プロが教えるわが家の防犯対策術!

こんにちは
歴史を勉強してます
いろいろと歴史書で悪く言われているナチス党ヒトラー総統ですが
動物愛護の制度を作ったり、
当時としては画期的な航空機も発着できる「アウトバーン」の建設をしたり
チェンバレン首相を上回る政治手腕で次々とドイツを
世界の1等国にしました
戦争やホロコーストなど悪い面だけでなく
善行について教えてください

A 回答 (6件)

ヒトラーについて書かれている日本の本の中で、内容もソフト(違う見方)で書かれている本がありまして非常に面白かったので紹介します。


『ヒツトラー傳(伝)』
もう絶版ですが、図書館等にあるかもしれません。
見つからなかったら・・・誰かに借りてください。
赤ちゃんのころのヒトラーや学生時代、画家を目指していたころの彼の写真等もあります。

特に、ユダヤ人が虐められているのを見て
『なぜ人と人とが罵り合わねばならないんだ(正確には言葉は違ったと思うがこんな内容)』
と言ったというところに驚きました。

まあ昭和9年の本ですから・・・
最後の締めが
『彼の邁進はこれからも続いて行くでありましょう』
だしね。まだ生きてるんですよヒトラーが
    • good
    • 0

驚かれるかもしれませんが、ホロコーストはありませんでした。


戦後ユダヤ人が、イスラエルを建国する為のプロパガンダとして、「ホロコーストで600万人殺戮されたユダヤ人」という物語を捏造しました。
驚かれると思いますが、ホロコーストの物理的、文書的な証拠はひとつも存在しないのです。「あった」のは、矛盾に満ちた証言だけです。物理的にも化学的にも、ホロコーストなど有り得ないです。
またユダヤ人は、国際的な言論弾圧を行い、ホロコーストに疑問を呈した人は、逮捕されています。

いくらなんでも信じられないと言うのも、すごく分かるんですが、とにかくこのサイトを見て、自分の頭で考えて、「あった」という人が正しいのか、「なかった」という人が正しいのか、自分の頭で判断する事が大事だと思います。

参考URL:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/qa/00 …
    • good
    • 2

アウトバーンは残念ながら、ヒットラーの発案ではないのです。

アデナウアー元首相が戦前に初めて自動車専用道路を作ったのだそうです。
    • good
    • 0

「安く良質な大衆車」というコンセプトで一般市民にも手に入るクルマとして「ワーゲン」が作られました。


アウトバーンも、これのおかげで人口集中があまり起きなくなりました。
両方とも即座に軍事転用する構想があったという説も有りますが(実際されましたし)
また「ドイツの森を守れ」と、環境保護の先駈けでもあります。

あとユダヤ人を使った人体実験により医学が飛躍的に進歩しましたし、
現在のジェット機、ロケットはナチス開発技術が原形です。
また、ナチスによる宣伝ノウハウは、そのまま現在の広告代理店に受け継がれています。
善行とはいえませんが、現在の科学は
ナチス科学の遺産におうところが多いのも事実です。

第一次大戦で困窮しきったドイツを立て直し、 国民に自信と目標を与え、
「ヒトラーはワーゲンとアウトバーンを残したが、東条は何を残した?」なんて台詞も有るくらいで
たしかに政治家としては有能だったのかもしれません。
    • good
    • 2

善行かどうかは読む方の判断に任せますが、最大の業績は


ドイツ経済の立て直しでしょう。

下記質問のNo.7の回答を参照してください。
『ヒットラーを称えていました。』
 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=310655

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=310655
    • good
    • 1

作家の柘植久慶氏の著作に、ヒトラー関連のものがあります。


「ヒトラーの戦場」(集英社文庫)
「ヒトラーの遺産」(KSS出版)
私たちがヒトラーに対して抱いているイメージが、連合国により操作されたものであることが分かります。
少なくとも1930年代の大恐慌時代のドイツ人にとって、ヒトラーが優れた政治家だったのは間違いないようです。

「善行」についてですが、本に書かれているので一つだけ引用します。
ヒトラー政権では労働者を保護する施策が採られました。ヒトラーは、労働者は健康であることに加え、生活を享受しうるという点が絶対の条件だと考えました。通気がよく悪臭のない清潔な作業所にはじまり、完備された休憩所や食堂、各人のロッカーがある更衣室、一度に幾人もが使えるシャワー室や手洗所、窓の外には目を休められる緑地帯、といったものを数年の間にドイツ全土で徹底させました。
また工場付属の職業学校の生徒を含め、若年層には毎月一回X線による身体検査を実施、胸部疾患の早期発見に努めていました。その他、出退勤時の専用列車・バスの運行や、部署毎に時差を付けた通勤なども行われたそうです。

今では当たり前のように聞こえますが、70年近く前、既にこのようなことがナチスドイツでは確立されていました。
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!