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 自殺志願者ではないです。
二つ質問です。

1・生きる意味は何でしょうか?
2・生について、死について考えた哲学者は今までいましたか?

A 回答 (34件中11~20件)

#22



>宇宙は「あり」、神は「いる」のでしょうか?と避けますが。

私たち個人の生活圏(朝起きて、電車に乗って、学校に言って、帰りにカラオケに行って、家に帰って寝る)からすれば宇宙も神も同じようなものじゃないでしょうか。
存在するかどうかではなく、科学において全てである宇宙と何を比較するのか、その宇宙さえも創造した神と何を比較して価値を計るのか、その対象があるのかという意味で書きました。

>生きる意味ではなく、生きる価値としての回答ですよね?

意味と価値を分離できると?
客観という言葉を使われますが、生きているのは『私』で問うているのも『私』です。
その『私』が意味の無い価値、価値の無い意味など問うて何になるでしょうか。
他人にとっての「生きるとは」なんて聞いて回ったところで何の意味があるでしょう。


>客観視(想定的に)生きる価値は比較可能。

『私』がAさんとBさんの生きる価値を客観的に比較可能だとおっしゃるのですか?
それとも『私』とA、Bさんのそれですか。
具体的にどう表現されるのでしょう。数値化も可能でしょうか。

この種の問いを考えるとき、いつも思うのは自分を客観視することに意味があるのだろうかと思います。
客観していると主張しているのは私という主観ではないでしょうか。
私の中に客観など存在するのでしょうか。
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楽しんだり、悲しんだり、喜んだり、怒ったり、するため…ですかね。


何か「する」ことによって生きていることを「実感する」ということではないでしょうか。
ただ単純に子孫を残すためっていうことではないと思います。別に100代子孫を続かせるっていうのが生きる目的じゃないですからねぇ、永遠に続くわけだし。その合間に何かを「して」何かを「感じる」っていうことが生きる意味なんだと思います。
そこで、何かを「して」自分の極限以上に「感じること」に疲れた、諦めた、飽きた、嫌になった人は生きる意味を失って死をえらぶんじゃないでしょうか?
大抵の人は、そうなる前に寿命が来るのかなぁ…と。

何処の誰が命を作ったのかはわかりませんが、せっかく生きてるから、「よし、楽しんでやるか」と!
私はただ生きていることに意味があるとは思いませんね。

二番は、ちょっとわかりません!すいません。
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#12



生きるとは、命、或いは人生と置き換えてもいいでしょうか。

価値とは比較可能なもの同士にのみ通用する物差しではないでしょうか。

宝石、車、本、仕事、時間・・・・・

では私にとって、この命、この人生を何と比較するのでしょうか。

例えば、私の命と、他人の命を比較することが可能でしょうか。

もし比較可能であれば交換も可能なはず、しかしそれは出来ません。

私にとって代替の利かないもの、例えば宇宙、神、に価値があるのかという問いに答えがあるでしょうか。

価値がある、無い、とは何と比較してある、無い、なのでしょう。

そんな感じで、答えとしては、

生きるとは意味という物差しでは計れない

というのも一つの回答としてどうでしょう。
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この回答へのお礼

>宇宙、神

 宇宙は「あり」、神は「いる」のでしょうか?と避けますが。

>生きるとは意味という物差しでは計れない

 生きる意味ではなく、生きる価値としての回答ですよね?
 「生きる価値」とした場合に於いては、ひとつの見方としては良いと思います(主観的な立場からして)。
 しかし、生きる意味の「意味」を「価値」に置き換え、それ(「生きる価値」)を客観視することは可能(客観的な立場として)。
 ので、客観視(想定的に)生きる価値は比較可能。

お礼日時:2008/06/12 04:31

>>表現力極大言語で最大限にその能力を発揮しても、狂気とされずに有意味な記述として機能するには、背景と脈絡と登場人物を特定しなければならないのです。


>根拠は?

これを第三者のNo.6・19さんに聞いては失礼です。
この文章が、存在していた前後の脈絡をしっかり理解できていましたか。言語ゲーム/劇において、「生きる意味」を語る登場人物は、誰なのかということですが、読解できていれば、これに答えるべきでした。植物だとか、宇宙だとかの話を出したのは質問者様の方だったでしょう。補足しないので、創造主ではなく、回答者個々人に格下げして回答したのです。

また、それぞれの回答者から何かを伝えられても、消化不良で一言返しの吐き出しに終始しているような印象を持ちました。機が熟していないのかな。1か月後くらいに再度挑戦の方がいいかな。それまで閉じずに放置することをお勧めします。キーワードは出ていますので、調べましょう。

この回答への補足

>>表現力極大言語で最大限にその能力を発揮しても、狂気とされずに有意味な記述として機能するには、背景と脈絡と登場人物を特定しなければならないのです。
>根拠は?

 此方の回答をして頂ければ、答えます。
明らかに回答者の説明不足。

補足日時:2008/06/12 04:32
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この回答へのお礼

>宇宙

 こういうのもひとつの見方では?と提案した。

>創造主

 此方の話しになると、別な問題が生ずる(話しが逸れていく恐れがある)。
ので、自分でも意見はありますが、それに触れなかったまでです。

>一言返しの吐き出しに終始しているような印象

 まぁ、そうですね。

お礼日時:2008/06/12 04:19

1・「生きること自体」に意味はないでしょう。

というか発見することは出来ませんね。出来たらもう知ってますしね。只生きている。それしか発見できません。動きとしては大きく分けて「膨らみ」「縮み」しか発見で見ません。じっとしていると多くの苦しみがありそれを避けるべく常に動き、思考も自ら進んで止めることはありませんね。楽を求め苦を避けています。

生きることは、感覚を感じ、その感覚の苦しみを避け新たな苦しみに乗り換える。苦を避け苦を受ける。このようなものと言えると思います。

悲観的でもなく、あくまで事実確認として。

「生き甲斐」は各々もてるでしょうね。自分と人の役に立つこと(自他の苦しみを減らす事、成長に役立つこと)は楽しいですし、やりがい・生き甲斐を感じることが出来ると思います。

2・ブッダが最たるお方だと感じます。具体的に理性的に論理的に道徳的に遍く矛盾なく語られているように感じます(ここでのブッダはパーリ語の三蔵の仏教です)。

自他の役に立つことについても、具体的に遍く語っていると思います。

具体的に論理的・理性的・道徳的に厳密に説かれているので、妄信を要求する宗教の性質はありません。だからでしょうか。なかなか広く知られることになってきまっせん。みんな妄信が好きですし、感情が大好きですからね。

最近は書籍の売れ行きもかなりよくなってきていて個人的にも嬉しいばかりです。

生老病死について・生きるとは具体的に何か・心とは何か・どのようにしたら苦しみを滅することが出来るのか・あくまで具体的に論理的理性的に道徳的に説いています。

そしてそれを根拠なく信じることを勧めず、自ら事実として確認して信(自信)を強める事を勧め、その自己の概念も柔軟に保ち、執着してはならない。あくまで理性を大事に・自己および他者を尊重し守ることを大事にすることを勧めたおしえとかんじています。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
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この回答へのお礼

 (細かいのを除き)生きる意味(価値)を見付けられるなら、自殺者は減るのではないか?と考えます。

>そしてそれを根拠なく信じることを勧めず、自ら事実として確認して信(自信)を強める事を勧め、その自己の概念も柔軟に保ち、執着してはならない。あくまで理性を大事に・自己および他者を尊重し守ることを大事にすることを勧めたおしえとかんじています。

 まぁ、そうですね。
それ以外の考え方もあるのではないか?とも思います。

お礼日時:2008/06/11 13:38

No.6 で回答した者です。


二回目の回答して最後にします。

pock-2は寄せられた回答に体して
「根拠は?」の一言で片付けることがとても多い。

皆さんそれぞれの考えがあって書き込みしています。
その考えに至るプロセスが完全に言語化できないことは
往々にしてあることです。
だからといってその考えが間違っているということにはならない。

「根拠は?」と一言で片付ける前にpock-2さんは自分なりに散々
その根拠を考えていますか?
「この人はこういう風に考えてこのように言っているのか?」
と想像をめぐらせていますか?

言語化していない思考プロセスをきちんと言語化することは
とても労力がいることです。
回答者の方々はpock-2さんの質問に無償で答えているのですから、
言語化する作業はあなたができる限り手伝うことが礼儀です。

「ーーさんがそのようにおっしゃるのは~~~という理由だからだと
考えましたが、そのような考え方で間違いはありませんか?」
「ーーさんがなぜそのようにおっしゃるか自分にはわかりませんでしたが、
~~~という理由が関係しているのではないかと考えました。
よろしければもう少し補足していただけませんか?」

ぐらいまでは自分で考えてください。
相手に言われたことを簡単につっぱねているだけでは
言葉遊びしかできません。

哲学というのは誰かの思考パターンに完全になりきった上で
自分の思考パターンとの違いを見いだす、という作業が
必要不可欠です。
そうしないと自分の思考パターンは越えられません。

そういったプロセスを経ることができないなら
あなたは哲学に向いていない。

この回答への補足

>表現力極大言語で最大限にその能力を発揮しても、狂気とされずに有意味な記述として機能するには、背景と脈絡と登場人物を特定しなければならないのです。

 根拠は?

補足日時:2008/06/11 13:34
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この回答へのお礼

>根拠は?

 一言で終えるのには理由があります。
「(自分は)~と思います、ので、その根拠は?」と聞き返すのが良いという人が多いでしょうが、自分自身が教授とかと話していると、そういう「~と思う」と言うと、色々な問題に逸れてしまう場合が多い(その方が良い場合もありますが)。
ので、自分は一言で終わらせています。

お礼日時:2008/06/11 13:33

個人的な推測ですが



1) 人の生きた文脈によって異なるでしょうが、人でも事象でも概念でも組織でも何かに関わることだと思います。周りの何かにとって意味があるのであれば、それは世界にとっても意味があるという個人的な推測です。つまり、それを問うている主体が納得できる(その問いに対する何かを見つけて問いをやめる)事象だと思います。(これでは何も言っていないが)

2) ソースを失念しましたが、哲学や思想の辞典を読まれました?
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この回答へのお礼

>人でも事象でも概念でも組織でも何かに関わることだと思います。

 デカルトと似た考え方ですね。
確かに、他者との関わりで以って、生きる意味(価値)があるとは思います。
しかし、其処に意味を見出せないものは(果たして)いないのか?
要するに。意味のない存在も「いる(ある)」のでは?と思います(根拠は挙げれませんが、汗)。

>ソースを失念しましたが、哲学や思想の辞典を読まれました?

 哲学史の勉強を、現在している所ですね。

お礼日時:2008/06/11 04:26

そんなことを考えるのは若いからです。


結婚して家庭をもって子供ができたら、
生きる意味なんて考えている余裕はあり
ません。とにかく生活。お金を家に入れ
家賃や電気代や水道代、ガス代、子供の
食べるもの、着るもの、お稽古の月謝、
ローンの返済、たまの飲み代、女房の小
遣い、女房の洋服代、女房との外食代、
女房との映画代、女房の同窓会の費用、
そして、自分のもろもろのお金。そして
バカ高い市民税、都民税。消費税。・・・
とにかくお金が必要なんです。
銀行を襲う人間の心理に同情することも。
そんなこんなで、生きる意味など考える
ヒマはありません。

しかし、

それが生きるということなのです。
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この回答へのお礼

>それが生きるということなのです。

 存在していれば、「生きている」ことにはなりますね。
果たして、其処に意味(価値)はあるのでしょうか?

お礼日時:2008/06/11 04:27

No.10で質問者に質問してしまいましたが、混乱させるのが目的ではないので、そろそろ、結論的なものを提示して、私の回答は終わりにしたいと思います。



まず、質問の仕方が、大雑把過ぎたのが、よくなかったのでしょう。
「(質問者様を除いて)あなたが、自分自身の生きる意味と考えていることを教えてください。」と書けばよかったのです。

生命全般についてではなく、回答者たちだけが考えていることを聞けばよかったのです。そうすれば、創造主を想定せざるをえなくなることもなかったと言えます。

そして、背景、文脈、登場人物に着目し、「練炭や硫化水素自殺が多発する現代日本で、回答者様それぞれの場合でお答えいただきたいのですが」とかいう導入部分を付けたうえで、(1)人はどんな時に生きる意味を考えたりするのだろう、とか(2)生きる意味として、どのような言葉を想しますか、とか
答えやすい状況を提示できていると内容豊かにできたはずです。

過去に生きることで悩んだことは、誰でもあり、自分もありますが、自分の場合には、生かされているだけの価値が何かあるはずだと信じています。そして、生かされるだけの価値がなければすでに命運は尽きているはずだと考えています。事故も無く、災難も無く、仮にあっても生かされ続けているのならば、その流れにのって、生きていくだけだなあと思っています。自己の意思で自力だけで生きているとは決して思っていないのです。それだと傲慢です。なにがしかの可能性がすでにそれぞれに与えられているはずだと思います。背景と脈絡はすでにありますが、それは次々と変化していくものだと思います。どう変わっていくかはそれぞれのストーリーになっています。
生きる意味は個々に属していて千差万別でいいと思います。不変の概念を提示した途端に「生きる意味」であったはずなのに「死」の相を帯びてしまいます。ですから、「生かされ続ける何か」ということであいまいにしておく方がいいと思います。語らない方が、「生きる意味」という言葉の尊厳を守れると思います。陳腐な言葉で卑しめないように、語り尽くせないものとしておく方がいいと思います。

何らかの答えを提示してきた哲学者は多いでしょうが、独立した実体として「生きる意味」の像のようなものを想定する方向では行き詰るというのが現実です。文を要素に分解せず世界全体の中で理解し、認識主体としての形而上学的な私は幻想だと気付くことが、行き詰まりを脱出する入り口であると段々と分かってくると思います。

この回答への補足

 後ほど、回答します(すいません)。

補足日時:2008/06/11 04:31
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この回答へのお礼

>質問の仕方

 まぁ、そうですね(自分の記述能力の問題です)。

お礼日時:2008/06/11 04:49

こんにちは



1・生きる意味は何でしょうか?
 生きることに意味がある考える人には意味があります。
 それぞれに違うものに生きる意味を見出しているので
 それぞれの生きる意味がそれぞれの生きる意味です。

 生きることに意味が無いと考えている人にとっては
 生きる意味はありません。

 生きる意味があるかどうか分からない人には
 生きる意味があるかどうかわからない状態でしょう。

2・生について、死について考えた哲学者は今までいましたか?
 人は誰でも「生」や「死」について考えることがあります。
 有名な哲学者と言われている人も無名の哲学者も我々も
 ほとんどの人が「生」や「死」について考えることがあります。

 古代ソクラテスも 哲学=死の練習 としています。
 西洋哲学のみならず東洋哲学も宗教も原点は
 「生」や「死」について考えることから始まります。 

 個人名が必要ならハイデガーも死についてたくさんのことを
 考えた一人でしょう。
 古代から近現代まで人が思い悩むことに変わりはないようですね。

 
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この回答へのお礼

>それぞれ

 本当に、「それぞれ」という回答で良いのか?
「それぞれ」と理解した上での回答を、自分は待っています。
確かに、その回答もひとつですけれどもね。

>古代から近現代まで人が思い悩むことに変わりはないようですね。

 その気がします、笑。

お礼日時:2008/06/11 04:34

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