると当時は必ずしも、安定した職業との認識が無かったのかもしれません。
(蛇足ですが、こういった業務負荷の適切な配分が柔軟に行えない硬直性がお役所の非効率性の一つです。)
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国家公務員は、いつの時代も人気が高かったのですが、若い人の眼が大都市にに向いていた頃は、地方公務員となると、安月給の代名詞で、一生働いても家も建たないので、なり手も少なく、町村役場の関係者の紹介で簡単に入所できた時代もありました。

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昭和30、40年は人気がありませんでした。


公務員に、高校卒ぐらいは必要です。
専門職は大卒資格が必要です。
当時の大卒は希少でした。
初任給が、たぶん、9000円か1万円だったかな。

民間のほうが初任給が高かったのです。
それに、公務員は当時激務でしたよ。
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デモシカ教師という言葉があるように、公務員も、学歴はあるがいいところに就職できない人がなるのがイメージでした。

最近ではバブルの時期がそうでしょう。
農家や工場作業員と比較すると確かに楽で安定しているかもしれませんが、以前は会社員も終身雇用が当たり前でしたから、私が就職した頃は昭和終わり頃でバブル前でしたが、首都圏では一般企業に比べると初任給も安く、公務員は人気がありませんでした。ですが田舎では採用枠も少なく、やはり昔から狭き門でしたね。
今でも初任給は(首都圏では)民間より安いようですが、終身雇用神話が崩壊したため、安定性のある公務員の人気が高まっているのだと思います。
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